7.勝負にならない負け上手 5

「は?」


 彼女の不敵で冷笑的な笑みは一瞬で消し飛んだ。完全に虚を突かれた、まったく状況を理解できていない呆け顔になっている。対して後輩の表情は微塵も崩れない。


「え、いや、なんだいその唐突なセクハラは。今はそんなことより本のヒントを」


「どんな質問にも答えるんですよね?」


「まあ、そうは言ったけれど、しかしだね」


「牛歩も無しですよほら早く」


「…あ」


 新田は状況を悟った。この後輩、勝負を捨てて残り時間を精神攻撃に使うつもりだ、と。

 思えば3回目を引き分けにしたのが悪かったのか。2回連続不正解の後に訪れる勝ちのない、引き分けか負けかを決めるだけの勝負だ。捨て鉢になる可能性を考慮していなかったのは確かだが、それにしてもまさかこんな反撃に使われるとは。

 確かに事前の確認で【どんな質問にも答える】【作品のタイトル、作者の名前、置いてある場所については無し】と取り決めている。そして【勝負に関係のない質問をしてはならない】というルールは、ない。

 それはそうだろう。誰がそんなことをわざわざ取り決めるというのか。5分という限られた時間の中で、誰が勝敗を度外視してプライバシーについて質問してくるというのか。


 しかし残念ながら【それ】は実在して、しっかりと目の前にいるのだった。


「ひ、左手首から…」


 後輩に見下ろされながら、苦味虫を噛み潰したような顔で視線を逸らして答える。不二は微塵も変わらない笑みで頷いた。

 ルール違反は無い。

 ルール上は何も問題無い。

 自分から降参でもしない限り、質問には答えなくてはならない。ルールに抵触しない限りどんな質問にも、だ。


「はい。じゃあ、次は定番のヤツにしようかな。今穿いてるパンツ何色?」


「おいキミな、セクハラにも限度が」


「どんな質問にも」


 柳眉を吊り上げて顔を向けた新田に不二の言葉が突き刺さる。


「ぐっ」


「牛歩も無しですよ」


 即座に回答しなくてはいけない。【牛歩は無し】も事前に取り決めているのだから、即座に答えなければルール違反だ。


「し、白…」


 想定外の状況で考える猶予をまったく与えられることなく即答を強いられている今、自他共に認める口達者な彼女であっても即座に切り返すことは難しかった。であるならば、それがどのような質問であれ答えるしかない。

 新田の顔は怒りか羞恥か屈辱か、恐らくはその全てだろう。耳まで真っ赤に染まっている。


「はい、次は…あ、降参してもいいんですよー?」


 一方不二は表情もさることながら声のトーンもまったくブレない。


「しないよ、馬鹿なことを」


 もう間もなく制限時間は終わる。それまで耐えれば自分の勝利だ。


「じゃあ続けますね。えっと、ブラのサイズにしようかな」


「はいはい来ると思ったよ!70のCだ。満足かい」


「もちろん」


 不貞腐れた表情で言い捨てて上目遣いに睨みつけるが、今の後輩には柳に風だ。


「まったくいやらしいな。もうなんでも聞きたまえよ。降参は絶対しないからな!」


「それじゃあ」


 やけになって声を荒げる新田に、ふっと影が重なった。覆いかぶさるように目の前に迫った不二の顔から笑みは消え、眼差しは真剣そのものになっている。作った表情ではなかった。


「あの…先輩は」


「な、なんだい…」


 ふたりの間を緊張が支配する。


「僕のこと…」


 おずおずと言いかけた不二の口を。


「すもが」


 新田が両手で塞いだ。


 一瞬の出来事だった。


「じ、時間切れ…」


 新田のか細い声に体を起こして時計を見ると、ちょうど秒針が0を指し示したところだった。彼女はその姿勢のまま俯いて固まっている。

 不二はぽりぽりと頭を掻きながら言葉を探し、少し悩み、結局思うところを言う。


「あのー、止められた時点では数秒残ってましたけど」


 その言葉に固まったままの新田がびくりと震える。


「…いいや時間切れだったね。5分経ってた」


「ええ、でも」


「今のは無効」


 言いかけた不二の言葉を遮って顔を上げた彼女は酷く拗ねた表情で、ちょっと涙目だった。


「うーん…わかりましたよ。最後の質問は時間内に終わらなかったから無効で。時間切れで僕の負けです」


 もはや理屈ではなく、その初めて見る表情ゆえに、彼は彼女の言い分を認めざるを得なかった。

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