お嬢様をゲームでボコったらなぜか懐かれたうえに攻略宣言(意味深)されたんだが

藤井論理

第1話 なんでも得意な乙村さん

 筋骨隆々の大男に俺はリング際まで追いつめられていた。


 体重差を考えれば、たとえつぎの攻撃を防御できたとしてもリングアウトは必至だ。


 案の定、相手は俺を押し出そうと、その太くたくましい脚を突きだしてくる。


 しかし俺は落ち着いていた。半身になって蹴りをかわし、脚を手で払って相手の体勢を崩す。そこに繰りだした肘打ちが、こめかみにまともに入る。ひるんだところへ双掌打の追い打ちを叩きこんだ。


 相手はがくりと膝を折り、どさりと床に倒れた。


「よっしゃあ!!」


 俺は拳を突きあげて歓喜の声をあげた。


 観客たちも拍手喝采だ――と思いきや、周囲はしんと静まりかえっていた。


 不審に思って周りに目をやる。


 柔道着を着た先輩たちが、冷めたような表情で俺を見ていた。


 ――あれ……?


 気がつくとリングは消え、俺は畳の上に立っていた。そこは中学校の柔道場だった。地面に倒れているのも筋骨隆々の男などではなく、同じ柔道着を着た三年の先輩だった。


「ガチすぎるだろ」


 誰かが言った。


「なに本気になっちゃってんの?」


「引くわ」






 身体がびくりとなって、


「いてっ!」


 俺はしたたかに膝を打った。


 目を開く。俺は高校の教室にいた。昼休みも終わりに近い時間。窓から温かい日差しが差しこんでいる。


 一瞬、混乱したが、徐々に頭がはっきりとしてくる。昼食後に眠りこんでしまい、痙攣して机の物入れを蹴りあげてしまったらしい。


 周囲からくすくすと笑い声が聞こえ、俺は恥ずかしくなってうつむいた。


 それにしても――。


 ――またあの夢か……。


 午後の授業で眠くならないよう、俺はいつも昼食にはサラダチキンなどの高タンパク低炭水化物の食事をとるようにしている。にも関わらず居眠りしてしまったのは、昨晩もあの悪夢めいた夢を見たせいでよく眠れなかったせいだ。


 最近、やけにあの夢を見る。そのせいかゲームのほうもスランプ気味で、勝率が下がりつづけていた。


 スマホでゲームのコミュニティサイトを開く。ざっと眺めてみるが新しい情報はない。相手キャラの技も、最新の戦術もすべて頭に入っている。


 ――じゃあなんで勝てないんだよ……。


 俺は額に手をやりため息をついた。


 そのとき、ころころと笑う声が聞こえた。


 顔をあげる。声の主は乙村おとむらさんだった。女子数人で固まって、なにやら楽しそうに話している。


「こよ、今日も助っ人するの?」


 こよ、というのは乙村さんの愛称だ。たしか下の名は小依こよりだったと思う。


「はい。今日はサッカー部でミニゲームを。すごく楽しみです」


 乙村さんには噂がある。それは『乙村小依は何人か存在する』というものだ。有力なのは『ふつうの乙村さん』『文化系才能に恵まれた乙村さん』『運動系才能に恵まれた乙村さん』の三人説だ。


 もちろんみんな本気で信じているわけではない。しかしそんな噂がたってしまうだけの多才さを乙村さんは持っていた。


 まず立ち居振る舞いがきれいだ。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、という言葉があるが、彼女にぴったりの言葉だと思う(ただし芍薬の花のイメージはさっぱり湧かない)。聞いた話では日本舞踊や茶道をたしなんでいるとか。さもありなん、という感じだ。


 かと思えば、様々な運動系部活に助っ人として呼ばれ、しかも大活躍してしまう。身体能力はさすがに本職の連中には劣るが、地頭がいいからなのか、その競技の勘所をつかむのが早く、すぐに水準以上の動きをすることができる。


 明治のころからつづく、歴史ある民間病院、乙村総合病院――その病院長の令嬢であることにからめて、『器用貧乏』ならぬ『器用富豪』とも呼ばれたりしている。


 乙村さんの浮き浮きした様子を俺はぼうっと見つめていた。


 ――なんでも得意ならそりゃ楽しいだろうな……。


 唯一得意といえる格ゲーも最近は調子が悪く、くさくさしている俺とは正反対だ。


 天はときに二物も三物も与える。不平等だが、文句はない。仮に俺が神だとしたら、上手に作ることのできた乙村さんという人間にいろんなスキルを与えたくもなる。ソシャゲだって好みのキャラに育成のリソースを割くだろう。それと同じだ。


 乙村さんが教卓のほうを見て声をあげた。


「安村先生、指示棒を忘れていますね。届けてきます」


 と、手を伸ばしたところ、一緒にしゃべっていた友だちが彼女の肩に手を置いた。


「あ、いいよ、わたしが行くから」

「え、でも――」

「いいからいいから。そんなことでお嬢様の手を煩わせられないし」


 と、ウインクした。


「ありがとうございます……」


 礼を言いながらも、教室を出ていく友人の背中を見送る乙村さんの表情は、少し不満そう――いや、寂しそうにも見えた。


 ――……?


 どうしてそんな顔をしたのか分からない。分かるわけもない。なにせ正反対の遠い世界に生きている人間だ。


 ――俺には関係のない世界の話だ……。


 つぎの授業が始まるまでもう一眠りしようと、俺は机に突っ伏した。






 放課後、ゴミ箱を持ってゴミ捨て場に向かう途中、廊下の窓から女子サッカー部がグラウンドでミニゲームをしているのが見えた。


 乙村さんは前線から二列目の攻撃的な位置のようだ。ポニーテールをなびかせ、背筋を伸ばしてドリブルをする姿はほかの誰よりも華がある。


 中央に切れこむと見せかけて、背後を駆けあがった味方へノールックのパスを送る。まるで背中に目があるかのような視野、そして正確なキック。


 ――ああいうのを天才っていうんだろうな。


 俺はいつの間にか立ち止まり、見入っていた。ゴミ箱を持ちなおし、再び歩きはじめる。


 ゴミ袋を校舎裏の所定の場所へ置き、教室へと引きかえす。その道すがらの水飲み場にジャージ姿の女子がいた。


 乙村さんだ。ミニゲームが終わり、休憩をとっているらしい。


 濡らしたハンドタオルで顔や首筋を拭っている。ヘアゴムをとると、黒髪がまるで一枚の布のように広がった。


 俺に気づき、彼女は涼やかな目を細めて微笑んだ。


「うん」


 俺は頷いた。なにが「うん」なのかは自分でも分からない。


渡来わたらいくん」


 後ろを通りすぎようとしたところを呼びとめられ、まさか声をかけられると思っていなかった俺はびくりと立ち止まった。


「な、なに?」

「いつもゴミ出ししていませんか?」

「え? あ」


 言葉につまった俺に、乙村さんは小首を傾げた。


「どうかしましたか?」

「いや」


 たしかに頻繁にゴミ出しには行っているが、それを彼女が知っていたのが少し意外な気がしたのだ。俺のことなんて気にも留めていないと思っていたから。


「もしかして――」


 乙村さんは不審そうな表情になる。


 いじめられているとでも思われたのだろうか。否定しようとしたまさにその瞬間、彼女は言った。


「ゴミ出しが好きなんですか?」

「そんなわけあるか」


 どんなポジティブ解釈だ。ほぼほぼ初めて会話するのに思わずツッコんでしまった。


「頼まれるんだよ」

「いつも?」

「ああ」

「なるほど」


 乙村さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「さては渡来くん、いいひとですね?」

「違う。委員会とか部活で忙しい奴より、暇な俺がやったほうが合理的ってだけ」


 急に褒められてむずがゆいような気持ちになり、俺は早口で否定した。


「合理的……」


 乙村さんは難しい顔をした。首を肩につくくらいに傾げ、うめき声のような声をあげている。


「え、なに? なんでそんなに傾いてんの?」

「ちょっとよく分からなくて」

「なにが?」

「渡来くんはゴミ出しをやりたいんですか?」

「やりたくはないけど」

「では、なぜ?」


 問いつめるという感じではなく、ただ単に疑問に思ったことを尋ねている。そんな様子だった。


「だから、合理的だろ、そのほうが」

「ううん……」


 乙村さんは釈然としないような顔になる。


「なんかおかしいか?」

「おかしくはありませんけど」


 何事か考えるように斜め上を見ながら言う。


「大事なのは合理的かどうかより、自分がやりたいかどうかではありませんか?」

「……」


 俺は返事ができなかった。


 乙村さんは手首を返して腕時計を見た。


「そろそろ行きますね。バレー部のほうにも顔を出すことになっているので」

「そ、そう」

「それでは」


 会釈をして去っていく乙村さんを、俺は呆然と見送った。

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