Aパート 4

 鼠小僧の伝承しかり……。

 ミラの聖ニコラオにまつわる伝説しかり……。


 貧しき者に施しを与える人間の逸話というのは、いかなる世界においても誕生し得るものである。

 そしてそれは、レクシア王国が王都ラグネアにおいても同様であった。

 といっても、ラグネアにおけるそれは神話伝承の類ではなく、れっきとした現実だ。


 その人物は、見たことも聞いたこともない奇怪な乗り物に乗ってやって来る……。

 前後に一輪ずつの車輪がついた、それで何故横転せぬのか理解に苦しむ構造をした鋼鉄製の乗り物だ。

 フロント部は鋼鉄の竜と呼ぶべき意匠をしており、よくよく各部を見やれば翼や四肢といった竜の各部位が変形し格納されているのが見て取れる。

 そして尾が変形し格納された後部には、書物やインクを始めとした大量の勉強道具がくくり付けられているのだ。


 ただでさえ横転せぬのが不思議なところに、それほどの荷物をくくり付けていてはいかにもバランスが悪そうであるが、真紅のマフラーを風になびかせた騎乗者の卓越した操縦技術により、その進行にはいささかの不安も抱かせなかった。


 彼とその乗り物について、もはや知らぬ者はいない……。

 勇者ショウと、今代の聖竜が変身した姿――竜翔機りゅうしょうきドラグローダーである。


 馬車や徒歩の人が行き交う中をゆっくりと進む勇者が目指しているのは、さる孤児院であった……。


 道中、一部の婦女子が、


 ――あの方が。


 ――やっぱり、実物もすごいのかしら?


 ――ああ、憧れるわあ。


 等と書物を手にしながら噂し合っていたが、勇者はそのことを気に留めなかった。




--




「勇者様……いつもいつも、子供たちのためにありがとうございます」


「いえ……おれがしたくてしていることですので、どうか頭をお上げください」


 孤児院の院長を務める老齢の神官と恒例になりつつあるやり取りをしながら、おれはドラグローダーにくくり付けていた荷物を孤児院の中に運び込む。


「ゆうしゃさまだー!」


「また、お勉強を教えに来てくれたのー?」


「そうとも、皆、しっかり励むのだぞ」


 出迎えてくれる子供たちの笑顔を見ていると、道交法どころかローダー以外の車両が存在しない街中を運転してきた疲労も吹き飛ぶ。

 情けは人のためならずと言うが……これでは、おれの方が一方的に元気をもらっているようで何やらあべこべであった。


「ふうむ……しかし、本当にこんなもので良いのかのう? お菓子とかの方が良いのではないか?」


「おれやお前ならばそうだろうがな……」


 変身を解除し、荷物運びを手伝うレッカに苦笑いを返す。


「筆と算術というものは、いずれ必ず役に立つ。

 それに、飢える者に対しては魚を与えるよりも魚の獲り方を教えるべきというのがおれの考え方だ」


「そういうものかのう……」


 この後、孤児院の子供らと共に勉強を教わることになるレッカはしゃくぜんとしない表情で生返事を返す。

 それが何やら、幼い頃の自分を見ているようで……。

 おれはますます、苦笑いを深めるのだった。




--




 地球の古代文明においては、労働の対価として塩を与えていたという……。

 給料サラリーの語源だ。


 労働高を物品や貴金属に換算し報酬として与えるのは文明社会における基本原理であり、いかなる者もこれから逃れることはできない。

 それはこのおれ、イズミ・ショウとて同様である。


 となると、ここで一つの問題が発生してしまう。

 ティーナから直々に下賜かしされる金子きんすがあまりに多額すぎて、おれはこれを持て余してしまったのである。


 単純に換算できるものではないが……感覚的に捉えるならば、その金額はプロ野球選手の年俸にも相当するはずだ。

 はっきり言ってしまうと、使い道がない。

 そもそもの話として衣食住は充実したものが与えられているし、おれに享楽きょうらく的な趣味は存在しないからである。


 そのため、最初は固辞こじしようとしたのだが……これはたしなめられた。

 最前線で魔人戦士と戦うこのおれが報酬を辞退してしまっては、かえって騎士たちへのしめしとならぬからである。

 そう言われてしまっては、否はない。


 そんなわけで何となくキムチなんぞ仕込んだりしながら使い道を模索したのだが、最終的にたどり着いたのが孤児院への寄付であった。

 ただ金を金として渡すわけではない……。

 勉強道具を大量に買い込んで寄贈し、その上でおれ自らが講師となっての簡単な授業を申し入れたのだ。


 日頃のあいさつ回りなどで判明した事実なのだが、この世界で教育を受けるというのは非常に金がかかる。

 それはごく当然の話だ。

 おれから見て、レクシア王国は文明レベル以上の豊かさを誇る国家であるが、それでも限界というものは存在する。

 王都ラグネアに限ってみればかなりの識字率であるものの、百パーセントというわけではないし、読み書き以上の高等教育ともなれば完全に貴族階級や富裕層にのみ許された世界なのであった。


 そもそも教鞭を取れる者の絶対数が足りておらず、羊皮紙にしろインクにしろ技術レベル相応の高価さなのだからこれは当然の帰結であろう。

 おれはその状況を、寄る辺なき子供たちにとってのチャンスであると睨んだ。

 二宮金次郎しかり。

 ナポレオンしかり。

 学問というのは、志ある者が身を立てる上で最大の武器になりえると偉大な先人たちが証明している。


 おれの持て余した金で多少なりとも文具屋が潤い、明日を担う子供たちに道を指し示せるならばこれ以上の使い道はないだろう。


「本当に、いつもありがとうございます。

 近頃は魔人族のせいで食料品なども値上がりしてしまい、私共だけでは読み書きを教えることすらおぼつかぬ有様ですので……」


 算数の授業終了後……。

 おれは応接室で、院長先生と茶飲み話に興じていた。

 ちなみレッカは、授業を終えた子供たちと共に鬼ごっこへ興じている。


「心中お察しします」


 苦い茶を飲みながら、おれは先生にうなずきかけた。

 魔人族の跳梁ちょうりょう……それは少しずつ、確実に人々の生活へ影を落としこんでいるのだ。


「値上がりと言えば……」


 その単語に、おれは気になっていたことを思い出す。


「羊皮紙やインクの相場が、ずいぶんと値上がりしてるのが気になりますね」


 このことである。

 ただでさえ、この国における文具は高額だ。

 それがここしばらくで、目に見えて値上がりをしているのである。

 いつも頼んでいる商人の話によれば、大規模な買い占めがあったということで……おれの注文分を確保するのにもずいぶんと骨を折ってくれたらしい。


 だが、買い占めた者が何者であるかもその用途も一切が分からぬということで、彼もずいぶんと不思議がっていたものだ。


「誰かが、大規模に写本でも作ろうとしているのでしょうか……」


 余談だが、この世界に活版印刷技術というものはない。

 それもまた、教育が高コスト化している理由の一つである。

 おれが伝えるという手もあるが、銃の時と同様でやるにしても年スパンの時間が必要になるだろう。


「ふうむ。それは私には分かりません。

 ですが、本と言えば気になることがありましてな……」


 苦虫を噛みつぶしたような顔、というのはこのことであろう……。

 おれの話を聞いて、院長先生が言いづらそうにしながら話を切り出した。


「実は、お使いを頼んだ子供んお一人が道端で偶然にもこのような本を拾いまして……」


 院長先生は席を立ち、引き出しから一冊の本を取り出すとそれをおれに差し出す。


「これは……ずいぶんとしっかりした装丁の本ですね。

 しかも、真新しい……」


 革表紙には、タイトルも何もない。

 だが、この世界で触れてきた書物と比べてずいぶん作りがしっかりしており、製本されて間がないことは見抜くことができた。


「あ! 開いてはなりません!」


 何気なく中身を確かめようとしたおれに、院長先生が待ったをかける。


「いえ、お渡しした以上は中身を確認していただきたくはあるのですが……。

 どうか、お一人で! 心安らかにしながら! 確認していただきたいのです!

 それと重ねて言いますが……決して! その子供が所持していたというわけではありません!

 ただその子は、誰かが落としたのを拾っただけなのです!

 お分かり頂けますか!?」


「え、ええ……はい」


 何故だかものすごい剣幕で迫られ……。

 おれともあろうものが、思わず気圧けおされそう返事する。


「そういうことなら、帰ってから確認することにしましょう」


「ええ! ええ! それがいいですとも!」


 うんうんと、何度もうなずく院長先生を不審に思いながら……。

 おれはその書物を、教材が入った鞄にしまうのだった。

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