クオックス
世界蛇 “
龍のひと吠えは凍てついた空気に瞬間的に伝播して、アッシュロードを襲った。
音速の
人の身では避けようも防ぎようもない。
不可視の破城鎚で真正面から打たれたようにアッシュロードは吹き飛ばされ、氷壁に叩きつけられた。
哀れな迷宮保険屋がバラバラにならなかったのは、ひとえに身につけていた鎧のお陰であった。
実質+4にも及ぶ魔法強化が施された漆黒の
だが、装甲に伝わった衝撃をすべて吸収するまでには至らない。
「……がはっ!」
氷の壁と熱烈な抱擁をしたアッシュロードの肺から、酸素を含んだ吸気が残らず吐き出された。
身体が四散しなかった代償に意識が遠のき、呆気なく
しかし運が悪いわりに悪運の持ち主であるアッシュロードを、暴走した “
まさしく破城鎚のような頭からの一撃で内壁を突き破ると、暴れ狂いながら大広間を飛び出していく。
「……待ち……やがれ……!」
アッシュロードは息も絶え絶え喘いだ。
意識の消失は一瞬だった。
しかし、もう世界などどうでもよいと思えるほど全身が痛み、
アッシュロードは全身の打撲に呻きながら、“
もっとも身体が動いたところで、また “
氷の壁際に、ぼろ切れのように倒れ込んだアッシュロード。
氷結した床を通じて “真龍” が自身の迷宮を破壊する振動が伝わってくる。
鼓膜が、破砕される回廊や玄室の悲鳴で乱打され続けた。
アッシュロードは無言で蒼氷の天井を見つめて、魔法の指輪が痛痒を癒し、呼吸を整えるのを待った。
どうにか動けるようになると、強引に上体を起こす。
「……ぐっっっ!!!」
途端に、これまでに倍する激痛が爪先から頭頂部までを貫く、
アッシュロードは左胸に右手を当て、癒やしの加護を嘆願した。
“
魔剣を杖代わりによろよろと立ち上がったアッシュロードの目に、“真龍” が破壊した内壁が飛び込んできた。
世界最大の龍が潜り抜けた巨大な穴。
いや穴というよりも、一
もはや魔剣の一本二本でどうこうなる相手ではない。
“真龍” は今や完全に “
それでもアッシュロードは、氷と瓦礫を乗り越えて進む。
策はない。
頭もサッパリ回転しない。
ただ本能のように “暴竜” を追う。
頭か心に何かがよぎったとき、馬鹿蛇の近くにいた方が可能性が高まるだろう――その程度の思いでしかない。
正直、世界の終わりを覚悟していた。
身体は暴竜が残したばかりの破壊の爪痕を辿りながら、暇になった頭で “真龍” や “妖獣” と交わした会話を思い出すように務める。
どこかに逆転のヒントがないかと願って。
しかし寒さと疲労と恐怖のせいで、記憶は酷く断片的だった。
わかっているのは、遊星に乗ってやってきた宇宙生物が、気候変動の力を持つデカい蛇に寄生して、この星から苦手な酸素を消し去ろうとしている……それだけだ。
絶望に侵されているにもかかわらず両足が動き続けるのは、それがグレイ・アッシュロードという男の本質だからだろう。
世界の終わりが来たとき、自室の片隅で膝を抱えているよりも、せめて世界が滅びる瞬間を目撃しようと歩き続ける。
良い悪いの話でもなければ、正しい正しくないの話でもない。
単にアッシュロードが、そういう男だというだけだ。
階層を構成する内壁は分厚く頑丈な煉瓦造りで、さらに魔法と氷で強化されていたが、どこも無残に破壊されていた。
“真龍” の物狂いは、風邪を引いた人体が高熱を出してウィルスと戦うのと同じだろう。
出来ることなら、このまま病原菌に打ち勝ってもらい……。
氷結迷宮を揺るがす振動と破壊音が、これ以上はないほどに近づいてきた。
眼前に拡がる
周辺の内壁を破壊し尽くした “暴竜” が、残された外壁に向かって強靱な頭をぶつけ、長大な尾を打ち付け、巨体を叩き付けている。
その惨劇を見た瞬間、アッシュロードの胸にこれまでに感じたことのない悲しみが湧いた。
世界が……苦しんでいる。
これまで自分を生かしてくれた、自分という存在を許してくれた世界が、耐えがたい苦痛にのた打ち回っている。
そして誰にも看取られずに逝こうとしている世界が、酷く不憫に思えた。
ひとりくらい……誰かひとりくらい、これまでの礼に死に逝く世界に殉じてやっても、罰は当たらないだろう。
世界はその役目を、アッシュロードに与えたのだ。
それは宇宙飛行士が青い地球を見て抱く限りない優しさと、同種の感情だったかもしれない。
「――クソ喰らえだ」
アッシュロードは冷然と言い放ち、踵を返した。
死にたければ勝手に死ね。
テメエの人生を他人の人生に乗っけるな。
「それだけ暴れる元気があるなら、もう少しは持つだろうよ」
“真龍” が “暴竜” でいられるうちに、打開策を捻り出す。
冷静でいられるうちは、悪巧みの
そしてそれこそが、なによりもグレイ・アッシュロードという男の本質だった。
が……。
格好が付いたのは、ほんの一瞬だった。
エバ・ライスライトがこの場にいたら、こう言っていただろう。
『アッシュロードさんの作画が崩壊した』
……と。
実際、アッシュロードの顔面は大きく歪んでいた。
なぜならいつの間にか無数の魔物が現れ、彼を―― “真龍” を取り囲んでいたからである。
どの魔物からも細い針管のような触手が飛び出し、ヒュンヒュンと鋭い風切り音を立ててうねっている。
“真龍” がアッシュロードを呼び寄せたように、“真龍” に寄生している “妖獣” たちもまた、氷の封印が解けたことで 迷宮の各所に散っていた仲間を呼び集めたのである。
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迷宮保険、初のスピンオフ
『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』
連載開始
エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。
本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m
https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757
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迷宮無頼漢たちの生命保険
プロローグを完全オーディオドラマ化
出演:小倉結衣 他
プロの声優による、迫真の迷宮探索譚
下記のチャンネルにて好評配信中。
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