鼓舞

「――熱チチチチチチチッッッッ! 違うっ! これ違うっ! 外れ、外れっ!」


 扉を開けた途端に吹き出してきた熱風に晒されて、パーシャが悲鳴を上げて転がり逃れました。

 他のメンバーも似たような有様で、這々ほうほうの体で扉の前から離れます。


「酷いよ、また髪が焦げちゃった……!」


 トレードマークともいえるブラウンの髪に手をやり、パーシャが涙ぐみました。

 元々癖っ毛だった髪が、ますます縮れてしまっていて、焦げ臭ささえ漂っています。

 “恒楯コンティニュアル・シールド” の加護がなければ、肌にも火膨れが出来ていたでしょう。

 “龍の文鎮岩山の迷宮” の第四層、北東区域エリア

 危険な “立て札地帯” の迂回路ショートカットと思われる “熱風の扉” は、依然としてわたしたちを拒んでいるようでした。


「これがキーアイテムパスポートではなかったのですね……」


 わたしは掌で仄暗く輝く “黒い水晶玉” に、視線を落としました。

 それは一時間ほど前、わたしたちが “石像の部屋” と呼ぶ玄室に巣くっていた、巨大な “悪魔の陶器像デルフト”を倒して入手した物でした。

 大人の掌よりも少し大きめの黒水晶の玉で、手にすればズッシリとした重さが伝わってきます。


「それじゃ、六層への縄梯子の通行証?」


 フェルさんが怪訝な顔で小首を捻りました。

 最上層である第六層へ登るにもキーアイテムが必要なことがわかっていて、わたしたちはそちらも探しているのです。


「わかりません。確かめるには梯子を登ってみるしか……」


 わたしはそういうと、“熱風の扉” のすぐ近くにある “立て札地帯” の扉を見ました。


「……そうね」


 小さく吐息を漏らすフェルさん。

 縄梯子が垂れている場所へ行くには、現時点では “立て札地帯” を抜けるしかありません。

 あの乱立する、魔物を呼び寄せる “立て札” の中を行くのは、どうにも気が重い作業です……。


「……一度戻って、スカーレットたちに頼もう。彼女たちなら “転移テレポート” の呪文がある」


「……良い考えです」


 声に疲労の滲むレットさんに、やはり疲れた声でうなずきます。

 撤収する中パーシャが立ち止まり、もう一度扉を振り返りました。


「……この扉の鍵、いったいどこにあるんだろ?」



 一陣の風が吹き、視界が閃光に染まりました。

 いつものように、腕をかざして顔を向け、目を閉ざします。

 “転移” の魔法特有の発光現象ですが、実際に飛ばされてくる人間に眩しさはありません。

 なぜなら、転移してくる人間こそが閃光の正体だからです。

 転移の対象者が感じるのは、光から実体に再構成される際に覚える、目眩に似たわずかな不快感だけです。

 閃光が治まると、“帰還の広場” にスカーレットさんら “緋色の矢” の皆さんが立っていました。


「どうだった!?」


 眩さから立ち直ると、パーシャが一目散に六人に駆け寄りました。

 スカーレットさんが顔を左右に振ります。


「駄目だ。縄梯子を登りきった途端に、ここにいた」


「えっ、それじゃ――」


「今の “転移” はわたしの呪文じゃないわ――これは縄梯子を登るためのキーアイテムじゃなかったみたい」


 ヴァルレハさんが黒い水晶玉―― “暗黒面の水晶クリスタル・オブ・ダークサイド” をわたしに返しながら、やはり顔を振ります。


 “暗黒面の水晶” ――トリニティさんの鑑定見立てによると、わたしたちが手に入れた黒水晶の球はそう呼ぶらしいです。

 しかしその効果・効能はまったく不明で、トリニティさんにも解りませんでした。

 おそらくは四層から六層に登るためのキーアイテムだろうと思い、スカーレットさんたちに確かめに行ってもらったのですが……否定されてしまいました。


「いったいぜんたい、どうなってるわけ? 必要なキーアイテムはふたつ。わたしたちが行ける “グッド”の階層フロアで、未踏破の区画は “熱風の扉” の奥だけ。その “熱風の扉” を潜るにはキーアイテムがいる――もしかして箱の中に箱の鍵があるわけ?」


 パーシャがお手上げ、といった表情でぼやきました。


「これはグレイたちの進捗を待つしかないみたいね」


 さりげなくあの人のファーストネームを呼ぶヴァルレハさんにモヤッとするところ極大ですが、言わんとすることは理解できます。

 “善” の階層で必要なアイテムが見つからない以上、あと考えられるのは、わたしたちの立ち入れない “イビル” の階層にそれらが隠されていることです。

 現時点で、アッシュロードさんたちが未踏破の区画は二箇所。

 天使たちに率いられた “十字軍クルセイダーズ” の神殿と、魔族の関与が示唆されている “邪僧” たちが立て籠もっている神殿です。

 この危険極まる正邪ふたつの神殿を調べるために、アッシュロードさんは現在絶賛の真っ最中なわけですが、効果が出るまでにはもうしばらく時間が掛かりそうです。


 つまりわたしたちの探索は今、まったくの手詰まり状態……なのでした。

 失望からの虚脱。

 みんなの士気が一気に低下したのがわかります。


「――皆さん! 一七年前に “穏やかな会話ソフトーク” によって初めて “紫衣の魔女アンドリーナ”が討伐されたのは、探索が始まってから二年後だったのですよ!

 翻ってわたしたちがこの “龍の文鎮岩山の迷宮” の探索を始めてから、まだふた月と経っていません! それなのにわたしたちはすでに最上層の一歩手前まできているのです!

 これは順調そのものといっても言い過ぎではではないでしょう!

 むしろ、これを機に一度今回の探索を振り返り、身体を休め、気魂を充実させ、装備を整え、来たるべき探索再開に備えるべきです! 戦士の休息です!」


 わたしはグッと握り拳をつくって鼓舞しました。

 士気を低下させるわけにはいきません。

 張り詰め過ぎるのもいけませんが、倦んで弛緩してしまうのもまた同じくらいによくありません。

 わたしを除くその場にいた全員がキョトンとし、すぐにその表情が微苦笑に変わりました。


「確かに、焦る必要はないな」


「そうですとも! わたしはいい機会なので、探索以外の仕事を一気に進めてしまいたいと考えています!」


 気を取り直した様子のレットさんに、わたしは力強く宣言します。


「探索以外の仕事?」


「それはもちろん――」



「迷宮カフェ “湖畔亭” に――お帰りなさいませ、ご主人さま!」



 ――です!



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