迷宮保険
井上啓二
『狂君主トレバーンの試練場』篇
プロローグ 線画迷宮
ある迷宮童貞、あるいは処女たちの初体験とその顛末(前)★
https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330667585115214
この城塞都市に来て、約一ヶ月。
最初の迷宮探索で、わたしは死にました。
短期間の促成練成でしたが、ちゃんと訓練は受けました。
事前に可能な限りの情報も集めました。
装備も所持金の範囲内で、最高の物を揃えました。
駆け出し探索者のためのセオリーも守り、油断もしていませんでした。
それでもわたしたちは、死んでしまいました。
これはそんな迷宮初心者なわたしたちの、最初の全滅の顛末です。
◆◇◆
初めて足を踏み入れた地下迷宮は、重く澱んだ空気に満ちていました。
闇に漂うカビと湿った埃の臭い。
それに混じる腐敗臭。
微かな排泄物の臭いも。
「まるで墓場の臭いだな……古くて誰も手入れしてない」
魔術師のエドガ……ーくんが、硬い声で呟きます。
古いお墓の臭い。
確かにそれは言い得て妙かもしれません。
これがきっと “死” そのものの臭いなのだと、わたしは直感的に納得しました。
「
もう一人の魔術師のセダくんの声がして、暗闇に弱々しい光が灯ります。
「……んなこと、言われなくてもわかるって」
前衛を務める戦士のクリスくんがボソッと漏らしました。
その声にセダくんが大きな身体を縮こまらせます。
「クリス」
最後列で後方を警戒する予定の盗賊のリンダが、責めるような視線をクリスくんに注ぎます。
クリスくんは軽く肩を竦め、角灯の明かりの届かない回廊の先を見つめました。
いつも浮かんでいる口元の冷笑が今はありません。
「準備……覚悟はいいな?」
リーダーである戦士のダイモンくんがみんなを見渡して確認をとります。
みんなが無言で頷きます。
わたしも、コクコクっと頷きます。
「エバ、そう硬くなるな」
わたしのギコチナイ仕草にダイモンくんがニカッとした笑みを見せてくれました。
「いざとなったら、おまえは両手で盾を構えろ。
「う、うん、わかった」
重い戦棍に振り回されるよりも、その方がきっとよいのでしょう。
「いざとなったら、俺がエバを守るよ」
クリスくんが闇に包まれる回廊の先を見つめたまま言いました。
右手にはいつの間にか抜かれた
「だとさ」
ダイモンくんが邪気なく苦笑し、わたしもどうにか硬い笑顔を返しました。
「よし、行くぞ」
自分も武器を引き抜くと、ダイモンくんが先頭を切って歩き出します。
次いでクリスくん、さらに戦棍を握ったわたし。
そしてセダくん、エドガーくんと続き、最後尾をリンダが守る一列縦隊です。
「へっ、これでようやく “迷宮童貞” 卒業だな」
「下品な奴」
エドガーくんの硬い軽口とリンダの冷たい反応が、どこか遠くに聞こえます……。
迷宮の外壁は厚い自然の岩盤。
内壁は頑丈な煉瓦塀で出来ています。
第一層と地上をつなぐ出入り口は南西の角にあるらしく、北と東に外壁である岩盤の壁が伸びているそうです。
つまり岩盤を左手に見ながら進めば北に、右手に進めば東に向かうことになるわけです。
わたしたちが進んでいるのは東。
目指すは入り口から一番近い玄室です。
この迷宮が探索者に開放されてすでに二〇年以上。
新米探索者のセオリーは確立していて、傷を負っても負わなくても戦闘は一回限り。
魔術師は “
戦闘後に出現する宝箱は、罠が仕掛けられていない場合か、あるいは “毒針” ――それも罠を解除する盗賊が失敗して毒を受けても地上までたどり着つける体力がある場合――に限り開ける。それ以外の罠なら諦める。
わたしたちもこのセオリーどおりに探索することを事前に決めていて、そのために盗賊であるリンダが戦闘で傷を負わないように後衛に回っていました。
実際に地下一階では盗賊が先頭に立って警戒・探知しなければならないような危険な罠は存在しないらしく、それならば戦士の次に体力があり
全員が無言で歩を進めます。
普段は常に軽口を叩いているエドガーくんも押し黙っています。
戦棍を握る掌がジットリと汗ばみ、気温は低くないはずなのに背筋に震えが走ります。
息苦しく、まるで濃密な闇で溺れているような気さえします。
角灯の明かりもほとんど用をなしません。
“
やがて幸運なことに
眼前には巨大で頑丈そうな両開きの扉がそびえています。
迷宮はいわゆる通路である “回廊” と部屋である “玄室” によって構成されていて、玄室には十中八九そこを根城にしている魔物がいるらしいです。
わたしたちの目的はその玄室を占拠している魔物を倒し、彼らの財宝を奪うこと。
ダイモンくんが無言でリンダを手招きし、リンダが慎重に扉を調べ罠が掛かっていないことを確認してから扉に耳を寄せます。
数瞬後、リンダが右手の親指を立てます。
“魔物の気配がする” ――のハンドサイン。
ダイモンくんがやはり無言で頷き、全員を見渡します。
目だけで、 “行くぞ” の合図。
わたしを含めた他の五人が緊張に強ばった身体で身構えます。
バンッ!
ダイモンくんが勢い良く扉を蹴り開けると、全員が恐怖を打ち消すように絶叫しながら玄室に雪崩れ込みます!
お金がないわたしたちの、貧乏なわたしたちの、
生きるための――初めての
いた!
視線の先、玄室の中央、角灯の明かりに照らし出される “小柄な人影” !
数は……2、3、4――5!
全部で五匹!
「“
ダイモンくんが叫ぶなり、怒号をあげて突進します!
クリスくんが並走し、背後でセダくんとエドガーくんが呪文の詠唱を始めます!
わたしも文字では表現できないような声を上げて続きます!
一匹! せめて一匹は引きつけないと!
駆け出しの探索者が戦ってもよい魔物。
“スライム”
“人間型の生き物” (ただし“昏睡”の呪文を必ずかけること)
パーティの状態によっては戦ってもよい魔物。
“
遭遇したら全力で逃走しなければならない魔物。
“みすぼらしい男”
大丈夫! 大丈夫!
セオリー通り、わたしたちでも戦って勝てる相手!
でも、でも……。
魔物に近づくごとに、わたしの動きは鈍く重くなって……。
「グルルルゥゥゥ……!」
喉の奥から漏れる低い唸り声。
手で触れられるほどの濃密な殺意。
https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330669300278647
「……ひっ」
魔物の威嚇に、わたしの足は完全に止まってしまいました。
無造作に近づいてくる “犬の顔をした怪物”
背はわたしよりもよほど低いのに、手にしている蛮刀は巨大で……。
駄目、見透かされてる……わたしが怖がっていることを見透かされてる。
わたしは手にしていた戦棍を突き出しました。
一度、二度。
そのくせ腰は引けていて……まるで水中で後ろに進む海老のような有様。
そもそも遠心力を使って凹凸の付いた重い柄頭を叩きつけるのが戦棍の正しい使い方です。
それがへっぴり腰での片手突き。
牽制にもなっていません。
「エバァ! 盾使え、盾ぇ!」
ダイモンくんが向かい合う “
わたしはハッとして、右手の戦棍を手放します。
重量のある柄頭が石畳に落ちて耳障りな金属音を響かせるのと、“犬顔の獣人” が飛び掛かってきたのはほぼ同時でした。
角灯の光に “犬顔の獣人” の蛮刀が鈍く煌めき、刀身がうなりをあげて振り下ろされます!
咄嗟に、本当に咄嗟に、左手に装備していた大きめの木製の “盾” に右手を添えて、顔の前に掲げました。
左手の骨が折れるのではないかと思えるほどの衝撃。
あの小さな身体のどこにこれだけの力があるのか。
それともただただ、わたしが非力なだけなのか。
両手で盾裏の持ち手を握り、必死で “犬顔の獣人” の連撃に耐えます。
「も、もうだめ……」
盾に加えられる衝撃と、なにより自分に向けられる圧倒的な殺意に心が折れかけたとき、セダくんとエドガーくんの呪文が若干ズレながらも完成しました。
「“
「“
最初のエドガーくんの呪文でわたしとクリスくんが相手にしていた “犬顔の獣人” が崩れ落ち、少し遅れて発動したセダくんの呪文で残りの三匹が倒れました。
途端に力が抜けてその場にへたり込む、わたし。
「まだだ! トドメを刺して完全に息の根を止めろ!」
ダイモンくんの
「その様子じゃ無理みたいね。あたしがやるわ」
完全に腰を抜かしてしまったわたしの横をすり抜けながら、リンダが手にしていた
左手を柄の先端にそえて振りかぶり、一息に “犬顔の獣人” の心臓に突き立てます。
魔法で深昏睡に陥っていた “犬顔の獣人” は、自らの命を奪うほどの痛みにさえ反応せず絶命しました。
結局、ダイモンくんとクリスくんが二匹ずつトドメを刺し、初めての戦闘は終了しました。
--------------------------------------------------------------------
迷宮保険、初のスピンオフ
『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』
連載開始
エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。
本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m
https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757
--------------------------------------------------------------------
今読んだエピソードを、オーディオドラマで視聴してしませんか?
迷宮無頼漢たちの生命保険
プロローグ①
完全オーディオドラマ化
出演:小倉結衣 他
プロの声優による、迫真の迷宮探索譚
https://youtu.be/CyEdWwY99yU
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます