第90話 あたしがどんだけ師匠にしごかれてたと思ってんだ



「ジィイイイイイナアアアアアア! よく来てくれた! 会えたのがお前で本当に良かった!」

「本当に、本当にありがとうございます! このウサギは役に立たないし、もう本当に駄目かと……!」


「おいおい、そんなに泣くほどのもんじゃねぇだろ。それとも、コイツらそんなに強いのか?」


 泣き出す二人に呆れた顔を見せたジーナだが、ワクワクとしながらレティ、オリバーに目をやった。

 ネコタはともかく、極悪ウサギがこれほど弱っているのだ。そうそうない光景なだけに、ここまで追い込んだ相手に好奇心が抑えきれない。


 蹴り飛ばされたオリバーが、ブルリッと頭を振り起き上がる。


「おお〜、痛てぇ。大分効いたぜ。いきなりなんだアイツは」

「どうやら新しいお仲間みたいね。不意打ちとはいえ、アンタにそこまで言わせるなら弱くはないか」


 面倒そうな表情を浮かべるレティだが、その余裕は消えない。


「でも、私と貴方の二人掛かりなら十分でしょ。今更何人増えようと、何も変わらないわ」

「フハハハハハハ! 何も分かっていないな年増女! この方をどなたと心得る!」


 バッと、まるで腰巾着のように両手で立ちずさむジーナを示し、エドガーは言う。


「この方こそ俺らの秘密兵器! ”魔法拳士マジカルジーナ”ちゃんだぁああああ! 

 一度戦いが始まれば、敵が泣いても戦いをやめない凶暴な性格! 鍛え抜かれた拳で繰り出されるマジカルパンチ(物理)を前に、耐えられる者など存在しない! 

 覚悟しろ! この子が来たからには、お前らに勝ち目はないっ!」


「覚悟するのはテメェの方だよ。だれが凶暴だって?」

「ジ、ジーナさん! 気持ちは分かるけど我慢して! あとで僕も手伝いますから!」


 今にも殴りかかりそうなジーナをネコタが止める。仲間が増え、なんとかなりそうな雰囲気なのだ。ここで戦力が減ってはたまったものではない。

 三人のやり取りを見ていたレティは、クスクスと笑い声を上げる。


「また随分と仲がいいじゃない、エドガー。それに、だいぶ信頼しているのね」

「ガサツで女としてはどうしようもない奴だが、戦闘力は本物だからな。お前ら、逃げるなら今のうちだぞ。もっとも、絶対に逃がさないけどな! 俺に味合わせた恥辱、そっくりそのまま返してやるぜぇ!」


「あらあら。ならその大口が本当かどうか――試してみましょうか!」


 ヒュルン、と。レティが鞭を振り上げ、音が鳴る。ジーナは瞬時に戦闘態勢に入り、鞭に備えた。


 ニッ、と見下すような笑みを作り、レティは躊躇わず鞭を振るう。その機を見切り、ジーナは足に力をいれ――その瞬間、エドガーが叫んだ。


「避けるな! 掴め!」

「――――ッ!」


 ピクッと、ジーナはエドガーの言葉を聞き動きを止める。

 その硬直を、レティは見逃さなかった。


 ――バチィ!


「――なっ! そんなッ!?」

「~~ッ! 痛って……ん? なんだ? なんか妙な感触が……」


 目の前の光景にレティは目を疑った。

 ジーナはエドガーの指示通り、レティの鞭を掴んだのだ。


 今まで避けることも許さず、ただ一方的に敵を鞭で叩いてきたレティにとって、それは何よりもあり得ないことだった。


「んきゃあああああああ! ジーナちゃん最高ぉおおおおお! カッコよすぎて惚れる!」

「本当に凄い! 誰も真似できませんよあんなの!」

「へっ、大袈裟だっつうの。別に大したことじゃねぇよ」


 エドガーとネコタは興奮の声を上げ、ジーナも満更ではなさそうな顔をする。キャーキャーと騒ぐ二人の声は耳障りな物であったが、しかしレティはそれどころではなかった。


「嘘でしょ、私の鞭を見切ったというの? あり得ない、一体どんな手を……」

「どんなも何も、目で見て掴んだに決まってるだろうが。それ以外、何があるってんだ」


「だから、それがあり得ないって言ってんのよ! 私の鞭が完全に見切られた? あまつさえ掴むなんて、一体どういう目をして……!」


「見切りなんて【格闘家】にとっちゃ必須の技術だ。確かに鞭の先端は速いが、腕の動きを見りゃどこを狙ってくるかは容易に分かる。あとはタイミングを合わせて掴むだけだろ。驚くほどのことじゃねぇよ。まぁもちろん、避ける方が簡単だけどな」


「……化け物めっ! まさかこんな奴が居たなんて」


 畏怖の感情を浮かべ、唇を噛むレティ。


 想像したことすらない、しかし、これ以上ないほど最適な対応。とはいえその内容は容易い物ではない。

 実際にそれを出来る者など、世界に数人居るかどうかだ。よりにもよって今そんな相手が現れるとは。


 人生で初の自らの天敵を前に、レティの動揺は収まらなかった。


「よぉおおおおし! ジーナ! 何があっても離すなよっ!? へっへへへへっ! よくもやってくれたなぁ! 覚悟はいいかぁ?」

「うっ、クソッ! 放しなさい!」

「いや、放すわけねぇだろ。アホかお前」


 ジーナにすげなく断られ、さっと顔を青ざめレティはエドガーを見る。


 ヒヒヒッ、と甲高い笑い声を漏らし、ヒタヒタとエドガーは歩いてきていた。ベロリと剣の刃を舐め、ニタニタと笑っている。

 アレを近寄らせてはいけない。女としての勘が最大限の警鐘を鳴らしていた。


「放しなさいッ! 放せって言ってんでしょ! ――お願いだから放して、お願いッ!」

「ヒッヒヒヒ、無駄無駄。放したけりゃそっちが放しな。もっとも、そっちの方が都合が良いけどなぁ……!」


「~~~~ッ! オリバー! 早く助けなさいっ!」

「任せろおおおおおおおお!」


 オリバーは迷わずジーナに向かって突進した。

 豪快に向かってくるオリバーに、ジーナはヘッと強気な笑みを見せる。


「へぇ、あの女よりは殴りがいがありそうだな。どれ、あっちの女はどうにでもなりそうだし、あたしがアイツを――」


「待て! 鞭は絶対に放すな! フリじゃねぇぞ!? 絶対放すなよ!」

「本当にお願いします! 放したら終わるから! 絶対駄目!」


「二人揃ってなんでそこまでビビってんだよ。まぁいいか。片腕が塞がってるくらいどうにでも――」


 ウキウキとしていたジーナが、オリバーに目を戻し間の抜けた声を上げた。


「あ? 何だありゃ、ハリセン?」

「それだけ鍛えられた体を持ちながら、その口調、その髪型ぁ! 貴様ぁああああ――」


 グワァ、と。オリバーは高々とハリセンを真上に振り上げる。

 あまりにもそぐわない武器を目にし、ジーナはポカンとしたままハリセンを見上げる。

 気の抜けた顔をして隙だらけのジーナに、オリバーは勝利を確信した。


「――――女子かっ!」


 ――――スパァアアアアアアアアアアアアン!


 会心の一撃が決まり、快音が雪山に響く。

 唐竹割の如く振り下ろしたハリセンは、見上げていたジーナの顔を正面からしっかりと捉えた。

 ニッ、とオリバーの笑みが深まる。だがその直後、ぎょっとオリバーは身を固めた。


「おい」


 身が震えるような低い声が、ジーナの口から洩れた。


「テメェ、ふざけてんのか?」

「――――女だとぉ!?」


【正義と審判の神ジャルイル】の判定。

【ツッコミ】――不成立!


「あったり前だろうがボケがッ!」


 怒りのままジーナは一歩踏みこみ、空いた拳にその力を全て乗せる。

 驚愕のあまり硬直していたオリバーだが、瞬時にその拳に反応し防御に切り替えた。


「【フロントラットスプレッドォオオオオオオ】!」


 両手は腰元に。背筋を広げ全面を晒し、あえて受けるような恰好へ。

 ジーナの拳が届く直前、オリバーのポーズは間に合った。

 己の腹部に突き刺さる瞬間を目にし、ニィッと笑みを浮かべる。


 ――ドスゥン!


 拳がオリバーの腹を捉えた、鈍い音が聞こえた。まるで砂袋に向かって鈍器を振り下ろしたような、そんな音だった。

 笑ったまま、数秒ほど固まるオリバー。だが、ムグッと呻き声を上げると、顔色を変えてその場に蹲った。


「グッ……おっ、おおぉ……!? バカなッ……何故……!?」

「いや、何でお前避ける素振りも見せねぇんだよ。それどころか防御もせずに受けにくるとか、ビックリしすぎて冷静になっちまったじゃねぇか」


 冷静というより、若干引いたようにオリバーを見下ろすジーナ。

 オリバーは許しを請うような姿勢のまま混乱していた。


「何故だ……この俺の筋肉が……たかが拳で……!」

「あん? ああ、まぁ、確かに良く鍛えてるみたいだが……あたしが今撃ったのは【発脛】だ。

 たとえどんだけ硬かろうが、そこから衝撃を徹して内部から破壊する。鉄だろうが人体だろうが、あたしの直撃を受けて壊れねぇ訳がないだろうが」


「ぐぅ……! か、【格闘家】のスキルだな……それは知っている……! だが、俺は前にも……それを防いだことがあった……! その時は……全く効かなかったぞ……!」

「そりゃあ単なるそいつの修行不足だろ。そんな奴とあたしを比べんじゃねぇよ。あたしがどんだけ師匠にしごかれてたと思ってんだ。あたしより強い【格闘家】なんぞ、師匠以外に居るか」


 比べられるのも不服そうに、フンと鼻を鳴らすジーナ。

 当然だろうとでもいうような調子に、オリバーは目を瞠った。


【天職】の格差は、全ての【天職】に存在する。そしてジーナは【格闘家】としてトップレベルに位置する人間だ。

【格闘家】に現れる格差とは、単純な身体能力、そして技の破壊力。根本的に、強さその物がけた外れに違う。


 そのような相手を想定していなかったことを、オリバーの不手際と言うのは酷だろう。そんなもの、世界中を探しても居るかどうかという話なのだから。


「うっ……!? ゲボォオオオオオ……!」

「おわっ! 汚ねぇっ!」


 耐えきれず、その場で胃の中身を吐きだし始めたオリバーを、呆れたように見下ろすジーナ。

 はぁ……と重い溜息を吐き、ぼやくように言う。


「ったく、揃いも揃って何がしたかったんだコイツら。おい、お前ら何でこんなふざけた奴らに苦戦なんかしてんだよ。遊んでたの──」


「プギャハハハハハハハハハハハハハハ! アハハハハハハハハハ! ヒィー、フヒュー! オハハハハハハハ! 駄目だこれ、耐えらんねぇ……!」

「ぐぶっ、ふっ! ちょっとエドガーさん、止めてくださいよ……僕まで……ンフッ!」


「『んんんんんんん――――女子かッ!』」

「だから止め……アハハハハハハハハハハ! 駄目だ、僕も耐えられない!」


「グフ! ゲフッ、ゲフッ! いくらアイツがアホとはいえ、まさか素で男だと思われるとは……ギャハハハハハハハ! か、可哀そう……凄く可哀そう……アハハハハハハハハ!」


 爆笑だった。

 エドガーもネコタも、涙を流しながら腹を抱えて笑い転げていた。ここが戦場であることを忘れる程の大爆笑だった。


 ミチミチと、怒りで握った鞭が悲鳴を上げる。フルフルと震えながら、ジーナは二人に聞いた。


「お前ら、そんなに面白かったか?」


「ぐひゅっ! ……す、すみませんっ! そんなつもりはなかったんですけど……! ちょっと、これは……! ぐっ、ぶふっ!」

「そうだよな……全然面白くないよな……! ジーナちゃん、凄く可愛いのに……あのバカ、見る目ないよな……グヒュウ……!」

「クッ……!」


 スパンッ! とネコタがエドガーの頭をはたく。だが何の効果もなかった。とうとうエドガーは酸欠で声すら出せなくなり、ネコタもそれに続く。


 むしろ、あれを見て笑うなと言う方が無茶だった。

 そして、危機が目の前に迫っていることに二人はとうとう気づけなかった。


「……よぉおおおおく分かった。お前ら、覚悟は出来てんだな。残念だったぜ。お前らの事は嫌いじゃなかった。アイツらには適当に伝えといてやるよ」


 一周回って、ジーナは冷静だった。

 感情に流されず、ただ目的を果たす機械になっていた。それだけ、この二人の反応は許しがたかった。敵よりもまず、こいつらを殺さなければならない。女としての誇りがそう訴えていた。


 ――何もなければ、本当にそうなっていただろう。


「――無様だな。二人揃って、何をやっている」

「ッッ! チッ!」


 突如聞こえた声に、ジーナは直感的に鞭を放しその場から全力で離脱する。

 その直後、まさにジーナが居た場所に向かって、遠方から攻撃が発せられた。


 ――ゴォオオオオオオオ!


 まるで竜種のブレスのような超高温の炎が、舐めるように地を燃やし尽くす。積もった雪が一瞬で全て溶かされ、その下にあった地面までもが溶解していた。


 人が受ければ確実に死に至る、恐るべき炎だった。


 パシリッ、と返ってきた鞭を受け止め、ほっと息を吐くレティ。そして、炎が飛んできた方角を見て小さく笑う。


「助かったわ、エルネスト。正直、危ない所だったの」

「フン。お前らが二人揃ってその様とはな。相手があの性悪ウサギとはいえ、無様に過ぎるぞ。油断するからそうなる。馬鹿共め」


 吐き捨てるように言ったのは、黒いローブを着た魔法使い風の男だった。

炎帝イフリート”――エルネスト・ダンガー。その名の通り、炎を操る【魔導士】。【魔法使い】の上位職である。その実力は、今作り出されたばかりの光景が物語っている。


 三人のSランク冒険者、その最後の一人がとうとう合流した。


 チッ、と。エドガーは苛立たしそうに舌打ちする。


「現れやがったか。あの神経質の糞メガネが! せっかくジーナが来て流れが変わったっていうのによぉ……」

「な、なんですかあの魔法。地面が解けるって……」


 炎が通った後を見て、ネコタはさぁっと顔を青くする。

 焼き焦げる、という程度ならまだ分かる。だが地面までも溶かすとなると、一体どれだけの温度が必要になるのか。

 あれを人間が食らえば、一溜りもないだろう。骨すら残るかどうかも怪しい。


 王都に居た頃、ネコタは他の【魔法使い】を見たことがある。しかし、それとは比べ物にならない程の威力だ。これほどの威力を出せるとすれば、アメリアくらいだろう。


 ――いや。下手をすれば、アメリアよりも……。


 ネコタはその力に呑まれ恐れていた。しかし敵であるレティにとっては、心強い援軍だ。

 レティはエルネストの暴言に不満そうにしながらも、肩を竦めて返す。


「ちょっと、人を間抜けみたいに言わないでくれる? あのウサギにやられたんじゃないわよ。アイツの仲間にやられたの」

「貴様ら二人掛かりでか? 信じられんな。やはり油断していたのではないか?」


 よほど信じられなかったのか、エルネストは小さく目を瞠る。

 乱暴な口調ではあるが、二人の実力を認めるからこその驚きであった。


 苛立たし気に髪をかき上げ、レティは言った。


「悔しいけど、ちょっと私達じゃ相性が悪いわね。でも、本物よ。貴方も油断してたら負けるわよ」

「ふん、冗談も休み休み言え。どこの誰とも知れぬ無名の輩に、この私が負けるなどありえん」


「言ってくれんじゃねぇかよ、このモヤシ野郎」


 額をヒクつかせながら、ジーナは獰猛な笑みを浮かべる。


「その無名の輩の力、見せてやろうか? ただし、死ぬ覚悟があるならだけどな」

「面白い。そこまで言うなら見せてみろ。少しでも私の手を煩わせることが出来たなら、褒めてやる」


「言いやがったな! 後悔するなよ!」

「待てジーナ! 正面から行くな!」


 エドガーの制止も効かず、ジーナは飛び出した。

 真っすぐに向かってくるジーナに、エルネストは失笑する。


「ふん。所詮、身体能力任せの山猿か。話にもならんな。――【炎よ】」


 エルネストが一言呟いた瞬間、先ほど襲い掛かった炎と同じ規模のものが周囲に発生する。

 一瞬で発生した炎に、ジーナは目を瞠った。僅か一言の魔法言語で、過剰とも言える殺傷力を秘めた炎を生み出すなど、尋常ではない。ジーナの知る限り、そんな真似が出来るのはアメリアくらいだ。


「【行け、全てを、燃やせ】」


 片腕を上げジーナを指す。その動きに従うように、炎が一直線にジーナに襲い掛かった。

 炎が生きているかのような動きで、淀みなくジーナを飲み込もうとする。しかし、まさに包み込もうとしたその瞬間、ジーナの姿が掻き消えた。


「――なに?」


 反応は小さいが意外そうな目をして、すぐに顔を横に向ける。ジーナは急激に進路を変え、炎を迂回し直接エルネストを狙っていた。


「バカがッ! あの程度であたしが捉えられると思うなよ!」

「なるほど。確かに速度は中々だ。だが――」


 ほんの一、二秒あれば、ジーナの拳が届く。しかし、エルネストに焦りはなかった。


「それならば、逃げ場のない程、燃やせばいいだけだろう?」

「――――ッ!?」


 その光景を前に、ジーナは息を飲んだ。

 敵に意識を集中させた、その一瞬で、ジーナの周りの雪で覆われた地面が赤く染まった。


「【燃え上がれ】」


 冷たく、ただ一言エルネストは言い捨てる。

 その瞬間、山が噴火したかのように炎が噴き上がった。


「――がぁぁあああああああっ!?」


「そんなっ! これじゃあ……!」

「ヤベェな。流石に死んだか?」

「ふざけたことを言うなっ! ジーナさん!」


 冷静に呟くエドガーに、悲痛な表情でネコタは怒鳴りつける。

 自分でもそう考えてしまっただけに、それを聞いて落ち着いてはいられなかった。


 地面を溶かすほどの炎に全身を包まれたのだ。普通に考えれば一溜まりもない。あれで生きているという方が奇跡だろう。


 だが、ネコタの不安は杞憂に終わった。

 炎が晴れると、燃え跡の中央にジーナは立っていた。

 両腕で顔を隠すように構え、衣服のあちこちが焦げ付き、剥き出しの皮膚が焼き爛れている。今にも倒れそうなほど呼吸が荒れ、満身創痍の格好だが、確かにジーナは生きていた。


 これには流石のエルネストも、呆気に取られた表情を作った。


「……驚いたぞ。範囲と速度を優先した分、威力そのものは低いとはいえ、まさか私の炎を受けて形を残しているとはな。一体どんな手を使った?」

「はっ、はっ……! 舐めんなよ……あんな微温ぬるい炎で……あたしを燃やせる訳ねぇだろうが……!」


 見れば分かる、明らかな強がり。しかし、エルネストは既に侮る気はなかった。

 己の炎を耐えた敵を厳しく見つめるその瞳は、ジーナの体を纏う薄っすらとした光を見逃さなかった。


「なるほど。【氣】を纏って防いだか。私の炎を防ぐだけの密度をあの一瞬でとは、大したものだ。だが、次はもう防げまい」


 冷静に観察し事実を告げ、エルネストは再び炎を生み出した。

 最初に放った、全てを溶かし尽くす炎。自らの炎を耐えた相手に、敬意を持ってエルネストは告げる。


「私の炎に一度耐えただけでも、十分な偉業だ。幸運に思って死ね」

「……ッ、ちくしょう……!」


「こりゃマズイ。ほれ、ボウっとしてんな」

「えっ、ちょ!? うわあああああああああああ!」


 エドガーはネコタの襟首を掴み、そのまま軽々と引きずった。そして、エルネストの炎がジーナに届く直前に、その間に割って入る。

 突然の自殺行為にエルネストは目を瞠る。だが、現れた結界を目にし納得した。


「ほう、私の炎を防ぐほどの結界か。エドガーではない。あの子供か」


 炎を放射し続けながら、エルネストは感心したように呟く。

 ネコタは額に汗を流し、結界を維持し続けていた。


「あ、危なかった……! 死んだかと……」

「ったく、ボウっとしてっからだぞ。常に備えておけや」


「やるならやるで何か言えよ! 全員纏めて死ぬところだったでしょうが!」

「口に出してたら間に合わなかったぞ。コイツの焼死体が見たかったのか?」


 痛いところを突かれ、むむむっ、とネコタは言葉を詰まらせた。それはそうだが、どうしてコイツが言うとここまで素直になれないのだろう。


 しかし、助かったとは言ったものの、依然、危機には変わらない。


 エルネストが放った炎は、勢いを落とさずネコタの結界を蝕み続けていた。それは聖剣に異常という形で現れる。


 まるで結界の限界を教えているかのように、聖剣が激しく震えだした。ネコタはグッと力を入れ、聖剣を楯のように構え直す。


「すっ、すみません! どうやら長くは保たないみたいです!」

「女神様から賜った結界すら防ぎきれねぇとは、やっぱアイツとんでもねぇな。特殊な能力がある訳でもねぇのに、ただ地力でぶち破るか。相変わらずイカれてやがる」

「冷静に言ってる場合ですか! どうするんですか!? このままだと僕達も!」


 ピシッ、と結界にヒビが入り、いよいよネコタも焦り出す。使い手だからこそ、限界が近づいていると容易に察することが出来た。


 しかし、エルネストが炎を止める気配は一向に見えない。それどころか、これほどの大出力の魔法を放っているというのに余裕の表情だ。このまま結界が破れるまで炎を出し続けるつもりなのだろう。憎らしいほど最適な行動だ。


 このまま焼けて死ぬ。分かりきった未来を想像し、ネコタは恐怖が湧き出す。むぅ、とエドガーですら難しい顔で焦りを見せていた。

 そんな中、傷ついた身体を持ち上げジーナが声を絞り出す。


「おい……あたしが……一瞬でも、時間を稼ぐ。その間に……テメェらは、逃げろ……!」

「何を言ってるんですか! そんなこと出来る訳ないでしょう! だいたい、時間を稼ぐってどうやって……!」


「さっきと同じだ……【氣】を纏ってあたしが、壁になる……そうすりゃ、一瞬だけでも止められる筈だ……。おい、テメェなら、それだけの時間がありゃ十分だろ……ネコタを引きずって、逃げろ……」

「そんなこと出来る訳ないでしょう!? エドガーさん、絶対駄目ですからね!」


 もしやったら絶対に許さない。その意思を持って、ネコタはエドガーを睨みつける。

 しかし、そんなネコタに呆れたようにジーナは言う。


「状況を見ろ……全員が助かる状態じゃねぇだろ……なら、真っ先に助けるのはお前だ……立場を考えろよ……」

「嫌です! 僕は勇者です! 僕の知る勇者は仲間を見捨てません!」


「……ったく。こんな時ばっかり歯向かいやがって……ウサギ、テメェは分かってんな? 必ずコイツを助け――」

「黙ってろ、ボケナス」


 ――ズゴンッ!


 エドガーは全力で頭を振りかぶり、ジーナの頭に叩きつけた。

 渾身のヘッドバッド。鳴っちゃいけない音が鳴り、ジーナは一瞬白目を向いてズルズルと地面に横たわる。


「ちょっ!? エドガーさん、何やってんですか!?」

「これくらいのバカには言っても分からん。そういう時は殴って教えてやるんだよ」


「だからってやり過ぎでしょう!? ただでさえ死にかけてるのに、アンタがトドメ刺してどうするんですか!」

「敵の手にかかるくらいなら、仲間に介錯してもらった方がコイツも本望だろう」


「このクソウサギ……! テメェ、絶対に殺すからな……ッ!」


 気絶するのをなんとか堪え、ジーナはエドガーを憎々しげに睨みあげた。

 ふん、と。エドガーはその視線を鼻で笑う。


「そんくらいの憎まれ口を叩けるなら上等だ。死なないよう、精々踏ん張ってろ」

「いや、憎まれ口っていうか、正当な怒りでは……」


「黙れ小僧ッ! そもそも、だ。今のあいつの炎が、満身創痍のこいつに防げるはずねぇだろ。結界を解いた瞬間、一切の抵抗も出来ずに俺たち全員焼け死ぬわ」


「その通りだ。そこのウサギに感謝するといい。お前達は、もっとも間抜けな死を迎えるところだったぞ」

「ケッ、相変わらず性格の悪い奴め……」


 悪足掻きを嘲笑うエルネストに、エドガーは顔をしかめる。そして真面目な表情をすると、独り言のように言った。


「だいたいなぁ、このポンコツがどんだけ豆腐メンタルだと思ってんだよ。お前が犠牲になって俺達だけ助かっても、コイツは罪悪感で潰れるっての。そうしたら世界救済も出来なくなるだろうが。役立たずの怪我人は黙って従ってろ。無理して動いたところで迷惑なんだよ」


「……チッ、糞ウサギが」

「本当にひねくれてますよね。素直に心配だから下がってろ、って言えばいいのに」


「心配なんぞしてねぇよ! 迷惑だからっつってんだろうが!」


 ガーッと、エドガーはネコタに捲し立てる。

 ネコタはフッと小さく笑い、目を前に戻した。


「でも、どうしますか? もうあまり時間はないですよ」

「お前、死んでもいいからそのまま結界張り続けろよ」


「出来る訳ないだろ! 少し見直したらすぐこれだよ! ふざけてる余裕がないって言ってんだろうが!」

「わりと真面目だったんだが……」

「なお悪いわっ!」


 なぜこのウサギは、僕にだけ当たりが酷いのか?

 あまりの扱いに、ネコタは泣きそうになった。


 三人のやり取りに、エルネストは見下すような笑みを浮かべる。


「仲が宜しくて結構なことだ。その友情に免じて、私も慈悲を見せてやる。そのまま三人揃って焼け死ぬがいい。寂しく死なずに済むぞ」

「うっ……! クソッ……!」


 炎の勢いが、ますます強くなった。

 結界のヒビが更に大きくなり、その数も急速に増えていく。

 もはや限界寸前。未だに形を残していることが奇跡であった。


「……ッ! 駄目ですッ! もう保ちません!」

「……しゃあねぇな。こればかりは使いたくなかったんだが」


 観念したように息を吐き、エドガーは剣を抜いた。

 その動きに、ピクリとエルネストは反応する。


 すでに打つ手はない状況。たとえエドガーといえど、どうすることもできまい。そう分かっているはずなのに、エルネストは気を抜くことが出来なかった。


 かつての相棒だった自分だからこそ分かる。エドガーのあの目は、強がりではない。何か逆転の手段を狙っている目だ。


 エドガーに備え、エルネストは僅かな兆しも見逃さぬよう注視する。この状況をひっくり返す隠し札があっても、すぐに対応できるように。それは、エルネストがエドガーを高く評価している証だ。憎んでいる相手ではあるが、その実力は誰よりも正しく評価している。だからこそ、この過剰な反応であった。


 しかし、異変はエドガーではなく他の場所から現れた。


 ――エドガー達の後方から、新たな炎が出現した。


「なんだとっ!?」


 己の物とは違う、大規模の炎にエルネストは瞠目する。


 その炎は、ネコタの結界を掠めるように進み、真っ向からエルネストの炎を押し返した。エドガー達とエルネストの丁度中間点で、炎の押し合いが発生する。己に匹敵する炎に驚きを露わにしながらも、エルネストはそれ以上の侵攻を許しはしなかった。


 やがてお互いが限界に迫ったのか、一瞬だけ一際大きく燃え盛り、炎が消え去る。


「この私に均衡するだと? 一体どこのどいつだ!」


 わずかに息を荒げながら、エルネストは炎が向かってきた先に目をやった。

 すると、自分達より低い位置から、三つの人影が山を登ってきていた。

 その中の杖をこちらに伸ばした黒髪の少女が、底冷えするような声で言った。


「……うちの子を虐めるなんて、覚悟は出来てるんだよね?」


 魔導の頂点――エドガーを溺愛する者、【賢者】アメリアがそこに居た。

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