黄昏の邂逅

「…………空高ソラタカ……」


 アッシュロードの口から我知らず、その名が零れた。


 玉砂利と踏み石の敷かれた幅狭な通路の先。

 その日の命を惜しむように暮れなずむ夕日に照らされて、その男は立っていた。

 大時代風の壮麗な宮廷衣装を着た、壮年の男。

 衣装同様、白を基調とした外套マントが、赤く燃えている。


 男は波打つ豊かな黒髪の下から、厳しい眼差しを向けていた。

 年の頃はアッシュロードと同年代だろうか。

 若かりしころはさぞかし美男で、女性に持てはやされただろう。

 だが、かつては中性的だったと思われる容貌マスクには年齢以上の歳月が刻まれていて、ともすればアッシュロードよりも老熟して見えた。


 それは対照的なふたりの男の邂逅かいこうだった。


 ひとりは純白の豪奢な衣装に身を包んだ、偉丈夫。

 ひとりは擦り切れた黒衣をまとった、みすぼらしい男。


 偉丈夫は周囲を睥睨へいげいするように胸を張り、みすぼらしい男は人生に疲れたように猫背気味だった。


 もし対峙する男たちを見た人間がいたならば、ふたりのあまりの違いに憐憫れんびんの情を催しただろう。

 片や大貴族。

 片やうらぶれた冒険者風の男。

 同じ世界に生きながら、こうまで境遇に差があるのだから。

 そして次の瞬間、ふたりの姿がに映り、我が目を疑って瞬きをするのだ。

 それは黄昏時トワイライトが現出させた錯覚悪戯で、ふたりはやはり対照的な男たちだった。


(……ソラタカ? ……俺は今、ソラタカと言ったのか?)


 アッシュロードは油断なく男を見つめながら、自分が漏らした名を反芻した。

 しかし記憶の沼をさらってみても、その名が指先に触れることはない。

 そもそもこんな、一度でも会ったら忘れるはずがない。


 そうなのだ。

 男は手練れ。

 それも一切の隙の無い立ち姿から見て、明らかに熟練者マスタークラスに達した前衛職だった。

 こんな古強者を忘れるほど、アッシュロードはそこまで耄碌もうろくしてはいない。


下賎げせんの者にその名を口にされるのは不快なれども――ここは死者たちが眠る場所。不敬は問わぬが故、早々に立ち去るがよい」


 男の声は尊大ですらなかった。

 まるで巨大な氷塊をノミで荒削りに削り出したように冷たく硬く、ザラついていた。

 向けられた声の底に自分への敵愾てきがいを感じて、アッシュロードは戸惑い警戒した。

 敵愾に敵愾で答えれば、それは殺気に変わり、やがて殺意となる。

 互いに護身用の短剣ショートソード を帯びていた。

 魂が憩い安らぐ墓所で、訳もわからないまま抜き合いになるのは避けるべきだ。


 なによりはこの墓地は、アッシュロードにとっても厳粛な場所だった。

 意識の奥底で、自分でも理解できない悲痛が告げているのだ。

 ここは “あいつ” が眠る場所だ……と。


 白と黒の両極端の男たちは、互いに無言ですれ違った。

 アッシュロードには予感があった。

 この男とは、いずれ決着をつける時がくると。

 良い予感は当たらず悪い予感ばかりが当たるのが、アッシュロードの数少ない特技である。

 そうであるなら、この予感は現実のものになるだろう。


 墓地を離れるアッシュロードの視界の端に、男がくだんの墓標の前にぬかずき持参した花を供えている姿が映った。


◆◇◆


 猫の瞳は迷宮の闇を見通し、猫の鼻は死の臭いを嗅ぎつける。

 三角形の小さな耳はどんな些細な異音も聞き逃さず、六本の髭は微細な空気の揺れを察知する。

 斥候スカウトと してなら、猫人フェルミス忍者くノ一の右に出る者はいないだろう。


 一列縦隊の先頭を行くドーラ・ドラを見て、殿しんがりのジグリッド・スタンフィードは思った。

 レベル的にはまもなく肩を並べて、忍者以上に斥候に向いた盗賊シーフ でありながら、自分がまだまだドーラには及ばないことを、ジグは自然に理解していた。

 だからアッシュロードに代わってドーラがパーティに加わったとき、わだかまりを覚えることなく彼女に先頭を任せることができた。


 未踏破だった暗黒回廊ダークゾーンを調べ、今日で “林檎の迷宮” の第一層は完全に踏破する。

 その心積もりで、“フレンドシップ7” は迷宮を進んでいた。

 迷宮の真の闇では猫人の瞳も役に立たないが、まだ鼻と耳と髭がある。

 今日の目的を達するには、ドーラの能力を最大限に活用する必要があったのだ。


 やがてパーティの行く手に暗黒回廊の入り口、俗称 “漆黒の正方形” が現れた。

 全員が立ち止まった。

 突入に備えるためではない。

 正方形の奥から無数の唸り声が、漏れ響いたからだ。


「――散開ブレイク!」


 ドーラが叫んだ直後、暗黒回廊から八本もの炎が伸びた。

 暗闇からの竜息ブレスによる攻撃は、これまでにも経験があった。

 炎の舌フレイム・タンに舐められるよりも速く、六人の練達の探索者は飛び退っていた。

 そして誰もが驚愕していた。


“一階に竜息持ちが生息している!?”


 ――と。



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