???
それは人間が気づいた時にはもう既に手遅れだった。
ユーラシア大陸の中東に位置する小さな寒村に黒い霧が発生した。それと同時期にその村に住む子供達が次々と眠るように静かに意識を失い、それきり目を覚まさなくなった。
最初の一人を村の医師が診察している間に二人目、三人目と次々に昏睡状態に陥っていき、その村の近くに住んでいた一人の竜学者がその村の惨状に気がついた頃には、その村に目を覚ましている子供は一人もいなかった。
竜学会はその村で起こった事象を第一級竜害と認定し、調査を開始した。
「本当に、黒い霧……ですね。まるで火事みたいな」
竜学者達がその村に調査キャンプを建てて一か月、竜害の発生から三か月が経過してもなお、その黒い霧の正体も、竜の姿も見つからず、遂に師匠にも調査協力の依頼が来た。
「そうだね……弟子くんはアレを見て、どう思う?」
ヘリコプターの窓から、黒い球状モヤに包まれた村を見下ろして、俺は何となく心に浮かんだ感想を漏らす。
「なんていうでしょうか……遠くから見るとまるで、檻のように見えます」
そう、その村にある何かを外に逃がさないために村全体を覆い隠しているような、そんな感覚。
「檻……か……」
師匠は俺の意見を否定も、肯定もせず、静かにその黒い球体を見ていた。
俺達は、その黒い球体から少し離れたところに設立された竜学者達の調査キャンプ前に降りる。ここならあの黒い霧も届いてこないらしい。
「お邪魔します」
師匠と共にテントの入り口をくぐり抜けて、俺はその光景に絶句した。
これ、全部。あの黒い霧の被害者かよ。
二十にも及ぶベッドに横たえられた子供達。その体には無数のチューブと機械の配線が絡みついて自らの力で食事も水分も摂ることができなくなった彼らの生命を繋いでいた。
「ああ、待ってたわ」
「大丈夫、ミーシャ? 酷いクマだけど、ちゃんと寝てる?」
俺達を迎え入れてくれた白衣姿のミーシャさんはもう何日も風呂にも入れていないのだろう、ぼさぼさに跳ねて痛んだ髪、数か月前よりもこけた頬。一目でまともに休めていない事を察することができた。
「寝てらんないわよ。手がかり一つ無いんだから……それより、あなたの意見が聞きたいわ」
ミーシャさんはそう言いながら電子タブレットを師匠に手渡す。
「いくつか動物実験を行った結果、あの黒い霧を呼吸器から取り入れることで一定年齢以下の生物が昏睡状態に陥る、と言う事だけが分かったわ。一度寝てしまえば霧からどれだけ離しても目覚める気配は無し」
「やっぱり人間以外にも影響が出てるのね……」
「ええ、ただ、そっちは子供の基準が随分と曖昧ね。人間に限れば、現状十七歳以下が被害者の共通点、あの村では慣例的に十八歳を成人とする文化があったから、その影響が色濃く出ているみたい」
「人間の価値基準に影響を受けている……か。ねえガルちゃん?」
「がる?」
師匠の呼びかけに応えるようにガルが俺の肩掛け鞄から首を外に伸ばす。
「ガルちゃんはあの黒い霧、どう思う?」
「がう~。がぁう」
「敵意は感じない。らしいです」
ガルは少し不思議そうな表情で首をクルクル左右に捻る。どうも、自分の価値観の中にはあの霧に当てはまるものが見つけられないようだ。
「敵意は無い……か」
「実際、有毒性分は無いし、この子供たちも寝ている。以外に命に別状は無いのよね」
とはいっても、その眠り続けている。と言うのが大問題なのだけど、と自ら捕捉する。
「寝ている……か……ねえ、ミーシャ。この子達の脳波ってどういう状況なの?」
師匠は何かに気づいたように、タブレットを操作して情報を探す。
「三十四番のデータだけど。特におかしなところは無いわ。常に一定で安定してるけど……」
「常に一定って、どっちに?」
「どっち、って、どういう意味よ?」
「レム睡眠? それともノンレム睡眠?」
「え? ……レム睡眠……嘘、こんな分かりやすいことを見落としてるなんて……」
ミーシャさんは頭を抱える。何かに気づいたようだ。確か、レム睡眠といえば、体は寝ているけど、脳は起きている状態のことだったはずだが。
「この子達、ずっと夢を見ている。ってこと!?」
「そうなる、わね。ガルちゃんの言う『敵意を感じない』ってことを鵜呑みにするなら、あの霧は自衛や攻撃手段ではなく、ある種の生態の一つってことになるわ」
師匠はタブレットベッドの横のデスクに置き、一度言葉を切る。俺には師匠の次に発する言葉がなんとなくわかった。あの黒い霧はきっとある竜が生み出しているのだ。その竜の名は……。
「夢の竜……未確認の概念竜」
そして、テントの中を静寂が支配する。
「だとして、その竜は今どこにいるのか、よ。説得しようにも居場所が分からなければどうしようもないわ」
「普通に考えたら、あの霧の中だけど。当然調べたんでしょ?」
「ええ、アンドレ君達サマエルの人が捜索してくれているけど、それらしい痕跡もないそうよ」
「地下、とかどこかから霧だけが漏れているってことかな……」
師匠とミーシャさんが頭を悩ませている中、俺の中に浮かんだ一つの仮説。
「あの……いいですか」
師匠達の邪魔になるかもしれない、と思った。けれど、同時に何の根拠もないけれど、多分夢竜はそこにいるのだと言う確信が時間が経つごとに強くなっていく。
「どうしたの弟子くん?」
「夢の竜、なんですよね」
「確証はないけど、その可能性は高いかなって……それがどうかした?」
俺もあの黒い霧が夢竜のものだと思う。なんだろう、この妙な感覚。
「だったら多分、そいつは夢の中にいる。気がするんです」
そう、あの黒い霧に、呼ばれているような気がするんだ。
「まさか、君! それは、ダメ!」
師匠が俺の肩を掴む。急に動いたからか、師匠の肩にとまっていたガルが驚いて俺の頭に飛び移る。
「がるる」
「お前も、だよな?」
「がる」
竜とはいえ、ガルも立派な子供だ。つまり、あの霧の対象の中にあるはずだ。
「お前も、って何言ってるの?」
「呼んでいる気がするんです、あの黒い霧が俺達を」
「呼んでいるって……私には聞こえないわ。ミーシャはどうなの?」
「私もそう言う感覚は無いわ。おそらく、その子があの霧の対象に当たる子供だから……でしょうね」
ミーシャさんが仮説を立てる。おそらくそれは正しいのだと思う。呼んでいるって言う事は、あの霧の中に入れば俺達なら、その竜に会えるはずだ。
「あの、嫌な言い方かもしれませんけど、一人と一匹くらい増えても大丈夫ですよね?」
師匠はすごく反対したけど、昏睡状態の子供達の体調を鑑みればあまり時間が残されていない事もあり、最期には納得してくれた。
「ちょっと頭が重いですね」
「我慢しなさい。君の状態が常に確認できる状態じゃないと意味が無いんだから」
脳波を図るためのヘルメットの首紐を締め直す。師匠と並んで黒い霧のドームまであと一歩と言うところまで歩み寄る。
「ん……」
師匠はそれだけ言うと、俺に右手を差し伸べた。少しだけ恥ずかしいけれど、この後昏睡状態になる事を考えれば手を繋ぐのも必要な事と諦めて、その手を取る。
「ガルも、準備はいいか?」
「がる!」
「ああ。わかった」
深呼吸を深く吸う。まだ黒い霧は口に入ってこないので意識ははっきりしている。恐怖が無いわけでは無い。もし万が一読みが外れたり、夢の中にいる竜の説得に失敗して、二度と目が醒めなければ、という嫌な予感も頭に浮かぶ。
「……行きましょう」
だけど、それらの感情をすべて踏みにじるように、俺は師匠の手を引いて、黒い霧の中に足を踏み入れた。
「弟子くん」
霧の奥の方に進むまで息を止めているので俺は師匠のその呼びかけに答えることはできなかった。
「君が、もし失敗しても。絶対に私が起こしてあげるからね」
俺達は黒い霧の中心にたどり着いた。
酸欠になりかけていた脳に酸素を送るために口を開いて、大きく息を吸う。黒い霧が空気の流れに乗ってかき乱され、俺とガルの口に入っていく。
あ、本当に一気に……眠く……なって
受けたこと無いけど、全身麻酔ってこんな感じかな、なんて思いながら俺はゆっくりと師匠の体にもたれかかるように、眠りに堕ちた。
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