第87話 ……お前、今なんて言った?



「……本当に出会っちゃいましたね」


 前に立ちふさがるオリバーに、ヒクリと顔を引き攣らせるネコタ。

 出会った恐怖よりも、ポーズを決めるオリバーの威圧感が問題だった。


 左脇を閉め、左手首を右手で掴み、半身で大胸筋を強調させる【サイドチェスト】。

 中々見る機会のない盛り上がった筋肉に、ネコタは関心よりも恐怖を感じる。当の本人は相手の様子に気づかず、自慢げに目を閉じて微笑んでいるのだから、なおさら異様さが際立った。


 もし一人で遭遇していたら、この瞬間にでも気絶していたかもしれない。

 ネコタは自分の幸運に感謝した。


「エドガーさん、お願いします。僕にも出来ることがあれば指示を――あれ?」


 すぐ隣に居るエドガーにチラリと目をやり、間の抜けた声を上げる。

 そこに居る筈のエドガーの姿が、いつの間にか消えていた。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」

「ええええええええええええええええええ!? ちょっ、何やってんのアンタぁあああ!?」


 直感的に後ろを振り向き、ネコタは思わず叫んだ。

 エドガーは息を切らしながら、ピューッと飛び出すように逃げ出していた。

 ネコタの声に逡巡すら見せない、一瞬の迷いもない見事な逃げっぷり。まさしく脱兎であった。


 みるみる小さくなっていくエドガーに、オリバーはチッと不機嫌そうに舌打ちする。


「なんでぇ、逃げるのかよ。あの野郎、相変わらず逃げ足だけは速いな。いや、それとも作戦通りか?

 なぁ坊主、お前が俺の相手をしてくれるのか?」


「ちょっ、ちょっと待って! 待ってください! エドガーさん、カムバァアアアアアック! このままじゃ僕が殺されますよぉおおおおお!?」

作戦名コードネコタをN囮にOすたこらさっさS】! ネコタ、予定通りに後は任せた!」

「聞いてねぇよ糞ウサギィイイイイイイ! さっきまでの勇ましい言葉はどこ行ったああああああ!?」


 いくらなんでもここに来てこの裏切りはない。マジでない。

 口ではなんといってもいざとなったら助けてくれる。そう信じていただけにネコタのショックは大きかった。

 やはり奴はこの世で最も信用ならない生物だと、ネコタは今さらになって再認識した。


「くっ、くそぉっ!」


 ネコタは慌てて逃げ始める。勇者として着実に実力をつけてきているが、エドガーと同レベルの相手に勝てると思うほど自惚れてはいない。

 いまさら遅いとは思うが、それが一番生存率の高い正しい判断であった。


 ネコタが逃げようとしているのに、オリバーは追うそぶりも見せなかった。

 ただ、フンッとつまらなそうに鼻息を鳴らす。


「なんだ、期待外れだな。お前も所詮エドガーと同じ腰抜けか」


 ピタリ、とネコタの動きが止まった。

 命が掛かっているのだ。止まっている場合ではない。

 そう、分かってはいる。分かっている、が。


 ――どうしても、聞き逃せない言葉があった。


「……お前、今なんて言った?」

「あん? なんだって?」


 上手く聞き取れず、オリバーは尋ね返した。

 そして、足を止めて振り返ったネコタの顔を見て、ほう、と感心した声を漏らす。


 ――それは、覚悟を決めた戦士の貌だった。


「今なんて言ったって聞いてるんだよ。答えろ」

「ふむ。エドガーと同じ腰抜けか、と言ったが。それがどうした?」

「――――ッ!」


 カッと、ネコタの表情は憤怒に染まった。図らずも、オリバーはネコタの逆鱗に触れてしまった。


 相手は間違いなく格上の実力者。未だ及ばない自分では、まともな戦いになるかどうかも怪しい。ここで戦いを挑むのは、ハッキリって馬鹿な行為だろう。


 ――だが、どうしても許せない言葉があった。


 舐められるのはしょうがない。まだそれだけの実力がないのだから。

 腰抜けと呼ばれるのも、認めよう。危険を前に恐怖を抑えきるだけの勇気も、未だ備わっていないのだから。


 ――――だが。

 ――――だが!!!!


 ――――エドガーあいつと同類扱いされるのだけは、絶対に許せない!


「取り消せ! 僕はあんな奴とは違う! 僕は勇者! 勇者のネコタ! お前を倒す者だ」

「ほうっ?」


 聖剣を抜き、突き付けてくるネコタに、オリバーは獰猛な笑みを浮かべた。


「この俺を相手にそれだけの啖呵を切るとは、良い度胸だ。どうやら少しは骨があるようだが、死ぬ覚悟は出来ているのか?」

「死ぬつもりなんかない。勝つのは僕だからな」


「無理に決まってんだろバ~カ! どんだけ勘違いしてんだよ! ポンコツ勇者に勝てる訳ねぇだろうが!」 

「うるさい! 戦う前に逃げ出す腰抜けは黙ってろ!」


 遠くから茶化してくるエドガーにネコタは言い返す。安全圏で好き勝手なことを口にするエドガーが腹立たしかった。

 ネコタの頑なな態度に、エドガーは呆れる。


「何をムキになってんだよ~! お前如きが勝てる相手じゃねぇって分かるだろ~? 本当に殺されちまうぞ~?」

「お前には分からないだろうな! たとえ死ぬかもしれなくても、男には戦わなくちゃいけない時があるんだ!」


「ガッハッハッ! エドガーよ! この坊主は見込みがあるな! 逃げ腰のお前とは大違いだ! 男なら水を差さず、素直に背中を押してやれ!」

「ったく、好き勝手言いやがって。だがまぁこれも経験か。しょうがねぇな……ネコタ! 助言だけはしてやる! 後のことは俺に任せろ! だから……! だからっ、お前は存分にやれ!」


「黙れ! 口を閉じてそこで待ってろ! 次はお前の番だ!」

「人の善意を踏みにじるなんて、お前それでも勇者かよ……」


 しかも味方を殺しにかかろうとするとか、本当にあり得ない。

 ネコタの態度にエドガーは幻滅した。勇者だからといって許されない態度だ。アイツはまず、礼儀、道徳心から学び直すべきだと本気で思った。


 ……このウサギはまず、自分の行動と発言を省みるべきである。


「いくぞ小僧! 簡単に潰れるなよぉ!」


 オリバーがわずかに身を屈めた次の瞬間、ドンッ、と弾き出されたように加速する。距離が一瞬で埋まり、ネコタのすぐ目の前に迫っていた。


 その体格からは想像も出来ないスピードに、ネコタは目を見開いた。しかし、敵は全身筋肉の塊。持久力はともかく、瞬発力は目を見張るものがある。これは当然の結果だ。


「ふぅん!」

「――くっ!」


 そして、その体から繰り出されるパワーは、それ以上に本物だった。


 ネコタは間一髪、頬を掠めながらなんとか振り下ろされた拳を避ける。掠めただけで頭が揺れ、一瞬意識が飛んだ。そして勢い余った拳は地面に突き刺さり、魔法が炸裂したかの如く雪を舞い散らせる。


(なんて威力ッ! これじゃあまるで……!)


 まだ記憶に新しい、【迷いの森】で戦った【聖獣】を彷彿とさせる破壊力。いや、下手すればそれ以上かもしれない。


 人の身でこれ程の力を持つのかと、まだ自分が甘く見ていたことを知りネコタは冷や汗をかいた。


 しかし初撃を躱し、情報を上書きできたことは収穫だった。

 偶然ながらも、紙一重で躱したその最大の成果。オリバーの身体は雪による足元の脆さもあって、大きく崩れていた。


 ともすれば一撃で戦いを終わらせることのできる隙を、ネコタは見逃さなかった。


「――おおおおおおおおおお!」


 がら空きの胴体に聖剣を振るう。防御すら不可能なタイミングでの、聖剣の一振り。確実に命を奪うであろう一撃だが、ネコタに躊躇はない。エドガーのスパルタ教育を受けてきたネコタは、もはや一端の剣士だ。


 ――人を斬って動揺する。そんな経験、とうに通り過ぎている!


「【サイド・リラックス(右)】!」


 しかし次のオリバーの動きは、ネコタの予想を遥かに上回った。

 拳を前に突き出し、もはや攻撃を受けるしか選択肢がない詰みの状況。

 だが、オリバーはそう叫ぶと、その体勢から瞬時にポーズを決めた。


 ネコタから見て、下半身と顔は右向きに。しかし上半身はややネコタの方へ、見せつけるように。


 先程までの突進を上回る、目にも止まらぬポージング。過程の動きをすっ飛ばし、結果のみを見せつけるようなその様は、まるで西部劇のガンマンの早撃ちのようだ。


 色々な意味で斜め上を行く行動に目を剥くネコタ。しかし驚く間も無く、聖剣がオリバーの体を捉える。


 ――ギイィイイイイイン!


「ぐっ……! なんだっ、これ……!」


 甲高い金属音が耳に突き刺さる。そして、ビリビリと手が痺れる感触を感じながら、ネコタはオリバーの脇を駆け抜け、途轍もない違和感に襲われた。


 聖剣は確かにオリバーを捉えた。しかし、手応えがおかしすぎる!


 反射的にネコタは振り返る。

 オリバーはポージングを取ったままで、傷一つ付いていなかった。


 明らかにおかしな光景にネコタは混乱した。何が起きたのか分からない。しかし、オリバーは未だに動きを見せない。ならば、動く前に――!


 混乱しながらもネコタが選んだのは、追撃だった。

 今度は背中から躊躇なく襲いかかる。何が起きたのか分からないが故の、恐怖に飲まれた剣筋。しかしその結果起きたのは、先程の光景の焼き増しだ。


「【バック・ラット・スプレッド】!」


 ネコタに背中を見せたまま、オリバーは腰元に両手を添え、背中の広さを見せつけるポーズを決める。


 筋肉の鎧が築かれた広く大きい背中に、ネコタは容赦なく剣を振り下ろした。


 再び、ギャイィイイイイインと金属同士を叩いたような音が響き、その両手に電流が走ったかのような痺れが伝わる。十分すぎるほどの手応えだというのに、オリバーの体にやはり傷はない。


 真っ向からその結果を見て、ようやくネコタは気づいた。

 種も仕掛けも、最初からどこにもない。


 ――オリバーはポーズを決めたまま、ただネコタの攻撃を受け切ったのだ。


「……ってんな訳あるかぁあああ! おかしいでしょこれ!? こんなのあり得な――」

「悶絶! オリバーアッパー!」

「ゲプゥ……!?」


 振り向き様のオリバーのアッパーが、聖剣の腹を挟んでネコタの胴体に突き刺さった。

 直撃ならばそのまま貫通してもおかしくない。が、運良く剣が挟まれたネコタの身体は、その軽さもあって跳ね飛ばされるだけですんだ。


 一直線に殴り飛ばされ、地面に数回叩きつけられてから離れていたエドガーの元まで転がる。

 地面で苦しむネコタを見ながら、エドガーは予想通りといったように、頭を抱えつつ首を振った。


「あちゃ〜、やっぱりこうなったか。おい、大丈夫かネコタ」

「ぐっ、うっ、おえっ……! やばっ……無理、で……地獄、のような……っ!」

「良かったな、その程度で済んで。まともに食らえば腹が吹き飛んでたぞ。運がいいな、お前」


 ――良い訳あるかッ!


 言い返したかったが、ネコタはパクパクと口を動かすだけでこれ以上声も出なかった。はっきり言って、死んだ方がマシと言える苦しみだった。


「ガッハハハハハ! 驚いたぞ! 思った以上に良い動きをするではないか! さぁ坊主、続きといこう! まだ戦いは始まったばかりだぞ!」


「ほらネコタ。筋肉さんが待ちかねてるぞ。早く行ってやれ」

「ちょっ、ちょっと待って……いろいろと、本当に待って……!」


 幸いにも、オリバーはネコタが回復するのを待ってくれるようだった。

 ネコタは剣を杖になんとか立ち上がり、苦々しくオリバーを見る。


 やはり変わったところは見られない。筋肉が異様に発達しているが、そこ意外は普通の人間と同じである。では、あの手応えは一体何だったのか?


「一体どうなってるんですか? 確かに斬ったのに、まるで鉄のような感触でした。どうやったらあんな手応えに……」

「ああ、俺も昔まったく同じことを思ったぜ。そして、そこがあいつの強さだ」


 しみじみとエドガーは呟く。

 別に聞きたくて呟いた訳ではなかったが、あれだけの異常を前にネコタは自然と耳を傾けていた。


「この世界の才能ある人間種には、女神から【天職】が与えられる。その歴史は長く、その数もまた膨大。

【天職】は人間種の要とも言える要素だからこそ、その研究は日夜盛んに行われている。誰もが知るメジャーな【天職】に関しても、今でも新しい発見があるくらいだ」


「つまり……あの人の体も【天職】の力ということですか」


 うむ、とエドガーは頷き、鋭い目でオリバーを睨む。


「人間種が【天職】に傾ける情熱は本物だ。その研究成果から、現存する【天職】の種類に関してはほぼ把握しているとまで言われている。

 だがしかし、今まで聞いたことのない強力な新種の【天職】を持って生まれる人間が、ごく稀に存在する。アイツもその一人だ」


「特殊で、稀少だからこそ、強力な力を持っているという訳ですね……」


 【勇者】や【賢者】と同じ、オンリーワンの希少な【天職】であるなら、あれだけの力を持っていても不思議ではないとネコタは納得した。


 うむ、と頷き、エドガーは重い口調で続ける。


「奴のみに許された、この先現れるかどうかも分からない一際異彩を放つ力。その力の有用性は理解しつつも、求める者は少ない。

 奴の【天職】は――――【筋肉造形者ボディビルダー】。

 筋肉を愛し、筋肉に全てを捧げなければならない呪われし【天職】だ!」


「ある訳ないだろそんなもん! どうせつくならもっとマシな嘘つけよ!」


 ネコタは激怒した。

 珍しく真剣な顔をしているから、真面目に聞いてみればこれだ。信じた自分がバカみたいだった。



「いや、これが本当なんだよ、マジで。おふざけじゃなく」

「だから! 嘘を吐くのも大概にしろっての! 貴方も良いんですか!? こんな不当な噂をばら撒かれてますよ!?」


「構わん! 事実だ!」


「嘘でしょぉおおおお!? 嘘って言ってよぉおおお!」

「だから言っただろ。マジだってよ」


 ジト目で睨んでくるエドガーに、ネコタはうぬぬっと悔しげに唸る。

 疑った以上、謝るのが筋とはいえ絶対に謝りたくない。いくらなんでもこんなのズルい。なんだよ【筋肉造形者】って。他の【天職】はまともなのに、一つだけ異様すぎる。


 エドガーは小さくため息を吐いて言う。


「まっ、いいけどな。俺も初めて聞いた時はバカにしてんのかと思ったし」

「で、でしょう!? そうでしょう!? そんなふざけた【天職】を作った神様が悪いんですよ!」

「ああ、それには同意するぜ。神々は時々、悪ふざけが過ぎる」


 堂々とした神への批判だった。

 共に神々との関わりが深い身でありながら、良い度胸である。

 悠々と構えるオリバーから目を放さず、エドガーは続けた。


「【筋肉造形者】は全身の筋肉を美しく魅せる、ということに特化している【天職】だ。その為に、他人よりも筋肉が成長しやすい体質をしている。

 だがその代償として、筋肉への鍛錬を怠った場合、急速に体が衰えるように出来ている。それこそ、生命活動の維持すら難しいくらいにな。

 俺が呪われた【天職】と言ったのも、あながち間違いじゃねぇからだ。奴はあの【天職】を手に入れた時から、人生の全てを筋肉へ捧げることを義務付けられている。これを呪いと言わずして何と言う?」


「それは確かにキツイけど……すみません。なんだか筋肉って言葉ばかり並んで頭が痛くなってきました」


 筋肉という言葉のゲシュタルト崩壊、とでもいうのだろうか。

 なんだか洗脳されるような恐怖をネコタは味わっていた。


「そんな呪いそのものみたいな【天職】で、よくあんな元気に生きていけますね、あの人」

「だから言っただろ。アイツだからこそ許された【天職】だってよ。もともと体を鍛えることに夢中だった奴だ。これ以上に御誂え向きな【天職】はなかったということだ」


 二人が可哀想な物を見る目で、オリバーを見る。何を勘違いしたのか、オリバーはすかさずポーズを決め、うっとりとした表情を作る。うげぇっと二人は呻いた。これ以上ない視覚的な暴力だった。


 直視するのも苦しそうにしながら、エドガーは苦々しく続ける。


「一見デメリットだらけの【天職】だが、その成長効果による身体能力は見ての通り。

 そしてなにより、【筋肉造形者】特有のスキル【ポージング】だ。あいつはポーズを決めている間、筋肉の鍛錬度に比例して、体全体の強度が大幅に上昇する」

「そっ、そうか。だからさっきも……」


 思い返せば、ネコタが攻撃をする時オリバーは必ずポーズを決めていた。

 何をとち狂ったのかと思ったが、とんでもない。あれはオリバーにとって最も理に適った防御方法なのである。


「奴の体を見れば分かるだろうが、アイツは【ポージング】の効果を最大限引き出すほど鍛えている。その硬度は世界最硬に届きかねない。

 一部では伝説の金属【オリハルコン】すら上回ると言われているくらいだ。そこらの刃物じゃ傷一つ付けることすりゃ出来やしねぇ。

 魔法でならまだ戦いようがあるんだが、俺達じゃどうにもなぁ。出来るとすれば【ポージング】をしていない無防備な状態を狙うことだが……」


「毎朝百回ずつ! 全ポーズ、瞬間【ポージング】の鍛錬は欠かさない! 今の俺はどんな体勢であろうが、刹那の間さえあれば瞬時にポーズを取ることが出来る!」


「という訳だ。その隙を突こうにも、あいつは全方位あらゆる攻撃に対し【ポージング】を決めてくる。正直、打つ手がない」


「鍛錬方法といい、本当にガンマンみたいな人ですね……」


 ネコタの頭に、毎朝鏡の前でリラックス状態から瞬時にポーズを取るオリバーの姿が過ぎった。これが拳銃の早撃ちなら様になるが、シュールにも程がある。


 しかし、その脅威は本物だ。

 今も追撃してくることなく、エドガーとネコタの会話を邪魔しないことからもそれが窺われる。その肉体への信頼と、対応できる自信があるからこそあの余裕なのだろう。


「もう十分待ってやったし、お喋りはそのくらいでいいか? それじゃあ、続きを始めようぜぇ!」


 深い笑みを作り、威圧するように、ノシノシと歩いてくるオリバー。

 次第に近づき増してくるオリバーの威圧感に、ネコタは焦り出す。


「エ、エドガーさんっ! どうすればいいですか!? 何か方法は!?」

「……強いてアイツの欠点を言うなら、攻撃は大振り、そして防御は【ポージング】と攻守がハッキリしすぎている所だ。

 能力の性質上、カウンターなんて器用な真似は出来ねぇから、ポーズ中は防御しか出来なくなる」


「つ、つまり!?」

「斬り続けろ。そうすりゃ少なくとも、アイツから攻撃を受けることは絶対にない」

「な、なるほど、それなら……あれ? いや、でもそれって結局――」


「いつまで話をしているかぁ! 来ないならこっちから行くぞぉ!」


「うぐっ! ――くそぉ!」


 懸念を感じつつも、ネコタはエドガーの言った通りの行動を取るしかなかった。

 オリバーが駆けだす直前、自分から間合いを詰め聖剣を振りかぶる。

 機先を奪われ虚を突かれるオリバー。しかし流石に切り替えは速い。迫る聖剣を前に、正面から受けて立つ。


「【アァァァブドミナル! アンド・サイ!】」


 両手を頭の後ろに腹筋のみならず、全身を曝け出すような開放感の溢れるポーズ。


 ――ギィイイイイン!


「くあっ!」


 防御にはそぐわない姿勢でありながら、何よりも硬いという矛盾。

 その体は、やはりネコタの一振りを容易く跳ね返した。

 痺れる両手に、ネコタは苦しそうな顔をする。

 ポーズを保ったまま、オリバーは豪快に笑った。


「がっはっはっはっはっは! やはり中々良い一撃だ! だが、その程度では俺を倒すことは出来んぞ!」

「――ぐっ! くっ、そおおおおおおおお!」


 ――ギィン! ギャイン!


「よし、良い感触だ! だが、まだまだぁ! 遠慮せずに来い!」

「うわああああああああああ!」


 ――ギィン! ギィアン! ギャイン! 


「おおぉぅ……今のは中々響いた。良い感じだぁ……」

「このぉおおおおおおおお! ふざけやがってえええええ!」


 どんなに斬りかかろうと、オリバーはまるで堪えた様子を見せない。それどころか、剣で斬られているというのに恍惚な表情をしたままポーズを決め続ける。自分の肉体の頑強さに酔いしれているかのようであった。


 全力で殺しにかかっているにも関わらず、全く効かないことの苛立ち。そして攻撃を止めたら自分が窮地に陥るという焦り。それはネコタの精神を大いに消耗させた。


 ――ガンガンガンガンガンガンガンガン!


「ムキィイイイイイイイ!? クソオオオオオオ! ふざけやがってえええ! 死ね! 死ね死ね死ね死ね! とっとと死ねぇえええええええええ!」


「分かる。アレかなりしんどいんだよなぁ」


 とてもではないが、勇者の振る舞いではなかった。血走った目が正気ではない。まるでチンピラがやぶれかぶれに暴力を振るう有様であった。


 しかし、エドガーは失望するどころか大変同情的だった。


 エドガー自身、経験がある。無防備にポーズを決める敵に一方的に攻撃を加えているのに、しかし全く無傷で終わるその徒労感。

 それでも攻撃を止めれば反撃されるため、分かっていても斬り続けるしかないその虚しさ。

 こっちは必死になっているのに、心地良さそうに攻撃を受け入れられることの苛立ち。


 防御力もそうだが、この相手の精神を乱してくる戦術こそが、オリバーの最も厄介な部分だとエドガーは改めて思った。まさに受け潰し。受けることで敵を潰す守りの力技だ。


 オリバーは攻撃を受け止め、相手の体力、精神が疲れ果てた時が来るまで悠々と待てばいい。これほど理不尽な耐久戦術が他にあるだろうか?


「ぐっ……! はぁ、はぁ……くそっ! こんなの……無理……!」

「ふっ、中々良かったぜ坊主。それじゃあ次はこっちの番だ!」


 そしてオリバーの狙い通り、ネコタはとうとう体力を使い果たし剣を下した。

 ゆっくりと腕を振りかぶり、オリバーはネコタに拳を突き出す。それが見えているというのに、ネコタの体は緩慢な動きしか出来なかった。


 剣を持つのすらやっとな体で、なんとか腕を持ち上げ剣を盾にする。だが、オリバーは構わず剣の上からネコタに拳を叩きつけた。


 体力を失った体では踏ん張ることも出来ず、先ほど以上の勢いでネコタは殴り飛ばされる。追撃が来る前に備えようとするも、立ち上がることさえ難しかった。


「はっはぁー! 軽いな! だが、どんどんいくぜぇ!」

「っと、まずいな。ネコタ! 次が来るぞ! 構えろ!」

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……! ええ、分かって……」


 無理矢理体を動かし、その場から離れようとするネコタ。しかし本人が思っている以上に、ネコタは体力を消耗していた。


 立ち上がったその時、疲労からズルリと足を滑らせ膝を着く。それは、オリバーが向かってくる状況において致命的な隙だった。


「はっはあ! もう限界か坊主! だが、手加減はしねぇ!」

「バッ……! 逃げろネコタ!」


 ネコタの様子を見て慌ててエドガーが駆けだす。しかし流石のエドガーといえど、間に合うタイミングではない。それよりも早く、オリバーの追撃がネコタを襲うだろう。


(……ヤバいッ!)


 それを、ネコタ本人が何よりも分っていた。


(体が動かない! 駄目だ、逃げられない! 受ける? いや、無理だ!)


 生命の危機を前に、頭が高速で回転する。しかし、打開策が思い浮かばない。このままでは、今度こそあの拳が己の体を貫くだろう。


(迎え撃つのも無理。避けるのも無理。受けるのも無理。駄目だ!)


 あらゆる可能性を模索するも、どれも結果は同じ。一向に見えない未来に絶望が過ぎる。


(こっちの攻撃は効かないのに、あっちは効くなんて、そんなのありかよ!)


 あまりにも理不尽な相手に、ネコタは泣きたい気持ちだった。せめてこちらも相手の攻撃を防げるなら、まだやりようはあるのに。


(効かない剣じゃ役に立たない。せめてこっちも盾があれば……待て、盾?)


 その時、ネコタの記憶に引っかかるものがあった。


 ――君に力を授けましょう。


 それは、神域で聞いた言葉だった。

 頭の隅で、忘れかけていた記憶が鮮明に思い出される。


 ――あら、貴方みたいな可愛い子のお守りが必要なの〜? 楽しそうだけど~。

 ――……もしかして、今回はやばいのかしら?

 ――女神様。あんまり言いたくはないでヤンスが、端的に言って世界の危機ですぜっ……!


 違う、こっちじゃない。


 ――今回は守りの力を与えたわ~。

 ――平和ボケした世界から来た貴方にはピッタリな能力でしょ〜。

 ――それじゃ、次の祭壇で待ってるから頑張ってね〜。


 …………これだっ!


「――めっ、女神様ぁっ!」


 ネコタは聖剣を前に構え、一か八かで叫んだ。その瞬間、聖剣が眩い光を放つ。すると、半透明の薄緑色の膜で出来た半球体がネコタを包み込んだ。


 オリバーの拳がその球体を殴りつける。だがその膜はビクともせず、オリバーの拳を跳ね返した。


「ぬお!? ――フンッ! しゃらくせぇ!」


 たたらを踏むオリバーだが、すぐに態勢を整え、より強い力で殴り掛かった。だが、やはりネコタの守りは崩せない。光の膜はオリバーの力を数倍にして跳ね返し、オリバーは己の力によって大きく後方へ投げ出される。


 雪の上で横たわるオリバーを、ネコタは呆然とした目で見る。しかし、徐々に現実を受け入れると、自らが作り出した光の膜に頼もしさを覚えた。


「こ、これが女神様の守りの力。凄い……これならなんとか!」

「ぷげひゃははははははは! “――んめっ、女神しゃまぁ!”だってよ! ぐひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! や、やめろ……! 笑いすぎて死ぬ……!」


「笑うな! お前覚えてろよ! 許さないからな!? 絶対後悔させてやるからな!」


 必死だからこそ、腹を抱えて笑い転げるエドガーが許せなかった。

 今度ばかりは脅しではない。必ず殺すとネコタは誓った。


 ウサギへの復讐心を押さえつけ、ネコタは目を前に戻す。

 賭けではあったものの、新たな力を手にし、ネコタは一筋の希望を見出した。

 女神から直々に賜った、守りの力。これで、守りという点では互角だ。あとはなんとかして、こちらの攻撃を通すことが出来れば……。


 それが一番難しいことであると分かっているが、勝機が有るか無いかでは、戦意が違う。ネコタの目には、なんとかして出し抜いてやろうという気力に満ちていた。


 ――しかし、オリバーの力は、これだけではなかった。

 ――手段が一つ潰された程度で止まる程、Sランク冒険者は甘くない。


「あ痛たた……俺の攻撃を跳ね返すたぁ、中々やるじゃねぇかお前……」


 むくりと起き上がり、ブルブルと頭を振りつつオリバーは立ち上がる。

 口ではそう言うものの、ダメージはあまりない。自分の力で弾き返されただけなのだから、それも当然である。


 オリバーは面白がるように笑い、ネコタに挑発的な目を向けた。


「まさかそんな手を隠し持ってるたぁ、驚いたぜ。だが、いくら俺の攻撃を防ぐことが出来ても、俺に攻撃が通らない。それだけじゃあ俺には勝てないぜ?」

「ええ、分かってます。でも、そちらも僕を倒すことは出来ませんよ」

「がっはっはっはっは! 言うじゃねぇか。だが、そいつはどうかな?」


 意地の悪そうな顔をするオリバーに、ネコタは怪訝な表情を浮かべる。

 強がりにしては、どうにも余裕がありすぎる。


「本来は、俺の趣味じゃねぇんだがな。だが、お前の力は中々だ。お前を認め、特別に見せてやる」


 獲物を前にした獣のような笑みを浮かべ、オリバーは腰元に手を伸ばし、それを抜いた。






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