生粋のワル
“神竜亭” の空気は沈殿していた。
昼間。
それも午前も早い時間の酒場は大概、昨晩の喧噪の反動で倦怠感に包まれている。
それが
元気な者は迷宮に潜っているし、そうでない者は娼婦の帰ったあとのベッドでいまだに眠りこけている。
階下に下りてきたとしても、二日酔いで
そして “涙の倉庫番” と揶揄される
だが今の “神竜亭” はそんな冒険者の宿の常態とは、違う意味で沈んでいた。
客がまったくいない。
二日酔いでゾンビ顔をしている探索者も、濁った目をした荷物番も、姿がない。
“
“呪いの大穴” は “林檎の迷宮” へと変容し、大幅に強化された魔物にそれまで迷宮に挑んでいたパーティの半数が還らず、半数が
運良く地上に戻れたにしても無傷の者は皆無に近く、重い傷や精神的なダメージを負って探索者を廃業する者が続出した。
迷宮探索を続ける者も、実入りは悪いが危険度の低い “
“神竜亭” は城塞都市の中心部に近く、郊外の迷宮に潜る拠点には適さないのだ。
「……なんか気が滅入っちゃうよね」
最高級の “豪華” な
少女―― “緋色の矢” の
「そう? 静かで読書がはかどるわ」
手元に置かれている香草茶の茶碗からは薄く湯気が昇っていて、知的なヴァルレハの美貌や仕草と合わさり、冒険者の酒場に不似合いな優美さを醸し出している。
もうひとりのメンバー
女神ニルダニスに帰依する者がほとんどのリーンガミルでは、彼女のように男神カドルトスに祈りを捧げる者は珍しい。
残るスカーレット、ゼブラ、エレンの女戦士たちは、陰気な酒場などごめんこうむるとばかりに、宿の裏庭で稽古に汗を流している。
「こういのは “静か” って言うんじゃないと思うけどなぁ……なんて言ったっけ? なんかもっとそれっぽいのがあった気がする」
「ガラガラの、スカスカの、閑古鳥が啼く、閑散とした、寂れた、廃れた、うらぶれた」
ヴァルレハがつらつらと、思いつくままに類語を上げる。
「~ご丁寧に韻まで踏んでくれてありがとう」
彼女たちの円卓は “
まさに閑散としている。
「こんなんじゃ、迷宮に潜ってる方がまだ気が晴れるよね」
「今日のわたしたちの仕事は、緊急時に備えてここで待機することよ。わたしたちがこうして
「グレイね。ヴァルレハって、ほんとあのオッサンに優しいよね。ヴァルレハだけでなく、ハンナやフェルや――」
そこまでいって、ミーナは口を閉ざした。
「彼はレットたちと上手くやれるかしら?」
ノエルが胸の前で組んでいた掌を解き、閉じていた目蓋を上げた。
現在 “悪” の
善悪の
まして灰と隣り合わせの迷宮では、容易に剣の柄に手を掛けた対立へと発展する。
これまでアッシュロードと “フレンドシップ7” は突発的事態に遭遇して臨時の
なによりかすがい役となる彼女がいないのだ。
ノエルが心配するのも無理はなかった。
「フェリリルとパーシャは以前にグレイと “
「なにより?」
「彼は生粋の “悪” よ。目的のためなら戒律を破るくらい屁とも思ってない」
ヴァルレハの言葉にミーナとノエルが、キョトンとした顔になる。
「え~と、それってつまり、根っからのワルであるおっさんは目的のためなら “善” な振る舞いだって平気にする……ってこと?」
「ええ」
目をぱちくりさせるふたりの仲間にうなずくと、ヴァルレハが続ける。
「グレイの目的はあの迷宮を踏破して、エルミナーゼ王女を助け出すこと。そして行方の知れないエバ・ライスライトたちを見つけ出すこと。そのために必要なら “善” のパーティに加わって
「で、でもそれって “悪” って言えるの?」
「あくまで自分の欲望・欲求に利己的に振る舞うのが “悪” の属性よ。そういった意味では、あのふたりこそまさに “悪” の
「「……」」
説得力のあるような、ないような説明に、押し黙るミーナとノエル。
先に納得したのは、ノエルだった。
「確かに彼の方から折れてくれるのなら、対立が起こることもないわね。大人だわ」
「つまり、なんかインチキされてるみたいに感じるわたしは、まだ子供ってこと?」
パーティ最年少。
一六才のミーナが、ふてくされて見せた。
「――そういえば、そのドーラの姿が見えないみたいだけど」
ひとしきり笑ったあと思い出したようにノエルが顔を上げ、“悪” の円卓が並んでいる一画を見た。
しなやかな肢体を持つ
万が一の場合、救出部隊を送るか否かの最終的な判断を下すのも彼女だ。
「彼女ならすぐに戻るといって、ボルザッグに行ってるわ」
「買い物?」
「いいえ、新しく入荷した商品を確認しにいったの」
◆◇◆
「――
「忍者にしちゃ、ずいぶんと妙な取り合わせだな」
「あたしが使うんじゃないよ。迷宮から還らない仲間の物かもしれないんでね、確かめたいのさ」
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次回、迷宮探索
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