29.コードルモールの惨事(2)
18頭中18着、それがサンサンブロークンの戦績だった。
「ま、まさかドンケツだなんて」
「……残念だったな」
「……」
イングリットは反論もせず、その場にうずくまっている。飛び跳ね暴れまわっていた少女が、常時ハイテンションな少女が、いまはすっかり沈黙している。
どう声を掛けたものか。何も思い浮かばず、仕方なく孝太郎は彼女の肩に触れることにした。
――とりあえずショックを与えるか。
動く気になってもらわないとルクスに帰れない。彼はひっぱたかれる覚悟をして、その手をそっと近づける。
「インチキぃぃいい!!」
「――うぉ!?」
イングリットは飛び起きた。そしてめいっぱい叫んだ。
「ありえない! 断じて有り得ない!! サンサンブロークンの末脚が不発なんて信じなーい!! 審議審議ぃ!!」
「お、おい」
彼女は地団太を踏んでいる。――このまま文句を叫び続けるだけならよかった。
「ルクス国王の権限を持ってこのレース、審議にします!」
「っな!?」
言うなり柵を越えて芝生の上に行こうとするイングリットを孝太郎がフードをつかんで引き寄せた。隠されていた金髪が夕日の中に露わになる。
自然と背中から肩を抱くような形になってしまったが、孝太郎は気にしない。むしろ都合が良い、彼はそのままイングリットを羽交い絞めした。そうして彼女の頭にフードを被せ、すぐにその場を離れようとする。
しかし、イングリットはしつこく暴れる。被せられたフードを脱ぎ、ついでにメガネも投げ捨てた。
「邪魔すんなっ! 私があの子を救うんだ!」
「正気かおまえ!?」
「正気じゃいっ!!」
「わかった! おまえは正気じゃない! もう無理にでも連れて行くからな!」
――まずいな。
見られている。
孝太郎は明らかな違和を二つ感じていた。まずはイングリット。自身の権限を使おうとしてから、彼女の雰囲気がおかしい。言動が異常であるということではない、有り体に言えばオーラが強まっている。まるでスイッチが切り替わったかのように、イカレタ町娘からイカレタ王のそれへと変化している。前者はまだ可愛かった。だがいまのイングリットには狂王の風があった。行動の結果がどうなろうと思うままを突き進んでいこうとする頑固な意志が感じ取れた。心なしかその顔つきも、威風を纏っているように思える。
次に厄介なことに、周囲の視線がその色が、光彩を変えているように感じる。仲の良い兄妹を見るような、彼にとって慣れ親しんだ優しい目つきから、異物を見る怪訝の目つきへと。
それは確信に変わりつつある。
「あの子もしかして……イングリット姫?」
どこかから声がした。
「っ!」
――バレたか!?
ぐっと喉がしまる。孝太郎は自分の体が固まる感覚に、緊張を自覚した。
連れらしき人物の声が聞こえる。
「いや、ないだろ。結婚式が近いってのにこんなとこいるかよ」
「でも……」
「だから観戦をキャンセルしたんだろ」
「え、反魔人派の暗躍を恐れて、じゃないの?」
「ん~、君たちぃ、それはどっちも違うね」
どこかで聞いた声がその会話に割り込んだ。
「見ただろ? ビリだよあの馬。きっと彼女、自分の馬に期待してなかったんだよ」
その言葉はイングリットの耳に確りと入り込んだ。たちまち彼女は音が立つほど息を吸う。叫ぶ気だ。
「なわけ――」
「させん!」
孝太郎はイングリットの口に手を突っ込んだ。
イングリットは一瞬戸惑ったようだが、
「――もがっ!!」
殺気を込めて孝太郎を睨んだ。
――こわっ。
「頼む、落ち着け……! 政情不安なんだろ!? 馬のレース程度でいちいちキレてどうする!」
そう囁くと、
「っ!」
激痛が走った。
イングリットは思いきり彼の手を嚙んでいた。鮮血は瞬く間に咥内に広がり、唇から滴る。彼女は「カッ」と短く喉を鳴らし、胃に落ちようとするそれを吐き出した。
そして猫のようにギラついている。
「フゥーッ!」
「――っこの!」
孝太郎の頭に一気に血が上った。
「バカたれ! そんなに自分の馬が大事か!!」
「フッ!!」
聞く耳は持たない。血が上っているのはイングリットも同じである。彼女は勢いのままに顎を閉じきるつもりでいる。
「っ! おまえ、噛み千切る気か!」
「フッ!!」
「そうかいクソッたれ! 手間の掛かる! ――なんでおまえが王なんだ!」
そうして二人が対峙している中、周囲の視線もドンドンと強まっている。孝太郎は背中にジットリと焼け付くような感触を覚えた。本当にそろそろマズい。
「おい! いい加減にしろ! 俺たちにはもっと大事なことがあるだろ!」
「フッー!」
「何が何でもか。――どうしろってんだ」
孝太郎はウーの顔を思い浮かべた。次に会ったら文句を言ってやろう。世界統一がどうこうの前に、この少女が一番の障壁となっていると。こんなきかん坊では補佐も何もあったもんじゃない。
――まてよ……。
「……。ちっ、この国に労災はあるか?」
「フ――?」
孝太郎の声色が変わった。イングリットはギラついた目に疑問符を浮かべている。
「あるといいが。まぁ、なかったらないで、ウーに請求させてもらおう」
「?」
「俺は今からおまえを抱き上げる。拒否は許さん。この手、噛み千切りたきゃ噛み千切れ、その分奥に突っ込んでやる。――ただ、両手の方が居心地がいいと思うぞ」
言うが早いか、孝太郎はイングリットの太ももに腕をまわし持ち上げた。
イングリットの顔が真っ赤に染まる。
「ちょ!? なにしてんの!?」
「よし!」
怒っているのか照れているのか、区別がつかない。しかし、おかげで口から手が取れた。
孝太郎は傷付いた手でイングリットの肩を抱いた。ちょうどお姫様抱っこの形になる。
「このまま運ばせてもらう!」
「イヤァー!! このカッコはダメだって!」
「何がだってだ!」
「私はもう女王なの!」
「何言ってんだ!」
イングリットに顎をグイグイと押しやられながら、孝太郎は芝生に背を向けた。
その時、
『――――みなさん、初めまして。反魔人派のジョー・ブックと申します』
奇妙なアナウンスとともに、場内に銃声が響いた。私服の男たちがゾロゾロと芝生の上に現れ、マスケット銃を見せつけてくる。
あからさまなテロリズムである。どうやらイングリットの懸念は当たってしまったようだ。
――いや、まだここに女王がいるとは知られていないはず。
だとするとイングリットが目的ではない。いまここにいる彼女を狙ってきたわけではない。
――しかしまぁ次から次へと。最悪だ。
孝太郎は思う。しかし、やることは一つだ。ここを脱出しルクスへ戻る。それ以外にない。そう理解していれば後は行動するだけだ。手順も頭に出来上がっている。
むしろ、注意が逸れて逃げやすくなったか……。
「――なんだ?」
そうして彼は、競馬場の異様な空気に気付いた。
レースから時間は経っていなかった。勝利した馬がウイニングランしているほどだった。よって場内には熱気が満ちていた。そんな中での銃声に場内は騒然となるかと思いきや、ほとんどの人が腰を低く頭を下げた姿勢をとり、粛々と避難を始めていた。悲鳴一つ聞こえない。
まるで、事が起きると予めわかっていたかのような。
「まさか……訓練?」
「何言ってんの? バカなの?」
ジトっと目を細めてイングリットが言った。投げやりに続ける。
「こんな大掛かりな訓練無いし。――反魔人派だから。それだけ」
「それじゃわからん」
「いいから。さっさと逃げよ」
「え?」
気付けば、イングリットは大人しく彼の腕に収まっていた。
「どういう風の吹き回しだ」
「別に。ほら早く。運んでくれるんでしょ」
「……落ち着いたなら歩いてくれないか」
「……そうね」
イングリットは静かに立ち上がると、フードを目深に被り直した。
狐につままれたような気味の悪さを覚えつつ、孝太郎は疲れた腕を回して調子を整えている。
イングリットが呟く。
「……ですね」
その口元は、出会ったときと同じように笑っていた。
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