決断

「パーシャ!」


 フェリリルは白目を剥いて悶絶してしまったホビットの少女を、扉から引きずり剥がした。

 腐食性の瘴気が入り込んでくる隙間に毛布をねじ込むという過酷な作業をやりきった小さな手が、紫に変色している。


「まってて! すぐに治してあげるから!」


 気を失っているホビットに語りかけると、自分の手が焼けるのも構わず爛れた親友の手を包み、癒やしの加護を嘆願した。


「――駄目だ! 毛布も腐っちまう!」


 ボロボロになった革手袋を脱ぎ捨てると、ジグが怒鳴った。

 彼も扉の隙間に毛布を詰め込み、“毒巨人ポイゾンジャイアント” の毒息ブレスに商売道具である両手を触れてしまったのだ。

 不屈のドワーフファイターであるカドモフは、諦めることなく他の兵士たちと鞘絡みの剣や槍の穂先で毛布を押し込み続けている。


 ――どうする、スカーレット!


 ジグは訊ねかけてやめた。

 緋色の髪の女戦士は充分よくやっている。

 ここまで彼らが全滅していないのは、彼女の指揮統率によるところが大きい。


「……」


 スカーレットは歯を食いしばって扉を睨んでいた。

 彼女は決断しなければならなかった。

 だが何を決断しろというのだ?

 彼女に出来る選択は、扉を開けてすぐに死ぬか。

 それとも閉じたまま後で死ぬか。

 そのふたつしか残ってないのだから。


◆◇◆


 “永光コンティニュアル・ライト”の効果は切れていた。

 回廊は区画ブロックのつなぎ目に群生する光蘚ヒカリゴケによって “線画迷宮” と呼ばれる通常の状態に戻っていた。

 “永光” はその名のとおり、意図的に効果を切らない限り永続的コンティニュアルに続く加護だ。

 待ち伏せのためか、それとも奇襲のためか……。

 帝国軍と迷宮軍、どちらの勢力かは不明だが魔法光を消した奴らがいるのだ。


 アッシュロードのまとう漆黒の外套マントと鎧は、迷宮の闇に溶け込むように馴染んでいた。

 黒衣の君主は、闇と同化しながら回廊を進む。

 制限された視覚の外側から漂ってくる黴と苔の臭い。

 腐った屍と汚物の悪臭。

 そして視線。

 暗闇の奥から、誰かが、何かが、こちらをじっと見つめているような気配。

 慣れ親しんだ空気がアッシュロードを包んでいた。


 これぞ、迷宮だ。


 アッシュロードは息を殺し足音を忍ばせるが、身に付けている鎧が音を立てるのを完全に消すことは出来ない。

 虹を編み込んだと言われる魔法の繊維で織られた “君主の聖衣ローズ・ガーブ” と違い、“悪の鎧イビル・アーマー” は純然たる板金鎧プレートアーマーなのだ。


 カチャ……カチャ……。


 わずかな金属音を響かせながら進むアッシュロード。

 左右の手に握る大小の剣が、まとわりつく澱んだ空気を切り裂いていく。


 ――自分の選択は正しかったのか。


 北と東。

 もし誤った方角を選択をしていたなら、ドーラ・ドラを始めとする彼の数少ない顔馴染みは全員死ぬだろう。

 また分散していたのなら、選択から漏れた方角にいた者はやはり死ぬだろう。

 状況が状況なだけに、死体の回収は出来ないかもしれない。

 そうなればもはや――。


 アッシュロードが不吉な考えに囚われたとき、暗闇の先に気配を察した。

 “誰かに見られているような” などという漠然とした不安感ではない。

 確かな気配。

 明かな空気の揺れ。

 その気配が不意に緊張し、空気の揺らぎが張り詰めた。

 向こうも気づいた。


 ひとり、ふたり……いや、もっと。


 アッシュロードが身に付けている物とはまた違う甲冑の鳴る音が近づいてくる。


 ――ダンッ!


 黒衣の君主はその音が遙か東方の島国の物だと察すると、躊躇なく斬り込んだ。

 鉄板に漆を何重にも塗って仕上げた工芸品のような鎧を一刀両断して、まずひとりを屠る。

 暗闇での戦闘は、時として単独ソロの方が有利なのだ。

 同士討を怖れる甲冑の主たち―― “旗本ハタモト” たちの間に動揺が走った。

 ふたり目が斬り倒された。


◆◇◆


「――どうだ? 合図はないか?」


「……はっ、未だに」


 迷宮への縦坑の淵で、先行した指揮官から部隊の指揮を任された先任の中隊長――第一中隊長が顔色を曇らせていた。

 彼らの指揮官である筆頭近衛騎士グレイ・アッシュロードが、単身迷宮に潜ってからすでに三〇分あまりが経っていた。

 先行したアッシュロードが地下一階の始点である座標 “E0、N0”を確保したら、すぐに縄梯子を通じて合図が送られてくる手筈になっていた。

 それがこない。

 またしても迷宮内との連絡途絶である。


「……偵察小隊を送りますか?」


「……威力偵察はしたくない」


 ある程度まとまった兵力を送り、敵の反撃力を測ることを威力偵察というのだが、今回に限って言えば兵学の厳に戒めるところの “所要にみたぬ兵力の逐次投入” と同義語だ。

 迷宮内が危険極まる状況にあることはすでに判明している。

 地上に残された兵力は後方基地リア・ベースにいる予備部隊を併せてもわずか四個中隊八〇〇人。

 しかも迷宮内は暗く狭く、そのわずか四個中隊すら展開させることが出来ない。

 一度に戦えるのはせいぜい分隊が限度だ。


 第一小隊長は決断した。


「―― “王城レッドパレス” の 筆頭国務大臣に伝令だ。『“駆け出し区域ビギナーズエリア” 陥落。指揮官アッシュロード閣下は迷宮内で安否不明。以後の指示を請う。日時』以上だ」


 陥落の知らせを出すのは、後続の部隊が降りてから一時間連絡がなかった場合という取り決めであったが、もはやそれどころではない。

 その後続の部隊すら降下させることができないのだ。

 軍隊とは迷宮内で魔物と戦うものに非ず。

 朝に敵陣を攻め、夕に敵城を落とし、夜に自陣自城を守るものなり。


 いま第一中隊長がすべきは、彼が預かる四個中隊が最も戦力を発揮できる戦場で敵を迎え撃つことにある。

 それは迷宮ではなく、ここ “街外れEdge of Town” であった。

 第一中隊長のこの決断が、後に “街外れの血戦” と呼ばれる “火の七日間” の最終決戦場を決めたのだった。



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