太公望と鶏鍋③
「……
「神を信仰する集団と悪魔崇拝者ですからね」
「ああ、これ以上ない水と油だ」
アッシュロードさんはお肉をすべて食べ終えたあとも空になったスープ鉢を手放さず、もてあそんでいます。
「当然こいつらは小競り合いを繰り返してるわけだが、誰にとってもまったく意味がねえ戦だ」
わたしはうなずきます。
それはそうでしょう。
そんな、例えるなら
「いえ――むしろ、天使側の方が先に弱体化してしまうかもしれません」
唇に人差し指を当てて考え込む仕草をすると、わたしは慎重に答えました。
「その根拠は?」
「アッシュロードさんとドーラさんが尋問した
「そのとおりだ。よく気づいたな」
「えへへ、これでもわたしはあなたの一番弟子でもあるのですよ」
ふたりで初めて迷宮に潜ったときのことを思い出します。
あの時は、本当にいろいろなことを教わりました。
羊皮紙に描かれた地図を見ながら、必死にこの人からの質問の答えを探したものです。
「それじゃ一歩進めて、俺たちが手を組むとするならどっちだ?」
「それはもちろん、天使側です」
わたしは即答しました。
「理由は?」
「わたしたちの目的は、ふたつの勢力を共倒れさせて漁夫の利を得ることです。それには弱い方に味方をして、まずは強い方と互角に戦ってもらわなければなりません。また弱い方――天使側の物資不足は深刻です。海賊を掃滅したので悪魔側の物資も不足しているはずですが、最初から補給部隊を持っていなかった天使側の方がより深刻でしょう」
「つまり?」
「弱みにつけ込めます」
ニヤリと笑ったわたしに、アッシュロードさんは、
「露骨すぎるな、その表現は」
と苦笑しました。
「では、有利な立場で取引を持ちかけられる、と言い直しましょう」
「それで軍師ライスライトとしては、何を材料に取引を持ちかける?」
「それは
打てば響くように答えたわたしに、アッシュロードさんが再び苦笑してうなずきました。
どうやらわたしは、この人の考えていたことを正確にトレース出来ていたようです。
「そのとおりだ。食料はなんとか自足できてるみてえだが、見た限り燃料は払底しかけてる。あの様子じゃ。餓死する前に早晩凍え死ぬ」
「それでは、燃料を提供を条件に天使側の協力を取りつけるのですね?」
そういってから、わたしはハタと気づきました。
はて?
こう言っては何ですが、アッシュロードさんが上手く導いてくれたとはいえ、わたしでも思い至るような方策に、当のこの人が何日も頭を悩ますでしょうか?
いえ、そんなことは絶対にありません。
「どうした?」
「なんだか、落とし穴の予感がします」
わたしは小首を捻りました。
何かを見落としています。
おそらくその見落としが、“悪巧みの天才” アッシュロードさんをして、ここまで消耗させている原因なのです。
わたしはアッシュロードさんやドーラさんから聞いた報告を、全て思い出そうとしました。
ですが……。
どうやら、ここが現時点でのわたしの限界のようです。
いくらふたりの話を思い出してみても、アッシュロードさんがこれほど頭を悩ませている問題が見当たりません。
アッシュロードさんが問題を隠しているなんてことは有り得ません。
目の前にハッキリと見えているのに、わたしがそれと気づかないだけなのです。
「天使側に交渉を持ちかけられない理由ですよね……」
天使側に交渉を……天使側に……天使側……天使……天使……天……。
「――ああっ!」
その時になって、ようやくわたしはアッシュロードさんの前に立ち塞がっている問題の正体に気づきました!
これでは取引を持ちかけるどころの話ではありません!
「気がついたみてえだな……そうだ。天使は人間の心を読む。こっちの考えてることなんざ、その気になればみんな見透かさちまうのさ」
確かに難問です、これは……。
「……お鍋を洗ってきます」
わたしは空になった鉄鍋を手に立ち上がりました。
煮汁まで奇麗になくなっています。
いつもなら飛び上がるほど嬉しいのですが、今回限っていえばその喜びも遠くに感じます。
「……
「……はい」
アッシュロードさんが釣り糸を垂れていた場所は海水域なので、数
塩の岩塊が岸辺のそこかしこから顔を出していますが、幸いなことに淡水域に溶け出すようなことはありません。
(……このお塩も、もしかしたら取引材料になるのですよね。それなのに)
わたしはやるせない気持ちで水打ち際にしゃがみ込むと、お鍋を洗いました。
そして奇麗になると、そのままお水を汲んでアッシュロードさんの所に戻ります。
アッシュロードさんは何をするでもなく、わたしが鉄鍋を洗いに出たときと同じ格好で、ぽつねんと座っていました。
わたしは黙って足元にお鍋を置くと、近くに転がっている手頃な大きさの石を集めて、アッシュロードさんの前に簡単な
そしてその中に背嚢に入れて持ってきた件の乾燥燃料を入れると、火口石で火を着け、お鍋を置き直します。
やがて鉄鍋を満たす水の表面にフツフツと気泡が現れ出し、湯気が昇り始めました。
「食後のコーヒーとは行きませんが、熱い白湯を飲めば気持ちも落ち着いて、良い考えも浮かぶかもしれません」
この
ですが東方の砂漠の国々でのみ採れる稀少な品で、“獅子の泉亭” のような、いわゆる冒険者の酒場で注文できるような飲み物ではありませんでした。
わたしは
「……すまねえ」
わたしもご相伴に与り、熱い白湯をふたりでフーフーしながら啜りました。
「……」
「……」
「……」
「……」
乾燥した海藻がパチパチと爆ぜる音だけが、周囲に響いています。
アッシュロードさんもわたしも黙り込んだまま、お互いに “悪巧み” の答えを探していました。
しばらくして……。
「……必ずしも、天使の上手を行く必要はないのではないでしょうか?」
「……どういう意味だ?」
「言葉どおりです。嘘を吐いて騙すのではなく、正直に洗いざらい白状して、その上で交渉するのです」
わたしは沸騰するお鍋から顔を上げて、アッシュロードさんを見ました。
そして紅潮させた顔で続けます。
「これなら、天使が心を読んできても見破られる心配はありませんよ! だって嘘は言っていないのですから!」
「いや、しかし……」
さすがのアッシュロードさんも、すぐには言葉を返せません。
完全に意識の範囲外の、予想の斜め上を行く考えだったのかもしれません。
「つまり、『俺たちは “
「そうです、そうです! 彼らを傭兵として雇うのです!」
「……」
アッシュロードさんは鼻で笑い飛ばすわけでもなく、逆に黙り込んでしまいました。
その姿を見て、わたしからも一時の興奮が去って行きます。
代わって、徐々に湧き起こってくる不安……。
(や、やっぱり、よくよく考えると無茶ですよね、無茶ぶりですよね。交渉に行く人は命がいくつあっても足りませんよね。だって相手は……なのですから)
「ア、アッシュロードさん、やっぱり今のは無しで――」
わたしは夜中に妙なテンションでSNSに書き込んでしまい、翌朝になって激しく後悔するというのは、きっとこういう気持ちなのだろうと思いました。
あわあわするわたしに気づかないのか、アッシュロードさんはただ黙然と難しい顔を浮かべています。
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