第六の区域

 ハワード号は静々と出しうる最低の速度で、気絶した超巨大 “首長竜” の口内へと侵入していきました。

 巨大な剣山のような無数の牙を上下にしたときには、不意に巨竜が目を覚まし口を閉ざす想像をして、胴震いがしました。

 あの牙と顎のとてつもない咬合こうごう力の前には、いかに万能潜水艦ハワード号の強靱な耐圧設計といえど無力でしょう。

 船体が開口部を抜けたときには全員が、肌に肌着を張り付かせていました。


「開口部、通過」


「このまま最微速」


「最微速、Aye」


 “首長竜” の口の中はまるで海底洞窟のようです。

 口内のほぼすべてをが覆い、水草が茂り、本来の組織が露出している場所はほとんど見当たりません。

 もっと情景を想像していたので、少しホッとしました。


「こ、試みに効くけどよ、船長Captain。入るのはいいが出るのはどうすんだ?」


 モニターの映像に釘付けになりながら、早乙女くんが怖々と訊ねました。


「この船は惑星間航行用だ。空間転移航法―― “転移テレポート” の呪文と同様の装備がある」


「そ、そうか。そうだったな」


「それがプランAだ」


「おお、プランBもあるのか。それならなお安心だ。ちなみにそっちはどんなだ?」


「この “首長竜” は生き物だ。放っておいてもいずれ……される」


 早乙女くんだけでなくクルーの全員が、隼人くんの言わんとすることを理解して、心の底からプランAを支持しました。


「咽頭が水に満たされてる。そもそもがそういう生態なのか、あるいは――」


 隼人くんが食い入るように正面モニターを見つめます。

 水精爬虫類、しかも水中で胎生・出産するプレシオサウルスです。

 気管から肺に水が満ちてるこの状態が、普通なのかもしれません。

 しかし迷宮で生息するうちに精霊に近くなり、生態が変化した可能性もあります。


「どちらにせよ、水があって助かりました。この船は潜水艦ですから」


『なに、水がないなりゃないでを出せばいいだけよ。オイラは万能潜水艦だから、水陸空宙なんでもござれのドントコイだ。ガァ』


「まったく残念だぜ」


『? なにがだ、坊さん?』


「これでが着いてりゃ地中もOKで、本当に “海底軍艦” だったのに」


 ショートさんと早乙女くんのディープな会話をよそに、ハワード号はゆっくりと、しかし着実に “首長竜” の体内を進んでいきます。

 

「開口部からの距離、まもなく200――進路、前方50で二股に別れる」


 五代くんが音響探知の画像を分析しながら、的確な報告をします。


「気管と食道か?」


喉頭蓋こうとうがいは開いてる。どちらにでも行けるぞ」


 喉頭蓋とは呑み込んだ食物が気管に入らないようにするための弁です。

 人間にもあり、上手く作動しないとせてしまいます。

 嚥下機能の一部であり、衰えた高齢者が誤嚥性肺炎で亡くなる痛ましいニュースをよく耳にします。


「瑞穂、月照、どう思う?」


 隼人くんが束の間逡巡の末、回復役ヒーラーのわたしと早乙女くんに意見を求めました。


「行き着くところは肺と胃ですが、どちらかを選択するには情報が不足しています。“水精ウンディーネ” がわたしたちに何を見せたいのか、わたしたちになにをしてほしいのかが分かれば良いのですが……」


「それなんだけどよ、やっぱりどっか悪いんじゃねえのか? 胃潰瘍とか肺癌とか、そういうのを治してほしいんだよ。そうじゃなきゃこんな手の込んだことするか?」


 ミクロにまで小さくなって、人間を体内から治療する――早乙女くんの頭からは、そんなSF的想像が離れないようです。


「確率的に言うなら胃でしょうか。喉頭蓋がない分だけ異物が入りやすいですから。ただ……」


「ただ……?」


「胃酸が怖いです」


 隼人くんが嘆息しました。


「ショート」


『おいらの身体は耐熱・耐衝撃・耐放射線の硬化テクタイトの四重装甲だ。胃の中も水で満ちてるんなら、大丈夫だろうぜ、ガァ』


「――よし、食道を進む」


 隼人くんは決断し、ハワード号は進路を右に取りました。

 さらに進むこと数分――視界が大きく開け、驚きの光景が広がりました。

 探照灯サーチライトに照らし出される歪な扁球へんきゅう形の広い空間に、ある者は息を呑み、ある者は驚嘆の呻き声を漏らしました。


 “首長竜” の胃袋です。

 

 胃酸のせいでしょうか?

 それとも消化の際に蠕動ぜんどうするためでしょうか?

 口内のような苔や藻、水草の類いは一切無く、ピンクの胃壁が満ちた湖水越しでも鮮やかです。

 その様子を端的に表するなら、グロテスク……の一言です。


「す、凄い光景ね。自分自身が胃カメラになった気分」


 冗談めかす田宮さんの声が引きつっています。

 ですがその冗句ジョークは言い得て妙でした。

 まさしくわたしたちはカプセル内視鏡になっていたのですから。

 そして内視鏡の役目は病変部がないか探すことです。


「異常がないか目視と音響で――」


 しかし隼人くんが最後まで指示を出す必要はありませんでした。

 三度、くだんの “水精” が現れ、胃壁の一部を指差したからです。

 そこには――。


「どうやら、あれを取り除いてほしかったようですね」


 “水精” が指し示したもの。

 それはピンク色の組織に突き刺さった、巨大なでした。

 胃酸で溶かされ、そこに胃の内容物がこびり付き、また溶かされる。

 そんなことを繰り返したのでしょうか。

 元の形状などまったく留めていない、長大な不定形のオブジェと化した


「鉄筋……でも呑み込んだのかしら?」


「でもそんなもの、誰が湖に捨てたの?」


 田宮さんの呟きに、困惑する安西さん。

 

「ど、どうすんだ? 誘導弾で吹っ飛ばすか?」


「それでは胃壁の内部にまで達している部分が除去できません」


 早乙女くんの案はさすがに乱暴すぎて、否定せざるを得ません。

 

「五代、異物の大きさは?」


「露出部は五メートル、直径は約一メートルだ。ただ音波が胃壁内まで浸透しない。どれくらい刺さっているかは不明だ」

 

「そうか――安西、マニピュレーター起動。異物を除去しろ」


「Aye,Captain. マニピュレーターを起動し、異物を除去します」


 決断した隼人くんの指示に、安西さんが復唱します。

 船首部から二本の作業用アームが伸びます。

 万能潜水艦を名乗るだけあって、ハワード号には水中探索に必要とされるあらゆる機材・装備が搭載されているのです。


「佐那子ちゃん、異物に正対して」


「Roger」


 田宮さんが船体を。

 安西さんがマニピュレーターを。

 親友同士の息の合ったコンビネーションで、ハワード号はスムーズな動きで異物を掴みました。


「最初は慎重に、ゆっくり、ゆっくりだぞ……刺激を与えたら目を覚ましちまうかもしれねえからな」


「うるさい、静かにしてて」


 ピシャリと早乙女くんを黙らせると安西さんは慎重な操作で、マニピュレーターで掴んだ異物を動揺させます。

 彼女の性格そのままに、本当に繊細な作業です。


「……」


 瞬きひとつせず、モニターの奧を見つめる安西さん。

 空調が適切な温度を保っているはずなのに、こめかみを汗が流れています。

 異物は最初、微動だにしませんでした。

 しかし安西さんは焦慮を抑えて、動揺を加え続けます。

 

 少しずつ、少しずつ。

 少しずつ、少しずつ。

 

 そして――


 …………………………グラッ。

 

 安西さんの忍耐の作業は、報われました。

 胃袋を満たす湖水に破砕片の粒子が舞い、異物がグラリと動いたのです。


「よし!」


 早乙女くんが思わず拳を握り、慌てて両手で口を押さえました。

 しかし安西さんは、まったく気づきません。

 呪文を詠唱で鍛えられた集中力を遺憾なく発揮し、作業に没頭しています。

 

 ………………グラッ………グラッ……グラッ、グラッ、


 異物から舞うの粉塵でカメラが遮られないように本当に少しずつ、ですが着実に、異物を抜いていく安西さん。

 実際の作業時間は、一五分程度だったと思います。

 ですが体感的には何時間にも感じました。


 ズボッ!


 その瞬間、破砕片の粉塵が大量に舞い上がり、深々と突き刺さっていた謎の異物がついに抜けたのです。


 ――やった!


 早乙女くんだけでなく今度こそ全員が拳を握り、心中で快哉を叫びました。

 しかし歓声がブリッジに響くより速く、船体を強い衝撃が襲ったのです!


「きゃっ!?」


「な、なんだ!?」


「状況確認!」


「どうやら、お目覚めみたいだぜ! ――目標の再動を確認!」


「ショート、脱出だ! 空間転移航法、目標座標――」


 隼人くんが叫び終わる前に、凄まじい水の暴力がハワード号を翻弄しました!

 誰もそれ以上言葉を発することができないまま、ただ必死にシートにしがみつき、

歯を食いしばることしかできません!



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★スピンオフ第二回配信・完結しました

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信・第二回~』

https://kakuyomu.jp/works/16817330665829292579

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出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

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