Edge of Town

 “街外れEdge of Town” という言葉は城塞都市に生きる大多数の住人にとって城外――すなわち外郭城壁の外側を意味する。

 南に広大な農地が遙かに続く水平線を望み、北に冬には厳しいおろしをもたらす峨々ががたる峻嶺しゅんれいが連なる。

 四道に街道がのび、大小の地主たちの農場が点在し、多くの小作人が働く。

 また城内に仕事を持ちながら住居を持てなかった人間が、城壁沿いに家屋を建てて暮らしてもいた。

 彼らは夜明けとともに起き出して巨大な外郭城門を潜り、それぞれの仕事場に赴く。

 日暮れまで汗を流してその日の糧を得ると疲れた足取り、あるいは千鳥足で、再び城門を潜って戻ってくる。

 人口過密という城塞都市の宿痾しゅくあを免れる代わりに、遠く一〇〇〇年の昔にドワーフの匠たちが築いた堅牢無比な防御機構の恩恵を受けらぬ世界。

 それが内外を問わず、城塞都市で生活する多くの人間にとっての “街外れ” だ。

 

 迷宮探索者は、違う。

 彼らにとっての “街外れ” は、城塞都市の中心にある。

 城塞都市 “リーンガミル” の中心に広がる旧内郭王城跡には、かつては “呪いの大穴” と呼ばれ、現在は “林檎の迷宮” と呼ばれる地下迷宮が存在している。

 迷宮がある場所こそ彼ら迷宮探索者無頼漢にとっての、“街外れEdge of Town” なのだ。


 その “街外れ” に一陣の風が吹いた。

 迷宮の入口を見張る屯所に掲げられた幾旒いくりゅうもの軍旗が、激しくはためく。

 屯所には常時一個中隊の精兵が詰めている。

 二〇年前の騒乱以降続けられてきた監視だったが、張本人である “僭称者役立たず” の復活と迷宮への帰還のあと警備は、一切の弛緩を許さない厳重極まるものとなっていた。

 それでも二〇〇人の精兵のうち、風の異常さに気づいた者は誰もいなかった。

 直後に閃光に視界を奪われて、兵士たちは事態の重要性にようやく気づいた。

 “転移テレポート” に伴う魔法風と閃光。

 何ものかが迷宮の入口に、再出現テレアウトしてきたのだ。


 閃光が治まるや『すわ、“僭称者” か!』と、兵士たちは色めき立った。

 誰もが穂先を入口に向け、緊迫した顔で槍衾やりぶすまを作る。

 だがそこに邪悪な老魔術師の姿はなかった。

 あったのは老醜の魔術師よりもさらに疲れ果てた、ボロボロの男の姿だった。

 男は全身が焼け焦げ、身にまとう漆黒の鎧までもがさらに黒ずんでいた。

 ただ大地に突き立て身体を支える長剣だけが、清冽な光を放っていた。

 男がくずおれた。

 膝が折れ、長剣から手が離れ、地面に両手を突く。

 兵士たちは、そのまま男が倒れ伏すと思った。

 生きているのが不思議なほどの負傷だ。

 倒れ伏し、失神するだろう――と。

 だがそこまでだった。

 男は四つん這いになりながらも、屈しなかった。

 苦痛と疲労に抗う男の拳が、地を打った。

 何度も、何度も、憤怒の籠もった拳が、堅く乾いた大地を打つ。

 振り上げた拳が止まり、細かく震える。

 男が顔を上げ、兵士たちを睨んだ。


「グレイ・アッシュロードだ……俺を女王マグダラの元へ連れていけ!」


◆◇◆


「ミストレス・バレンタイン!」


 駆け出したハンナの背中にオルソン・ハーグは叫び、自らも走った。

 オルソンは叙任されたばかりの若き王国騎士で女王マグダラの命により、ハンナ・バレンタインの護衛の任に就いている。

 そのハンナが、


『グレイ・アッシュロード帰還!』


 の一報を聞くや、手にしていた書類を放り出して走り出してしまったのである。

 年下ではあったがハンナは常に理知的で思慮深く、女性としての柔和な包容力があった。

 上官であるアッシュロードが迷宮の深層に消えたあとも、表面的には冷静さを保ち任務に尽くしていた。

 そんな強く聡明なハンナに、オルソンは護衛対象としての意識を超えた敬愛の念を抱いていたが、年相応の少女の顔に戻って駆け出した彼女に胸に鈍痛が走った。


「ハンナ!」


 オルソンはもう一度叫んだ。

 ハンナは止まらない。

 それでも歩幅に劣る彼女との距離は、すぐに縮まった。

 だが若き王国騎士の目には敬愛する才女の背中が、ますます遠ざかっていくように映った。

 

 ふたりがいた宿屋 “神竜亭” から “街外れ” までは指呼の間とされていたが、それでも数キロメートルの道のりがあった。

 ハンナは今でこそ探索者ギルドの受付嬢ではあるが、出自は大貴族の令嬢である。

 乗馬に剣術。貴族の務めてとして幼きころから心身の鍛練を積んできた。

 探索者の友人たちには及ぶべくもないが、若く壮健な身体と何よりもはやる心が、迷宮の入口まで一気に駆けさせた。


「アッ……」


 ――シュ! と呼ばわりかけて、ハンナの声は途切れた。

 屯所に引き立てられ槍衾やりぶすまに曝されるアッシュロードの姿に、駆け寄って抱きつくこともできずに立ち竦む。

 彼女はこれまでにも散々、傷ついたアッシュロードの姿を見てきた。

 傷ついたアッシュロードの帰還を迎えるのが、彼女の務めだった。

 しかし眼前の男の姿はこれまでに見てきたどれにも増して、酸鼻だった。

 アッシュロードの全身は半ば以上が炭化しており、穂先を向ける兵士をめつける両眼だけが白く浮き上がる様はまるで……幽鬼だった。


「時間がねえんだ! さっさと馬車を用意して、俺を王城へ運べ!」


「だからそれはできぬと言っている! 貴殿が “僭称者” の魅了チャームに掛かっていないと証明されぬ以上、王城はおろか、この陣から出すことはできぬ!」


!」


「わかっていただきたい、アッシュロード卿! 我らの任務はなによりも陛下の御身を守ることなのだ!」


 アッシュロードと屯所の指揮を執る中隊長の問答は、ハンナの金縛り ホールドを解いた。

 勃然と燃え上がった怒りが、彼女を怒号させる。


「何をしているのですか! そんなことよりも治療が先でしょう!」


 細枝をのけるように槍を払いながら、ハンナがアッシュロードに駆け寄る。 


「……ハンナ」


「馬鹿! 死んでしまうわよ!」


 少女から初めて、涙混じりの声が出た。


「早く、早く治療を!」


 ハンナが振り返り、兵士たちに向かって叫ぶ。


「駄目だ! 今はいい!」


「何を言ってるの!」


「今治療したら、いつ目覚めるかわからねえ!」


 血を吐くように怒鳴るアッシュロード。

 全身を貫く苦痛こそがかろうじて、男の意識をつなぎ止めていた。

 痛みが和らいだが最後意識を失い、次にいつ目覚めるか知れたものではない。


「それよりも王城だ! エルミナーゼについてマグダラに伝えることがある!」


 ハンナは再び絶句し、次いで唇を噛んだ。

 理性と自制心を残らず振り絞って、男を説得しようとする愛情を抑えつける。


「馬車を用意して! アッシュロード卿を王城に運ぶのです!」


「ミストレス……それはできないのです」


 中隊長は憐憫れんびんの籠もった眼差しを、ハンナに向けた。

 連れ去られた王女エルミナーゼが “僭称者” に魅了され、救出に赴いた冒険者に襲いかかった事実は、迷宮を監視する兵士たちにもつとに伝わっている。

 以降、迷宮から出てきた者は例えそれが冒険者であろうと、厳重に検査するように厳命が出されてもいた。

 ましてアッシュロードら義勇探索者は、女王に目通りが許された者たちである。

 どんな事情があろうと、安全を確認しないわけにはいかなかった。


「だったら早く確かめて!」


「今、高レベルの魔術師メイジがこちらに向かっております。もうしばらくご辛抱を」


 無論、警備中隊にも魔術師が配属されてはいた。

 だが深層心理にまで及ぶだろう “僭称者” の術を看破できるほどの者はいない。

 そういった高レベルの魔術師は他にも多くの重要な任務があり、迷宮の入口に常駐させておくわけにもいかないのだ。

    

「悠長な……!」


 ハンナは歯ぎしりをした。

 この高レベルの魔術師が屯所に常駐させられない問題は、迷宮に潜る探索者たちの大きな負担となっていた。

 探索で消耗し、生還したはいいものの屯所で長時間に渡って拘束されては、士気の低下が著しい。

 それでも事情が事情である。

 迷宮ですり減った忍耐を総動員して、怒鳴りつけたくなる衝動を抑えるしかない。

 しかしそれとて、時と場合による。


「……ハーグ卿、彼らを説得してください」


 押し殺した声が、ハンナから漏れた。


「……ミストレス」


「今は一刻、一秒でも早く、女王陛下に報告をあげるときです」


 オルソンには中隊長への命令権はない。

 中隊長は爵位を持たない叩き上げだが、騎士とはいえ指揮系統を別とするオルソンに従ういわれはなく、従えば軍としての統制上、凄まじい過誤となる。


「あなたに、わたしへの命令権はありません。卿」


 中隊長は息子のような年のオルソンに向き直った。

 実戦経験・人生経験・そして人望。

 あらゆる点で、オルソンよりも秀でている。


「わかっている。だからこれはお願いだ。中隊長、王城まで馬車を用立ててほしい」


 オルソンは自分が重大な軍規違反をしていることを理解していた。

 指揮系統の逸脱はいかなる国家の軍隊でも厳に戒められている行為であり、これが認められては軍の組織そのものが成立たない。


「頼む!」


 オルソンは深々と頭を下げた。

 これは重大な軍規違反だ。

 だがそれがなんだと言うのだ?

 ハンナは命を賭けている。

 アッシュロードが命を賭けているからだ。

 なら自分だって命を賭ける。

 賭けてやる。


 返答しだいでは抜剣しそうなオルソンの気迫に、中隊長は自分が追い込まれたことを悟った。 

 中隊長を苦境から救ったのは再び吹いた、一陣の風だった。

 視界を切り裂く閃光が治まったとき、そこには中隊長が――その場にいるすべての兵士が忠誠を捧げる存在があった。


 女王が “転移” してきたのである。



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