合流

 冥く、冥く、冥い。

 深く、深く、深い。

 

 覗き込む者を見つめ返す “深淵” に沈み込んでいくように、わたしは闇の中を降りていきます。

 降下するにつれて乾いた埃っぽい荒れ地の空気が、湿ったかびこけの迷宮の臭いに変わっていきます。

 クレーンフックが取りけつられた腰のベルトに体重が掛かりますが、トリニティさんから頂いた “眩い鎖帷子シャイニングチェイン” がお腹への圧迫を防いでくれているので、苦しくはありません。

 聖職者は本来、身分を示すために防具の上に僧衣をまとう習わしがあるのですが、今は身に付けていません。

 そのお陰で、魔法の鎖帷子が放つ輝きがわたしの周りを淡く照らしています。


(……でも、これでは逆に格好の的ですね)


 すっかり探索者としての思考が身についてしまったわたしが、そんな警戒を覚えたときです。

 下から思わず嘔吐えずきそうになる、物凄まじい悪臭が漂ってきました。


 “腐乱竜ドラゴンゾンビ


 訓練場の座学で叩き込まれた、“火竜ファイアードラゴン” の屍を強力な呪いで不死化させた酸鼻な魔物の出現の予兆です。

 続いて轟く、おぞましい咆哮。

 わたしは目を閉じ、呼吸を静めます。

 意識を集中させ、はるか下方の闇に包まれて見えない哀れな “不死の怪物アンデッドモンスター” の姿を思い浮かべます。


「――不浄な意思に縛り付けられし穢れなき魂よ、どうかわたしの胸で安らかにお眠りなさい」


 女神 “ニルダニス” と同一化したわたしを通じて溢れた女神の息吹が、闇の底に向かって吹き抜けて行きます。

 悪臭さえも浄化する、清浄無垢な聖なる風です。

 哀れな咆哮がやみ、つかの間の静寂が訪れました。

 そしてすぐに、複数の人の気配が――。


「――みなさん、大丈夫ですか!? ご無事ですか!?」


 わたしは叫びました。

 叫びました。

 叫びました。

 叫びました。

 そして――わたしは見たのです。

 暗闇の中から、わたしの大切な人たちが浮かび上がる姿を。


 レットさんがいます。

 カドモフさんがいます。

 ジグさんがいます。

 フェルさんがいます。

 そしてパーシャが、この世界の一番の友だちのホビットの女の子がいます。

 スカーレットさんたち “緋色の矢” の先輩探索者の人たちがいて、沢山の負傷した兵士の人たちがいます。


 それから、それから、それから――それから――。


 わたしは迷宮始点の石畳に降り立ちました。

 腰のベルトのカラビナに引っ掛けられていたクレーンフックを外したのは、本当に無意識の行動でした。

 わたしの意識は、その人にだけ向けられていたのです。

 黒い鎧に、黒いマントをまとった、黒衣の君主。

 ボサボサの灰色髪に、ピンピンと伸びた無精髭。

 鎧を身につけてなお、少し猫背の姿勢。

 覇気の無い三白眼が、こっちを見つめています。


 わたしのために、他の人たちが道を開けてくれます。

 わたしはその人の元に辿り着くと、顔を見上げました。

 その人は猫背気味でも、わたしよりもまだ背が高いのです。

 いきなり歩み寄られて、見上げられて、その人は少し戸惑っているようでした。


「……老けてる……」


「……なっ」


 涙混じりで呟いたわたしに、その人――アッシュロードさんが絶句しました。

 まったく同情してしまいます。

 まったく酷い再会の言葉もあったものです。

 まったく……まったく……。


 ――ドンッ!


 わたしが泣き出さずにすんだのは、体当たりするように小さな身体が抱きついてきたからです。

 ノーラちゃんとはまた違う、小さくて、温かい身体。


「……っっっ!」


 ホビットの女の子が、これでもかとわたしを抱き締めて顔を鎖帷子に埋めています。

 そんなに……そんなに強く押しつけたら痛いでしょうに。

 顔に跡がついてしまうでしょうに。


「……パーシャ」


 わたしは親友を抱き締め返しました。


「……会いたかった……会いたかった……会いたかった……!」


 押し殺した声で何度も何度も繰り返す、わたしの大好きな友だち。


「……心配させてごめんね」


「……エバッ!」


 パーシャのくぐもった嗚咽が回廊に響きます。

 “解呪ディスペル” の影響で “腐乱竜” の強烈な残り香も、いつのまにか霧散していました。

 女神 “ニルダニス” の祝福の残滓が少しの間だけ、聖水で描いた魔除けの魔方陣のように、わたしたちを魔物の脅威から遠ざけてくれていました。


「エバッ」


「フェルさん」


「もういいの?」


 もうひとりの友人、エルフのフェリリルさんが目を真っ赤にしてわたしに訊ねました。

 口元が泣き出す寸前の子供のようにふるふると震えています。


「はい。ご心配をお掛けしました」


「……本当よ」


 そういうと、フェルさんはやはりわたしに抱きついてきました。


「……お帰りなさい」


「……ただいま」


「やれやれ、これでようやく面子がそろったな」


「……戦えるんだな?」


 ジグさんとカドモフさんが、それぞれそれらしく迎えてくれました。


「揃いました――はい、戦えます」


 そしてレットさん。


「待っていた。歓迎する」


「ただいま戻りました。またよろしくお願いします」


 レットさんが微笑を浮かべかけたとき、突き刺すような声がわたしを呼びました。


「ライスライト! 仲間を――ヴァルレハたちを看てやってくれ!」


 わたしは頷き、声の主スカーレットさんの元に走りました。

 緋色の髪の女戦士さんの傍らには、意識のない魔術師風と盗賊風の女性が寝かされていました。

 ふたりとも酷い裂傷と凍傷を負っています。

 この負傷は “氷嵐アイス・ストーム” によるものです。


「――慈母なる女神 “ニルダニス” よ」


 わたしはすぐに、まず一度ずつ “大癒グレイト・キュア” の加護を嘆願しました。

 それからさらに二度ずつ “小癒ライト・キュア” の加護も嘆願します。

 “中癒ミドル・キュア” の加護は、同位階に “解毒キュア・ポイズン” の加護があるので使わずにおきます。

 わたしが治療を施す様子を、スカーレットさんの他にも戦士風の女性がふたり、聖職者風の女性がひとり、心配げな表情で見守っています。

 大小三度ずつの癒やしの加護を受けて、ようやくふたりは意識を取り戻しました。

 スカーレットさんたちが、目を開けたおふたりを抱き締めて喜び合います。

 わたしは、ふぅ……と息を吐いて、額に浮かんでいた汗を拭いました。


「エバ、どうしたの!? “大癒” は第五位階の加護でしょ!? なんで!? どうして!?」


 パーシャが仰天した顔で訊ねました。


「うん、ちょっといろいろあって――落ち着いたら、全部話すから」


 わたしはそういって興奮するパーシャをなだめると、周囲を見渡しました。

 地上からクレーンに吊り下げられた兵隊さんが次々に降下してきて、重傷者やすでに事切れている人たちを抱きかかえ、再び地上に戻っていきます。

 戦友はひとりも見捨てない。

 その決意が伝わってくる救出作業です。

 レットさんたちは剣を手に魔物の襲来に備えています。

 態勢を立て直したスカーレットさんたちも、それに加わりました。

 そんな中で、アッシュロードさんが東の回廊の先をジッと見つめています。


「どうかしましたか?」


 わたしはその背中に訊ねました。


「どういう理由かはわからんが、この先から魔物が湧き出てきている」


 背中越しに答えたアッシュロードさんの声には、押し殺しきれない苦渋が籠もっていました。

 それは、指揮官としてこの惨劇を予期できなかった――防げなかった憤りでした。

 指揮官として、戦士として、人として、男性として、原因を突き止めなければ気が治まらないのでしょう。


「行くのでしたら、お供します」


 言うべきことは決まっています。


「でも――今日は帰りませんか?」


「……」


 柔らかく問い掛けたわたしにアッシュロードさんは少しの間沈黙し、そして答えました。


「……そうだな」


 アッシュロードさんが振り返ります。


「今日は帰ろう」


「はい」


 わたしは微笑み小さく頷きました。

 やがて救助作業も終わり、それ以上の魔物の襲撃もありませんでした。

 帝国軍と探索者合せて二二五名のうち生還者五八名。回収された遺体は二四名。

 “駆け出し区域ビギナーズエリア”という迷宮でもっとも難易度の低い区域エリアでの戦いは……まさしく死闘でした。



 縄梯子を使うことなく、わたしたちはクレーンで地上まで戻ってきました。

 わたしが潜ったときには曇天模様でしたが今はそれも所々晴れ、雲の切れ間から日射しが差し込んでいます。

 地上に零れる、天上からの光。

 いわゆる “天使の梯子” と呼ばれる情景が広がっていました。

 兵士も、探索者も、迷宮から戻った誰もが闇に慣らされた目で、それでもその神々しい光を見つめています。

 皆が皆、終わったと思っていました。

 大きな犠牲を払ったものの、何とか生きて帰れたと。

 家族や恋人の元に、これで戻れると。


 それが、天上からの光を遮るように出現するまでは。


 胎動する人間の頭大の六つの火球。

 収縮を繰り返すごとに倍々と膨れあがっていくその火球を見て、アッシュロードさんが叫びました。


「――状況パターン、青!」


 次の瞬間、直径五メートル近くまで膨れあがった火球が弾け、中から水牛のような太くねじれた角を持った巨大な蒼氷色ダークブルーの魔物が現われたのです。


 “紫衣の魔女大魔女アンドリーナの迷宮” が出現して二〇年。

 探索者たちを震撼させ続けてきたあの魔物が――あの悪魔が、ついに、ついに姿を現したのです。



--------------------------------------------------------------------

次回 『蒼氷色の悪魔』

第三章、最終決戦の相手はだ。

--------------------------------------------------------------------

迷宮保険、初のスピンオフ

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』

連載開始

エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。

本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

--------------------------------------------------------------------

迷宮無頼漢たちの生命保険

プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る