細氷

 幻想的な光景だった。

 氷結した階層フロアを、キラキラと輝くダストが舞っていた。

 “焔柱ファイヤー・カラム” の炎によって解かされた氷が水蒸気となり、加護の効果が消えたあとに再び凍結して舞い散っていたのだ。

 極寒のため大気中に充満した水分が、気体から液体を経ずに固体化したための現象である。

 その細氷が “永光コンティニュアル・ライト”の光を反射して煌めいていたのだ。

 まるで金剛石ダイヤモンドを細く砕いて撒いたような美しい情景の中、凄惨な死闘が続いていた。


 目眩ましのほむらの柱が消え、再び獲物を探知できるようになったとき、“九岐大蛇ヒュドラ” の首は四本にまで減っていた。

 獲物の体温を感知する “九岐大蛇” にとって、極低温のこの階層は絶対有利の狩場であった。

 どんなに身体を縮こまらせて物陰に隠れようとも、蒼氷色の世界の中でその肌だけが赤く浮かび上がった。

 知能の高い獲物が持つ照明器具や、温石のような防寒道具も同様である。

 暖を取るために炎でも焚こうものなら、その “赤” は内壁を透してさえ見ることができた。

 それが――。


“おのれ!”

“おのれ!”

“おのれ!”

“おの――”


 ドチャッ!

 

 怒りに猛り狂っている間に、残された首が三本になった。


(……存外、手間取るな)


 六本目の首を切り落としたあと、アッシュロードは沈着に戦況を分析した。

 怒りで燃えさかっている大蛇おろちの脳漿とは対照的に、彼の頭骨の中身は氷のように冷静だった。

 に、戦いの高揚や恐怖さえ凍りついてしまっているのだ。

 そのアッシュロードの目は、激痛にうねる大蛇の首の切り口が、ブクブクと泡立っているのを捉えていた。


(……もう再生を始めてやがる。話に聞いた “単眼巨人サイクロプス” といい、この階層の魔物はまったく神話だ)


 それに比べて、こっちは一秒毎に体力を消耗していく。

 長期戦は願い下げである。

 帰路がすぐ見つかるとは限らず、加護はこれ以上使えない。

 それなら選択肢オプション はひとつである。


「――っっっ」


 アッシュロードは力強く踏み込み、深い紫水晶アメジスト色の鱗に向かって滅多やたらに剛剣を叩きつけた。

 後先考えない肉弾戦による短期決戦。

 寒がりにはそれしかない。

 

 “九岐大蛇” の苦痛の咆哮が、空中に舞い散るダイヤモンドダストを吹き飛ばす。

 九つ首の大蛇とて、爬虫類にしてはバカではない。

 急所である首を六本も切り落とされれば、おいそれと頭は下げられない。

 しかしこのままでは、無防備な胴体を滅多斬りにされてしまう。

 爬虫類にしてはバカではない “九岐大蛇” は残った三つの口を開いて、顔下で双剣を振り回している人間に向かって毒液を飛ばした。

 “九岐大蛇” は竜息ブレスは持たないが、毒蛇の類いがそうであるように離れた獲物に向かって毒液を飛ばすことができた。


 だが他の獲物には有効な麻痺パラライズ性の毒液は、“恒楯コンティニュアル・シールド” によって不可視の障壁で被膜されている探索者には効果を及ぼさない。

 最上層にまで登ってくる探索者を麻痺させるには、革鎧レザーアーマーと同程度の装甲値アーマークラスを牙で突き破って、直接麻痺毒を注ぎ込まなければならないのだ。


 大蛇は驚愕した。

 なぜこの獲物は麻痺パラライズしないのか。

 爬虫類の頭では守りの加護の存在が理解できない。

 理解できるのは、毒液を飛ばしても獲物が麻痺しない以上、あとは噛みつくしかないということだった。

 “九岐大蛇” は残る三本の首で、三方からアッシュロードに襲い掛かった。

 初手の攻撃よりも少ないが、他にしようもない。

 そして待ち構えていたアッシュロードの双剣によって、そのうちに二本までを切り落とされてしまった。

 せめて最後に残った首を守ろうと、“九岐大蛇” は高々と鎌首をもたげた。

 痛みと怒りと怖れの咆哮。

 遭遇時に比べて九分の一になってしまった、弱々しい咆哮。


「――おい、ひとつ忘れてるぞ」


 遙か眼下で、獲物がこちらを見上げて言った。


“何を?”


 最後の “九岐大蛇” が思ったとき、その一本が高々ともたげられたまま刎ねられた。

 巨大な蛇頭が玄室の天井付近から落下し、氷結した床と激突してぐちゃりと潰れる。

 続いて、地響きを立てて長大な胴体が横倒しになった。


「図体はデカくても所詮はワームだねぇ。獲物の数すら覚えてないんだから」


 こちらは軽やかに着地したドーラが、曲剣を鞘にもどしながら呆れた。


「怪我は?」


「ないよ」


 あっけらかんと答えるドーラに、アッシュロードがうなずく。


「完勝だね」


 神話から抜けだしてきた化物相手に、加護をひとつ消費しただけでほぼ無傷で勝利できたのだ。

 ドーラの言うとおり完勝だろう。

 ……これが通常の探索なら。

 顔には出さないまま、アッシュロードは胸の奥で嘆息した。


 “焔柱” は “大癒グレイト・キュア” と同位階の加護である。

 帰路がわからない探索で、この消耗は痛かった。

 まだ癒やしの加護は数を残しているし、“中癒ミドル・キュア” と同程度の回復効果のある “聖水ホーリーウォーター” もある。さらには “癒しの指輪リング オブ ヒーリング” さえも。

 不安に思うのは早いのだが、アッシュロードは元来が悲観的な男だ。

 だからこそ常に慎重で抜け目がなく、過酷な迷宮を二〇年にわたって生き抜いてこれた。

 本当ならこの程度の爬虫類は、加護を使わずに仕留めなければならなかったのだ。


「――ま、いざとなったら冠を使えばいいだけの話だよ。そんなに心配することもないさね」


 屈託なく笑う猫に、悲観的な男は今度こそ顔に出して嘆息した。

 二〇年も突き合ってれば、顔に出さない顔色を読むぐらい朝飯前らしい。


「次からはできるだけスルーで行く。ハマっちまったら例え加護が一〇〇回あっても足りなくなるからな」


 迷宮にはハマりがある。

 部屋の中に置き忘れた小物を何度探してもみつからないときがあるように、迷宮を迷い続けるのだ。

 他の探索者ならあっけなく見つけられるルートが見つけられずに、延々と彷徨い続ける。

 行動の死角。

 観察の死角。

 思考の死角。

 正確にマッピングしているつもりの地図にもそれが現れ、迷宮から抜け出せなくなるのだ。


 一転して真面目な顔で、ドーラがうなずく。

 古強者の迷宮探索者である猫人フェルミスには、相方の怖れている事態が理解できた。

 迷宮は人為的にハマりを招く悪意に満ちている。

 迷宮探索とはその悪意との戦いと言っても過言ではない。

 特にこんな極寒の階層では観察力も判断力も鈍り、容易にその悪意に呑み込まれるだろう。


「わかってるよ。次からは今度こそ聞き逃さない――」


 ドーラが激しく舌打ちした。


「言ってる側からこれだよ――アッシュ」


「ああ、俺にも聞こえてる」


 凍りついた床を叩く無数の跫音きょうおんが、急速に近づいてくる。

 しかも聞く者が聞けば、その足音が決して無秩序ではなく高度に訓練された集団のものだとわかるだろう。

 それは高い知性がある証左である。

 数と質と知性。

 状況にとっては、“九岐大蛇” などよりよほど脅威になる相手だ。


 やがて回廊の奥からその集団が姿を現した。

 月代を青々と剃りあげ、赤い鎧下のうえに黒鉄色くろがねの胴丸を着込んだ戦士の集団が、抜刀して突進してきた。



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