第63話 魔剣ティルヴィング
「リタ!大丈夫か!?」
アルと共に到着したエルヴィンがリタを心配するが、返答がなされることはなかった。彼女の意識は眼前に現れた黒髪の男性に集中している。
この一週間、リタはその男性のことは嫌と言うほど話に聞いていた。世界で一番強くて、かっこよくて、優しいと。そして、世界で一番娘が愛している男性だと。
「アルさん、遅いですよ……」
「パパぁ……良かったぁ……」
「すまなかった、すぐに終わらせる」
アルが来たことで二人は安堵の表情を浮かべる。アルはそんな二人に笑みを向けてから、戦いを始める。
ゴーレムの頭上からの一撃を止めたメイスを、力任せに振り上げてバランスを崩させると、そのまま人外のスピードとパワーで滅多打ちにして攻め立てる。
「す、すごい……」
リタが思わず呟き、エルヴィンもそれに同意する。
目の前で信じがたい光景が広がっていた。人間がゴーレムの力を圧倒するなど有り得ない。ましてや相手はミスリルとアダマンタイトの合金製。重量も力も通常のゴーレムとは比較にならないはずだった。
アダマンタイト同士の衝突する甲高い音が辺りに響き渡ると、やがて周囲で倒れていた兵士たちも目を覚ます。そして誰もがその戦闘に目を奪われる。
見るからに重量のあるメイスを使っているにも関わらず、その重量をまるで感じさせない動き。一撃ごとに確実にゴーレムをセアラたちから引き離していく。
アルは怒っていた。二人の危機に遅れそうになった自分にも、危険な目に遭わせた目の前の相手にも。烈火のごとき感情を攻撃に乗せて、ゴーレムに叩きつけていく。
「……ぐっ、なんだこいつは!?」
驚いているのはエルフたちだけではなかった。想定外の援軍に、魔導師の男も表情こそ分からないものの、その声色から混乱していることは明白だった。
アルがメイスをゴーレムの顎に振り上げて仰向けに倒すと、ゴーレムにダメージがないことを確認し、やっと正気を取り戻す。
「……ははは!見事な攻撃だったが、その程度ではこれは壊せん!」
のっそりと起き上がるゴーレムを見て、アル以外の者たちは驚きと落胆を隠せない。
「そんな……アルさんでも……?」
「パパ!負けないで!」
アルはセアラとシルに大丈夫と言うように頷くと、徐にメイスを収納空間にしまい、ティルヴィングを取り出す。
それを見て魔導師は驚愕の声を漏らす。
「魔剣、だと!?」
「よく分かったな?」
しかしいくら魔剣とはいえ、相手は固さが売りのアダマンタイトのゴーレム。すぐに落ち着きを取り戻した魔導師が、アルに嘲笑を向ける。
「……ふん、まあ確かに驚きはしたがな。たとえ魔剣であっても剣には違いないだろう?」
アル以外の者たちも不安な表情を隠せない。アダマンタイトを斬るなどという芸当は聞いたことがないし、出来るとも思えない。
「アルさん……」
セアラたちが心配そうに見ている中、アルは自らの左掌にティルヴィングを突き刺すと、一同は何事かと目を見開いて驚愕する。
「吸え、ティルヴィング」
「……え?」
思わず目を背けたセアラが恐る恐るアルの方を再び見ると、剣が手のひらを貫通しているにも関わらず、その傷口からは血が一滴も流れない。
「……何のつもりだ?」
アルの意図が分からず、魔導師も困惑している。そしてゴーレムは立ち上がったものの、その動きを止めたままだ。
「ティルヴィングという魔剣を知っているか?」
「……名前だけはな。お目にかかるのは初めてだ」
アルの突然の問いかけに驚くも、律儀に答える魔導師。
「そうか、これは呪いの魔剣だ。その能力を全て引き出すには二つの条件が必要となる」
呪いの魔剣という言葉にセアラたちが肩を震わせる。
「ずいぶんともったいつけるじゃないか」
「まあ焦るな。一つはこうして血を吸わせること、そしてもう一つはこれだ」
アルの体から真っ黒な魔力が溢れ出す。
「……闇の魔力?それも可視化出来るだと!?」
闇属性は魔界に棲む魔族、光属性は神界に棲む神族とその眷族の専売特許。
人間や妖精族の中にも扱えるものはいるが、アルの見せたそれは魔族に匹敵するどころか、それを越えている。
「ティルヴィングは魔力を吸う特性を持っている。なかでも闇の魔力が大好物でな、使用者の血と一緒に吸わせてやるんだ」
アルの体から溢れていた魔力が、ティルヴィングに収束されると、徐々にその姿を変貌させていく。
元々ティルヴィングはアルクス王国の宝物庫に放置されていた。持っているだけでも使用者の魔力を吸い、本来の力を引き出すために血と闇の魔力を要求する魔剣。
アルがそれを手にするまでは、誰もそれを扱うことは出来なかった。
そして魔剣にはそれぞれ相性の良い属性がある。ちなみにアルクス王国の剣聖マイルズが持つ魔剣レーヴァテインは、火の魔力を通すことでその力を発揮する。
「これが魔剣ティルヴィングの真の姿だ」
アルは掌から抜いたティルヴィングを魔導師に見せつける。その形状は先程までのロングソードから刀へと変貌している。ただしその刀身に刃文は存在しておらず、先程までのように黒光りもしていない。見つめていると、深淵を覗いているような錯覚すら感じさせる。それはまるで闇が形を成しているようだった。
周囲の者たちが、目の前で起きた出来事に驚愕している。それは魔導師も例外ではないが、それでも強気な姿勢は崩さない。
「……はっ、その手品がどうしたと言うのだ。それならばこのゴーレムを、アダマンタイトを斬れるとでも?」
「ああ、斬れる」
微塵の疑いも持たずに即答するアル。魔導師は苛立ち、自身の最高傑作との真っ向勝負を提案してくる。
「いいだろう、それで斬って見せるがいい。もし失敗したら私のやることに口を出さないでもらおうか?」
「ああ。お前の方こそ、このデカブツが斬られたらどうするんだ?」
「そのようなことは万に一つもないが……一つお前の質問に答えてやろう」
アルは逡巡して了承する。ゴーレムを倒したとしても、魔導師を捕らえられる確証はない。何も情報を得られずに取り逃すくらいなら、取り敢えず賭けに乗って一つでも情報を得る方がいい。
「悪くないな、なら行くぞ」
この場にいる者たちが固唾を飲んで見守るなか、アルが高々と跳躍し、幹竹割りの要領でティルヴィングを振りかぶると、ゴーレムは腕でガードをすることなく、その一太刀が届くのを微動だにせずに待つ。
「っ!!」
ティルヴィングとゴーレムがぶつかる瞬間、誰しもが大音量の衝突音に身構えるが、そのまま音もなくアルが着地する。
「え?外した……の?」
「い、いや、確かに当たったはずだが……」
リタの呟きにエルヴィンが答える。
次の瞬間、ゴーレムが左右に真っ二つに割れる。
「バ……バカな!そんなことが有り得ると言うのか!?」
明らかな焦燥を帯びた声色が辺りに響き渡る。
エルフの兵士たちの中には、腰を抜かすものまでいる始末だ。それだけアルの一振りの衝撃は大きかった。彼らはアルとの力量差も弁えずに矢を向けたことが、今更ながらに恐ろしくてたまらなく感じていた。
もしもアルが敵対したら、ここにいる全ての者が束になったとしても相手にならない。そう思わせるに十分な物だった。
「さて、約束は守ってもらおうか?……そうだな、お前の正体を教えろ」
「……まあいい、人は私をダークエルフと呼ぶ。私はお前たちのように逃げたりはしない。かならず人間どもを従属させる」
そう言うと足元に魔法陣が出現し、魔導師はゴーレムと共に転移魔法で姿を消す。会話をしながら撤退の準備をしていたようで、一瞬の出来事であった。
「ちっ、用意周到なやつだ。しかしダークエルフか……」
ティルヴィングを収納し、難しい顔で考え込むアルに、セアラとシルが抱きついてくる。
「アルさん、お怪我がなくて良かったです。それに、母を助けていただいて、ありがとうございます」
「パパぁ、怖かったよ……」
「ああ、俺の方こそすまなかった。無事で本当に良かったよ」
アルが二人を抱き締め、互いの無事を喜びあっていると、リタが三人に近付く。
「アルさんですね。初めまして、セアラの母のリタです」
長命のエルフだけあって、セアラと並ぶと、まるで姉妹のようなリタ。アルはそんな彼女の容姿に驚きながらも、セアラとシルから体を離し、緊張した面持ちで直立する。
「初めまして、アルと申します。セアラ……娘さんとは先日結婚させていただきました。ご挨拶が遅くなりまして、大変申し訳ありません」
「ふふ、そんなに畏まらないでください。あなたはセアラの命の恩人で、私の命の恩人でもあります」
「……ありがとうございます……あの、エルフのあなたからすれば、複雑な思いがあることは承知しております。それでも、もし可能であれば、娘さんとの結婚を認めていただけないでしょうか?私が必ず彼女を幸せにしますので」
深々と頭を下げるアルに、頭を上げるようリタが促す。
「はい、いいですよ。セアラをよろしくお願い致します」
「……よろしいんですか?」
あまりにもあっさりと許可を出すリタにアルが目を白黒させる。
「もちろんです。たった一週間ですが、セアラと暮らしてよく分かりました。それに私はセアラを一度は手放した身、あなたに許可を与えるなんて烏滸がましいことは致しません。私からあなたにセアラをお願いしたいのです。どうか今のまま、変わらず娘を幸せにしてやってください」
「お母さん……」
二人のやり取りを心配そうに見ていたセアラの双眸から、涙がぽろぽろとこぼれ出す。そしてアルはセアラの手を取ると、リタの目をまっすぐに見つめ返す。
「分かりました。その約束を違えぬよう、必ず幸せにします」
「はい、もちろんシルちゃんもですよ。私の可愛い、可愛い孫ですからね」
「もちろんです」
アルは嬉しそうに身を寄せてくるシルの頭を優しく撫でる。気持ち良さそうに目を細め、久しぶりの感触に身を委ねるシルの表情は、見るもの全てをホッとさせる。
そこには各々種族が違ったとしても、家族であり親子である三人の姿があった。
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