パーシャ泣く
閃光と轟音。そして猛烈な爆風。
それらが一瞬でわたしたちを包み込みます。
全員が吹き飛ばされ、胸壁に叩きつけられました。
それでも犠牲者が出なかったのは、咄嗟に採った防御の陣形とフェルさんが嘆願した “
――回避不可能な強力な範囲攻撃魔法を受けたらどうするか?
地下八階で人変わりしたアッシュロードさんの “
わたし自身はアレクさんの大剣の一撃を受けて意識を失っていたため、その場面の記憶はありません。
しかしあとから聞いた話では、その脅威と恐怖は大変なものだったようです。
それから何度かの話し合いと試行錯誤の末に考え出したのが、この “対魔法防御” の陣形でした。
散開しての回避が間に合わない広範囲におよぶ攻撃呪文に晒された際に、少しでも生き残る確率を上げるための最後の抵抗。悪あがき。
しかしその悪あがきが、わたしたちを最強の攻撃魔法を受けての全滅から救ったのです。
そして何より、この圧倒的な破壊をもたらした張本人が手心を加えてくれたから……。
本来ならこの “対滅” という攻撃呪文は、わたしたちがいる城門・城壁はおろか、この城塞都市すべてが消し飛んでしまってもおかしくはない威力を誇っているのです。
胸壁に叩きつけられたわたしは衝撃と苦痛に気絶しかけましたが、ギリギリのところで踏みとどまり、なんとか意識を保ちました。酷い耳鳴りがします。
「……う、うううっ」
「パーシャ……パーシャ!」
全身に受けた打撲の痛みに顔を歪めながら、すぐ傍らに倒れていたパーシャに呼び掛けます。
「だ、大丈夫……痛たたた……」
「みんな……無事か?」
パーシャがわたし同様苦痛に顔を歪めて返事をし、レットさんが剣を支えに立ち上がってパーティの仲間を見渡します。
「……い、生きてるぜ……いちおう……」
「……ドワーフは……退かぬ……」
「……なら、エルフ……だって……」
ジグさんも、カドモフさんも、そしてフェルさんも……大きなダメージを受けたようでしたが、なんとか無事のようです。
「お、おい、見ろ!」
どうにかこうにか立ち上がったジグさんが、壊れかけた胸壁の間から魔物の大軍が埋め尽くしているはずの城外を指差しました。
轟音と振動がわたしを揺さぶります。
その轟音は耳鳴りのせいだとばかり思っていました。
その振動は頭を打ったせいだとばかり思っていました。
でも違いました。
蒼白い満ち月の夜空の下、大地を覆い尽くす濁流が城塞都市を囲む “
そしてその大津波は攻城側を跡形もなく流し去っただけでなく、こちら向かっても押し寄せてきたのです。
「――じょ、城門は!?」
わたしはハッとして半ば崩れかけた胸壁の狭間から身を乗り出し、防御塔に挟まれた外郭城門を見ました。
そこにはわたしたちを守ってくれるはずの、見る者に畏怖の念すら抱かせるあの巨大な城門はありませんでした。
そこにはポッカリと大きな空間が出来ていて、そこには黒い鎧をまとった――。
「アッシュロードさん!?」
わたしが叫んだときには、フェルさんが身をひるがえして城壁の内側に設置されている石階段に向かって駈け出していました。
すぐにわたしもフェルさんに続いて、少し離れた場所にあるその階段に向かって走ります。
――あのバカッ! あのバカッ! あのバカッ!
いくらなんでも津波にまでケンカを売らなくてもいいでしょうに!
◆◇◆
アッシュロードを中心に、左にフェリリル。右にエバ。
さらに周囲に他のパーティの聖職者たちが寄り集まり、嘆願できる限りの加護で消失した城門の空隙に障壁を張って、城塞都市内に侵入しようとする濁流を押し留めていた。
そして彼らの後方からは、魔術師系の魔法を使える探索者たちが “冷凍系” の攻撃呪文で崩れかかっている両脇の防御塔を凍結させて、崩壊から守っている。
離れた場所でその姿を見ていたパーシャは、ダンダンッ! と両拳で街路を叩き地団駄を踏んだ。
悔し涙がボロボロと零れる。
分子の運動量を低下させる “冷凍系” の呪文は、増加させる “火炎系” の魔法よりも魔法制御の難度が高く、位階も高い。
最も初歩の呪文である “
パーシャのレベルは未だ6。
今の彼女には、親友や知人たちが命懸けでこの都市を守る姿を指を咥えて見ている他ないのだ。
「――おい、なにをへたり込んでやがる!」
瓦礫の下から負傷した守備兵を助けるために奔走していたジグリッド・スタンフィードが、都大路の石畳に膝を突くホビットの少女をどやしつけた。
「無理なんだよ! あたいには “炎” の呪文しか使えないんだ! “氷” の魔法はまだ使えないんだよ!」
パーシャは泣いた。
持っている呪文が役に立たない以上、ホビットでしかも女の自分は火事場では本当に無力で無能で無用の存在だ。
非力で瓦礫一つまともに動かすこともできない。
ジグリッド――ジグは容赦がなかった。
小柄なホビットの胸ぐらをつかんで持ち上げると、その鼻先に向かって言い放った。
「おい、なに甘ったれたこといってやがる。いつもの強気の口はどこに行った? ”炎” の呪文しか使えない? だったらその “炎” の呪文であの洪水を凍らせてみやがれ」
「む、無茶いわないでよ!」
パーシャは文字どおり泣きの入った顔で抗弁した。
この
魔術師の魔法は決して無から有を造り出す奇跡の業ではない。
無形のエネルギーを、有形の物質へと変化させてみせる技だ。
すべて自然の摂理に則した技術であり
「おまえなら出来る! おまえの脳味噌なら炎で氷を作り出すぐらい朝飯前だ!」
「だから炎で氷は――」
その時、パーシャの頭蓋の奥底で火花が散った。
火花は瞬く間に眩い光となって彼女の頭脳を照らし、超高速で回転させ始めた。
「よーし、その顔。なにか閃いたようだな。乗ったぜ、その悪巧み!」
「まだ何も言ってないじゃない――城門の穴を塞いでいる人以外は全員手伝って!」
ニヤリと笑ったジグに持ち上げられたまま、パーシャは周囲の探索者に叫んだ。
「まず、何をする!」
「市場よ! 問屋街!」
「よしきた!」
ジグは胸ぐらをつかんで持ち上げていたホビットの少女を小脇に抱え直すと、城門から北東にある市場や問屋、その倉庫が建ち並ぶ城塞都市の物資集積場とでも呼ぶべき区画に走った。
レットとカドモフがそれに倣い、スカーレットの号令一下、他のパーティの前衛職も続く。
悪あがきの次は悪巧みだ。
◆◇◆
黒衣の指揮官の左に立っていたエルフの少女が、嘆願できるすべての加護を使い切り、その場にくずおれた。
第三位階の “
周りの聖職者たちもある者は倒れ伏し、ある者は泡を噴き、ある者は鼻血を流しながら白目を剥いた。
右隣の白い僧衣の少女はまだ漆黒の鎧の指揮官に寄り添うように立っていたが、やはり疲労困憊の様子だった。
すぐ後方から “氷” の呪文を放っていた “緋色の矢” の魔術師――ヴァルレハの周りでも、同様に呪文を使い果たした魔術師たちが倒れ始めた。
城塞都市に容赦なく襲い掛かる濁流はその勢いを一向に弱める気配を見せずに、城門のあった空間に襲い掛かっている。
現在、探索者たちの最前線で迷宮に挑み続けている最強パーティの魔術師であるヴァルレハも、残る氷の呪文はあと二回を残すのみだった。
温存していたその二回を最も効果的に使うために、彼女は乱れた息を整え、精神を統一していた。
彼女たち魔術師が担当していた、城門跡の空隙の両端に半壊した姿を晒している防御塔。
氷の呪文で凍結させて倒壊を防いできたが、それもいよいよ限界に達したようだ。
塔の周りに着氷した氷は、押し寄せる奔流の前に次々に砕け散っている。
(……いよいよのようね)
ヴァルレハは、覚悟を決めた。
残る二回の “
そのあとは……もう身動きがとれないだろう。
濁流を防ぎ切れれば助かるし、駄目なら押し流されて彼女の冒険はここで終わる。
出来ることなら、ここにはいないスカーレットたち前衛の仲間には生き残ってほしい。
(……そういえば……彼女たちは今どうしているのかしら? さっきまでは瓦礫に埋もれた負傷者の救出に当たっていたと思ったけど……?)
ヴァルレハがふと、いつの間にか見えなくなった友人たちを思ったとき、
「――どいた、どいたぁ!」
都大路を大量の荷車がこちらに向けて疾駆してきた。
引いているのはレットやジグリッド、そしてスカーレットなどの探索者前衛職の面々だ。
「引いてーーっ! 押してーーっ! 力の限りーーっ!」
荷車に山と積まれた荷の上で、ホビットの魔術師が音頭を取っている。
「ヴァルレハ、その氷の呪文、待ったぁーーー!」
絶叫するホビットの荷車を先頭に、陸続とヴァルレハら魔術師たちの側で急停車する。
「な、何事!?」
「“炎” だよ!」
「えっ!?」
「“炎” で “氷” を作るんだよ!」
言うや否や、パーシャは荷馬車に積まれた木箱から
皮袋が塔に着氷している氷にぶつかり中身が零れる。
ジグが、レットが、スカーレットが、それに続く。
「あれは塩!? それに――硝石まで!」
硝石――火薬の材料になる、すなわち “炎”
塩も硝石も、氷の融点を上げる。
そして溶けた氷は周りの熱を奪って再凍結する。
ホビットの魔術師はまさしく “炎” で “氷” を作り出したのだ。
「――いまだよ、ヴァルレハ!」
パーシャが叫び、ヴァルレハが間髪入れずに呪文の詠唱を始める。
“凍波” の倍の
前衛によって次々に投げつけられる塩や硝石は、にかわの接着剤ならぬ氷の接着剤となって、氷結した構造物をさらに強固にかため直す。
悪あがけ!
悪あがけ!!
悪あがけ!!!
駄目なら、みんな仲良く墓の下だ!
しかし……。
人為的に作り出したものながら自然の猛威の前に、人の力はやはりか細かった。
聖職者たちがすべての加護を、魔術師たちがすべての呪文を使い切り、投げつけていた塩や硝石が底を突いてもなお、城門跡の空隙に襲い掛かる濁流は牙を鈍らせなかった。
その時にはもう、濁流の前に立っているのは漆黒の鎧の指揮官と、彼に寄り添う白い僧服の少女だけだった。
そして力を出し尽くし疲れ切った探索者たちは見たのだった。
少女の艶やかな黒髪が、キラキラと輝きながら銀色に変わっていく様を。
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