儀式
『ドーラ、これをお持ちなさい』
そういってマグダラ・リーンガミルは、ドーラ・ドラに肘上まである白いロンググローブに覆われた掌を差し出した。
場所は白を基調にした瀟洒ながらも華美ではない、女王マグダラの私室。
時間は現在を溯ること、二〇年の昔である。
『……これは』
女王の掌のきらめきを見て、彼女の庭であり草である
ドーラには、その小さなきらめきに見覚えがあった。
『ええ、彼が使った “転生の金貨” です』
『
『転生の力を秘めた
秘められた力を解放した者を、レベルをそのままに
伝承や古文書によりいくつかの種類が確認されているが、どれも失われて久しい品々である。
力を解放するすることで
どれも伝説に等しい魔道具であるが、時空を越えて召喚される地下迷宮の魔物たち――それも最深部に出現する強大な力を持つ個体が稀に所持していることがあり、実力と運を兼ね備えた冒険者なら手に入れられなくもない。
マグダラが差し出した “転生の金貨” もそんな冒険者たちの戦利品のひとつであり、力を解放したあとも形を留めたまま残る稀少な品だった。
『ですが気をつけてください。一度力を解放したあとの “転生の金貨” は、強い呪いの力を帯びます。今この金貨に秘められている力は、使用した者を死亡させる呪いです』
ドーラは戸惑った。
くノ一が忠誠を誓う主君から使用者を死亡させる呪い品を手渡されれば、何を命じられたかは明らかだ。
『違います。そうではありません』
信頼するお庭番の胸中を察したマグダラが、顔を左右にした。
『この先、万が一あの人が灰になってしまうようなことがあれば、これを使って死体に戻してあげてください』
マグダラは悲しげに目を伏せた。
『……これから先、出来ることならあの人には平穏な人生を歩んでほしい。でも、きっとそうはならないでしょう』
『生きるための金が必要なら、わたしがいつ何時でも用立てましょう。ご心痛は無用です』
『……そうではないのです、ドーラ。そうでは。記憶のあるなし、お金のあるなしに関係なく、きっとあの人はまた戦いの中に身を置くことになるでしょう。あの人は鞘を亡くしてしまった剣なのです。例え記憶を封じられたとしても、剣は剣であることをやめられないのです』
自身の魔力によって救国の英雄である “あの人” の記憶を封じ、自分の国から放逐した女王は、そういって苦衷を吐露した。
マグダラは顔を上げた。
『お願いします、ドーラ。あの人を――ミチユキを守ってあげてください。どうか、どうか』
くノ一の視線の先にいたのは、女王ではなく哀願する一九才の少女の姿だった。
そして現在。
“
地底湖湖岸の拠点中央に建てられた大天幕に、リーンガミル聖王国の
彼女はこの二〇年肌身離さず持ち歩いてきた主君より預かりし品を、いよいよ使う時がきたと思った。
対象はミチユキ……グレイ・アッシュロードではないが、トリニティ・レインは忠誠を誓う女王マグダラの従姉妹であり親友である。
そして、アッシュロードにとっても無二の盟友だ。
このままあの童顔の賢者に万一のことがあれば、アッシュロードの人生に大きな翳りが落ちる。
女王もお許しになるだろう。
ドーラは意気込んで迷宮に向かおうとする仲間たちを制した。
◆◇◆
「――ちょほいと待ちな。今からハクスラだなんて、そんな面倒をする必要はないよ。人を死体にする
………………。
……え?
ドーラさんの突然の言葉に、勢い込んで迷宮に向かう準備に取りかかろうとしていたわたしたちの動きが止まりました。
人を死体にする魔道具を持っている……?
「おい、ちょっと待て。なんでおめえがそんな
「そりゃ、話してないからねぇ――アッシュ、相棒だからって女のすべてを知ってると思うのは、男の思い上がりってもんだよ」
何とも意味深な切り返しに、ぐうの音も出ないアッシュロードさん。
長年の相棒を一蹴したドーラさんは、懐に手を忍ばせ何かを取り出しました。
皆に向かって差し出された掌に載っていたのは、金色のきらめき……一枚の金貨でした。
古代魔導帝国で流通していた迷宮金貨よりも二回りほど大きく、
「――昔、ある所にお人好しの
(……え? それって)
「そいつはもういない……ま、言ってみれば形見みたいなもんさね」
「君主になった? もしかしてそれは――」
「ああ、“転生の金貨” さ」
驚愕の表情を浮かべたヴァルレハさんに、ドーラさんがうなずきます。
そして知識のない人のために説明をしてくれました。
古代魔導帝国の遺物である、脅威の変身アイテムのことを。
「――とまぁ、とにかくこいつを使えば灰になったレインを死体まで戻すことができるって寸法さ。差し詰め、なんとかとハサミは使いようってところかね」
降って湧いたような幸運・僥倖に、ドーラさん以外の全員が呆気に取られていました。
「呆けてる暇はないよ。とっととあの童顔宰相を生き返らすんだ」
「あ、ああ、そのとおりだ。すぐにおっぱじめよう」
我に帰ったアッシュロードさんが指示を出します。
「儀式はトリニティの
「いえ、それはわたしが」
ヴァルレハさんが申し出ました。
「いや、しかし――」
「トリニティは女性なのよ、グレイ。わかるでしょ?」
またもやぐうの音も出ないアッシュロードさん。
灰から死体に戻れば、その姿はもちろん生まれたときのままです。
男性が立ち合ってよい儀式ではありません。
「……頼む」
間切りの広さもあり、蘇生の儀式に立ち合うのは魔道具を使うヴァルレハさんに、蘇生を行うノエルさん、補助としてわたしとフェルさん。そして一番身近な存在であるハンナさんが立ち合うことになりました。
「トリニティには……いろいろと借りっぱなしなんだ」
儀式に向かう女たちに、最後にアッシュロードさんはそれだけを伝えました。
灰の安置されているトリニティさんの間切りに入ると、ヴァルレハさんが他の皆を振り返りました。
「わたしが金貨の
わたしたちは緊張した面持ちで、入り口の垂れ幕ギリギリまで下がりました。
ヴァルレハさんは目だけでうなずき、自分はトリニティさんの前に進み出ます。
そして “転生の金貨” を、遺灰が納められている木箱の上に置きました。
力を解放すれば木箱は消滅してしまうので、遺灰を取り出す必要はありません。
灰の状態から蘇生に失敗すれば、身につけていた品は例えそれが強大な魔法の品であったとしても、魂と共にすべて
だから蘇生を試みる際には、装備品はすべて外し生まれたままの姿で行うのです。
状態を変化させる力は、それほど強いのです。
今回は灰から死へと逆のベクトルの変化ですが、強力なエネルギーが解放されることに違いはありません。
ヴァルレハさんは金貨に手をかざし、秘められた力を解放するための
それからすぐに、わたしたちの隣へと走り込みます。
ヴァルレハさんが振り返ったときには、金貨からは目を開けてはいられないまでの輝きが溢れだしていて、厚い布地で遮られた間切りを満たしていました。
(大丈夫! 大丈夫! この段階での成功率は一〇〇パーセントです! 何も心配する必要はありません!)
わたしは心の中で強く念じながら、光が治まるのを待ちました。
やがて金貨から放射されていた熱量が薄れていき、わたしたちは閉ざしていた目蓋を上げました。
眩い光は完全に治まっていて、代わりに木箱が置かれていた広い執務机には全裸のトリニティさんが横たわっていました。
「――トリニティさん!」
わたしは駆け寄り、返事がないことはわかっていましたが、それでも声を掛けずにはいられませんでした。
トリニティさんの肌には傷ひとつなく、まるで眠っているようです。
ですが、その肌は透きとおるほどに青白く、氷のように冷たかったのです。
「次はわたしの番ね」
それまで背負わされた責任の重さにどこか怯えた気配を漂わせていたノエルさんが、決然とうなずきました。
一塁ベースが空き、一度は失敗できるという余裕が生まれたのはもちろんでしょう。
ですがそれよりもなによりも、まるで運命で定まっていたかの如くここまでのお膳立てがなされたことに勇気づけられたようです。
「待ってください。その前にわたしにもお手伝いをさせてください」
わたしは “
「少しでも成功の可能性が高まるなら、試しておきたいのです」
うなずいて身を退いてくれたノエルさんに代わってトリニティさんの前に立つと、わたしは “
もちろん、死という
ですが蘇生は魂が肉体から離れた直後――すなわち死亡直後が一番成功率が高いのです。
祝詞の詠唱が終わり、女神への嘆願が聞き届けられると、トリニティさんの肌に赤味と体温が戻りました。
「お願いします、ノエルさん」
わたしはホッと額に浮いた汗を拭うと、今度こそノエルさんにすべてを託しました。
再びトリニティさんの前に立ったノエルさんはひざまずき、帰依する男神 “カドルトス” へ祈りを捧げました。
それは長い長い祝詞でした。
真剣な真剣な嘆願でした。
気力どころか命までも注ぎ込むように、ノエルさんは祝詞を紡ぎます。
囁くように始まった嘆願は、やがて大きなうねりのような祈りへと変わり。
寄せては帰す大波のような祈りは、男神の慈悲を願うハッキリとした詠唱に。
そうして最後に、ノエルさんは強く、強く、強く――強く念じたのでした。
すべての力を使い果たし、ノエルさんが倒れ込みます。
すぐにわたしが、フェルさんが、ヴァルレハさんが、ハンナさんが駆け寄って、その身体を抱え起こしました。
酷く消耗していて、肌という肌に珠の汗が浮かんでいます。
首筋に手を当て脈を測り、口元に掌をかざして呼吸の有無を確かめます。
どちらも乱れてはいますが、命に別状はないでしょう。
「――迷惑をかけてしまったようだな」
気を失ったノエルさんに意識を奪われていたわたしたちの頭上で、聞き知った声がしました。
ハッと顔をあげると、執務机の上で身体を起こしたトリニティさんがこちらを見下ろしていたのです。
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