3 博士の手腕

 博士はその紙を読んで「なるほど」と、満足げに頷いた。


「これぐらいです……でも、帝国研究所の給料には遠く及びませ「いえ、これぐらいあれば十分、暮らしていけます。それに、この研究開発部の予算内で、私は自分の研究をすることが出来ます。これはいい。因みに、これ以外に、秘書としての手当は出ますか?書いてありませんが。」


「え、あ、え。研究開発部の勤務の他に、秘書も兼業してくれるのですか?」


「ええ。そのつもりで志望しています。帝国研究所では所長をしていたので、何が必要か、何をすれば、あなたを助けることが出来るのか、私には分かりますし、サポート出来るかと。」


 そりゃあ多大なるサポートになるに違いない。彼が私を支えてくれるのなら、これ以上の話はない。私は力強く頷いて、彼にもう一つお願いをした。


「では申し訳ないですけど、秘書をお願いします。それから研究開発部をまとめる役も、実は探していて、今あそこの部署にはタージュ博士、アドラー博士、スローヴェン博士の三人がいますが、彼らはかなり癖があって。シードロヴァ博士の言うことなら皆聞いてくれるかと思いました。」


「そうですか。それは実際に働いてから判断します。周囲の職員の意見も尊重したい。もし皆が、私でいいと言うのなら、謹んで部長の座も受けます。それもそうですが、私は何より、永遠の二番手がいいのです。理解出来ますか?」


「組織の二番目ってこと?それがいいのですか?」


「ええ。どちらかと言えば、誰かの上に立つよりも、誰かを支える方が性に合っている。責任もありません。しかし研究開発部長として、でしたらお受け出来ます。あなたがこの研究所の所長である限り。」


「なるほど」


 言っている意味は理解したが、私がこの研究所の所長である限り、という部分についてはどういうことなのか気になり、博士に聞き返そうとした時に、トントンとオフィスの扉がノックされて、いつもよりも目を不自然に見開かせたリンが、入ってきた。きっと博士がいるから、目を大きく見せようと頑張って開いているらしいが、逆に目力が増幅されていて、ホラー映画に出てくる殺人鬼の様な表情とも言える彼女の顔を見て、私は怖さを感じた。


「すみません、お取り込み中のところ。博士はこの研究所で働きますか?」


 急にここに来て、そんなこと聞くなんてどうしたのだろうか。まあそうだけど、と考えながら私が答えた。


「そうだけど、どうしたの?何かあった?」


「じゃあ、もう博士の前で話してもいっか。数分前に、グレン研究所のスコピオ博士から電話が来ました。もう電話会談のお時間だって聞いたんだけど。」


「げっ!」


 忘れていた!そうだった、確かに今日は、スコピオ博士との電話会談の時間だった。ああ、本当にスケジュール把握が苦手だ。手帳を使っても、スペースが足りなくて入りきらないし、PCのツールを使用しても、ごちゃごちゃで纏まらない。どうも、何時に何があるか把握出来ないまま、何とかここまで来たが、これからはシードロヴァ博士がいる。でも今日はまだ、博士がいなかった。


 グレン研究所とソーライ研究所は協力関係にあり、その所長であるスコピオ博士とは、定期的に火山の件で電話会談をする。あのおじさんは時間を守らないとうるさいので、オフィスのホワイトボードに大きな付箋で、この日時を書いて貼っておいたというのに……シードロヴァ博士の面接がインパクトありすぎて忘れてしまっていた。


「やばい!もう時間だよね?ああ、今からじゃ、間に合わない~!」


 誰に言うでもなく、そう声を漏らしながら、慌てて自分の机の書類の山を漁り始めた。この書類の山のどこかに存在する、事前に送付されたスコピオ博士の資料は、いつも計三十ページ以上ある。いつもは前日から読み始めてギリギリこの時間に間に合うのに、今となってはもう数分も猶予はない。


 ざっと目だけを通しておこうと、パラパラと捲りながら火山のデータに関する資料を読み始めた。そしてページをめくったその時に、ソファの横で、シードロヴァ博士が立ち尽くしているのが見えた。その隣には、リンも目を丸くして、こちらを見て立っている。


 そうだ、彼に何も言っていなかった。


「ああ!博士!あの、もう採用ですし、明日またこちらに来てください!今日は、本当にありがとうございました。本当に博士が来てくれて良かったです!」


「いえ、こちらこそありがとうございます。これは一つ、提案ですが。」


 博士が挙手している。何の提案だろう、ちょっと時間が無いけれど、と思いながら彼に聞いた。


「提案って?」


「あまり予定管理が向いていなさそうですから、今日はスケジュールの把握をして、あなたが見やすいように、PCやウォッフォンで確認出来るようにします。それから、このオフィスを整理整頓をしていきます。片付けをすることは得意、いえ趣味に近いので、私におまかせ下さい。」


「え?いいの?本当にいいの?」


「いいに決まっています。折角ですから、今この時から勤務を開始します。その、グレン研究所のスコピオ博士のレポートを、私に渡してください。」


「ええ?」


 戸惑いながらも、彼にレポートの束を渡した。今日から、今から、シードロヴァ博士が仕事を手伝ってくれる。明瞭な頼もしさと、私の能力が不足していることへの申し訳なさに、心が挟まれつつも、ただ彼がレポートをパラパラめくって、凄まじい速さで読んでいる姿を、じっと静かに見つめていた。同じく、隣で覗き込むリンが、読むスピードが間に合わないと言わんばかりに、博士のことを一瞬わざと睨んで、それから私と目が合った。彼女は何故かニヤリとして、手でハンドガンを作り、バンバンと私に撃つ仕草をした。やや変な仕草だが、彼が来てくれて良かったね、と言う意味だと理解した。


 博士がレポートを読みながら手を差し出してきたので、その意味が何となく分かると、私は彼の大きな手のひらに、ボールペンを乗せた。彼は手でクルクルとペンを回転させた後に、レポートの表紙に、さらさらと達筆で要点を箇条書きにしてくれたのだった。私とリンは「おお~」と、感嘆の声を漏らした。


 そして全てを読み終えた博士が、ソファのテーブルでトントンと整えた後に、私にそれを渡してくれた。


「まあ、こんなものでしょう。文章の長さの割には、あまり内容がありませんでしたが、表紙に箇条書きにした点は、博士が自慢を持って勧めている要点らしいので、突っ込んであげてください。箇条書きの下に付け加えたものは、私自身、気になる部分なので、どういうことか尋ねて欲しい点です。あとは適当に相槌でも打てば、凌げますよ。」


「これはまあ、何とまあ!ありがとうございます。ああ!これは本当に助かりました!」


「ふふ、それに博士と呼ぶのは、もうおやめください。私の名はアレクセイ・ジェーン・シードロヴァです。」


 名前が巻き舌交じりの発音だったので、聞き取れず、私は彼に通常の発音で聞き返した。


「アレクセイさん?この発音だといけない?」


「ふふ、いけなくはありません。ですが名前で呼ばれるのは少々……是非ミドルのジェーンの名で、お呼びください。」


「私はリンで!」


 元気のいい声で割り込んできたのは、彼の隣に立っているリンだった。彼女と握手をしながらジェーンが頷いた。


「分かりました。リンですね……それではボスは何とお呼びしましょう?」


「私の名はキルディアです。まだ所長になって間もなく、皆は以前の名残で、キリーとそれまでの愛称で呼ぶ人が多いです。それに、ボスと呼ばれるのはまだ慣れていなくて。だからキリーとお呼びください。」


「分かりました、キリー。これから宜しくお願いします。」


 ジェーンは私と握手をしてくれた。思ったよりも暖かい手だった。その日、彼はオフィスとスケジュールの整理整頓を、有言実行してから帰って行った。

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