Aパート 5

 この日の王都ラグネアが様子を、さる学者はこのように手記へ書き記している。


『売り買いの活発さたるや、引き絞られた弓が放たれたかのごとき勢いであり、市井へ生くる者らがいかにこの一年、我慢を重ねていたかがうかがい知れようというものである』


 ……と。


 魔人王の極光オーロラが消え去り、勇者もまた姿を消してからの一年、王都の民に蔓延まんえんしていたものはといえば、これは、


 ――自粛。


 ……の空気であると言えるだろう。


 人々は誰も彼もが買い控え、遊びをつつしみ、ともかく銭というものを出し惜しんだ。

 確かに、魔人の襲来はぱたりと途絶え、一見するならばその脅威は去ったかのように思える……。

 が、思えるだけだ。

 確信があるわけではない。


 何しろ、希望の象徴たる勇者ブラックホッパーが帰還していないのだ。

 ……人々が抱いた不安たるや、想像するに余りあるものがあった。


 もしかしたならば……。

 明日、いや、次の瞬間にでも新たな魔人戦士が現れ、王都を蹂躙じゅうりんせしめるかもしれない。

 そしてその時、唯一対抗可能だった勇者は不在なのである。


 金子きんすさえあれば生き延びられるというものでもないが、やはり、いざという時頼りになるのは金の力だ。

 それがため、人々は自然と銭を貯めこみ贅沢を止めるようになっていたのである。


 当然ながら、いわゆる夜の遊興を扱う店や一般の飲食店が受けた打撃は大きく、国が行った家賃補助などの政策もむなしく店を畳むことになった者も少なくない。


 魔人族という存在の最も恐ろしいのは、かような潜在的恐怖心による間接的な兵糧攻めであると語った王国議員もいたくらいである。


 その潮流が――変わった。

 潮目をもたらしたのは他でもない……国の象徴たる巫女姫ティーナと、新たに魔人族の代表へ就任したという青銅魔人ブロゴーンとの魔法会談である。


 なるほど、手記を残した学者の『引き絞られた弓が放たれたかのよう……』というのは言い得て妙だ。

 しんぼうという名のつるを引き続けてきただけに、いざ指を放せばその勢いたるや想像を絶するものがある。


 財布のひもをゆるめるどころか、解き放つほどの勢いで……。

 人々は久方ぶりの贅沢を楽しもうと、遊興に暮れ、美味い酒や食事を楽しんだのであった。


 その流れが最高潮に達したのが、本日――終戦記念式典の日である。

 街の至る所には出店のたぐいが開かれ、失われていた利益を取り戻さんと大いに商売へはげむ……。


 子供たちなどは、各家庭で手作りされたブラックホッパーを模した被り物や、あるいは彼の象徴である真っ赤なマフラーを首に巻き、ごっこ遊びへ夢中になっていた。


 特に盛況なのは、王都が誇る大神殿前の広場である。

 かの日、勇者が究極の力へと至ったその場所では……。

 彼を模した大理石像がお披露目され、人々の目を集めていたのだ。


 人々の反応はといえば、様々である。

 これを造り上げた彫刻家の技前に感嘆かんたんの声を漏らし、ありし日に異形の勇者が見せた活躍の数々へ思いを馳せる者……。

 勇者本人とちょっとした会話を交わした思い出を、連れに向かって誇らしく語る者の姿もある。

 中には、神像へそうするように拝み上げる者の姿もあった。


 もしも、勇者本人がこの光景を見たならば、果たして苦笑を浮かべただろうか……。

 それとも、珍しく照れた姿を見せただろうか……。

 もはや実現し得ぬ光景を夢想しながら、レクシア王国の巫女姫――ティーナ・レクシアは、大理石像の前に設けられた壇上へ立った。


 壇上の周囲には、隣国イーリスを始めとした近隣諸国や、中には海を隔てた国から招かれた来賓たちの姿がある。

 今日この日のために、前々から打診し招待した人々だ。

 騎士団長ヒルダは、竜騎士の資格を持つ精鋭たちと共に彼らの警護へ当たっていた。


 これを取り囲むように王国民が列を成し、ホッパー像や来賓たちの姿を目に焼き付けているのである。


 まだまだ小娘に過ぎぬ年齢のティーナであるが、国の象徴として出席してきた儀式や祭典の数は枚挙にいとまがない。

 にも関わらず緊張している自分を感じ、姫君はそっと胸元を押さえた。

 今日のため、特別にあつらえられた装束……。

 胸元にしまわれているのは、勇者から託されたあの不思議な絵であった。


 こうすると、不安や緊張がすっと消え去っていくのを感じる。

 そして、この絵を通じ、はるか次元を隔てた世界で全てを救うべく太陽となった勇者に、眼前の光景が伝わることを願いながら口を開いた。


「我が愛すべき国民たち……!

 先日、魔界代表との魔法を通じた会談により、魔人族の脅威が完全に消え去ったことは聞いていると思います……!」


 この場に参じた者で、その事実を知らぬ者などいようはずがない。

 しかし、敬愛する巫女姫の言葉を聞き逃すまいと……あるいは、あらためてその事実を噛み締めようと、皆が皆、静寂と共にこれへ聞き入っていた。


「魔人族によって、家や家族を失った者がいるでしょう……!

 あるいは、その影響から仕事を失った者もいるでしょう……!

 此度こたびの戦いによって失われたものはこの世界そのものよりも重く、その恨みや怒りを忘れよとは言いません……!」


 巫女姫の言葉に、涙を流す者たちの姿が見られる。

 彼らこそ、今、ティーナが語ったかけがえのないものを失った人々であるに違いない。

 同情する気持ちを押し隠しながら、ここでティーナは声量を増やした。


「しかし! その上であえてお願いします!

 その気持ちを抱えたままでいい……!

 新たな一歩を踏み出して下さい!

 それこそが、かの地で太陽となり魔人族たちすらも救ってみせた勇者の……ブラックホッパーの願いであると、わたしは確信しています!」


 言葉を発する者がいたわけではない……。

 しかし、自身に突き刺さる無数の視線が、この言葉へ同意していることをティーナは理解した。


「では――当代巫女姫ティーナ・レクシアが名のもとに、ここへ魔人族との戦闘終結を宣言し、警戒体制の解除を命じます!」


 ティーナの言葉へ応じ、事前に騎士団長ヒルダと打ち合わせた内容通りに警備の騎士たちが武装を解除しようとした、その瞬間である。


 爆発音がとどろき……。

 人々の悲鳴が、響き渡った。

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