サイコ・ダイバー
「エバ・ライスライトの心に潜って彼女を現実に連れ戻す――
拡がる騒めきを無視して、トリニティの瞳が七人のうちの一人に止まった。
「そしてそれが可能なのは、この世界で唯一人――おまえだ、リンダ・リン」
トリニティの言葉は、二重の意味で聞いた者の意識にすぐには届かなかった。
エバの心に潜って現実に連れ戻す? 精神潜行?
そしてそれが出来るのが、この世界でリンダだけ?
ハンナは同年代ではズバ抜けて聡明な娘であったし、正式な訓練さえ受ければ充分に
それでも眼前の帝国最高の頭脳の話を理解するには、なお数秒の時間が必要だった。
その数秒が経つ前に、
「……くくくっ……あはは――あーっははははっはっ!!!」
それまでまったく生きた気配を感じさせていなかったリンダが、突如として笑い始めた。
涙の滲む目を隠し、腹に手を当て、身をよじって、湧き起こる狂喜に身を任かせている。
その場にいた全員が、ゾッと表情を凍らせる。
「ちょ、ちょって待ってください。仰有っている意味が――」
「精神潜行をして他人に心に潜るには、その人間の精神と近い
トリニティの言葉を必死に反芻し、言わんとすることの理解に努めるハンナ。
エバが昏睡から覚めないのは何らかの要因のせい。
その要因は分からないが、昏睡から目覚めさせる方法はある。
それがエバの心に潜り彼女を連れ戻すという、
でも、それが出来るのは彼女と近い精神の
そして、異世界からの “転移者” である彼女と近しい波長を持つ者は、同じ世界の人間である――。
「おまえたちが意識を失っている間に、各自の波長は調べさせてもらった。ハンナ、おまえはもちろん、そこにいる他の転移者たちも適合しなかった」
時間を節約するために、ハンナが反論や対案を口にする前にトリニティが先を続ける。
なぜリンダではなく、ダイモンたち他の “転移者” ではだめなのか。
「おまえたちはライスライトと知り合ってまだ間がないな?」
トリニティが、リンダを除くダイモンたち探索者を見た。
「あ、ああ……いえ……はい」
「色合いがまだ遠い。彼女の心に潜れるほどライスライトはおまえたちに気を許してはいない」
「「「「……」」」」
ダイモンたちはその言葉に、想像以上のショックを受けた。
彼らは皆、枝葉瑞穂とは高校に入学してから知り合った。
元の世界では単なるクラスメートであり、ようやく友達になれたかどうかの時間しか過ごしていない。
だがこの世界に来てからは、少なくとも始めの一カ月は濃密な関係を築けていたはずだ。
最初の探索で全滅して以来、それも途絶えてしまったが……。
「思い上がるな。心とは本来その者だけのもの。何人といえど立入ることの出来ぬ聖域だぞ」
トリニティに一瞬で胸の内を見透かされ、ダイモンたちは顔を赤らめ自分の未熟さに唇を噛んだ。
「でも、それならどうして彼女は……」
ケタケタと笑い続けるリンダを見て、ハンナが訊ねた。
「今がどうであれ、ライスライトはその娘に心を許しているのだ。共にいた時間が長かったのだろうな。心の色が少しずつだが似ていったのだ」
「だからといって……」
だからといって、エバの命運をこの娘に託せというのか?
この半ば狂気に憑かれた、壊れた少女に?
「あらゆる闘争の中で最も困難な戦いは人を信頼することだぞ、ハンナ・バレンタイン。おまえはすでにあの子守の姉妹を信じたではないか」
「あれは……それしか他に手段がなかったからです」
あのとき自分たちが囮になり、マーサとポーラにエバを託して探索者ギルドへ向かわせたのは、他に採れる選択肢がなかったからだ。
寺院側がいつ家捜しを始めるかわからなかったし、周辺の住人が密告するかもしれなかった。
なにより時間が経てば経つほど、そのマーサ姉妹だって裏切るかもしれなかった。
疑心暗鬼という名の鬼がハンナの中に棲みつき、一秒毎に大きくなっていたのだ。
もちろん監視としてダイモンたちの中から誰かひとりを同行させることも考えた。
しかし、ただでさえエバを残していくことで人数が減るのだ。さらにひとり残していけば陽動だと気取られる危険が高まってしまう。
当初の七人が五人になっていれば、よほどの “阿呆” でもない限り別行動を採ったと気づくだろう。
姉妹を信じるしか、信頼するしかなかったのだ。
そして、それは今も同じだった。
だが決定的に違うことがひとつ。
マーサもポーラも、自分たちに――エバに悪意は持っていなかった。
しかしリンダは違う。
リンダはエバへの悪意の――害意の固まりだ。
リンダがときおり意識のないエバへ向ける、真っ暗な深淵のような視線には誰もが気づいている。
ふたりきりにすれば、何を仕出かすかわからない。
ハンナは視線をリンダに向けた。
これまで人形のように気配のなかった少女は、今では逆に狂気じみた存在感を周囲にまき散らしている。
しかし、それでもリンダ・リンを信じるしか、信用するしか、エバ・ライスライトを
「……リンダさん。エバさんを助けてくれますか?」
ハンナはケタケタ、クスクスを繰り返すリンダに向き直った。
「あたしが? あの娘を? ――さあ~、どうしようかなぁ」
「リンダ、てめえ!」
先ほどからのリンダの態度に業腹を抱えていたエドガーが噛みつく。
「冗談よ、冗談」
ひらりとバックステップで間合いを取るリンダ。
急にスイッチの入ったようなその動きと、ニヤニヤと小馬鹿にしたような笑みが、エドガーだけでなく全員の癇にさわった。
「大切な仲間で親友だもの、助けないわけにはいかないわよ――ねぇ」
「人の心の奥底は、おまえたちが四苦八苦している “大魔女の迷宮” など及びもしない人知を超えた迷路。熟練した
「だからなんだっていうのよ」
トリニティの冷静な態度に、今度はリンダが苛つく。
「エバ・ライスライトが当人の心の中で今どういう状況にあるかはわからない。だが心の中の彼女が死ねば、そこに寝ている現実の彼女も死ぬ。それは彼女の心に潜っているおまえも同じということだ」
「つまり潜った先にいる瑞穂が死ねば、わたしも死ぬってことでしょ。それこそ望むところよ。わたしが命懸けであの娘を救ってあげるなんて最高じゃない。これ以上ないクエストだわ。時間がないんでしょ、さっさと始めてよ」
トリニティは、エバの隣にリンダを寝かせた。
地下室の床は剥き出しの岩盤を荒削りに削っただけに過ぎず、ゴツゴツと冷たく、とても直接横たわれるものではない。
「――最後にこれだけは言っておく。精神潜行は命ではなく、心を救う旅だということを」
トリニティはふたりの足元に立つと、モゾモゾと寝心地悪そうに身じろぎするリンダを見下ろした。
「くどいわよ。背中が痛いんだから早くやって」
そして “
時に高く、時に低く、時に強く、時に弱く、波のうねりのように紡がれていく長く複雑な韻律。
精神潜行など頭から馬鹿にしていたリンダの視点が徐々にぶれ始め、隣に寝ているエバからのそれに重なり出す。
リンダの奥底で喜悦が膨れあがる。
最高だ。
自分はこれから、あの枝葉瑞穂の心に潜るれるのだ。
見てやる。
覗いてやる。
みんな、すべて、ひとつ残らず、あの娘が秘めていた想いを見てやる。
あの善良そのものの笑顔の下にどんな醜い欲望を抱いていたか、この手で暴き立ててやる。
これこそ、ずっとあたしが待ち望んでいたことだ!
呪文の詠唱が終わりに近づく。
リンダの視界はすでにエバと完全に重なっていた。
視線を横に動かせば、隣に寝ている自分の姿が見えた。
そして最後の韻が踏まれるまさにその時――小さな影が、エバの上に覆い被さった。
トリニティは呪文の詠唱を止めることも、ましてや取り消すことも出来なかった。
帝国最高の魔法の遣い手は、本来ひとりしか送ることのできない人の精神領域に、リンダ・リンだけでなくノーラ・ノラまで送り込んでしまったのである。
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