第50話 ワンチャンあるかと思って……
——夜。
暗い森の中、五人で焚き火を囲み、ジーナが唐突に言った。
「で、この状況はどういうことだ?」
五人はギルドの支援を受け、万全の態勢で【迷いの森】に挑んだ。
ずば抜けた聴覚と野生の勘を持つエドガーに、森に関する知識においては右に出るものがいない【狩人】のラッシュ。この二人が揃っているならば、【迷いの森】だろうと問題なく踏破出来るはずだった。
ところがどうだ。すでに五人が入って、五日目の夜を迎えている。その間、女神の祭壇どころか守り人の陰すら掴むことはできなかった。現実は非常である。
「なぁおい、どういうことだって聞いてんだよ。ああ?」
苛立ちを隠そうともせず、ジーナは一角に目を向けた。その視線の先には、エドガーとラッシュの両名が縮こまって座っていた。二人はビクッと震え、ジーナから気まずげに目を逸らした。
「なに目ぇ逸らしてんだよ。どういうことかって聞いてんだろうが。ちゃんと答えろやコラ!」
「いや、その、でも……」
「俺達だって……頑張って……」
「聞こえねぇよ! ハキハキ喋れやこのグズ共!」
ジーナは二人の胸ぐらを掴み持ち上げる。
二人は悶えながら抗議した。
「ぐぇ、ぐぅ! まっ、待て! 暴力は良くない……!」
「そ、そうだっ! そんなんだから行きおく……ぐぇぇえ!?」
「おまっ、こんな時に余計なことを……ぐっ、ぐぇぇ……!?」
「テメェらこの状況になってまでよくそんな口が聞けるな! ああっ!?」
「ぐっ! お、俺は何も……このウサギが……!」
「へっ、へへっ! なんだよラッシュ、裏切りは良くねぇな。さっきまで一緒になって散々陰口を叩いてたじゃねぇか」
「おまっ!? よくもまぁそんなデタラメを!」
「もういい、テメェらはここで殺してやる!」
「「ぐうぇぇえええええ……!?」」
「ジ、ジーナさん! 本当に死にますって! やめましょうよそんなこと! ここで二人を殺しても何にもならないですよ!」
青を通り越して緑に近い顔になっていく二人を庇い、ネコタはジーナを止める。ジーナは舌打ちし、放り捨てるように二人を離した。
「ぐっ、ゴホッ、ゴホッ! かはぁっ! た、助かったぞネコタ。本気で殺されるかと思った」
「げほっ、げほっ! たくっ、手加減ってもんを知らんのかあの雌ゴリラ……」
「テメェ、本気で殺されてぇか?」
「ひっ!? く、食われる!」
「ジーナさんっ! 大人になりましょう! ああいう人なんですよ!」
凄まじい殺気を向けられ、エドガーはアメリアの胸に逃げ込んだ。
必死にネコタが宥め、ジーナは渋々と殺気を収める。
「で、この状況はどういうことだ? もう五日も経ってんだぞ。なのに守り人なんかまったく見つからねぇじゃねぇか。あれだけ大口を叩いておいてこのざまとか笑えねぇな。この無能どもが!」
「無能じゃねぇ! 俺だって普通の森だったらとっくに見つけてるわ! この森が明らかにおかしいんだよ!」
「そうだそうだ! その違いすら分からない単細胞が偉そうにしてんじゃねぇ!」
「なにぃ?」
「ジーナさん、抑えて! エドガーさん、そのラッシュさんが言う普通じゃない部分って何なんですか? そう言うからには、それが何かちゃんと分かってるんでしょ?」
むぅ、と難しい顔を作り、エドガーは言った。
「いや、上手くは言えねぇが……この森に入ってから、耳の調子に狂いが生じている気がする」
「下手な言い訳をしやがって。テメェの耳がバカになったってだけだろ?」
「違ぇよ雌ゴリラ! 俺の耳は万全だっつの! ちゃんと小さな音だって拾えてる! ただ、聴覚で手に入れた情報に齟齬が発生してるって言ってんだ!」
「……それってつまり、【認識阻害】みたいな魔法がかけられているっていうこと?」
アメリアの言葉に、ラッシュが頷いた。
「そういうことなんだろうな。この数日間、俺は俺で色々と試していたんだ。方角を確かめたり、生物の痕跡を追ったりとな。
だが、正しい方角に進んでいたはずなのにいつの間にか方角が分からなかったり、途中まで痕跡を追えていたはずなのに、いきなり判断がつかなくなったりしている。
これは明らかに外部からこっちの感覚を狂わされている証拠だ」
「どうだかな。そんなこと言って、本当はボケが入ってるのを誤魔化そうとしてるだけじゃねぇのか?」
「茶化すな! こっちは真面目に話してんだよ!」
半信半疑の目で見てくるジーナに怒鳴りつけるラッシュ。オヤジ呼ばわりはともかく、痴呆が始まった老人扱いされるのは耐えられなかった。
「おそらく、この森全体に【認識阻害】の魔法、あるいは結界のようなもんが張られているんだろう。その力のせいで、皆この森で迷って出られなくなるんだ。これをなんとかするとなると、魔法使いの領分だ。【狩人】や獣人じゃあ無力だぜ」
「開き直って自分から役立たず宣言してんじゃねぇよ。それならその結界だかなんだかをアメリアに解いてもらえばいい話じゃねぇか」
「それが出来れば一番良いんだが……アメリア、どうだ? 何か分かるか?」
「……ごめん。本気で探ってみても、全然分からない」
「だろうな。アメリアは【賢者】だ。魔法の扱いにおいて右に出るものは居ない。
この森の力が魔法によるものなら、森に入った時点でアメリアが気づかないはずがないんだ。
となると、これは魔法以外の力が働いているってことになる。これをなんとかしないと探索も出来ないっていうのに、それを解決する方法がない。ハッキリ言ってお手上げだぜ」
苦々しい表情でラッシュは言った。
チッ、と、ジーナはガシガシと頭をかく。
「そんじゃあどうすんだ? このままあてもなく歩き続けるわけにもいかねぇだろうが」
「そうですよね。今はまだ大丈夫ですけど、食料もいつまでも保つわけじゃありませんし。一度、守り人の捜索を切り上げて、外を目指す方が現実的じゃないですか?」
「くっくっく、聞いたかよエドガー。外に出るだとさ」
「へっへっへ、この坊やは一体何を聞いていたのかね?」
バカにしたように笑う二人に、ネコタはイラッとした。思わず側に置いた聖剣に手が伸び、ぐっと堪えて聞き返す。
「何がおかしいんですか? 別に変なことを言ってないでしょう」
「その発言が現状を理解していないことをハッキリと示しているな。まるで分かっていないくせに、さも自分は正しい判断をしていると思い込んでいるその態度、道化にも程があるぜ」
「……回りくどいこと言ってないで早く答えろよ。僕だって我慢の限界があるんだぞ」
「じゃあ言うけどな。感覚が狂わされてまま森の中を歩かされて、方角も現在地も分かってないってのに、どうやって森の外に出るんだよ?」
「まったくだ。森の外に出ようにも、その方法がないからこうして未だに森の中を彷徨ってるっていうのに」
パチパチ、と。焚き火の音がやけに大きく聞こえた気がした。
二人の言葉の意味に気づくのに、三人はしばしの時間を要した。
ふへへへ、ひへへへと、エドガーとラッシュのやけになった笑い声が、酷く耳障りだった。
ふぅ、とネコタは息を吐く。よし、大丈夫。僕は冷静だ。何にもおかしいところはない。大丈夫、落ち着け。怖くなんてない。震えたりなんかしていない。
「ふ、ふふふ、二人はっ、その、分かっていながら歩き回っていたんですか?」
「おう、まぁな」
「いっ、一体いつからそれに気づいて?」
「一日目には違和感があったが、確信を持ったのは二日目だな。その時、俺らの現状にも気づいた」
「俺もエドガーと同じようなもんだ。だからこそ、必死になって探索を続行した訳だが」
「そ、それはなぜ?」
「……だって、言ったら怒られるから」
「……食料が尽きる前にワンチャンあるかと思って。ほら、偶然でも外に出られれば、迷ったことがばれないで済むし」
――さ、最悪だこいつら。
ネコタは目眩がした。要は、姑息にも自分たちの失態を隠すために報告と相談を怠っていたわけだ。本当にどうしてくれようか。
処刑方法に悩むネコタより早く、ジーナが口を開く。
「……つまり何か? あたし達は今、他の奴らと同じくこの森で遭難しているってことか?」
「ええ、そうなんで――ごふぁ!?」
ジーナは容赦なくラッシュを殴り飛ばした。そのまま流れるようにマウントを取る。
「まっ、待て! お前本気で殺す――げはっ!?」
「頑張って耐えてみろ。あたしが飽きるまで生きていられたら許してやるよ」
「ちょっ、ジーナさん! 気持ちは分かるけど落ち着いて! それは本当に死にますって!」
「ひっ、ひぃ……! ア、アメリア、ラッシュがぁ……!」
「しっ、見ちゃダメ!」
ネコタが羽交い絞めにしてラッシュを殺しにかかるジーナを止めに入り、アメリアが怯えるエドガーを胸に抱え暴行現場から目を隠す。とても勇者一行の行いとは思えない有様だった。とはいえ、全面的にラッシュが悪い。
ネコタがようやく止めたころには、ラッシュは虫の息だった。アメリアの治療でなんとか息を吹き返す。顔面の流血がなんとも凄惨だった。
「この状況でふざけたこと言いやがって。次同じことしたらマジで殺すぞ」
「はい、すいませんでした」
「不用意だったな。なに、タイミングが悪かっただけだ。これからも精進しろよ」
「一人だけうまく逃げやがって……!」
ポン、と肩に手をのせて憐みの目を向けてくるウサギが憎たらしい。いつか同じ目に合わせてやるとラッシュは誓った。
「で、結局これからどうすんだ? 祭壇も守り人も見つからねぇ。それどころか、この森から出る方法もねぇ。打つ手がなしじゃねぇか」
「……俺達がやれることなんて、結局のところ一つだ。食料が尽きる前に、守り人か森の出口、どちらかを見つけだす。それしかない」
「現在地も方角も分らず、勘すらも効かないこの森でか? 見つけ出すのに何日かかるんだろうな?」
嫌味ったらしく嗤うジーナに、ラッシュは何も答えず黙り込んだ。
ジーナの言うことは正しい。つまり、偶然に頼って歩き続けるしかないということなのだから。出られる保証もなく、残りが限られている食料で。しかも、この森にはなぜか食べられる動物や木の実、魔物すら居ない。
それはなんと無謀で愚かなことだろうか。しかし、一番愚かなのは分かっていてもそれをするしかない自分達だ。彷徨い続け、遠からず餓死する未来が目に見えている。その状況に追い込んだ自分に嫌味の一つでも言いたくなるだろう。
誰も喋らない、気まずい時間が流れる。その空気を嫌ったのか、むむむっ、と悩んでいたネコタだったが、パンッと手を鳴らして言った。
「はい! 止めましょう、嫌なことばかり考えるのは!」
ネコタに皆の目が集まる。
視線に怯みつつも、ネコタは言った。
「きっと大丈夫ですって! 諦めずに探し続ければなんとかなりますよ!」
「なんとかなる、ね。随分とのんきなこと言ってやがんな。それで本当にどうにかなるんだったら苦労しねぇっての」
呆れたようにジーナが言った。
しかし、ネコタは笑って言い返す。
「確かに、今は難しい状況なのかもしれません。だけど、ここで誰かを責めたり、どうにもならないと諦めるより、なんとかなると思って探し続けた方がずっと建設的だと思いませんか?」
「……まぁ、そりゃそうだがな」
「でしょう? 大丈夫ですって! 一応、僕は【勇者】ですよ? 世界を救おうとしている勇者を、女神様だって見捨てませんって。女神様が僕らを見ているなら、きっと何らかの手助けをしてくれますよっ!」
「ははっ、結局最後は神頼みかよ! まぁ、勇者の神頼みなら、あながち効果が無いわけでもないか」
結局は運頼みに過ぎないが、幾分か気は晴れたらしい。苛立っていたジーナが、落ち着いた表情になる。それを機に、五人の間にあった緊張が解れて行った。
「悪いなネコタ。庇ってもらっちまって」
「いえ、いいんですよ。僕たちは仲間じゃないですか。助け合い、励ましあうのはとうぜんですよ」
「そう言ってもらうと助かるぜ。おいエドガー、お前も礼の一つでも言ったらどうだ?」
「ふんっ、俺はべつに頼んでねぇやい」
「お前なぁ、この期に及んで……」
「いいんですよ。逆に、エドガーさんに謝られるほうが僕も調子が狂いますからね」
「けっ、言ってろ」
あっけらかんと笑うネコタに、皆が微笑ましそうな顔をしていた。
楽観的ともいえるが、ネコタが口にしただけで、何故か本当になんとかなりそうな予感がした。陰鬱だった空気を吹き飛ばすそのありようは、まさしく絶望を払う勇者だった。
夢見がちな子供だからこその発想かもしれない。だが、まぎれもなく、この少年は勇者なのだろう。その事実に、エドガーは僅かな羨望を覚えた。
「そうだ、悪いことばかり考えてるから暗くなるんですよ。どうせなら、何か盛り上がる話でもしましょう!」
「盛り上がる話だぁ? お前よくこんな状況でそんなことが言えるなぁ?」
「そうですか? こんな暗い森の中でたき火を囲むって、ちょっとワクワクしませんか? なんというか、修学旅行とかレクリエーション的な感じがして!」
ネコタはうーん、と楽しそうに悩むと、あっ、と声を出し、弾んだ口調で言う。
「そうだ、いっそ恋バナでもしますか!? 恋バナ! きっと楽しいですよ!」
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