雨避けのリビング/月曜日 朝
何処までも続く草原に、揺れる花達。
子ども達が駆け回り、大人たちが働く。
穏やかな日差しの下、
影を落とす大樹があった。
大樹は、枝葉を伸ばして雨嵐から人を守り、
幹を貸して眠りを守る。
草も花も動物も、生命は大樹から始まり、
大樹はまるで母親のように、人々と営みを見守って。
突如、視界が暗転する。
真っ暗闇の中で響き渡るのは、嫌な音。
何も見えないのに、
何が起こっているのかわかる。
飢餓が、争いが、災害が、人々を襲い、
皆散り散りになって、遂には。
大樹の根が、引き抜かれる音がした。
魂の奥底が焦がれる様に傷む。
帰りたいと願った場所はもう、何処にも見当たらなかった。
真っ暗闇に雨が降る、惨い惨い雨が。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
達也は目覚めと同時、頭痛に襲われ顔を顰める。
痛みに耐えていると、優しく頭を撫でられた。
まるで母親のような気配に無意識に甘えて、達也は深呼吸を繰り返す。
暫くそうして、痛みが和らいでいく。
無くなる訳では無いけれど、少しずつ薄まって、達也はやっと周りを見る余裕を得た。
ぎゅっと閉じていた目を開けると、
傍に黒羽がいて、何を考えているのか読み取りにくい瞳が達也を伺っていた。
達也の頭を撫でていたのも彼女だ。
「おはようございます。青い顔をして可哀想に」
「……そんな憐れまれちゃうほど調子悪そうかな、今の僕は」
周りを見ると、見慣れてはいないが来た事はある部屋だ。
黒羽の住むマンションの一室、リビングに置かれたソファの上で寝ていたらしい。
初めて黒羽とまともに話した、あの部屋だ。
達也が起き上がると、黒羽は離れていく。
そのまま窓の方へ歩いていき、カーテンを開け始める、
窓の外は未だに雨で街は暗い、だけれど僅かに部屋が明るくなったから、
今が昼間なのを知る。
どうやら、一夜明けたらしい。
達也は黒羽の後ろ姿を見て何故だか実家と、母親を思い出していた。
歳も背格好も当然違うのに、
彼女からは誰かの親としての気配がする、
達也よりずっと年下の少女だろうに。
ぼんやりとした達也の視線が向けられていることに気付いたのか──はたまた最初から分かっていたのか、
黒羽は振り返り軽く首を傾げる。
つられて達也も首を傾げると、小さく笑われた、何でだろう。
「とりあえず、状況説明をしましょう。
憑き物の集団に紛れて、貴方は夜な夜な街を出歩いていました。
憑き物に操られた貴方は、極めて稀な事例ですが、途中で意識を取り戻し、
おろおろと狼狽しながら憑き物からの精神支配に抗っていた。
そこに私が到着して「祓い」を実行した」
覚えている。
水溜まりの中で散る緑も、それに倒されていく憑き物たちもちゃんと見た。
緑が乱反射する雨の中、黒羽だけが立っていた。
「結果として。貴方の憑き物は祓いきれませんでしたが、弱体化には成功しました。
貴方が気絶してしまったので、えっちらほっちら運んできた次第です、さすがに骨が折れました」
「……あ、ごめん、ありがとう。
そうだよね、だからここで寝てたんだ──あ」
黒羽の説明に頷いていた達也は、急にはっとして自分の体を見下ろした。
昨日の夜、達也は傘を無くしてずぶ濡れだったし、なんなら水溜まりの上で倒れたのだ、
まるで捨て犬のような状態で寝ていたのだから、ソファが大変なことになっているのでは、と。
思ったのだがまず──達也は今着ている服が自分のものでは無いのに気付いた。
黒羽は達也が何を思ったのか察して、
肩を竦めて口を開く。
「運んできたの私ですよ?ちゃんと着替えさせたに決まっているでしょう。
幸い父の服がちょうどだったので。
あ、元の服は今洗ってます……ってなんで頭を抱えてるんです?」
「……いや気絶してたとはいえ。
年下の女の子に体拭かれて着替えさせてもらったんだと思ったら一気に恥ずかしくなって」
達也の言葉を聞いて、黒羽はひとつ瞬きをした。
その後、小さな笑い声が聞こえて達也は思わず顔を上げる。
「ふふ、変なの」
視線の先、黒羽が笑っている。
何処から風が吹いた、そんな気がした。
黒羽はキッチンから缶コーヒーを持ってきて達也に手渡した。
礼を言いながら受け取る達也の向かい、定位置のソファに腰掛け、話しだす。
「先ほども言いましたが、貴方の憑き物は祓いきれていません。「顔持ち」って言うんですけど、一際強力な個体です」
顔がついてるから顔持ちか、と達也は勝手に納得する。
昨日の夜通りにいた達也以外の人達は皆、腕だけの憑き物に憑かれていたし、恐らくあれが通常個体なんだろう。
自分に憑いているものが普通のものでは無いのには、達也も薄々気が付いていた。
「貴方の憑き物を祓うには、少し力を蓄えないといけません。
雨が続いているのと、何故だが憑き物の顎が潰されているのに助けられてはいますが」
「あ……そういえば雨が降ってるっていうのは、祓うのに重要な事なの?」
達也の疑問に、黒羽はうんと頷いた。
缶の蓋を開けながら説明してくれる。
「前に憑き物は自然霊だと言いましたね。
人という自然物に憑き、悪感情を苗床にして、夜の中で目覚め宿主を呪い殺す」
「聞いたね、よく理解出来てるかは怪しいけど」
かちゃ、とプルタブがあがり蓋が開いた、
黒羽はちびりとコーヒーを飲む。
「雨により作られる水溜まりは、
憑き物の姿を目視で確認できる自然現象のひとつなんです。
憑き物を祓う私の力も、自然から恩恵を受けて発生させるもので、特に私の力は「雨」と相性がいい、雨が降ってるとパワーアップするということです」
達也は説明を聞きながら、黒羽が現れた夜を思い出していた。
振るわれた指先から幾つも舞い散って行く草花は、水溜まりの中にしか姿を持たず、
発現の仕方は憑き物とよく似ている。
まあ、達也のような素人には幾ら思い出したところで「凄く綺麗だった」事くらいしか分からないのだけど、
無い頭でも、捻る権利はあるはずだ。
考え込む達也を置いて、黒羽はテレビのスイッチを入れた。
映ったのは朝のニュースで、「連日の雨」とか「集団失神事件」とか色々と報道されている、達也が居合わせたあの通りで起きた事件の話だ、死者はゼロなものの原因は不明、
ガス漏れによる影響で失神者が出たのではと話されている。
「そういえば、昨日の夜にいた僕以外の人達って……」
「全員搬送されましたよ。あの人達の憑き物は迎えに……失礼。祓い終わったので大事にはならないはずです。
貴方が病院送りになると面倒なので急いで運びました」
ちょっと気になる言い間違いがあったが、聞いて欲しくなさそうなので達也は流した。
昨日の人達が全員無事だったのは素直に良かったと思えることだ。
それはそうと黒羽に世話になり過ぎているなと、達也は罪悪感を抱く。
憑き物については有識者である黒羽にしか出来ないことがありすぎて何ともだが、
着替えさせて貰ったり運んで貰ったり、何か埋め合わせをしないと流石にしんどい。
というかそもそも、と達也は自分の服を見下ろした。
彼女が次々に話を進めていくから言いそびれたが、聞く限り黒羽は父親と暮らしているはずで、
服も借りてしまったし泊めても貰ったんだから挨拶とか礼とか言わないと駄目じゃないか、と。
色々非日常が重なって、常識がどっか行ってしまっていた自分に焦り、慌てて達也は口を開いた。
「あの、黒羽ちゃ……さん。
お世話になってしまってるし、お父さんにお礼とか色々言わないとって。ほんとなら最初に言うべきだとは思うんだけど」
ダメな大人でごめんなさい。
黒羽は達也の言葉に……ああ、肩を竦めていらっしゃる呆れられたか。
怯えて縮こまった達也に返ってきたのは、少し予想外な返事だった。
「父には会わない方がいいです。意思疎通が取れる感じじゃないので。
私から説明はしてありますから平気ですよ」
「……え、そう、なの?」
思わず問いかけて達也は口を閉ざした。
黒羽の目がそれ以上聞くなという気持ちを隠すことなくこちらに伝えている、
家庭の事情だ、他人が簡単に踏み込むものでは無い、
黒羽が話したくないなら聞いてはいけない事だ。
「大丈夫なら、良かった。
でも、会って間もないのに色々して貰ってるから、何かお礼はさせて」
「別に。私にとっては仕事で、当然のプロ意識ですから。祓うって言ったから有言実行の為に動いているだけなので」
お構いなく。
そっぽ向かれたのは何でだろう。
うーんと、また考え込んだ達也の耳に、テレビからアナウンサーの明るい声が入ってきた。
──今日は月曜日。どんよりとした週明けですが、皆さんいってらっしゃい!
あれ、と達也は思わず思考を止めた。
何か大事なことを沢山忘れている気がして、必死になって思い起こす。
今日は月曜日、週明け、平日、つまり。
導き出された答えは酷くシンプル、社会に生きるならば当然の定め。
「あぁあ……」
「ど、どうしたんです、急に悲痛な鳴き声を出して」
ドン引きです、という顔をした黒羽に見つめられながら達也は現実を前に項垂れ、呟く。
「バイトと講義……どうしよう」
度重なる非日常の中に置かれても、
日常は達也を待ってはくれない。
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