魔法の石フーラス

春野 悠

第1章 手紙にかけられた魔法

手紙にかけられた魔法 1

 窓枠に手をついて、王女はそれはそれは大きなため息をひとつついた。

 外はすっかり日が昇って、清々しいくらいの青空。もうそろそろ、やたらと気性の荒い侍女がやかましく支度をしにこの部屋に来る時間だろうに、その姿はまだ見えないものだから、王女もまだ寝巻のままだった。さっきまで見ていた夢のせいで、目がチカチカする。この間、やっぱり夢のせいでチカチカうっとうしくて、ゴシゴシ目を擦った挙句、とんでもないことになったから、今日はやめておこう。

 王女はまたも大きなため息をひとつつく。退屈すぎる一日の始まり。見慣れた庭師のゆったり働く姿をただぼんやりと眺めていた。

 王女、シルマ・クォールティーは十七歳の女の子。

 おしゃれが好きで、日がな一日空想にふけるのも、音楽もダンスも好き。趣味はたくさん持っている。持ち前の好奇心旺盛な性格が過ぎて、人をからかうことに夢中になったり、一度は騎士のまねごとで重たい剣をこっそり拝借してきたり。厩の馬の背によじ登って叱られたのは……まだ小さい頃の話だけれど。

 王女たるものああしなさい、こうしなさい、なんてまっぴら。

 シルマは自分で自分は「普通の女の子」だと思っていた。それでも周りが「普通の」ようには接してくれないから悔しくて悔しくてたまらなかった。

「ご自分のお立場を自覚しておられますか」

 王女、王女、王女……もううんざり! 言われたことをただただ素直にやることが王女なのかしら。城から出られないのが王女の宿命? こんなの自分の部屋にいながら『囚われの姫』って感じ。

 わがままを言っていることはシルマもわかっているけれど、こんな日々がこの先ずーっと続くのなら、王女なんていっそのことやめてしまいたいと思っているのも確かだった。

 それとも、物語の世界のように『囚われの姫』には、『白馬の王子様』でもやってきてくれるのかしら。――そんな都合の良いこと、あるわけがない。

 クアラーク王国第二王女――それがシルマの肩書きだ。生まれた時から侍女が側を離れなくて、生まれた時からお城の中。

 シルマがおてんばなのは、とにかく自分の身の上に反抗したくてたまらない結果だった。王女なのは生まれつきだから仕方がない。それはもちろん、もっと普通の娘として生まれていたら、なんて考えることもあるけれど、王女の肩書きに多少は誇りだって持っている。ただ悔しいのは、不自由なこの生活で。もっと自由にやりたいことができたらいいのにとシルマはいつも思っていた。

 少しでも毎日が楽しくなればと、シルマはいろいろなことに興味を持った。何かに夢中になっている時は、嫌なことなんて考えなくてもすんだから。

 ここ最近のシルマは、寝ている時に何度も見る同じ夢のことばかり考えていた。初めて見たのはもう何ヵ月も前のこと。初めはさほど気にならない頻度で見ていたけれど、だんだん回数は増えて、最近はもう毎晩見るようになっていた。シルマには覚えがない世界の、知らない人が出てくる夢。そこに自分の存在はなくて、ただ鑑賞しているだけの夢だった。

 夢の中の主人公は、顔に黒い幕でもかかったような姿をしていた。そんな奇妙な姿をしているのはその人だけで、周囲の人に別段違和感はないけれど、それでもシルマの知らない人ばかり。何の言葉も聞こえてこない主人公を除けば、周りの会話はしっかりシルマの耳に届いているけれど、朝目が覚めると何を話していたのかてんで思い出せなかった。

 顔はわからず、声も聞こえないこの主人公は、その背格好からしてもきっと男性に違いなかった。

 夢は決まって、深紅の絨毯が敷かれた長い廊下を主人公が歩いているところから始まった。彼がいくつくらいの人なのかはわからないけれど、その振る舞いには少し幼さが残る感じがするので、十代前半くらいなのではないかとシルマは考えている。彼がとある部屋に入ると、そこにはベルナールという名前の男の人(この名前だけは目が覚めても確かに覚えていた)が待っていて、さらにそこへおじいさんがやってきて――。

 主人公の名前だってわからない。何度も見るこの夢にどんな意味があるのかもよくわからなかったけれど、シルマの好奇心を掻き立てるにはもってこいのネタだった。

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