専守防衛

「? ハンナ、お城に行きたいのかにゃ?」


「うん、でも外には恐い人が沢山いるし、言伝を頼みたくてもトリニティ様は身分の高い方だから、普通の人じゃ会わせてくれないのよ」


「そんなの問題にもならないにゃ。“ノーラにお任せ!” なのにゃ」


 ノーラの胸に自分の猫パンチが炸裂する。


「え?」


「だっては、ノーラの “名付け親ゴッドマザー” にゃんよ。いつも遊びにいってるから顔パスにゃ」


 全員が呆気に取られた。


「ちょ、ちょっと待て。おまえ、いったい何もんだ?」


 魔術師メイジ のエドガーが、得意顔で胸を張る幼女猫人フェルミスを質した。


「彼女はドーラ・ドラさんの娘さんです。マスター・くノ一の」


「えっへん、にゃ!」


「「「「――!!?」」」」


 自らの説明にギョッ! と目を見開くダイモンたちを横目に、ハンナはノーラに訊ねた。


「ノーラ、本当にお城に入れるの?」


「もにろんにゃ。猫に二言はないにゃ。お城はノーラの別宅にゃんよ」


「……別宅」


 ダイモンは呆気に取られた。

 そういえば、酒場で小耳に挟んだことがある。

 猫人族は幼ければ幼いほど “猫” としての本能を残していると。

 それにしても王城を別宅(複数ある餌場のひとつの意)ときたもんだ。


「ドーラさんとアッシュロードさん、そして筆頭国務大臣のトリニティ・レイン様は、以前同じパーティに所属していたんです。ちょうど今のあなた方のように」


 今の自分たちのように……。

 ダイモンはハンナが皮肉を言ったのではないと理解できたが、卑屈になる自分を抑えることもできなかった。

 片や “不滅のアンドリーナ” を初めて討伐した伝説のパーティ。

 片や “城塞都市最低最弱” の最底辺のパーティ。

 他人の何気ない言葉の端々に、いちいち反応してしまう自分が情けなかった。

 それは他のメンバーも同じだったが、唯一人リンダだけは違っていた。

 彼女だけは、ハンナの言葉に何の感慨も抱かなかった。

 ただぼんやりと、他の人間のやりとりを眺めているだけだった。


「……」


 一方、ハンナは思考の袋小路に陥りかけていた。

 現状では手詰まりなのは明らかだ。

 例えこのまま時間を稼いだとしても、“カドルトス寺院”の監視が弛むことはあり得ない。

 監視の目がどこかで必ず光っている。

 近所の住人を信仰で説き伏せて監視させているかもしれないし、金で買収しているかもしれない。

 マーサやポーラには悪いが、彼女たちがいつまでも味方であるとも限らない。

 姉妹に密告される可能性がないとは言い切れないのだ。


 時間はない。

 グズグズしていれば状況は悪くなるばかりだ。

 ノーラに王城への言伝を頼むしかない。

 そうすれば最悪寺院側がこの家に踏み込んできたとき、ノーラだけは難を逃れることができる。

 他に選択の余地は――ない。


「ノーラ、お城のトリニティ様に言伝を頼まれてくれる?」


「あい・あい・にゃー!」



 戒厳令下の城塞都市は、まだ混乱の最中にあった。

 外出禁止令を守る市民は少なく、物資の確保に血眼になって奔走している。

 そんな中を猫人の幼女が歩いていたとしても、誰も気にも止めない。

 ときおり親切な衛兵の目に留まり声を掛けられるが、その度に、


「お散歩にゃ!」


 と無邪気に答えられては、『危ないから早く帰れよ』程度の言葉しか返されない。

 幼い猫人が猫と一緒であることは、この世界の人間ならば誰もが知っている。

 そして猫とは好き勝手に家の外を出歩くものなのだ。


 ノーラを王城にやることは、子守のマーサやその妹のポーラだけでなく、ダイモンたち護衛の探索者からも懸念する声があがった。

 もし寺院側の目に留まって捕らえられたら、一巻の終りだ。

 幼いノーラが狂信者どもの詰問に耐えられるわけがなく、あっという間に潜伏場所が露見していまう。

 しかし最終的にハンナの意見に押し切られた。

 ダイモンたちとて他に王城と連絡を採る手段がない以上、今のままでは千日手の末に結局発見されるしかないことは認めざるを得ない。

 結局、程度の問題なのだ。

 行きつく先がゼロしかないのなら、少しでも確率の高い方に賭けるしかない。


 ノーラは自慢の長くしなやかな尻尾をご機嫌に揺らしながら、鼻唄交りに街路を歩いて行く。

 城下に充満する非常の空気など、どこ吹く風だ。

 軽やかに、優雅に、ステップを踏むように、 猫人の少女は王城を目指す。


「――おい、そこの猫人の娘」


 ご機嫌なノーラを、不機嫌な男の声が呼び止めた。

 小さなノーラが振り向くと、そこに血走った目をした見るからに “狂信者然” とした男が立っていた。


◆◇◆


 “永光コンティニュアル・ライト” の加護が等間隔に灯された回廊を、パーシャたちのパーティは北に向かって駈けていた。

 突き当たりに煉瓦の内壁が現われると、今度は西に折れる。

 呼子の甲高い金属音は、回廊の西の先から響いていた。


「――何事だ!?」


 レットが走りながら土嚢リレーをしている兵士に訊ねるが、『わからん!』の一言しか返ってこない。

 西に延びる回廊には南に折れる脇道が二本あり、その先はどちらも二×三区画ブロックの玄室に繋がっている。

 どちらもすでに味方の手に落ちていて、今は “前線指揮所 兼 兵士たちの待機所” と “物資の備蓄庫” になっていた。

 そちらからは複数兵士が『何事か!』と血相を変えて飛び出してきているので、異変はやはり回廊の西の先、現在工兵隊によって防壁が築かれている座標 “9、8” ―― 指揮官アッシュロードによって “ウォール” の公称を正式に与えられた最前線で起こったのだろう。


 それにしても芸も外連もないコードネームだよ――走りながらパーシャは思った。

 もっとこう、守っていて士気が高まるような符丁は付けられなかったのだろうか。

 “駆け出し区域ビギナーズエリア” には二×三の玄室が都合三箇所ある。

 その三箇所にも名前が付けられていて、それぞれ “壁” に近い順から、


 “第一”(前線指揮所 兼 兵士たちの待機所)

 “第二”(物資の備蓄庫)

 “第三”(予備隊の休息所)


 ……である。味も素っ気もない。


(そりゃ確かに咄嗟の時に、聞き間違えたりはしないだろうけどさ)


 パーシャは今や自分たちの指揮官となった男のその辺りの淡泊さが、歯がゆくもありやるせなくもあり、なにより不気味なのだ。

 貫徹した合理的思考の果てに、人として必要な精神の潤いまでなくしてしまったような無機質さを感じる。

 自分の大切な友人たちを任かせるには、どうしても躊躇いを覚えてしまう。

 エバやフェリリルには、幸せになってほしいのだ。


 “壁” と “駆け出し区域” を隔てる扉は、現在は開け放たれたままになっている。

 “壁” の維持が困難になった場合、この扉を閉じて次の防衛線とするのがアッシュロードの構想だ。

 呼子は、その扉の奥から吹き鳴らされていた。


「敵か!?」


 扉を潜るなり、レットが再度問い質す。


「……ああ、おいでなすったようじゃな」


 “壁” の工事を文字どおり最前線で指揮している工兵隊長の老ドワーフが、苦々しげに積み上げられた土嚢の隙間を睨み付けた。

 その隙間は、防御壁が完成すれば遊撃戦を担当する探索者が出入りする “隠し通路” になるはずのものだが、今はまだ単なる守備をする上での弱点でしかない。


 ”壁” の北側に拡がる四×二の広間にも “永光” の加護が灯されていて、視界は明瞭すぎるほどに明瞭だ。

 視界の先には暗黒回廊ダークゾーンの出入り口である、いわゆる “漆黒の正方形” がある。

 キーアイテムパスポートの “金の鍵KEY of GOLD” がなければ通過できない回廊の終端だ。

 その “漆黒の正方形” から次々に魔物が溢れ出ていた。

 迷宮に下りた直後に、フェリリルが “認知アイデンティファイ” の加護を嘆願しているので、魔物正体は瞬時に判別できる。


 “犬面の獣人コボルド” “小鬼オーク” “食人鬼オーガ” “亜巨人トロル” ――これまでの地下一階では遭遇したことのない大規模な混成部隊だ。


「……任かせてよいか?」


「ああ、俺たちはそのためにここにいる――やるぞ!」


 リーダーの号令一下、パーシャたちが土嚢璧の狭閒から軽快な機動が可能な広間へと踊りでた。


「――頼むわよ、 “いとしいしとmy precioussss” !」


 魔道具は呪文の詠唱を必要としない。秘められた力の解放は、すべて使用者の敏捷性アジリティに掛かっている。

 ならば生まれながらの “忍びの者” であるホビットこそ、この指輪のもっとも相応しい持ち主であろう。

 パーシャの右手に嵌められた “滅消の指輪” が雷速でその力を解放し、ネームド 未満レベル8未満”の魔物をすべて塵に変える。

 “犬面の獣人” “小鬼” “食人鬼” “亜巨人” ――すべて合わせれば二〇匹以上いた魔物が一瞬で滅し消された。


「慈母なる女神 “ニルダニス”よ――」


 ほぼ同時に現在パーティで唯一の聖職者であるエルフの少女が、澄んだソプラノで聖歌を歌うように祝詞を唱え上げていた。


「―― “静寂サイレンス” !」


 “滅消ディストラクション” の魔法から唯一逃れた緑色の肌をした “食人鬼頭オーガロード” が、“焔爆フレイム・ボム” の詠唱の最初の一韻を口にするよりも早く、呪文を封じられる。

 鑑賞魚のように口をパクパクさせるだけの “食人鬼頭” に向かって人間とドワーフの戦士が一斉に斬り掛かり、 振り払われる巨大な剣を易々と躱し、ドワーフが右足を、人間が剣を持つ腕をそれぞれ切り飛ばした。

 そしてトドメは、いつのまにか身を隠していた盗賊の背後から一撃だった。

 血塗れでのたうち回る “食人鬼頭” の延髄に躊躇なく短剣を突き刺し、絶命させる。

 訓練所で教え込まれた巨躯を誇る人型の魔物を相手にする際の戦術を、彼らのパーティに合わせて練り上げた必殺の戦法である。


 ――ヒュ~♪


 彼らの戦いぶりを土嚢の陰から見守っていた工兵たちから、感嘆の口笛が響いた。

 ネームドに満たない、まだ中堅とも呼べない探索者にしては見事な手際である。

 張り詰めていた空気が弛緩しかけた瞬間、


「――まだだ!」


 レットのるような警告が飛んだ。

 “漆黒の正方形” から紅蓮の炎が延び、舐めるように彼らに襲い掛かった。


散開ブレイク!」


 レットを含めた五人が、一斉に四方に飛ぶ。

 標的を見失った炎の舌フレイム・タンは、そのまま向かいの内壁を薙ぎ払うように一文字に灼いた。


 ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ――!


 まるで板金鎧プレートアーマーを身に付けた騎士が歩いてくるかのような重硬い音が、暗黒回廊から響いてくる。

 しかし魔法の光すら受けつけぬ真の闇から現われたのは、重武装の騎士などではなかった。

 現われたのは、光沢ある緑色の外皮を持つだった。



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