太公望と鶏鍋⑤

「……へ? ひとつ目?」


 ひとつ目ということは、ふたつ目があるのですか?

 あるのですよね……それは当然。

 わたしの不安は、突然浮かんだ別の不安によって上書きされてしまったのです。


「え、ええと、交渉の目処が立ったのですよね? あとは交渉して、彼らを協力させるだけの消化試合ですよね? これ以上、何が問題なのですか?」


 嫌な予感がプンプンなので、わざと簡単な表現で和らげます……。

 あまりにも効果がなくて、泣きたくなります……。


「確かに “テンプル騎士団” が俺たちの考えてるとおりの連中なら、利益を説けばこっちに転ぶかもしれねえ。こっちには燃料の他にも、塩やワインがあるからな。どれも奴らにしてみれば喉から手が出るほど欲しい品だろう」


 アッシュロードさんは、チラリと足元の萎んだ革袋に目をやりました。

 ああ、そうか。

 だからアッシュロードさんは、あんなにもワインを欲しがっていたのですね。

 もちろん本人が飲みたかったのもあるでしょうが(この人はお酒を飲んだ方が頭がよくなるらしいのです。アルコールの効能で脳味噌の血行がよくなるのでしょう……多分)、“十字軍クルセイダーズ” にとってワインは単にお酒であるだけでなく、宗教的にも重要な意味を持つ品なのです。

 日本の神道が日本酒と深い関係があるように、キリスト教とワインもまた密接な関わりがあるのです。


「それでは……何が問題なのですか?」


「しっかりしろ、ライスライト。目的と手段を混同すんな」


 言われてハッとしました。

 確かに、わたしたちの目的は彼らと交渉すること自体ではないのです。

 わたしたちの目的は――。


「連中との交渉に成功したとする。俺たちは奴らに燃料や塩やワインを提供して、多少時間は掛かるだろうが、奴らもが良くなって士気も高まった」


「高まった……っ!」


 思わず力が入ってしまいます!

 高まって――それでどうなりましたか!?


「当然、進軍ラッパが吹き鳴らされて邪教徒の神殿に向かうことになる」


「向かうことになった……っ!」


 思わず力が入ってしまいます!

 向かうことになって――それでどうなりましたか!?


「当然、悪魔崇拝者たちの神殿の前で一大攻城戦が勃発することになる」


「一大攻城戦が勃発することになった……っ!」


 思わず力が入ってしまいます!

 一大攻城戦が勃発して――それでどうなりましたか!?


「そして」


「そして……っ!?」


「攻城側が負けて、状況は何も変わらねえ」


「…………へっ?」


「勝てねえんだよ、“十字軍” は。あの程度の戦力じゃ、“邪神の神殿” は落とせねえんだ」


 殿モードのわたしに、アッシュロードさんは苦虫を噛み潰したような顔でぼやきました。


「地図を思い出してみろ」


「ち、地図ですか、地図、地図」


 お、落ち着きなさい、わたし。

 これではまるで、最初に迷宮に潜ったときのようではありませんか。

 第五層の地図は報告会のときに見せてもらっていますし、その後パーシャが模写したものをレットさんたちとじっくり見て、意見の交換もしています。

 なので、アッシュロードさんの言っている “邪神の神殿” 付近の構造も、地図の上ではわかります。

 そうして、ようやくアッシュロードさんの言わんとしていることがわかった……ような気がしました。


「東西に一×三区画ブロックの玄室の先に、神殿の正門がある――そんな場所に大軍で攻め込んでも……」


「理解したみてえだな。そのとおりだ。あんな狭苦しい場所じゃ、部隊の展開ができねえ。戦えるのは、精々最前列の半個分隊六人程度だ。

 最前列が殺り合ってる間に、後ろから “呪死デス” が雨あられと飛んでくる。

 “攻城側” も加護は願えるが、“守備側” みてえに “呪死” は使えねえ。

 全体の九割以上が遊軍になって、大軍の利を活かせずバタバタ死んでいくだろうな――典型的な各個撃破だ」


 吐き捨てるようにいうアッシュロードさんに、わたしはポツリと呟きました。


「…… “ウォール”」


「……あ?」


「“火の七日間” の際に、あなたが “紫衣の魔女アンドリーナの迷宮” に築いたという一夜城……わたしは籠城戦には参加していませんが、その一夜城を連想しました」


「籠城か……まさにそれだな。引き籠もりの坊主どもにピッタリだ」


「引き籠もり?」


「ああ、“十字軍” は我が物顔で階層フロア中をのし歩いてるが、“邪僧” の方は奴らの神域に近づかない限り大門から出て来ねえ。神殿に引き籠もって一心不乱に自分たちのに祈りでも捧げてるんだろうよ」


「それではどちらが “グッド”で、どちらが “イビル” かわかりませんね……悪魔崇拝者である “邪神の神殿” の僧侶たちの方が、よほど純粋な信仰を持っているように思えます」


 ……まったくだ。


 と、うなずくアッシュロードさんに、わたしは続けました。


「―― “決戦は勝つことよりも、持ち込むことの方が一〇〇倍難しい”」


「なに?」


「わたしの言葉ではありません。お父さんの受け売りです」


 懐かしさと、気恥ずかしさ。そして少しの誇らしさ。

 わたしの大好きなお父さんの言葉です。


 勝敗をするいとは自軍が勝てる状況に持ち込んで行うものです。

 逆に敵軍にしてみれば、自分が負ける戦いに応じる必要はありません。

 本来なら成立しないこの戦いを実現させるのは、戦いに勝つよりもはるかに難しいのです。

 “十字軍” が数の利を活かせる場所で決戦を行いたくても、“邪僧” の側が神殿から出てこない限り、戦いは起き得ないのです。


「至言だな……おめえの親父さんってのは何者なにもんなんだ? とても堅気かたぎの人間には思えねえぞ」


 わたしは笑ってその質問には答えず、代わってこう答えました。


「お父さんはこうも言っていました。政治家と軍略家、双方の資質を持った政戦両略に長けた名将だけが、自軍に有利な条件・状況で決戦を生起できるのだと。そういう天才がなかなか現れないから、戦争はいつまでもだらだらと続くのだと」


 わたしは、ふてくされたように黙り込んでしまったアッシュロードさんを見つめました。


 この人は本来、“帷幄にあって勝利を千里の外に決する人” ――。


 これはハンナさんがトリニティさんから聞いた言葉だそうです。

 今回の旅の途中で話してくれました。

 わたしもそう思います。

 この人なら、きっと “良い悪巧み” を思いつくでしょう。

 これまでと同じように……。


「ワインを持ってきますね……今のあなたには必要でしょうから」


 足元に置かれた革袋は、とっくに空になっているはずです。


「――あ」


 立ち上がり振り返ったわたしの目に、その光景は飛び込んできました。


「見てください、アッシュロードさん。わたしたちの “街” が、あんなに奇麗に賑やかになっていますよ」


 湖岸から見る拠点は、あちこちに篝火が焚かれ “永光コンティニュアル・ライト” が灯された一大都邑とゆうとなって、迷宮の闇に浮かび上がっていました。

 そこには陰鬱さや悲壮さは感じられず、代わりに困難に立ち向かう確かな活気と熱量が見て取れました。


「ああ、だな」


 アッシュロードさんはチラッと顔を上げて何気なく答えると、すぐまた自分の世界に戻ってしまいました。

 わたしは瞑目めいもくして、大波のように広がる万感の思いを受け止めました。

 やがて、目を開けて微笑みます。


「ええ、そうですよ。わたしたちの “新しい迷宮街” です。わたしたちが育てた、今も育て続けている」


 アッシュロードさんは沈思の海に潜ってしまっていて、気づきません。

 でも……今はそれでいいのだと思っています。


「ワイン、取ってきますね」


 わたしはもう一度伝えると、活気と喧噪に満ちた “街” に戻りました。


(……いつの日か、きっと……)


 空になった革袋と、その思いを胸に。


◆◇◆


 数日後、“十字軍” の拠点である神殿の入り口に、黒衣の男が立っていた。

 南北に三つ並んだ一番南の扉を見上げると、大音声を張り上げる。


「――話がある! 指揮官と話がしたい!」



--------------------------------------------------------------------

迷宮保険、初のスピンオフ

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』

連載開始

エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。

本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

--------------------------------------------------------------------

迷宮無頼漢たちの生命保険

プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る