工匠神計画

「尾籠な話で恐縮だが……」


 ドーラさんにうながされ、クソ真面目な顔で続けるトリニティさん。


「排泄問題――トイレだ」


 これまでで一番重苦しい沈黙が垂れ込めました。

 それは……確かに問題です。


 ですが、中には思わず吹き出してしまった人もいます。

 探索者の出身ではない、若い近衛騎士の人です。


「笑い事ではないぞ。一〇〇〇人からの人間がいるのだ。処置を誤れば、あっというまに疫病が蔓延する。陣中にいる聖職者は限られている。卿も状態ステータスで、魔物と戦いたくはあるまい?」


 トリニティさんにたしなめられ、その近衛騎士が顔を赤らめて『もうしわけありません』と謝罪しました。


「実際、野外活動に不慣れな女官や侍女たちの中に、排泄をこらえたために体調を崩す者が現れ始めている。我々がこの迷宮に閉じ込められてすでに三日目。そろそろ我慢の限界だろう」


 迷宮での、その……おトイレの問題は、探索者にとっても切実な問題です。

 特にわたしたちのような、男女の混成パーティでは尚更です。

 危険なので “お花を摘み” に行くときに単独はありえません。

 パーシャやフェルさんに着いてきてもらうのですが、たとえ同性でも恥ずかしいことこの上ありません。

 壁際に行き、ふたりには耳を塞いで後ろを向いていてもらうのですが、音はともかく……臭いまでは……なので、こればかりは慣れるものではないのです。

 パーシャやフェルさんにしても、同じ思いでしょう。


 唯一の慰めは、迷宮には “バブリースライム” という掃除屋さんがいるので、わたしたち探索者が残していったものを奇麗にしてくれることでしょう。

 経験値も低く、天井から行きなり落ちてきて人をさせる厄介なモンスターですが、迷宮に最低限の衛生を保つという点では大いに役に立っているのです。


「確かに。わたしのいた世界でも、大きな災害が起こるとまず問題になるのが食料と飲料水の確保。ついで寝る場所。そしてトイレの確保です」


 わたしが転移者であることはすでに周知の事実なので、はばかることなく述べます。

 近年いくつかの大きな自然災害に見舞われた日本では、どの自治体も大きな災害に備えて避難所や食料・飲料水・毛布、そして簡易トイレの確保や備蓄が当然の責務として行われています。

 世界は違えど、そこに暮らしている人間は同じです。

 それならば、持ちあがる問題も同じはずです。

 とはいえ日本とアカシニアでは文明の進み具合もまた違うので、解決法まで同じとはいえず……。


「その簡易トイレとやらが、我々にもあればよかったのだがな」


 苦笑するトリニティさんに、わたしが申しわけなさげな表情をしたときでした。

 天幕に本来ならこの場にいるべきなのに姿が見えなかった人が、ズカズカと入ってきました。

 大山の新雪のような、真っ白な髪と髭とゲジゲジ眉毛。

 諸肌を脱いだ筋骨隆々の短躯。

 種族特有の気難しそうな表情で、居並ぶわたしたちをジロリと一瞥します。


「まっていたよ、ボッシュ。どれかは知らないが、取りあえず問題のひとつは解決してくれたのだろう?」


 トリニティさんが見事としかいいようのない言辞で、ボッシュさんを迎えました。


「……取りあえず、女どものを用意した」


「まさしく “偉大なるボッシュボッシュ・ザ・グレート” だ。今は何より、その言葉こそ待っていたのだよ!」


 快哉を叫ぶ、トリニティさん。


「……見せよう」


 質実剛健。

 実にドワーフらしい必要最低限の言葉だけ残して、ボッシュさんが踵を返しました。

 訪問団の首脳陣が、慌ててその後を追います。

 もちろん、わたしたち探索者もです。

 ボッシュさんが向かったのは、拠点中央にある本部の天幕から少し離れた場所でした。


「ここは確か……」


「ああ、安眠妨害の出所だな」


 呟いたわたしに、アッシュロードさんが頷きます。

 そうです。

 昨日の朝、ボッシュさんが自慢のつるはしで、ガキン! ゴキン! と岩盤を砕いていた場所です。

 しかし、そこにあったのは地面に穿たれた穴ではなく――。


「あれって、箱馬車の箱の部分ですか?」


「……うむ」


「つまり……ボッシュさんは岩盤に穴を掘って、その上にを被せて、トイレを作ってくれたと……」


「……防音完備。中から鍵もかかる。女どもの雪隠の覆いには最適だ」


「「「「「「「「「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」」」」」」」」


 唖然。

 呆然。

 愕然。

 慄然。


 あ、あのトレバーン陛下の御座馬車だった馬車を分解した挙げ句、よりにもよってトイレに……。

 これぞまさしく、”全身これ肝”

 老いてますます盛んな “老黄忠” に、“趙子竜” の肝っ玉を足したような人です……この人。


「……あの男がこの程度で機嫌を損ねるものか。むしろ大笑いするわ。上帝は合理主義の権化じゃぞ。この程度の知恵が回らないようでは、逆にこっちの頚が危ういわ」


「で、でも、ボッシュのじっちゃん。じっちゃんがいくら大きな穴を掘ってくれたとしても、いずれ、その、ほら……で、溢れちゃわない? 出す方には際限がないわけだしさ」


 恐る恐る訊ねたのは、パーシャです。

 確かにそのとおりです。

 比率から見たら少ないとは言っても、訪問団には一〇〇人近い女性が加わっています。

 トレバーン陛下は性別に関係なく、有能な人材ならどしどし登用、適材適所な人事を行う方なので、外交官に秘書に騎士に従士に女官に侍女――どの身分、役職にもまんべんなく就いています。

 無尽蔵のスタミナと自慢のマトック(なんと全ミスリル製で、武器として振るえば+5相当の魔法強化がなされた最終兵器リーサルウェポンです!)で、一昼夜掘り抜いた大穴だとしても、早晩一杯になってしまうのは目に見えているでしょう。


「い、一杯になってしまったら、埋めてまた新しい穴を掘るのですか?」


 幸いにして覆いは移動できるみたいですし……。


「……そんな面倒なことはせん」


 そういって、ボッシュさんは腰に吊り下げている大きな皮袋サックに手を突っ込みました。


「「「ひっ!!?」」」


 わたし、フェルさん、パーシャの三人が異口同音に悲鳴を上げました。

 ボッシュさんが袋の中から引き出してきたのは、なんと……。


「…… “大ナメクジジャイアント・スラッグ” の幼生だ。こいつを何匹か放り込んでおけばの必要はない」


 唖然。

 呆然。

 愕然。

 慄然。


「……こいつは光を嫌う性質がある。箱の中に “永光コンティニュアル・ライト” を点しておけば、尻に喰い付かれる心配はない」


「で、でも、それってすぐに大きくなっちゃうんじゃ!?」


「……その時は、おまえさんが “焔爆フレイム・ボム” なりで焼けばよかろう。代わりはその辺にいくらでもいる」


 唖然。

 呆然。

 愕然。

 慄然。


「……それにナメクジは陸生の貝だ。いざというときに備えたにもなる」


「「「「「「「「「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」」」」」」」」


 も、もはや、言葉もありません……。


「……嫌なら、やめてもいいんじゃぞ?」


 他に選択の余地がないのは、選択とはいいませんよ、ボッシュさん……。



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