後方兵站②
・
「こ、これが葡萄……?」
拠点最北にある作業場(兼 資源保管庫)のそれを見上げて、アンが顔を引きつらせました。
「はい、これが葡萄です」
イヒヒヒッ、驚いていますね? 驚いていますね?
ナイスリアクションです、アン。
まさしく、その顔が見たかったのです。
アンが見上げて絶句してしまったそれは、周囲に同じように積み上げられている、もはや見慣れた “
似てはいますが、非なるもの。
“動き回る
“動き回る海藻” と同様、迷宮に充満する魔素を吸って魔物と化した魔法生命体――魔導植物なのですが、そもそもなぜヴァイン(蔓草・葡萄の意)が迷宮内に植生していたのか。
(まさかポトルさん……大好きなワインをこれで造っていたわけではありませんよね? 時間を閉ざす前に処分し忘れて、魔物になってしまったとかありませんよね?)
“動き回る海藻” が水辺に潜み、獲物が近づいてきたら動き出して水中に引き摺り込むのに対し、“動き回る蔓草” はさらに狡猾・悪辣で、たわわに実った葡萄の甘い香りで獲物を惹き寄せ、長いツルで絡め取り “
実際あの “大長征” の終盤、お腹を空かせたパーシャがこの匂いに釣られてしまい、危うくくくられるところでした。
出現数も最大で八×四
経験値も低く、本来なら呪文で一網打尽にしてしまうのがベストなのですが……。
「ほら見てください、アン! この大きな実を! これぞまさしく “グレープフルーツ” です!」
わたしは “動き回る蔓草” から垂れ下がっている、人間の上半身ほどもある房をホクホク顔で指差しました。
思わず “上手いこと” を口走ってしまうほどの粒の大きさで、一見すると大味のようにも見えますが、口に含んでみればその瑞々しさと糖度の高さに驚かされること請け合いです。
「迷宮で追いまわされた時から思っていたのです。後で絶対に持って帰って食べてやろうと」
「……ね、念願が叶いましたね」
アンが巨大な葡萄の実を見上げたまま呟きました。
スケールの大きさに圧倒されているようです。
無理もありません。
「ただ……大きいことは良いことなのですが、ここまで大きいと “
“
“
「ですから “緋色の矢” の皆さんに、遭遇した場合は極力呪文で消さず燃やさず持ち帰ってくれるよう、頼んでおいたのです」
「――まったく、大層な手間だったぞ」
その時タイミングよく “緋色の矢” の皆さんが現れました。
スカーレットさん、ゼブラさん、エレンさんです。
今日はヴァルレハさんとミーナさんが、アッシュロードさんやドーラさんと一緒に “聖水” を汲みに行っていて、僧侶のノエルさんも救護所に詰めているので三人だけです。
「本来なら “
「ほんと、カドモフから斧を借りていくべきだったわよね」
「……」
スカーレットさんが苦笑し、エレンさんが微笑み、ゼブラさんがムッツリと積み上げられた “蔓草” を見上げます。
「あはは……今回は大変お世話になりました」
「ま、こんなに美味しい
エレンさんがそういうと、大粒の乾し葡萄を
「――うん、最高!」
はしゃぐエレンさん。
いつの時代でも、どんな世界でも、女の人は甘い物に目がないのです。
「これ、作り方は “薪” と一緒なのですか?」
「ええ。“海藻” と一緒に、呪文と加護で
ようやくいつもの表情に戻って訊ねたアンに、わたしはニッコリ頷きます。
「お腹を壊す人がいないか何人かで試食して様子を見ていたのですが、問題がないようなので、輜重隊の
「きっと喜びます。甘い物は久しぶりなので」
「いざというときの保存食にもする予定なので、毎日というわけにはいかないでしょうけど」
でも、きっとエルフ族に伝わる伝説の口糧 “レンバス” や “クィスパ” にも劣らない、すごい保存食になるはずです。
「他にも種を集めて、
幸い輜重隊が飲み尽くして空になったワインの空き樽を大量に保管しているので、造ろうと思えばすぐにでも取り掛かれるのですが……。
いかんせん完成まで時間が掛かるので、それならすぐに口にできる乾し葡萄やオイルその他の食用品にするのがよいのではないか――というのが、食料を含む物資の配給全般を受け持つ輜重隊の主計長さんの意見なのです。
ワインもワインビネガーも完成には何ヶ月、場合によっては何年もかかる発酵食品です。
さすがにそんな長期間、この迷宮にいる前提で計画は立てられません。
………………いえ。
もしかしたら、その前提で計画を立案した方がよいのかも……。
それが本来あるべき “兵站計画” なのかも……。
「
「「「……ゴクリッ」」」
エレンさんの呟きにわたしは我に返り、唾を飲み込みました。
わたしだけでなく、アン、スカーレットさんもです。
コ、コカトリスの揚げ物……フライドチキン。
スパイスをどうするかは、この際置いておいて……。
ただ焼いて岩塩を振りかけただけでも、あれほど美味だったのです。
最高級の名古屋コーチンすら、足元にも及ばないお味だったのです。
そのフライドチキンともなれば、それはいったいどれほどの……。
「……悪くない」
ゼブラさんが、初めて聞く声でニヤリと呟きました。
「じ、実現を目指して、がんばりましょう!」
わたしは拳を握りしめました。
食道楽、大いに結構毛だらけ猫灰だらけです。
こんな時だからこそ、楽しみが――娯楽が必要なのです。
ああ……それにしても、コカトリスのフライドチキン……。
それは……それはいったいどれほどの……。
どれほどの……。
・
・
・
「急いで、急いで!」
「配給だから、なくなったりしないわよ」
「それでも急いで!」
「どうしたの?」
「あのね、あのね、聖女様がす~ごく甘い乾し葡萄を作ってくれたんですって! それが今夜の配給でもらえるの!」
「すごく甘い乾し葡萄!?」
「それもす~ごく大きくて、握った掌ぐらいあるんだって!」
きゃーっ!
拠点のあちこちで上がる、若い娘たちの歓声。
女たちが明るく輝いている社会は健全で活力に充ちている――と、ある少女は言った。
だが少女は、その女たち――ひいては社会の中心に自分がなりつつあることを知らない。
本人の気づかぬところで、“黒髪の聖女伝説” は静かに、だが着実に息づき始めていた。
◆◇◆
「――バレンタイン中尉、報告を」
「はい。各近衛小隊の働き、および探索者パーティ “緋色の矢” “フレンドシップ7” そしてアッシュロード、ドラ両閣下の尽力により、食料・燃料・
「兵站はなったか――よろしい、ならば探索の再開だ」
対策本部の天幕に、トリニティ・レインの凛とした声が響いた。
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