第85話 自分が二流ですって言ってるような物じゃ……



 根は良い人だと思っていた。

 そう信じていたかった。

 しかし、これはない。いくらなんでも、ない。


 ネコタは信じられないような表情をして、エドガーに問いかける。

 

「エドガーさん。いくらなんでも、やっちゃいけないことぐらい分るでしょう? 何の恨みがあってそんな真似を……遊びじゃ済まされないですよ」

「だから、本当にっ……わざとじゃねぇんだよぉ……」


 責めるネコタに、エドガーはプルプルと震えて言った。


「野営で、俺が先に夜番を引き受けてやったんだ。アイツ、興奮して気づいていなかったけど、遺跡の調査で相当体力を使っていたから……休ませてやろうと思って。

 でも、俺も相応に疲れていてウトウトしてたんだよ……んでハッとしたら、火が消えかかっててよ。

 傍に丁度いい枯れ枝もなくて……体を動かすのも億劫だったから、何か薪代わりになる物はないかと思って……でも、俺の荷物の中にはなくて……アイツの荷物を漁ったら、古ぼけた本があったから、つい……これでいいかって……!」


「よくないでしょ。何で本を燃やそうって発想になるんですか。普通、真っ先に除外される物ですよ」

「眠かったからぁ……! 面倒くさかったのぉ……! 古いし、読み飽きてるもんだと思ってぇ……! 後で弁償すればいいやってぇ……!」


 弁解の余地はまるでなかった。僅かばかりの気遣いと、眠気に勝てなかったという言い分があるとはいえ、というかそもそも他人の物を無断で燃やすあたりどうかしてる。

 ガサツという以上に、常識を、神経を疑うレベルである。


 エルネストは、震えた声で笑った。


「フッ、フフフ……炎を司る本が燃やされるとは、なんという皮肉か。私が炎を憎々しく思ったのはあの時だけだ。

 僅かな面影を残して、全てが灰になっていく魔道具を見ていた気持ちが貴様には分かるまい。

 帰ってから調べるなどと悠長なことをせず、その場で私の魔力で慣らし、魔法具として完全に覚醒させておけばあのようなことにもならなかっただろうに……」


 肩を落とすエルネストは、恨みがましい目でエドガーを見る。

 エドガーは気まずげに目を逸らした。いくら彼といえど、この件に関しては自分の非を認めているようだった。いつもの調子で、相手を非難することもできない。


 その様子に、エルネストもわずかに溜飲が下げられた。

 そんな時、短杖を持ったアメリアがふと目に入り、気まぐれに尋ねる。


「その杖を見る限り、どうやら貴様も魔法使いの端くれのようだな。ならば私の気持ちが分かるだろう? 

 己の力を最大限に引き出す道具を、目の前で燃やされた気持ちが。魔道を志す者ならば、当然な」


「えっ? いや、別に」


 ――数瞬、間が開いた。


 誰もがその発言に目を点にしていた。

 場の空気に気づいていないのか、アメリアは自然と答える。


「探し物が燃やされたのは可哀そうだと思うし、うちの子が悪いとは思うけど、魔道具が壊されても私はあまり気にしないかな」

「……何を言っている? 己の力をより引き出すのに上質な魔道具を揃えるのは、魔法使いとして当然だろう。いや、その程度の準備も怠る、程度の低い魔法使いには分からない話か」


 アメリアを下級の魔法使いと見て、エルネストは軽蔑の視線を送った。真面目に話した自分が馬鹿馬鹿しく思えた。

 しかし、アメリアは全く気にした様子もなく続ける。


「そうかな? 確かに魔道具があれば魔法の制御もしやすいけど、あれば楽っていうだけで、絶対に必要な物でもないし。

 制御は楽になっても、魔道具の種類によって属性の片寄りがあるから、特定の属性に特化する分どうしても汎用性は落ちるし……むしろ、魔法具が無い方がその場で自由に魔法を編める訳で、ある意味そっちの方が使いやすいし」


 無関心だったエルネストだが、アメリアの話す内容に表情が強張る。


 それは正しくはあるが、実現できればという言葉が頭につく、極めて高度な魔法の腕が必要とされる話であった。普通は魔道具もなしでは魔法を発動させることすら難しい。だから魔法職を持つものは、大なり小なりの魔道具を用意するのだ。


 それを、アメリアはスラスラと語っている。誇張した様子もなく、まるで、それが当然であるかのように。

炎帝イフリート“と呼ばれるエルネストですら、容易には出来ないことをだ。


「良い加減なことを……それならば、貴様が持っているその杖は何だ? 

 貴様の言うことが正しければ、それすらも必要ないだろう」


「うん。だからこれはあくまで、私が楽をするために用意させた物だよ。

 魔力の通りが良い素材で作ってもらっただけの杖で、特定の属性の片寄りもない、ただの杖。別に珍しくもない、子供が使うのよりちょっと高級なそれだけの物。

 魔力を節約したい時はこれを使うし、その場で新しく魔法を編む時はこれすらも邪魔になるね。

 無駄に魔力が引っ張られちゃうから」


 やはり、当たり前のようにアメリアは答えた。

 その自然な様子にエルネストの顔が引きつる。まるでお前はその程度の実力なのかと問われているようであった。


 そして、次の言葉がトドメだった。


「というか、魔法の威力を上げるのに良い道具が無いと駄目って、自分が二流ですって言ってるような物じゃ……」


 困惑顔でアメリアは呟いた。

【賢者】として最高峰の魔法の腕を持つアメリアの、無自覚な傲慢さであった。

 容赦のないアメリアに、ネコタ達は引いた。


 ラッシュは苦い顔でたしなめる。


「アメリア。お前、あんまりえげつねぇ真似してやるなよ」

「なんというか、その、もう少し言葉を選んだ方が……」


「えっ? 何が? 私、変なこと言った?」


「そうか、自覚無しか。あたしですら分かるのにな。お前、ウサギよりよっぽどヒデェことしてやがるぞ」


「私、なんだかお姉様を思い出しました。私のことを可愛い可愛いって褒めてくれましたけど、お姉様もそうやって、無自覚に私を傷つけていたんですよね。

 美人なお姉様にそんなこと言われても、正直嫌味としか……本心から言ってるだけに、私も止められなくて」


 フィーリアは遠い目で昔を思い出していた。

 無意識で人を傷つけることの、なんと残酷なことか。


「その、あんまり気にしちゃ駄目よ。なんというか、うん。あれは例外みたいだから」

「だな。お前にはお前の良いところがあると思うぜ」

「貴様ら、燃やされたいのか……!」


 あまりの酷さに、誰もがエルネストを憐れんでいた。

 オリバーとレティでさえ、自分の事を横に置いてエルネストに同情的だった。その優しさは余計に彼を傷つけた。


「――ふ、ふはははははははは!」


 そして強力な味方が出現したことでウサギさんは復活した。

 アメリアの魔法論が免罪符となり、彼に力を与える。


「くっ、くくくっ! そうだな、アメリアの言う通りだ。道具に頼るなど所詮二流の証よ。そんな二流のお前に、あの魔道具は不相応な物だった。

 もし今もあれを持っていたら、お前は増長し成長を止めていただろう。むしろお前の為にあの本を燃やした俺に感謝するべきだな」


「き、貴様……! よくも抜け抜けと……!」


 無論そのような事実はない。あれは間違いなくエドガーの間抜けなミスである。


 しかしこじつけにもほどがあるとはいえ、僅かな切っ掛けから機転を効かし、都合良いように事実を捻じ曲げるこのメンタルは間違いなく一流の証であった。


「こらっ、調子に乗らないのっ」

「あ痛っ!」


 ポカリと、アメリアはエドガーの頭を叩く。

 メッと指を立てながら彼女は言った。


「ダメでしょ? 悪いことしたならちゃんと謝らないと」

「え〜。でも、わざとじゃないし。むしろ感謝されてもいいくらいだと思んだが……」


「そうかもしれないけど、傷つけちゃったんなら、やっぱり謝らないと。なんだかよく分からないけど、私も悪いことしたみたいだし、私も一緒に謝ってあげるから。ねっ?」

「む〜、分かった。アメリアがそう言うなら」

「うん、良い子だね。そんなエドガーが好きだよ。それじゃ、せーのっ」


「「ごめんなさい」」

「どうやらよっぽど私と殺し合いがしたいようだな、貴様ら……!」


 ペコリと頭を下げ二人を見て、プルプルとエルネストは震えていた。

 謝罪というより、明らかな挑発だった。エルネストが我慢できていることが奇跡である。


 頭を上げたエドガーは、一転して真面目な表情で言う。


「さて、不本意な謝罪もしたし、お前らの紹介も十分出来ただろう。そろそろ本題に入ろうか。

 それで、お前らは何でこんな所にいる? 何が目的だ? まさか本当に俺を狙って来た訳ではあるまい?」


「え、そうなんですか?」


 エドガーの発言に、ネコタが驚く。

 あの三人にはこの畜生を恨む理由が十分にある。むしろ復讐目的で来ることは真っ当に思えた。

 心底不快そうに、エルネストは答えた。


「当たり前だ。貴様のことは殺したいほど憎んでいるが、わざわざこのような所まで探しにくるほど私達も暇ではない。そういう貴様こそ、何故こんな場所に居る?」

「聞いてるのは俺の方だろうが。とっとと答えろよ。良い加減にしねぇと虐めちゃうぞ?」

「やれるものならやってみろ。ウサギの丸焼きにしてやる」


「待った。いちいち挑発に乗ってんじゃないわよ。話が進まないでしょうが」

「エドガー、お前もだ。少し黙ってろ」


 比較的冷静だったレティ、そしてラッシュが、今にも爆発しそうな二人を止める。

 不服そうなエドガーにため息を吐き、ラッシュはレティに頭を下げた。


「悪かったな。うちのウサギが迷惑をかける」

「あら、まともな神経の持ち主も居たのね。いいわよ別に。そいつのことは良く知ってるから。まともに受け止める方がバカを見るってこともね」

「そう言ってくれると助かる。俺としても何とかしたいんだが、何を言っても無駄でなぁ」


「おい、ちょっと待て。テメェらだけには言われたくねぇわ! テメェらが俺のことをけなせるタマかよ!」

「はいはい。話が進まないから、少し下がってましょうね」


「はぁ? おい、何をする。離せ! 甘くするとつけ上がるんだ! 言うべきことは言っとかないといけねぇんだよ!」

「アンタが人を注意する資格がある訳ないだろ。あんたより酷い人なんてこの世に居ないよ」


「んだとコラァアアアアア! テメェ調子に乗るのも大概にしろやああああああ!」

「うぇ!? ちょっ、待っ――!」


 エドガーを引っ込めさせようとしたネコタ。が、その態度が逆鱗に触れたのか、怒り狂ったエドガーに殴りかかられる。

 背後で聞こえるネコタの悲鳴と打撃音にまた疲れた息を吐き、ラッシュは問いかけた。


「改めて聞くが、あんたらは何でこんな所へ? こんな何もない場所、Sランク冒険者が来るような所じゃないだろ」


「まぁいいでしょう。そこのウサギと違って少なからず礼儀はわきまえているようだし、特別に答えてあげるわ。といっても、私達冒険者が動く理由なんて決まっているけどね。

 欲しい物を求めて旅をするか、依頼を受けて動くかのどちらか。今回は後者よ」


「ほう。ということは、何者かから依頼を受けて動いていると?

 その内容は聞かせて貰えるのかな?」

「いいわよ? どうせ直ぐに分かることだし、隠すことでもないからね。この山に棲まう氷の主、【永久氷狼コキュートスウルフ】を狩りに来たのよ」


「はぁ!? 何言ってやがんだテメェ! 正気かお前ら!?」


 後ろに下がっていたエドガーが血相を変えて前に飛び出してきた。あまりの内容に、後ろでズタボロの雑巾のようになっているネコタのことは既に頭から離れているようだ。心から憐れである。


「コキュートスウルフにはギルドで討伐禁止令が出ていることくらい知っているだろうが! Sランク冒険者でもそれは同じだぞ! 自分が何を言ってるのか分かってんのか!?」

「知らないわよ。そんな私達が知らないところで勝手に作られた決まりなんか。そんなもの、律儀に守る必要なんかないわ」


 傲岸不遜にレティは言い放った。

 Sランク冒険者とはいえ、本気でそう思っているようなレティにラッシュは戸惑う。

 ぐぬぬっ、と呻くエドガーに、ラッシュは耳打ちする。


「おい、どうなってんだ。冒険者が冒険者ギルドを敵に回すようなもんだろが。アイツ正気か?」

「信じられないだろうが、正気も正気、大マジだ。あいつだけが特別なんじゃねぇ。Sランク冒険者は皆、大なり小なり自分は何をやっても許されると思っている節がある」


「なんだそりゃ? どうなったらそんな人間が出来上がるんだよ」


「ガキの頃から全て力づくで物事を解決して来たやつらだ。思い通りにならなかったことの方が少ねぇんだよ。ワガママいっぱいに育った子供が、そのまま大人になったようなもんだ。なまじ力があるせいで、ギルドとしても勧告程度しか出来ないってのも、あいつらが好き勝手振る舞う原因になってる」


 おいおいと、ラッシュは内心で呆れた。

 Sランク冒険者は扱い難いと話には聞いていたが、扱い難いどころか、ギルドの支配下にすらおけていない。管理責任を全く果たしてないということだ。冒険者ギルドの存在意義が問われる問題であろう。


 もっとも、エドガー級の実力を持つ冒険者を支配下におけと言うのも、無理な話なのかもしれないが。


「コキュートスウルフがこの地において抑止力となっているのは知ってんだろうが! そいつを討伐なんかしてみろ! 下手すりゃこの一帯で血みどろの争いが始まるぞ! 巻き込まれる住民にどう責任を取るつもりだ!?」

「顔も知らない奴らが何人死のうが、私達には関係ないわ。それに私達は依頼を受けただけよ。責任を取るなら私達ではなく、依頼者の方でしょ」

「これだから良識の欠片もない野蛮人はぁ……!」


 分かってはいたが、巻き込まれる無辜の民を盾にしてもまったくを逡巡を見せない。

 常識が通じない相手に、エドガーはギリギリと歯ぎしりした。

 あんまりな態度に、流石のジーナでさえ引き気味であった。


「いや、スゲェな本当に。あたしも結構なもんだと自覚はあったが、ありゃ大概だろ」

「全くだ! 相変わらず変わらねぇなコイツらは! こんな奴らばかりだから、常識人の俺まで変な目で見られる! 酷い風評被害だ!」

「いや、それはどうだかな……」


 こいつはこいつで、それは正しい評価だろう。ある程度の常識を持っているかもしれないが、関わった者にかける迷惑具合では負けていない、とジーナは思う。


 当事者のみに抑えるあたり、被害の大きさとしてはマシな部類に入るのかもしれないが、その分、個人に多大な労力やトラウマを与える訳で……どっちもどっちである。


「クソがぁ! 一体どこのどいつがこいつらに依頼しやがった!? ギルドがこんな依頼を受ける訳がねぇ! ギルドを通さず直接交渉しやがったな!」

「確かに、ギルドだったらむしろ止めるだろうしなぁ。この周辺に住む奴らでもないだろうが」


 エドガーの呟きに、苦い顔でラッシュも同意した。

 こんな馬鹿な依頼を出す者も相当な者だ。少し考えれば、どれだけの被害が出るかも予想できるだろうに。


 苛立つエドガーを見て、ガハハっと、オリバーは豪快に笑った。


「相変わらず小さいことを気にするやつだな、エドガーよ! だが、今回ばかりはその心配は無用だぞ! なにせ依頼を出したのはこの山の周辺に領地を持つ三つの貴族共だからな! 既に話はついているから、争いになることもない!」

「おもくそ当事者じゃねぇかああああああああああ!」


 エドガーの苛立ちは頂点に達した。なぜこの世界にはこんなバカばかりなのだろうかと嘆きたくなる。


「なんだってよりにもよってソイツらなんだよ! 過去一番被害に遭ってるのもソイツらじゃねぇか! だったらどうなるか分かるだろう!?」

「そんなことは知らん! あんな奴らが何を考えているのかは知ったことじゃないしな! だが、鉱脈を掘り出してどうこうとは言っていたような……」


「小規模の鉱脈を掘り出したって端金だろうがぁあああああ! 三家で割ったら微々たるもんだろ! リターンが労力に見合わねぇよ!」


「その僅かな金も欲しいほど、財政が圧迫しているみたいよ。ろくな経営も出来ずに贅沢ばかりしていた報いね。

 コキュートスウルフの討伐を自分達で手配したとなれば、名声も上がり求心力が高まる。鉱脈でその場しのぎの資金を手に入れ、将来的には薬草が大量に群生した豊かな山に戻ると。まぁ皮算用よね」


「やはりいつだって人に迷惑をかけるのは貴族共だ! どいつもこいつもまともな奴が居やしねぇ! いっそ滅んじまえ!」

「気持ちは分かるが、落ち着け」


 怒りのあまり涙を流すエドガーを、ラッシュが慰める。

 まったく同感ではあるが、あの種族の生存力といったら害虫と同じようなものだ。言っても仕方のないことである。


 いまのやり取りの間に、平静を取り戻したエルネストが、眼鏡を持ち上げて言った。


「私達の事情は理解したな? なら次はそちらの番だ。エドガー、貴様こそ何故こんな場所に居る? 貴様の方こそ、こんな場所に近寄る理由があるまい」

「ああん? お前、俺が今何をしているのかも聞いたことねぇのか?」


「知る訳がなかろう。自分の行動が必ず他人に知られていると思い込むとは、自意識過剰にもほどがある」

「チッ、相変わらず世間の情報に疎い奴らめ。自分の世界に閉じこもってばかりだからそうなるんだよ。

【賢者】が誕生し、【勇者】が召喚されたことくらいは聞いたことがあるだろう? 俺は今、その【賢者】の護衛として、勇者一行の一員になってるんだ」


「おい、そこは嘘でも勇者の護衛って言えよ。建前ってもんがあるだろ」

「知るか。俺はアメリアを守る為に来たんであって、ネコタを守りに来たわけではない。男なんだから、自分の身は自分で守れ」

「お前という奴は……」


 叱るラッシュに、ウサギは冷めた目で応えた。

 これほど説得力のある言葉もそうはない。なにせ自分の手で勇者をボロボロにしているのだし。勇者の身体面、メンタル面の被害的に、むしろ敵である。


「【勇者】に、【賢者】だと?」

「へぇ、まさかこんな処で実物を見れるなんてね」


 オリバーとレティが、興味深そうに声を出した。

 流石に世界を救う存在と聞けば、己の世界に浸る彼らも好奇心が湧いたようだった。


「なるほど、道理でな。【賢者】ともなれば、あれだけの大口も満更嘘ではないか」


 納得したようにエルネストが頷く。しかし、すぐに怪訝な表情に変わった。


「待て。となると【勇者】はどいつだ?」

「ふっ、決まっている。そう、何を隠そうこの俺がこそが勇――」


「黙れ。貴様のような畜生が【勇者】な訳あるまい。茶化すな」

「相変わらずユーモアの欠片も無い奴だな。ほれ、【勇者】ならそこに居んだろ」


 エドガーは後ろでズタボロになっているネコタを指す。

 三人の目がネコタに集まり、眉を潜めた。


「……マジか? おいおい、嘘だろ?」

「そうよねぇ。その薄汚れた子供が【勇者】なんて、何かの間違いでしょ?」

「そんな今にも死にかけている子供に助けを求めないと、世界は救われないというのか? むしろ、助けを必要としているのはその子供の方だろう?

 そんな子供に救済を願うなど、この世界の住人として恥と思わざるをえんな」


「くっ、正論なだけに反論出来ない! こんなところで勇者の未熟さが仇になるとは!」

「誰のせいだと思ってるんだよ……!」


 エドガー呻くような声に反応し、ネコタはなんとか意識を取り戻した。

 自分が舐められる原因を作った男に被害者面をされることは、流石に見過ごせなかった。


「おっ、起きたのか。丁度良かった。今、勇者の名誉が疑われている緊急事態なんだ。歴代勇者の名誉の為にも、頼む。今だけはビシッとしてくれ」

「うるさい! うっすらとだけど聞いてましたよ! 全部あんたのせいだろ!」


「……なるほど。そういうことか」

「大変ね。仲間にそんなのが居ると」

「おう、流石に同情するぜ。負けるなよ、坊主。俺は応援しているからな」


 ネコタ達の僅かなやり取りで、その関係性は容易く察せられた。

 敵意のあった三人にまで同情され、ネコタは心底惨めな想いだった。

 エルネストはネコタから目を離し、興味深く山頂を見つめる。


「しかし、そうか。【勇者】と【賢者】ということは……ここに女神の祭壇とやらがあるということか」

「へぇ、そうだったの。それじゃあ、私達が争う必要もないのね」

「あ、あれ? 見逃してくれるんですか?」


 意外そうに、ネコタは呟く。


「三人共エドガーさんに恨みがあるようだし、絶対に逃がさないと思ってたんですが……」


「だって、貴方達の目的はその祭壇とやらなんでしょ?

 確かに恨みはあるわ。機会があるなら、殺してやりたいくらいね。でも、すぐそこに獲物が居るのに、それを後回しにしてまでそいつを狙ったりはしないわよ」


「同感だな。私達は冒険者だ。決して復讐者ではない。ここに来るまでは同じ獲物を狙ってると思っていたから、殺し合いも視野に入れていた。だが、着地点が違うのであれば無駄な労力を使う気はない」


「そういう訳だ! 別にこの先に行きたいなら行ってもいいぜ! 俺達は俺達で目的を果たすからよ!」


 感情に流されず、利益を追求するという冷静な判断。性格的には問題もありそうだが、プロフェッショナルとしての意識の高さも持ち合わせているのかと、ネコタは感心した。


「エドガーさん。負けてますよ」

「どういう意味だそりゃあ!」


「だって、エドガーさんよりずっと大人じゃないですか。もしエドガーさんが逆の立場だったら、依頼なんて放っておいて潰しにかかるでしょ?」

「この大馬鹿! 俺だって時と場合は考えるわ! それに、お前は勘違いしているぞ。アイツらは大人の判断で動いている訳じゃねぇ。ただ自分の欲望に忠実なだけだ!」


 疑うような視線を向けてくるネコタに舌打ちし、エドガーは剣を抜き三人に突き付ける。


「安心している所を悪いが、お前達は止めさせてもらうぜ。コキュートスウルフを狩らせる訳にはいかねぇ」

「あら、どうして? 貴方達は祭壇目当てで此処に来たんでしょう? だったら私達と争う理由なんてないじゃない」


 不思議そうにレティが首を傾げる。

 話の通じない相手に、ガーッとエドガー吠えた。


「止める理由なんていくらでもあるわこの馬鹿共! コキュートスウルフが居なくなったらどうなるかなんて誰にでも分かるだろうが! だいたい欲深な貴族共が協力なんか出来る訳ねぇだろ! どうせ利益の取り合いで争いになるに決まってる! そうなると分かって止めねぇ訳ねぇだろ!」


「同感だな。これでも勇者の一行なもんでね。民に害が及ぶと分かって何もしない訳にはいかんのよ。だろ、ネコタ?」

「そうですね。平和に暮らしている大勢の人を巻き込む訳にはいかないと思います」


 世界を救うことが勇者の使命。

 なれば、この三人を止めることこそ勇者の義務だろう。

 覚悟を決め、ネコタが剣を抜く。それに、立ちはだかる三人の目がスッと細まった。


「あら、本気で私達とやりあうつもり?」

「当たり前だ。そっちこそ、俺らとやりあう覚悟があるのか? どうせ報酬なんかたかが知れてるだろ? 実際、コキュートスウルフの討伐なんぞしたらギルドも良い顔はしないぜ」


「ガハハハハッ! そんなこと初めから知ったことか! ギルドの連中なんぞどうでもいいわ! それに、俺達はそもそも報酬目当てに動いている訳ではないしな!」


 ズンッ、と一歩前に出て、オリバーは言う。


「災害級魔獣コキュートスウルフの肉! さぞかし魔力も芳醇だろう! 俺の筋肉に相応しい!」


 ファサリと髪をかき上げ、レティは微笑む。


「コキュートスウルフの毛皮で出来たコートなんて、世界中どこを探しても見つからないわ。そんな物こそ、私に相応しいと思わない?」


 スチャリと眼鏡をずらし、エルネストは不遜にエドガー達を見下ろす。


「氷の操る魔獣の頂点に立つ存在。この私の炎がどこまでの極みに達したのか、試すのにうってつけの相手だ。その邪魔をするというのなら、まず先に貴様らを燃やし尽くす」


 三者三様の、個人的な理由だった。

 キッ、とエドガーはネコタを睨み付ける。


「ほら見ろ! 俺の言った通りだろうが! やっぱりそんなこったろうと思ったよ!」

「た、確かにこれは酷いですね……」


 プロフェッショナルなど、とんでもない。どこまでも個人的な欲望に忠実な、自分勝手極まりない理由だった。

 あまりの勝手さに、ネコタの表情も引き攣る。見知らぬ他人への配慮が出来る分、エドガーの方がまだましかもしれない。


「最終通告だ。今ならば見逃してやる。優しくしているうちに失せろ」

「そりゃこっちの台詞だ。Sランク冒険者、上等じゃねぇか。腕が鳴るぜ」


 エルネストの忠告に、ジーナは拳を鳴らして応えた。

 もはや、お互い引くことはない。アメリアは杖を構え、フィーリアも怯えながら次の動きに備える。


 戦闘態勢に入る五人を目にしても、冒険者の頂点たる三人は余裕を崩さなかった。


「あらあら、本気でやる気なのね。ふふっ、エドガーと一緒に居るだけあって、皆命知らずなのかしら」

「せっかく忠告してやったものを。馬鹿な奴らだ」

「ガハハハハ! いいじゃねぇか! 勝った方が好きに出来る! 言葉で解決するよりもよっぽど分かりやすい!」


 フンッ! とオリバーが力を込めると、全身の筋肉が一回り大きくなった。

 野獣のような大男の身から、溢れんばかりの闘気が漏れ出す。その気配に、六人は緊張した表情を見せた。

 ニッと、オリバーは凶悪な笑みを浮かべ、


「俺達と真っ向から戦おうって奴らは久しぶりだ……だから、お前達には期待してる。俺の期待に応えられるなら、命だけは取らないでおいてやるよ。だから――俺を楽しませろよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


「きゃあ! なっ、なんですか……これ……!」

「ぐぎっ……! 相変わらず……馬鹿みたいな声出しやがって……!」


 ビリビリと、振動が直接肌に伝わる爆発のような大声。

 ただでさえ身が竦む声に、耳の良いフィーリアとエドガーは、直接頭をかき乱されるような苦痛を味わう。


 しかし、その雄叫びはオリバーにとって、戦前の準備運動に過ぎない。

 それを証明するように、ゴゴゴゴッという、可視化されてもおかしくない威圧感のような物が感じられた。


 ――ゴゴゴゴゴゴゴッ……!


 ……いや、違う。


 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!


 確かに、音が聞こえていた。


「うっ、うぅ……耳がおかしくなってます……まだ変な音が……」

「大丈夫だよ、フィーリア。それ、変じゃないよ。私も聞こえるから」

「ああ、あたしもだ。なんなんだ一体」


「僕もです。一体何の音……って、どうしてんですか、二人とも。そんな顔色を悪くして」

「おい、エドガーよ。まさかと思うんだがこれは……」

「……やべぇ。マジかあのバカ……」


 サァーッと、今にも倒れそうなほど、ラッシュとエドガーの顔が青くなっていく。


「……ああん? なんだってんだ一体?」


 突然変わったエドガー達の様子に拍子抜けした思いを感じつつ、オリバーはクルリと体を後ろに向けた。


「……あ?」


 そしてポカンとした表情で、間の抜けた声を出す。


 ――ゴゴゴゴゴゴゴ!

 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!

 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!


 音は、どんどん大きくなっていた。

 何かが滑り落ちてくるような、そんな音が。


「……あ、やべぇなこりゃ。ガハハハハ、やっちまったな!」

「やっちまったじゃないでしょうがこのおバカ! アンタ何考えてんのよ!」

「何も考えてないのだろう。だからこんな目に合うのだ」


 開き直って笑うオリバーとは対照的に、レティとエルネストの顔色は悪い。当然だ。

 たとえ実力があろうとも、どうしようもない脅威が近付いている。

 雪山で、巻き込まれれば死を覚悟しなければいけない自然の驚異が。


 ――逃げ場のないほど広がった雪崩が、見えるところまで迫っていた。


「逃げろぉおおおおおおお!」


 エドガーの叫びに合わせ、五人は一斉に逃げ出した。

 苦労して登ってきた山を、全力で駆け下りる。しかしそこに躊躇はない。助かる為に全員が必死だった。


 走りながら、涙目でネコタはエドガーに怒鳴った。


「嘘つきぃ! エドガーさんの嘘つきぃ! 言ったじゃないですか! 人の声じゃ雪崩なんて起きないって言ったじゃないですか!」

「嘘なんか言ってねぇよ! あれは人間じゃなくて野獣のカテゴリだからノーカンだ!」


「お前らバカ言ってねぇで走れ! 本当に死んじまうぞ!」

「おらフィーリア! 死にたくなきゃ走れ! 流石に今度ばかりはあたしでも庇ってやれねぇぞ!」


「無理っ、もう無理ですぅ……! これ以上走ったら死んじゃいますぅ……!」

「普段から運動しないからだよ。フィーリア、これが終わったらダイエットだね」

「わ、私、太ってるわけじゃないですもん……!」


 意外と余裕そうだが、表情は必死だった。

 現実逃避をしなければ、諦めて足が止まると分かっていたからかもしれない。

 ペースを緩めず、ネコタはチラリと後ろを見た。


 やはり後ろでも、自分達と同じように必死になっていた三人が居た。


「ガハハハハ! まさかこうなるとはな! こいつは予想外だった!」

「少しは考えて行動しなさいこの大バカ! 誰のせいでこうなってると思ってるの!」

「まっ、全くだ……! この私を、走らせるなど……!」


「あああああああ! まずいまずいまずい! どうすんのよこれ! 責任取りなさいよ!」

「むぅ、確かにな……! よし、任せろ! 俺が止めてる間に先に逃げ――グォオオオオ!」

「この役立たずぅううううう! 頭使えって言ったばか――きゃあああああ!」


 レティの悲鳴をかき消し、雪崩は三人を飲み込んだ。

 さぁっ、とネコタは顔を青くし、助かる方法を考え続けた。


「まずいですよ! このままじゃ僕達まで……何か、何か方法は……!?」

「バラバラになって逃げるぞ! 雪崩に飲み込まれたら、全力で上に向かって泳げ! 助かったらすぐに周りを見て、埋まった奴を助けろ! いいな!?」

「雪崩に飲み込まれた後じゃなくて、飲み込まれない方法を――あぁあああああああ!」


 ネコタの甲高い悲鳴を搔き消し、雪崩はとうとう五人まで巻き込んだ。

 大自然の猛威を前にしては、勇者一行とはいえなす術もなかった。






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