グロテスク

 ビクッビクッビクッビクッビクッビクッビクッ!!!


 と、それまでピクリともしなかった首無し死体が、いきなり激しく痙攣しはじめました!

 わたしは、そしてアッシュロードさんも、ギョッとしてお互いを強く抱き締めます!


 死体は切り飛ばされた首の傷口から、まるでようにめくれ返り、

骨を、脈打つ臓物を、真っ赤な血肉を剥き出しにして


「――うっ!!」


 わたしは歯を食いしばって、込み上げてきた嘔吐感に耐えました。


「吐くなら吐いちまってもかまわねえぞ……コイツにはがある」


 アッシュロードさんが抱き締めていたわたしを、そろりそろりと背中に回しながら引きつった声で言いました。


「うっぷ……鎧……汚しちゃいますよ?」


「この際、目をつぶってやる……」


 あのへそ曲がりのアッシュロードさんをしてそこまで譲歩させるほど、目の前の “物体THE THING” はグロテスク……いえ、そんな言葉ではとても表現しきれないほど、悪夢じみた姿をしていたのです。


「いったい、こいつはなんなんだ?」


 わたしを背後にかばうと、アッシュロードさんの口から再び困惑が漏れました。

 それでも自由になった左手が、鞘から短剣を引き抜いているのはさすがです。


「わ、わかりません。“認知アイデンティファイ” の効果はまだ続いているはずなのですが……」


「つまり、“怪物百科モンスターズ・マニュアル” に載ってない、完全な新種ってことか」


 “認知” の加護は、その名前のとおり施された者の知覚・認識力を高めます。

 具体的には、暗闇で一瞬見ただけの存在の正体を、自分の知識と照らし合わせて正確に見極めます。

 だからわたしたち探索者は、訓練場で “怪物百科” を暗唱できるほど読み込まされ、訓練が終わりギルドに登録されたあとも、折を見て読み返すことを半ば習慣としているのです。

 しかし元々知識のない――先人たちが遭遇していない、百科辞典に記されていない怪物には、当然その効果はなく……。


「こ、こんなにインパクトのある魔物です。一度でも遭遇した探索者がいるなら報告されていると思いますし、そうでなくても口の端に上るくらいは……」


「“新種” 発見って、ギルドから褒美とか出るんだっけかな?」


「き、きっと出ると思います」


 軽口を叩き合ってないと正気を保てない……そんな怖れが、わたしたちを支配していました。


 グジュッ……ジュブッ……ズリュ……。


 胸の悪くなる水っぽくも粘着質な音を立てて、“物体” が近づいてきます。

 と、いきなりそのヌメヌメした血肉剥き出しの皮膚から、がギョロリと浮かび上がって、わたしたちを見ました。

 さらにひとつ、ふたつ。

 首領ハイ・コルセアだった頃とは真逆で、瞳がやたらと大きな目玉です。


「……ひっ!」


 ヒュッ、ヒュンッ!


 わたしが怯え、小さく悲鳴をあげたのを見逃さず、“物体” からあの針のような触手が伸びて襲い掛かってきました。


 ひゅっ!


 耳障りな風切り音に呼応するかのように、迎え撃つアッシュロードさんの口からも鋭い呼気が漏れました。

 左右の手に握る大小の剣が煌めき、クロスボウの矢よりも速く伸びてきた触手を切り落とします。


 ダンッ!


 さらにアッシュロードさんは強く踏み込み、返す刀で “物体” に一太刀を浴びせました。

 凶悪な切れ味を誇る “悪の曲剣イビル・サーバー” が、正体不明の怪物を深々と切り裂きます。


 ブシュウウーーッ!


 袈裟懸けに深い斬撃を受けた “物体” が、大量の体液を噴き出して身悶えました。


「ア、アッシュロードさん、あまり体液をまき散らすのは」


 能力から体組織から、何から何まで不明な怪物です。

 体液に有毒な物質が含まれていないとは言い切れません。

 むしろそう思って戦わなければならない相手なのです。


「そうだな。だが、あの軟体質スライミーな身体だ。打撃系の武器鈍器じゃ――おい、見ろ!」


 アッシュロードさんが、話の途中で叫びました。

 黒色の鎧の陰から、怖々とのぞき込むと……。

 たった今アッシュロードさんに切り裂かれた “物体" の傷口が、シュウシュウと白煙を上げながら泡立ち、見る間に塞がっていきます。


「さ、再生してる!?」


「ああ、これはもう回復ヒーリングなんて生易しいもんじゃねぇ……こいつはまさしく再生リジェネーションだ」


 この要塞に辿り着く前に、わたしたちのパーティはやはり回復能力を持つ “大ナメクジジャイアント・スラッグ” と遭遇して退治しました。

 “大ナメクジ” は1ターンに5HPほどの強力な回復能力を持っていましたが、眼前で泡立つ “物体” の回復力は、ナメクジの倍――つまり1ターンに10HPはありそうです。

 斬れない。

 でも殴っても効果ダメージは望めない――。


 それなら!


「――試してみます!」


 わたしはアッシュロードさんの背中から踏み出すと、朗々と祝詞を唱えました。


「慈母なる女神 “ニルダニス” よ、道を違えし迷い子に、慈悲なる罰をお与えください―― “慈罰インフリクト・ヘビィ・ウーンズ” !」


 祝詞を唱え上げると同時に、わたしは右手を “物体” に向けて突き出しました。

 途端に見えない電流に打たれたように、不定形の怪物のグロテスクな身体がブルブルと震えます。


 聖職者系第五位階に属する、“慈罰” の加護です。

 対象の生命力ヒットポイントを奪う “与傷” 系の最上位の加護ですが、同系列の特徴として単体の目標にしか効果がなく、また同位階に最上位の癒やしの加護である “大癒グレイト・キュア” があるため、まず使われません。

 さらに中規模集団グループに同程度のダメージを与える “焔柱ファイヤー・カラム” の加護までが同位階に存在するので、よほどの事情がない限り嘆願はしない加護です。

 ですが、単体で傷を与えられない魔物が相手なら、今がその “よほど” の時です!


「効果あり――です!」


「いいぞ! 厳父たる男神 “カドルトス” よ、道を違えし愚かな子に、厳しき罰をお与えください―― “厳罰インフリクト・ヘビィ・ウーンズ” !」


 アッシュロードさんが間髪入れず、男神流の祝詞で同様の加護を願います。


 ブルッ、ブルブルブルブルッ!


「やった!」


「まだだ!」


 叫ぶなり、アッシュロードさんがわたしの腰をひっつかんで、そのまま横に飛び退きました。

 さらに数を増やした針のような触手が、それまでわたしがいた空間を串刺しにします。


「このまま回避に専念してください!」


「ああ!? おまえはどうするんだ!?」


「もちろん、加護を願い続けます!」


「本気か!?」


「舌を噛まないように、祈っててください!」


「上等だ! 派手に踊ってやらぁ!」


「慈母なる女神 “ニルダ――きゃんっ!」


「言ってる側から、いきなり噛むな!」


「か、かみまみた」


 涙目で痛みにこらえつつ、それでもめげずにもう一度祝詞を唱え直します!

 アッシュロードさんは片刃のサーベルを掌で反転させて、その棟で次々に襲い掛かってる触手を撃ち払いながら、二〇メートル四方の部屋を文字どおり踊るように逃げ回りました。


「慈母なる女神 “ニルダニス” よ、道を違えし迷い子に、慈悲なる罰をお与えください―― “慈罰” !」


 踊り狂うアッシュロードさんの小脇に抱えられながら、わたしも狂ったように祝詞を唱え続けます!

 あまりの動きの激しさに、三回に二回は唱え間違えて願いは聞き届けられませんでしたが、それでもめげてる余裕なんてありません!

 加護が尽きるのが先か、わたしがで悶絶してしまうのが先か、あるいは四十路に近いアッシュロードさんがバテるのが先か――それとも “物体” の強靱な生命力を削りきるのが先か。


 ガチンコです!


 結論から言うと、この勝負はわたしたちが押し切りました。

 それから三回、アッシュロードさんと合せて都合五回、“慈罰” の加護を与えて、ようやく “物体” は動きを止めました。

 逃げ回るのをやめて、慎重に距離をとるアッシュロードさん。

 わたしは脇に抱えられたまま、動かなくなった “物体” の観察を続けます。

 一〇秒……二〇秒……三〇秒……一分……二分……。

 “物体” は沈黙したまま、ピクリとも動きません。


 やがて、


 ――ドサッ!


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ――に、二度とやらねえぞ、こんな戦い! 金輪際ごめんだ! ぜぇ、ぜぇ!」


「はぁ、はぁ、はぁ――あ、愛ある限り戦いましょう! はぁ、はぁ!」


「お、俺に向かって、愛を語るな! ぜぇ、ぜぇ!」


「い、嫌だ! 語る! はぁ、はぁ!」


 ふたりして豪華な絨毯の上に大の字になって、言葉のドッジボール。

 立ち上がる気力が、まるで残っていません。

 やがて四十路が近いくせに、アッシュロードさんがわたしより早く息を整え終えて立ち上がりました。


(な、生意気な……)


 よく考えたら、アッシュロードさんは “癒しの指輪リング オブ ヒーリング” を嵌めているので、わたしよりも早く回復して当然なのです。


(な、なんかズルいです)


 若さだけしかこの人に勝るものないわたしとしては、なんとなく面白くです。

 そんなわたしの不服そうな表情と不遜な思いが伝わったのでしょうか?

 アッシュロードさんが未だ立ち上がれないわたしの髪に手を伸ばして、ピンッと一本引き抜きました。


「痛っ! な、何をするのですか!」


 お、女の子の髪を引き抜くなんて、この悪魔! 外道! レイバーロード!

 アッシュロードさんはわたしの非難の声など聞く耳持たずに、慎重に動きの止まった “物体” に近づきました。

 そして鞘絡みの長剣の先で二度三度と突いて、反応を見ます。


「ほ、本当に死んでいるのですか?」


 わたしはどうにか身体を起こして、怖々と訊ねました。


「ああ、死んでる」


 よかった……。


「見ろ」


 ホッと胸を撫で下ろしたわたしに、アッシュロードさんの低く鋭い声が飛びました。


「え?」


 アッシュロードさんはわたしから引き抜いた髪を、床にできた “物体” の

に浸していました。

 まったく容赦のない人です。

 女の子の髪ですよ? 普通そんなこと――。


「――あ」


 胸に浮かんだ不満も文句も、その光景を見た瞬間吹き飛びました。

 体液に浸したわたしの黒い髪の毛が、見る間に灰色に変っていったのです。

 そしてアッシュロードさんが少し振っただけで、パラパラと崩れさってしまいました。


「な、なんなのです?」


石化ストーンだ」


「石化!?」


「おまえの勘が当たってたな……あのまま剣で切り刻んでいたら、いや接近して戦っていたら、俺もおまえも生きたまま彫像スタチューになってたところだ」


「……」


 戦いに勝利し弛緩していたわたしの身心に、この日何度目かの戦慄が走りました。

 強い再生能力と、石化能力。

 そして他の生物を――人間を取り込み、記憶ごと乗っ取る同化能力。


「本当に、なんだってんだ……」


「……おそらく、この “物体 が今回の事件の鍵だと思います」


 わたしたちリーンガミル親善訪問団が、なぜこの迷宮に召喚されたのか。

 迷宮支配者ダンジョンマスターの “真龍ラージ・ブレス” は、何を思ってわたしたちを連れてきたのか。

 鍵は、この “物体” が握っている――。

 なんの根拠もありません。

 ですが、わたしにはそう思えてならないのです。

 アッシュロードさんはわたしの言葉に同意も反論もせず、ただもう一度側に来て手を伸ばしてくれました。


「とにかく今は脱出だ。おまえの仲間たちをみつけて――」


 ――バンッ!


「召しませ! ホビット自慢の石頭、ここにあり!」


 ドゴッ!


 わたしが差し出された手を取って立ち上がろうとしたとき、勢いよく部屋の扉が開いて、勢いよく小柄な人影が突っ込んできて、勢いよく頭から絶妙の角度でアッシュロードさんの……その……あの……股……に突っ込んでいきました。

 ひっくり返って、悶絶するアッシュロードさん。


 なんというか……これは酷い。



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連載開始

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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

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出演:小倉結衣 他

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https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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