第118話 これこそが、勇者だ!


「いくぜデカブツ!」


 やはり、というべきか。初手はジーナから始まった。

 自分より遥かに巨大な相手だというのに、獰猛な笑みを浮かべ真っすぐ突き進む。その陰に隠れるように、エドガーが続く。


【グプ】の目が二人に集中する。しかし、もう少しで【グプ】の間合いに入ろうかという所で、二人が左右に分かれた。声も出さず、示し合わせたような二人の動き。獲物が二つに分かれたことで、【グプ】の挙動に迷いが生じる。


 その数瞬の混乱の間に、二人は【グプ】の懐に入り込んだ。


「遅いんだよ、ノロマが!」

「隙だらけだぜ!」


 晒された胴体に、ジーナは【氣】を練り上げた打撃を、エドガーは鋭い斬撃を放つ。並みの魔物が相手なら、十分に致命傷になりえる一撃。


「なんっ、だこりゃあ!?」

「チッ、硬いなおい!」


 しかし、二人は揃ってその手応えに表情を歪めた。再び攻撃を重ね、その感触に確信を深める。二人は一度グプから離れ、苦い顔で叫んだ。


「気を付けろ! 見た目通り、相当硬いぞこいつ! 斬撃はあまり通用しねぇ!」

「こっちもだ! 甲殻の内側に入った感触はあるのに、効いている感じがしねぇ! こいつ、中で衝撃を全部吸収してやがる!」


「あの二人で駄目とは、防御性能が尋常じゃないな。厄介な……」


 二人の情報に、ラッシュは苦虫を嚙み潰したような顔をする。


 あの甲殻を見れば、斬撃が通用しづらいのは予測できた。しかし、ジーナの攻撃まで通じないのは予想外だった。


 剣すら通じない相手でも、中に攻撃を徹すことが出来るのがジーナの強みである。今までどんなに硬い相手だろうが、ジーナはそれを無視して正面から潰してきた。


 あの甲殻の下には、強靭なだけではなく、昆虫にはない柔軟さを持つ筋肉が潜んでいるのだろう。ジーナの特殊な一撃を吸収しきるとは、さすがに【聖獣食らい】の魔物だけはある。


「チッ、やっぱり駄目か!」

「隙間でもこれか!」


 念入りに【氣】を練り上げ、ジーナは強烈な一撃を放つ。エドガーも狙いどころを変え、より柔らかそうな甲殻の隙間を狙って斬りかかった。しかし、やはり効いている様子が見られない。【グプ】は煩わしそうに身じろぎをしているだけだ。


 渾身の一撃をその程度で済まされ、二人の苛立ちが募る。二人にとっては、これ以上なくやり辛い相手だった。有利な点を上げるなら、動きが鈍い分、相手からの反撃を食らう心配がないことか。とはいえ、攻撃の手段がないのでは、囮ぐらいしか……。


「──ッ! 二人共! 下がれ!」


 ググッ、と【グプ】の尾が貯めたような動きを見せた瞬間、嫌な予感がしてラッシュは叫んだ。


 相手からの反撃はないと油断しかけていた二人だったが、ラッシュの叫びに、考える前に体が動く。瞬時に反応したとは思えない、見事な退避行動。そんな二人を、凄まじい風圧が襲った。


「んおわぁああ!?」

「くっ、おおおおっ!」


 身の軽いエドガーはあっさりと宙に投げ出され、ジーナですら風に押されてたたらを踏む。それは、初めて見せた【グプ】の攻撃だった。


 尾に力を貯め、自分の体を中心に一回転して薙ぎ払う。ただそれだけの動作だが、その速度は尋常ではない。あれだけの巨体でありながら、振った尾が一瞬消えたように見える程であった。


 そこに込められた破壊力を想像し、ネコタは顔色を悪くする。


「あ、あんなの食らったら一溜りも……!」

「なるほど。小回りは効かないとはいえ、攻撃まで遅いわけではないか」


 冷静に分析しつつも、ラッシュは内心で脅威だと感じた。同じく、その攻撃を食らいかけていたエドガーとジーナも、珍しく恐怖のような表情を見せている。


 あの質量を、あれだけの速度で当てられれば、食らった者はタダでは済まないだろう。間違いなく挽肉になる。動作が大きいため、警戒していればなんということはないが、それでもその恐怖は大きい。食らってはいけない攻撃を持っているというだけで、精神の疲労は凄まじく大きくなる。


「ネコタ! 間違えても受けようと思うなよ! おそらくお前の結界でも無理だからな!」

「はっ、はい! 分かりました!」


 緊張でガチガチに固まるネコタだったが、過信して死なれるよりはよっぽどマシだ。そう判断し、ラッシュは次の手を探る。


 斬撃、打撃は共に無効。己の弓など、この戦闘では役に立たないだろう。となれば、打てる手は一つ。


「アメリア! 頼む!」

「任せて」


 静かにただ一言、アメリアは応えた。


 恐怖すらも飲み込み、力に変えるように、魔法へ集中する。精神の乱れはそのまま魔法の乱れに通じる。恐怖も、高揚も必要ない。緊急時だからこそ、心は氷のように冷たく、平静に。


 恐ろしい魔物を相手にしてなお、【魔法使い】の基本にして奥義をアメリアは平然と行使する。


「大規模殲滅、大物殺しは……【魔法使い】の得意分野だよ」


 独り言のように呟き、集中を完成させる。


「【迸れ、いたいの荒々しき稲妻よとんでけ】!」


 アメリアの持った杖の先端に、バチバチと電気が走る。そして次の瞬間、何本もの雷の帯が【グプ】に襲いかかった。


 雷に身を包まれ、ギギギイィ、と【グプ】は悲鳴を上げる。電撃が収まると、身じろぎする【グプ】の体からプスプスと煙が立ち、焼けた匂いが広がった。


【グプ】の様子を一番近くで観察していたエドガーが、声を張り上げた。


「だいぶ効いているぞ! こいつ、魔法には弱いみてぇだ!」

「なるほど。直接攻撃には強いが、魔法には弱い。魔獣によくいるタイプだ。ある意味、正攻法が効く相手だったか。これなら……」

「それなら私もっ、精霊さん!」


 アメリアの魔法で勇気が湧いたのか、今まで縮こまっていたフィーリアが動いた。

 火の精霊に呼びかけ、頭上に集める。それは巨大な炎の球体を型取り、ゴウゴウとその場で燃え続けた。


 アメリアでさえ作れるかどうか、という規模の炎球から伝わってくるその熱量に、そばに居たラッシュは思わず唾を飲む。仲間ですら恐怖を覚える、それだけの力がその炎には込められていた。


「では、やっちゃってください!」


 のんきにも聞こえるその指示とは裏腹に、凶悪なまでの殺傷力を秘めた炎の玉が【グプ】を襲う。その巨体に触れた瞬間、炎は火柱と化し【グプ】をその中に閉じ込めた。


『ギギギィ、キキキキキキィイイイイイイッッ!!!!』


「おいおい、マジかよ」


 その威力に、ラッシュはもはや呆れの感情を抱いた。

 砂漠に住む魔物であれば、魔法に弱いとはいえ炎や熱には耐性があるだろう。フィーリアの力では、アメリアほどの効果は望めないとラッシュは思い込んでいた。


 しかしどうだ、この威力は。どうやら自分は……いや、自分に限らず、誰もが未だフィーリアを過小評価していたらしい。


 炎の耐性を上回り、フィーリアの精霊術は【グプ】を燃やし尽くそうとしていた。


「──はふぅっ! つ、疲れたっ!」


 気の抜けた息を吐き、ペタンとその場に座り込むフィーリア。それと同時に、【グプ】を包んでいた炎が消える。


【グプ】の体は、フィーリアの炎によって焼き尽くされていた。硬い甲殻は全体的に歪み、ドロドロに溶けかかっている部分もある。【グプ】の口元や体が痙攣し、明らかに苦しんでいた。


 明らかに、アメリア以上の戦果だった。しかし、相応に代償はあったようだ。フィーリアはゼェゼェと息を見出し、ダラダラと汗を流している。ハッキリ言って、【グプ】にも負けない疲労具合だった。


「す、すみません……あの規模の力だと、私の消費も……ちょ、ちょっと休ませ……」

「ああ、十分だ! しっかり休め!」


 予想外の戦果を見せたフィーリアに、ラッシュは力強い笑みを見せる。

 一時はどうしたものかと考えたが、これで方針は決まった。


「アメリアは可能な限り魔法を撃ち続けろ! フィーリアは回復し次第ぶち込め! 俺とジーナ、エドガーは撹乱! ネコタは二人の護衛だ! あいつを二人に近づけるな!」


「やだっ。一番の役立たずが偉そうに指揮してる」

「おお。恥を知らないなアイツ」


「はっ倒すぞテメェら!」


 茶化してくる前衛に怒鳴りつつ、ラッシュは弓を構えた。このまま役立たず呼ばわりを許す訳にはいかない。


 移動し、射線を確保。弓を引きしぼり、瞬時に放つ。


『ギギギィイイイイイイイイ!』


 ラッシュの放った矢は【グプ】の目に突き刺さった。片目を潰され【グプ】が悲鳴を上げる。


「よし、セオリー通り、やはり目玉までは……げっ」


 効果を見て嬉しそうに笑うラッシュだったが、次の【グプ】の行動を目にし嫌そうな声を出す。

【グプ】は刺さった矢を射抜かれた目玉ごと引き抜いた。すると、失った目がみるみると再生し元どおりになる。


 呆れるまでの再生力だった。とはいえ、ダメージにはなっていたのだろう。

【グプ】は自らの目を奪ったラッシュに体を向け、そして──その巨体が宙に浮かび上がった。


「あたしを無視してんじゃねぇよ!」


 いつの間にか下に潜りこんでいたジーナの、体ごと突き上げる掌底。ダメージにはならないが、動きを止めるには十分以上の効果だ。そして、宙に浮いたその数瞬の間に、反対側からエドガーが襲いかかる。


「普通の剣じゃ駄目なら、こいつはどうだ!」


 エドガーは剣を鞘に収め、地に手を着く。そして、大地から己が最も信頼する武器を引き抜いた。


「【人参剣──大根斬り】!」


 完全にノリで決めた技名であった。

 エドガーは体全体を使って大上段から斬りかかる。狙いは二の次に、とにかく威力を求めた荒々しい斬撃は、鉄すらも弾く甲殻を削り取る。


 自慢の甲殻が、よりにもよって人参に斬り裂かれる。初めての経験に【グプ】は動揺したように身じろぎした。しかし、チッとエドガーは舌を鳴らす。


「斬れたことは斬れたが、駄目だな。これじゃあ致命傷には程遠い」


 確かに傷はつけたものの、全体から見れば小さな引っ掻き傷のようなもの。今は驚いているものの、すぐに無視される程度でしかないだろう。


 やはり、これを倒せるのは──


「精霊さん! お願いします!」

「……【風よ、吹きふさべびゅーっと、ふけ】!」


 再び、フィーリアの炎が襲いかかる。


 先ほどの威力を見たアメリアは、咄嗟に風をその炎に注ぎこんだ。アメリアの風が援護になったのか、炎が先ほど以上に燃え盛る。まるで神の天罰かと思えるかのような炎は、確実に【グプ】の命を削っていた。


『ギルッ……ギルルル……ギリイイイイイイイイイイィイイイィィィィィイ!!!!』


 炎が消え去り、弱々しい声を漏らしていた【グプ】が甲高い声で叫び出した。そして、ドンッ、と急加速し、走り出す。


 傷だらけの体に加え、今までにない動きに全員が意表を突かれる。しかし、その進行方向から【グプ】の目的を察し、ラッシュは慌てて叫んだ。


「──いかん! 止めろ! 二人が狙われている!」


【グプ】の向かう先には、アメリアとフィーリア。そして、その二人を守るようにネコタが立っている。自分を殺しえる最大の脅威と見て、【グプ】は後衛の二人の始末にかかった。


 そうはさせるかと、エドガー、ジーナ、ラッシュが止めにかかる。打撃で体が軋み、甲殻を削られ、再び目を射抜かれる。しかし【グプ】は自らの傷を顧みず、突き進む。その知能が、まず倒すべき相手を正確に判断していた。


「コイツ、頭使いやがって!」

「虫の分際で、舐めんじゃねぇ!」

「やべぇな、このままだと……!」


 この速度では、後ろの二人では逃げきれない。それが分かっているからこそ、三人の攻撃は激しくなる。いよいよ不味い、と本気で焦り始めた時、アメリアの冷たい声が届いた。


「【氷よ、凍てつくせぜんぶ、こおっちゃえ】!」


 砂の下から巨大な氷の槍が突き出し【グプ】へと迫る。氷槍は【グプ】へ突き刺さり、その体を縛り付けた。

【グプ】の動きが止まり、ほっと弛緩する空気が流れる。しかし、それは油断であった。


『ギュリリイイイイアアアアアアア!!』

「そんな……!」


 動きを止めたのは、ほんの数秒。ここが力の出し時だとばかりに、【グプ】は暴れまわり氷の縛りを破壊する。自分の魔法からあっさりと抜け出され、アメリアは呆然とした声を漏らした。


 そしてその僅かな隙に、【グプ】は後衛の二人に接近しようとしていた。


「二人とも! 退がって!」


 二人を後ろに突き飛ばし、ネコタは前に出る。無謀とも取れる行いに、誰もがぎょっと体を固まらせた。確かに、二人は守らなければならない。だがそれ以上に【勇者】は守らなければならない存在だ。


「馬鹿野郎! 無理すんじゃねぇ!」

「ネコタ! 逃げろ!」


 必死の形相でエドガーとラッシュが叫ぶ。ジーナも舌打ちしながら、ネコタを守ろうと走った。

 しかし、間に合わない。助けが入るより早く【グプ】がネコタに迫る。


『ギリリリリリリリリリリリ!』

「──ッ!?」


 ゾクリ、と寒気が走った。今にも逃げ出したくなるような恐怖が襲ってくる。

 だが、自分の後ろ居る二人を思えば、ネコタに逃げようという選択は無かった。


「──おぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 恐怖を紛らわすように、吠える。


 ネコタは無謀にも【グプ】の懐に飛び込み、聖剣を振りかぶった。障壁が通じない以上、まだそっちのほうが効果的だとはいえ、自殺行為と変わらない。


 最悪の光景を浮かべ、誰もが青ざめた。だが、その予想は見事に裏切られる。


 ──フォンッ!


 光の閃きが宙に描かれ、空気を斬ったような軽い音が走る。


 ネコタの聖剣は、あっさりとグプの頭部を斬り裂いていた。


『ギュリリリリリィイイイイイイイイイィィィィ!?!?!?』

「あ、あれ?」


 頭部を広く裂かれ、ドバッと大量の血液を吹き出した【グプ】は、発狂したような声を上げて慌てて後退する。


 今までにないダメージを与えたというのに、ネコタはそれが信じられないかのように、何度も【グプ】と聖剣に目をやった。本当に自分がやったのかと疑うほどの手応えの無さだった。


「うっそだろ? どうなってんだ?」


 エドガーが呆然とした声を上げ、何かの間違いなのではないかと、何度もゴシゴシと目を擦る。しかし、やはり苦しんでいる【グプ】の姿が映っている。


 同じように衝撃を受けていたラッシュだったが、ハッと目を開き、呟いた。


「そうか。聖剣の【凶払い】の力、魔に対する特攻だ。だからあそこまで……」

「はぁ? い、いや、ちょっと待て! 今まであれほどの威力を見せたことなんてっ!」


「その効果を発揮する相手と戦っていなかっただけだ。思えば、今まであれだけ大物の魔物を相手にしたことはなかったな。【永久氷狼コキュートスウルフ】の時も、結局攻撃はしなかったし」


 納得したように頷くラッシュだが、エドガーは未だ半信半疑だった。

 だってネコタだよ? たまたま脆い所を斬れただけじゃない? という疑惑が晴れない。


「た、たまたまだ。偶然に決まっている。ネコタがあんなに強い訳が……」

「見苦しいぞウサギ。偶然かどうかは、やらせてみりゃ分かる。ネコタァ! ぶった斬れ!」

「はっ、はい!」


 予想外の結果にオロオロとしていたネコタだったが、だからこそ、ジーナの命令に素早く反応した。未だ纏まらぬ思考のまま突っ込み、剣を構える。

 それを見た【グプ】は、斬られた恐怖を思い出し鋏を盾にした。


 急所を隠され、躊躇いを見せる。が、ここで止まっては意味がない。ギリッと歯を噛み締め、ネコタはその鋏に渾身の力で聖剣を叩きつけた。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」


 甲殻以上の硬さを持つ、【グプ】が最も信頼するであろう鋏。まさしく鉄壁と呼ばれるに相応しいその盾を、ネコタは甲殻と同様、あっさりと斬り裂く。


『ギュリリリリリリリリィイイイイイイ!?!?!?』


 自慢の鋏が半ばから断ち切られた事に、【グプ】は哀れにも聞こえる悲鳴を上げ、また後ずさる。

 その姿を目にして、ネコタはゆっくりと現実を受け入れていた。


 ……あれ? なんであんなに脆く……いやでも、エドガーさん達はあんなに苦戦して……あれ!? これって、もしかして……!


 みるみると、疑問が確信に変わっていく。

 そして、ネコタは真実に辿り着いた。


 ──僕って、やっぱり凄い!?


「僕が前に出ます! 皆さん、援護お願いします!」

「あっ、おい!」


 そしてネコタは調子に乗った。

 ラッシュが止める間もなく、ネコタが【グプ】に駆ける。ラッシュはそれに複雑そうな表情を浮かべた。


「アイツ、いくら効いているとはいえ! お前が死んだら世界の終わりだって分かってんのか!」

「だが、有効だ。間違った判断じゃねぇ。ウサギ、あたしらも行くぞ!」

「嘘だ、信じられない……! ネコタの癖に……あんなに強い訳が……!」


 一戦士として、ジーナはネコタの行動を支持した。少しでもネコタの助けになろうと、すぐに援護に走る。ひそかに衝撃を受けていたエドガーも、その衝撃を断ち切れないままジーナの指示に従った。


 ネコタが攻め手に回ったことで、状況は一変した。

【勇者】が危険にさらされるというリスクはあるものの、有効な攻撃手段が一つ増えたことにより、否応にも【グプ】は防御に回らざるを得なかった。


 ネコタが聖剣で押し込み、エドガー達が攪乱に回りよりネコタを動きやすくする。そして後ろからアメリアとフィーリアが悠々と魔法を撃ちこむ。


【グプ】を相手に、考えられる限り理想的な戦闘だった。相手からの反撃を警戒することなく、一方的に攻め続けられている。そしてこの状況は、絶対的な壁役と聖剣があってこその展開だった。


 間違いなく、この戦いはネコタを中心に回っていた。


(これだ……これこそが勇者だ!)


 全てが、自分の思い通りに進んでいる。

 何もかもが上手くいっているこの状況に、ネコタはある種の全能感を感じていた。

 いや、違う。今までが間違っていたのだ。これが本来の、正しい自分の姿だったのだろう。


 もうどこにも、ポンコツ呼ばわれりされる勇者ぼくなんて居ない!


「──聖なる剣よ! 光を灯せ!」


 勘違いとはいえ、それもまた自信への切っ掛けである。

 今なら応えてくれる。その誤った確信に、罪深くも聖剣は反応してしまった。


 世界は自分の為にあるといった、少年なら誰もが一度は通る痛々しくも熱い想いが、【勇者】に秘められた力を引き出した。女神から受け取った【勇者】の力が聖剣に流れ込み、一層輝きを強くする。


 その光を感じながら、ネコタは渾身の一振りを放った。


「──【聖光剣】!」


 その場で技名を決め、叫ぶ。

 間違いなく黒歴史への第一歩であった。それなりに姿が様になっているのだから手に負えない。


 聖剣の光は刀身をかたどり、聖剣がより巨大な剣となった。その刃は【グプ】が前に出した二本の鋏を完全に断ち切り、頭部の半ばまで斬り裂く。


『ギギギギギギギギギギィイイイイイイ!?!?!?!?』

「逃がさない! これで……!」


 この好機を逃さず、ネコタは追撃をかけるべく後退した【グプ】と距離を詰める。傷は深い。もう一撃入れれば決着に至るだろう。


 もはや相手に抵抗する手段はない。聖剣に力を送り込み、再び極光の剣を作り出す。それを叩きつけようとしたその時、ネコタの目の前に何本もの糸が飛び出してきた。


「くっ、これは……!」


 驚き、体が硬直する。その一瞬の間に、ネコタは聖剣ごと糸によって絡まれた。その糸はズタズタに引き裂かれたグプの頭部──その口元から伸びている。


 ガチ、ガチッと歯を鳴らし、【グプ】は吐き出した糸を勢いよく吸い込んだ。


「おぉ!? あ、ああああああああ!!」

「ネコタ!? チッ、くそっ!」


 糸に引き摺られ、ネコタは【グプ】の口下に引き寄せられていく。逃げようにも、糸は柔らかさと強靭さを備え自力で外せそうにない。あの口に飲み込まれ、引き裂かれて食われる。その未来を想像し、ネコタは顔を青くした。


 この状況の不味さを悟り、エドガー達が救出に動こうとする。しかしそれよりも早く、フィーリアが反応した。


「精霊さん! 行ってください!」


 カッ、とフィーリアの手元に炎が生まれ、引き摺られるネコタに伸びていく。ネコタが【グプ】に飲み込まれるより早く、その炎はネコタを包み込んだ。


「んぎゃあああああああああああああああああ!?!?!?!?」

「ネッ……!? フィーリア! 何やらかしてんだお前!? 早く炎を止めろ!」


 あまりに盛大な誤射に、誰もが呆然と燃えるネコタを見ていた。それだけあってはならない光景だった。ラッシュだけが焦ってフィーリアを叱り飛ばす。


 だが、フィーリアは苦しそうな表情のまま、炎を止めようとしない。殴ってでも止める、とラッシュが動きかけた時、炎の中から慌ててネコタが飛び出してきた。


「熱つつつつ!? 熱い! あっついぃいいいい! 火、火消して! 早く!」

「ネ、ネコタ? なんであれで無事で……ああいや、落ち着け、もうほとんど消えかけている」


 あちこちを焦がしながらも、元気なネコタを落ち着かせるラッシュ。しかし、内心ではなぜ無事なのかと疑問だった。


 プハーッ、と大きく息を吐き、休んでいるフィーリアの方を見る。フィーリアはそれに気づくと、ぐっと拳を作った。


「ゼェ、ゼェ……せ、精霊さんの炎は燃やすものを選びます。ネコタさんを避けて、糸だけを燃やすくらいちょろいもんですっ!」

「避けきれてませんけどっ!? ほらここ、ここ見て! ばっちり燃えてる!」


 ネコタが肩の辺りを指して言う。確かに服が燃え、地肌が見えていた。

 気まずそうにフィーリアが目をそらす。そんなフィーリアを不思議に思いつつ、アメリアが何気なく尋ねた。


「あんなことが出来るなら、森とかでも平気で使えるんじゃないの? 今までも危ないところじゃ精霊術を使うのは避けてたよね?」

「……その、燃やす対象の制御は実はあまり得意じゃなくてですね。挑戦しても、結局纏めて燃やしてしまうことがほとんどでして……」


「それを知ってて使ったんですか!? 下手すれば僕が消し炭だったってことですよねぇ!?」

「ま、まぁ助かったんだからいいだろ。今回は感謝しておけ」


「そもそもテメェが糸なんかに捕まってるのが悪いんだろ。反省しておけ、この間抜け」

「あんなのいきなり吐き出されたら誰だって──そうだ、あの糸!」


 エドガーに言い返そうとして、ネコタは【グプ】へと目を戻す。

 糸を吐き出した【グプ】は、フィーリアの炎によって燃えていた。しかし様子がおかしい。悲鳴を上げるでもなく、なにかをこらえているかのようにぐっと丸くなって耐えている。


 今までにないパターンに、ネコタは怪訝そうに眉をひそめた。


「どういうことでしょう? あんな糸を吐いたり、それにフィーリアさんの炎で悲鳴を上げないなんて……」

「さぁな。だが、チャンスには違いない。今のうちにトドメを──」


 ラッシュが動き出そうとした、その時だった。


『ギギギリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!!!』


 今まで以上に耳障りな【グプ】の悲鳴に、全員が思わず耳を塞ぐ。聴いているだけで脳が揺さぶられるような、それだけの音量だった。


 しかし、変化はそれだけではない。


【グプ】はピタリと声を止めると、体から黒いオーラのようなものが吹き出し、その身を包む。フィーリアの炎がかき消され、そして、その黒い衣の中で【グプ】の姿が変わっていった。


 ズルンッと、根元から断ち切られた【グプ】の鋏が、再び生えてくる。熱で溶けていた甲殻が、バキッ、と割れだし、それを押し出すようにして、その下から新たな甲殻が現れる。そして、二つの目の周りに新たに六つの目玉が生まれ、8つの目がギョロギョロと周囲を見回している。


 鋏や甲殻は全体的に鋭角さを増し、より硬度を増した色味になっている。その鋭さが、攻撃性を露わにしていた。さらに、昆虫の薄い羽のようなものが背中に付いている。この体格では信じがたいが、短時間であれば飛べるのかもしれない。


 ガチッ、ガチッ、と。確かめるように、【グプ】は何度か歯を鳴らした。より巨大に開くようになった口元には、鋭い牙が覗いている。それは蠍というよりも、蜘蛛の口に見えた。


「なるほどな」


 すっかり変わったグプの姿に、ラッシュは納得した声を上げた。


「この色々混ざったような姿。こいつ、蠍型じゃなくて、蠍を基礎とした混成キメラ型の魔物だ」

「ど、どおりで。さっきの糸は、蜘蛛の糸って訳ですか」


 それじゃあ斬れない訳だ。とネコタは思う。結果的に、フィーリアの判断は正しかったのかもしれない。


「こいつが何の魔物かはどうでもいいが、ようはこっちが本当の姿ってことだよな? ってことはだ……」

「ああ、その通りだな」


 ジーナの言葉を引き継ぎ、エドガーが言った。


「こっからが、本番ってわけだ」



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