信頼
「運が良かったな、おまえ。左半身だったら心臓が石になってて即死だったぞ」
アッシュロードは腰の剣帯に手挟んでいた
剛毅なドワーフの少年戦士は、今も自由になるにもかかわらず左目を閉じなかった。
ジッと、自分の人生に二度目の幕を下ろす男の姿を見つめていた。
そう、カドモフにとって、これは二度目の経験なのだ。
一度目は、あの “トモダチ” の部屋を出た直後に、“みすぼらしい男” たちによってもたらされた。
不意を突かれて、抵抗する間もなく彼は打ち倒された。
誇り高い若きドワーフにとってそれは屈辱以外の何物でもなく、なによりその原因が自分の油断だったことが許せなかった。
未熟な自分への怒り。
この怒りが、同様に命を落としたエルフの少女が苦しんだ死の後遺症から、カドモフを救った。
あの時――カドモフは、ほんの一瞬目を閉じてしまったのだ。
蛮刀が振り下ろされる刹那、思わず目を閉じてしまったのだ。
盾をかざすことも、剣で受け流すこともせず、ただただ目を閉じてしまった。
そして次の瞬間、若きドワーフの頸動脈は深々と断ち切られていた。
だからカドモフは、今度は目を閉じるつもりはなかった。
意識を失うその時まで、目を見開きすべてを網膜に焼き付ける気だった。
迷宮保険屋は、別にその瞳に見つめられたから手を止めたわけではなかった。
ただ自分を見つめる瞳が、なんともつぶらだったので、ふと “コワモテの愛玩犬” が思い浮かんでしまったのだ。
保険屋の頭に、現在彼の所有物である少女なら “ブルドッグ” と答えるだろう犬の顔が浮かんだのは、一秒にも満たない時間だった。
その一秒が、保険屋とドワーフの運命を変えた。
「――ちょほいと考えたんだけどね。灰になったそのドワーフを袋詰めするのと、筋力種族上限の前衛二人が引きずって走るのと、どっちがここから出るのに時間がかかるかねぇ?」
アッシュロードは
「判断の分かれるところだな。なにせドワーフの灰は大量だ。もしかしたら、
カドモフの首筋から刃を外し、アッシュロードは立ち上がって背後を見た。
「火葬の加護じゃ、蘇生は期待薄だからねぇ」
ニヤニヤと枝の上から
「ロープを!」
「背嚢の中だ!」
アッシュロードとドーラの動作が、一気に加速する。
ドーラがアッシュロードのバックパックに飛びつき、中からロープを引きずり出してカドモフに括り付ける。
アッシュロードが嘆願できる蘇生の加護は、第五位階の “祈命” だけだ。
この加護は最上位である第七位階の蘇生の加護 “魂還” よりも成功率が低く、しばしば対象者を “灰” にすることから、“火葬の加護” と揶揄され、忌み嫌われている。
この加護が嘆願されるのはよほど切羽詰まったときだけで、これを願うくらいならその前に同位階の “
蘇生に失敗すれば対象者は同容量の灰となってしまい、空にした背嚢に詰めるだけでも大仕事だ。
仮に蘇生に成功したとしても、生き返った直後は
そんな暇があるなら、筋力MAXの前衛ふたりが引きずった方が、時間的にも精神的にもよほど余裕があるというものだ。
「――要塞が吹き飛ぶまでは!?」
「一五分ってところだな! 誤差ありで!」
「充分さね!」
打てれば響くような、ドーラの返答。
相変わらず、この
アッシュロードは腰の雑嚢から最後の透明化の水薬を取り出すと、素早く封を切りコルク栓を抜く。
「ひとり分を三人で分ける。効果は短い。咄嗟の意思の疎通が難儀だから、“静寂” はかけない」
頷くドーラを最後まで見届けずに、迷宮保険屋は三人の身体に水薬を振りかけた。
小瓶の中身の聖水に封じられていた “
一七年にわたって迷宮で保険屋家業を続けてきたふたりである。
似たような作業は何度もしてきた。
これが初めてではない。
呼吸はわかっている。
“静寂” の加護を施していないため、カドモフの石化した右半身や、生身の左半身を覆う鎧の装甲が遠慮会釈のない騒音を響かせた。
本来なら合せて “静寂” の加護も使うべきだったが、三人で分けた “光学透過の水薬” の方がずっと早く効果が切れる。
効果が切れたときに言葉による意思疎通ができず、祝詞も唱えられないのは、致命的とは言わないまでも大いに不利だ。
それならば騒音に驚いて飛び出してきた海賊どもを斬り倒しながら進む方を、アッシュロードは選択した。
しかし、海賊たちは姿を現さなかった。
彼らにとって幸運だったことに、この時近くにいた海賊たちは “
結果的に、別行動を採った仲間が陽動の役目を果たしてくれていたのである。
扉をひとつ潜ると、まっすぐ西に伸びる通路の二
さらに西に一区画先の突き当たりも扉だ。
「西の扉を越えて真っ直ぐ進んで、もうひとつ扉を越えたら今度は北に向かえば城門だよ!」
走りながらドーラが言った。
早くも、うっすらとだが姿が見え始めている。
「ギリギリだ! 急がねえと、城門が閉じられる!」
「ライスライトたちかい!?」
「ああ、一時間しても俺とカドモフが戻らないときは、城門を加護で固めるように言ってある!」
「呆れたね! あの娘が、あんたが出てこないのにそんな真似すると思ってるのかい!?」
不意に、ドーラが立ち止まった。
水薬の効果はますます失われ、半ば透けた身体が視認できるまでになっていた。
「どうした!?」
「アッシュ、あんたあの娘を信じてるかい?」
「あ!? なんだ、藪から棒に!」
アッシュロードは相棒を睨み付けた。
今は立ち話をしてるときじゃねえぞ!
「どうなんだい?」
「今は、そんなことを話してる場合じゃねえだろ!」
「そんなことを話してる場合なんだよ」
水薬の効果が完全に切れ、ドーラが姿を現した。
結局、無駄に使っただけに終わってしまった。
「あんたが城門を目指すのは、あの娘を信頼してるからかい? それともしてないからかい?」
ドーラが沈着を通り越した、冷徹な声で続ける。
「時間はギリギリだよ。もしかしたら城門に辿り着く前に、火薬庫に火が着いちまうかもしれない。でも運良く間に合って辿り着いたときに、城門は開いてるのかね? それとも閉じてるのかね?」
「……仮に城門が閉じられているとしたら、俺たちはここでお終めえだ」
ドーラが何を言いたいのか理解できず、アッシュロードは不機嫌な顔を浮かべるしかなかった。
「九分九厘――いや九割九分、そのとおりだろうね」
「……残りの一分は?」
「今わかってるのは、ここが迷宮 “龍の文鎮”の第一層だってことさ」
やはり、相当な焦燥感に駆られていたのだろう。
そこまで言われて、ようやくアッシュロードの頭蓋骨の内側に閃光が走った。
「つまり、どこかに第二層への梯子か階段があるってことか」
「然り、然りのご明察!」
パンッと愉快そうに、掌を打つドーラ。
「それを登っちまえば、火薬庫に火が回ったとしても助かるかもしれないね」
「……」
「あたしはあんたたちを見つけるまで、首領の部屋の先を除くこの要塞のほぼすべてを調べてきた。二階への梯子は見つからなかった。もし梯子があるとすれば北の扉を抜けた、首領の部屋の先しかない」
「だが、俺たちだってこの
「そうさ。だからこれは賭けさ。だけど城門が閉じられているのにお間抜けにそっち向かえば、その賭けをする時間もなくなっちまうのさね」
そしてドーラが左右の手で、西と北の扉を指差す。
「――アッシュ、あんたがあの娘を信頼しているとして、それはどっち向きの信頼だい?」
城門を閉ざして絶対に “妖獣” を要塞から出さないという信頼か。
それとも、何があっても自分たちが戻るまでは城門を閉ざさないという信頼か。
「西か、それとも北か――さあ、どっちだい?」
ニヤニヤと枝の上から少女に笑いかける猫のような表情を浮かべて、ドーラがアッシュロードに訊ねた。
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迷宮保険、初のスピンオフ
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