第4章第5節「天国と地獄の狭間で」
「確かに、魔界で生まれた子供は忌むべき存在かもしれないが、正しい道を示しきちんと育てればそうとは限らない。利用するような言い方にはなるが、彼らを味方につけることができた暁には外の世界の救世主にもなり得るだろう」
ドロシーは、セツナが言っていることを理解できていた。イヴとラスヴェートは魔界で生まれ、遅かれ早かれその真実を知ることになる。現に彼らが運命的な出会いを果たしたように。セツナはそうなる前に手を打とうとしているが、ドロシーは違う。
魔界で生まれた忌まわしい存在を始末するのではなく、導こうというのだ。
「だから私はこの幻影の妊娠を受け入れ、あの子を導くことに決めた。だが、妊娠はあくまでも幻影に過ぎない。子供を産むには子宮が必要だ」
彼女の意思は固い。発せられる低い声色は、簡単に曲げられるものではないだろう。
しかし、当然ながら子どもを育てるためには子宮が必要になる。子供が栄養を取り、生まれる準備をする場所。イヴとラスヴェートにとって、その子宮となるのはセツナやドロシーの腹ではない。あくまでも幻影の妊娠に過ぎない彼らは所詮、魔力でできた
「この町を
そもそも、アトランティスは魔界に沈み、この世とあの世の狭間にある。そこに芽生えた新たな生命であるイヴとラスヴェートは、魔界からこの町にやってきた申し子ということになる。彼らにとって、アトランティスは母の子宮そのものであり、町に住んでいた人々は養分なのだ。
パラダイムシフトが起きてからアトランティスで起きていた怪奇現象や失踪事件の全て。それらは、イヴとラスヴェートの存在があってこそのもの。ドロシーは、そのことを分かっていながらラスヴェートを野放しにしている。
「あの子はこの世界には生まれず、元の世界に生まれることになる。あくまでもこの町は子宮に過ぎず、成長すれば外へ出て行くことになるからな」
さらに言えば、子供は成長すれば子宮から出ていく。つまり、イヴとラスヴェートは町の外に出ていくことになる。
「そんなことをして、どうなるか分かっているの? 魔界で生まれ育った子どもが元の世界に行って、何をするか。この町と同じ運命を辿ることになる」
言うなれば、魔界は沈みこんだアトランティスを起点に外の世界へ侵略しようとしている可能性がある。イヴとラスヴェートの意思に関わらず、魔界で生まれたという本能が彼らをそうさせたとしてもおかしくない。
ドロシーはその危険を承知でラスヴェートを導こうとしている。セツナにはその気持ちが少しだけ分かるような気がした。なぜなら、彼女もまた、イヴのことをこれまで生かしてきたから。
「世界は終わった。人類は淘汰される時が来ただけに過ぎない。ならば、私たちの役目は次の世代にバトンを渡すことだ。たとえ、それが死神を生み出すことになったとしてもな。私は、どんな手を使ってでもあの子だけは外に還す。最後の希望を託せるのは、あの子だけなんだ」
あろうことか、ドロシーが希望を託そうとしているのは死神になるかもしれないラスヴェートである。彼を町の外の世界に導いたとしても、アトランティスと同じように侵蝕しないとは限らない。誰がなんと言おうと、彼は魔界の子供なのだ。
「あなたは間違ってる。あの子は真実を知るべきじゃない。でも兄妹を見つけてしまった以上、真実を知るのは時間の問題」
もちろん、ラスヴェートの妹に当たるらしいイヴとて例外ではない。だからこそ、セツナはいつかこの日が来ることを覚悟していた。
「まさか本気なのか?」
イヴとラスヴェートに引導を渡す。
せめて、育ての親でもあるセツナが手にかけるなら。
言い訳は考えてある。それでも、彼女は今まで始末をつけることができなかった。セツナもまた、ドロシーと同じように子供を殺めることができなかったのだ。
そんな内心を悟られまいと、彼女は目を伏せた。
「手遅れになる前に、全て終わらせる」
────直後、教会を中心にして未曾有の破壊が引き起こされた。
爆心地となったのは、教会の礼拝堂にいたセツナ。彼女を中心にして大地に亀裂が走り、数秒のうちに町全体を複雑に叩き割った。地続きだった大地が割れて宙を漂い、重力など関係なくパズルのように放り出されていく。セツナとドロシーがいる教会内もまた、破壊の渦に呑まれていた。
教会全体を叩き割ったようにして亀裂が走り、ホールや中庭が地盤ごとに複雑に切り離される。尋常ならざる衝撃に礼拝堂の屋根も崩れ、瓦礫が雨の如く降り頻る。後方の長椅子に腰をかけていたルミナもまた瓦礫の雨に呑まれその姿を消してしまった。
「ッ⁉︎」
ドロシーが驚いた時には、足元に大きな亀裂が走る。割れた床の下に広がっていたのは、暗闇ではなく赤い空だった。体勢を崩してしまったドロシーは、亀裂から空へと落ちる。辛うじて割れた床の縁を掴み落下は免れるも、這い上がれそうにない。下に広がっている赤い空には、割れた瓦礫が漂っている。
どうやら、セツナは超能力を用いてアトランティスを文字通り砕いたらしい。そこで初めて、アトランティスが魔界の中を漂流していたことにドロシーは気づいた。上にあるはずの空が下にも広がっているのは、それが理由だろう。ここはもはやこの世ならざる場所、魔界なのだ。
割れた床の縁に掴まった状態で、ドロシーはセツナの方を見る。やはり、彼女は破壊の渦中にありながら平然としていた。彼女が超能力者であることをドロシーは知らないが、引き金を引いたのがセツナであることは誰が見ても明らかだ。
「自分が何をしているのか分かっているのか⁉︎」
セツナは、イヴとラスヴェートが外の世界に出ることを防ごうとしている。だが、それを実現するための手段が母胎となっている町ごと破壊することであり、実現するための力があるとは思っていなかった。
「あの子を外に出すわけにはいかないの」
いずれにせよ、セツナはこうなることを予期していた。イヴが本当の家族を見つけた時には彼女を殺さなければならない。真実を知った彼女が何をするか、想像もつかないからだ。
「後悔することになるぞ」
涼しい顔をするセツナに向けて忠告するが、もう手遅れだった。ドロシーの体重を支える腕は限界に近く、痛みに震えている。
そんなドロシーを見下ろし、セツナはスッパリと吐き捨てた。
「私たちがすべきなのは悔いじゃない。あの子を育ててしまった償いよ」
言い終わってすぐに、ドロシーは割れた床から手を滑らせた。自分からともなく、彼女は赤い空へ落ちていく。
セツナは落ちる彼女を見届けることなく顔を上げる。視界に入ったのは、世界終末時計。その二つの針は〇時で重なっていた。
「────そんな……」
セツナの代わりに、落ちるドロシーを見ていたのはイヴとラスヴェートだ。彼らがいる中庭もまた亀裂が入り、礼拝堂から切り離されて空を漂っていた。そこからちょうど、離れた位置の礼拝堂から空に落ちるドロシーが見えたのだ。
「行こう」
セツナがドロシーを見殺しにする瞬間に直面して酷く怯えるイヴに、ラスヴェートは優しく手を差し伸べる。彼はドロシーの死を受けて特に関心を見せていないようだが、イヴにとってそれどころではない。彼女は震える体を動かして、差し出された手を握る。
ラスヴェートはイヴと手を繋ぎ、踵を返す。
そんな二人の背中を、セツナは鋭く見据えていた。
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