第4話 4時間目

音楽室に行こうと階段をのぼっているときに、ふと(音楽準備室にも行ったほうがいいかも)と思い立った。

カエデが亡くなってからもう一年が経っている。使われることの多い音楽室がカエデの痕跡を残しているとは到底思えない。しかし、音楽準備室ならまだ何かが残っている可能性がある。

そう思ったアオイは職員室に向きを変え、鍵を取りに行くことにした。


鍵をとり音楽室に戻ってきたが、今度はあのときのようにピアノの音はしなかった。電気がつくことを確認し、中に入る。壁に飾ってあったベートーベンと目が合って、思わずどきりとした。

しかし、不思議と怖いという気持ちはなかった。なんだかカエデに守られているような気さえしたのだ。

アオイは音楽室の中を一周ぐるっと歩いて何かないか探してみたが、それらしいものは見つからなかった。

(やっぱり音楽室には何もないわね)

鍵をとりだし今度は音楽準備室に足を踏み入れる。準備室はそもそも蛍光灯がついておらず、真っ暗だった。手前の方は音楽室から漏れる光でまだ明るかったが、奥の方は暗くなにも見えなかった。

仕方がないので懐中電灯の明かりを頼りに探る。ふと窓の外を見ると、どこまでも光一つない暗闇が続いているのが見えた。

(何かないかな……)

手がかりが見つかることを期待してあちこちを探ってみる。備品の楽器を傷つけないように丁寧に扱いながら段ボールを動かしたり、ほこりっぽい机の下を覗いてみたりした。

ふと、一番奥にあった机の下に何かが落ちているのに気づく。暗闇の中ぼんやりと光っているそれを不思議に思い、手を伸ばしてたぐりよせた。

懐中電灯を照らして見てみると、それはイルカの形をした可愛らしいキーホルダーであった。そのイルカの胴体にKと書いてあった。

「これ……」

そう呟いたとき、そのイルカのキーホルダーからまばゆいほどの光があふれ出し、急に目の前が真っ白になった。


「?」

不意に辺りが賑やかになって、アオイは目を開く。先ほどまで暗かったのが嘘のように、目の前に広がる景色は昼間の暖かい日の光に満ちていた。

柔らかい日光に照らされた音楽室で、誰かがピアノを弾いていた。クラシックの優しい音色がアオイの耳に心地よく流れ込んできた。

(誰?)

目をこらせば段々ピントが合ってきて、女性の姿が鮮明に見えるようになった。後ろで長い髪を一つにまとめた女性が、ピアノを演奏していた。

アオイはゆっくりと彼女に近づく。しかし、彼女は近づいてくるアオイを気にせず心地よさそうにピアノを奏でている。まるで、アオイがその場にいないかのように。

(この先生、見たことない……)

一体誰だろうとすぐ近くで女性を見ていたとき、演奏が終わったようで女性が手を止めた。無事に弾き終えたことに安堵したのか、ふうと満足そうに息をつく。

すると、どこからか拍手が聞こえてきた。誰だろうとアオイが拍手をした人物を見つけるよりも先に、聞き慣れた声が聞こえてきた。

「カエデ、すごいよ!今日の演奏もとってもよかった!」

弾かれるように振り返ればそこにはナツメが立っていた。拍手をしながら軽い足取りでピアノを演奏していた女性の方に駆け寄ってくる。ナツメはアオイがまるでそこにいないかのように、アオイには見向きもせずにカエデの隣に立った。

「ありがとう、ナツメ」

カエデが嬉しそうに笑う。楽しそうに談笑をする二人を、アオイはまるで映画を見ているかのように眺めた。

(これはきっと、一年前の光景なんだ)

アオイは不思議なほど冷静に、そう考えた。

(これを見ていればカエデ先生が自殺した理由が分かるかもしれない)

そんな風に思っていると、何かを思い出したようにカエデがぽんと手を叩いた。

「そうだ!あのね、ナツメ。これ、ナツメに渡そうと思っていたの」

そう言ってポケットを探る。ナツメが「なになに?」とわくわくしたように体を前のめりにする。

カエデが取り出したのは先ほどアオイが見つけたイルカのキーホルダーであった。それを見てナツメが目を輝かせる。

「何それ?可愛い!」

「これ、この前水族館に行ったときに一目惚れして買った物なの」

そう顔を綻ばせて言った後、カエデはポケットからもう一つキーホルダーを取り出した。そして後から取り出した方を、ナツメに手渡した。

「それで、ナツメにもおそろいのものを買ってきたの」

そう言ってにっこりと笑うカエデを見て、ナツメは少し戸惑った顔をした。てっきり喜んでキーホルダーを受け取るものかと思っていたので、アオイもカエデも意外なナツメの反応に不思議そうな顔をした。

「……ナツメ、これ、嫌いだった?」

そう遠慮がちに聞かれて、ナツメははっとしたように首を振る。

「う、ううん!すごく嬉しいよ!ありがとう」

そう言ってナツメがそれを受け取った。受け取ってくれたのを見て、カエデが嬉しそうな笑みを作る。

「ナツメは私の親友だから、おそろいのものを持っていて欲しくて。ふふっ、嬉しいなあ。私、友達とおそろいの物を持つの、ずっと夢だったの」

そう幸せそうな顔で語るカエデの話を「そうなんだ……」とナツメが居心地悪そうに聞いていた。アオイはそんなナツメを見て首をひねる。

(なんだかナツメ先生、嬉しくなさそう……。カエデ先生と仲が悪いという感じでもないけれど……)

怪訝に思いながらナツメを見ていると、目の前の光景の周辺部から中心に向かって段々真っ白になってきて、すぐに何も見えなくなった。

(また、さっきの……!)

しばらくして霧が晴れるかのように再び視界が明瞭になった。先ほどまで音楽室にいたはずなのに、今アオイは職員室に立っていた。

(今度はなんだろう)

辺りを見回すと、机に座っているナツメの周りに数人の女性教員が立っているのが見えた。その教師達の顔には見覚えがあった。

「ナツメ、またカエデ先生と話してたの?」

そう一人の女性教員に言われ、ナツメが気まずそうに「うん」と頷く。

「あんなに無口な子と話していて面白いわけ?」

心底疑問そうに他の一人が尋ねる。

「よく話弾むねー。カエデ先生って暇さえあればずっとピアノを弾いてるし、話しかけても話が盛り上がらないしよく分からない人なのよね。一度なんてピアノを弾いてるときに話しかけたら睨まれたし」

そう気の強そうな女性が口をとがらせた。

この三人は今も学校にいる、ナツメと同期の教師だった。そして、カエデも恐らくナツメたちと同期であることがうかがえた。

ナツメが三人の主張を聞いて困ったように笑った。

「カエデはピアノを弾いてるときは人が変わるからね。話しかけると怒るんだよ。それに、人見知りだから初対面の人とはうまく会話出来ないの。でも、本当はすごく良い子なんだよ。心を開いたらよくしゃべってくれるし」

そうナツメが言うと「ふーん?」と三人が疑わしそうな顔をした。

「本当かなあ」

そう首をひねる一人を横目にナツメの真後ろに立っていた一人が口を開いた。

「まあ、ツカサ先生よりはまだしゃべりやすそうよねー」

「確かにねー。あの先生、本当に何考えてるか分からないし」

そう言って三人が声を合わせて笑った。ナツメが「そうだねー」と苦笑いをして賛同した。

アオイは黙ってその様子を眺めていた。

「ねえねえ、そんな話よりヒジリ先生の話しようよ~。今日も相変わらずすごくかっこいいんだよ、ヒジリ先生」

今度はヒジリの話で盛り上がり始めたようだ。どうやら一年前からツカサとヒジリの評判は変わっていないらしい。

アオイは彼女達の話をもう一度頭の中で思い返していた。

(カエデ先生はあんまり人付き合いがよくなかったのかな……。ナツメ先生とはうまくやっていたみたいだけれど)

ナツメは人当たりがいいから誰とでも仲良く出来る。だから、カエデも心を開けただけかもしれない。

そんなことを考えていると、いつの間にか三人がいなくなっていた。ひとりぼっちになったナツメがため息をつくのが聞こえる。

先ほどカエデに貰ったキーホルダーを見ながら困ったようにナツメが呟いた。

「カエデ、私になついてくれているのはうれしいけど、私とべったりすぎて他の友達が一向に出来ないのが少し心配なんだよね。私だけじゃなくてもっと皆と仲良くなったほうがいいんじゃないかなあ」

そう呟いてから、ナツメが思いついたような顔をした。

「私がいつも側にいるから、他の教師と仲良くなりたいと思わないのかも!だったら、これからは少し距離をおいてみようかな」

ナツメは何か名案を思いついたように手を叩いた。そして英語の教科書を持つと鼻歌を歌いながら職員室を出て行った。

その後ろ姿を見送っているとまた視界が真っ白になる。今度視界が開けたときにはカエデとナツメが音楽室で向かい合っているのが見えた。

以前は仲睦まじく話していた二人だったが、今はカエデが涙に濡れた瞳でナツメをにらみつけていた。一方ナツメは何が起きているか分からないような困惑した顔でカエデを見ていた。先ほどまでの和やかな空気から一変し、アオイは目を丸くして二人を見つめていた。

「ひどいよ、ナツメ!私のことが気に入らないからって教師皆で私のことをいじめて!」

そう金切り声で怒るカエデにナツメが首を振る。

「な、何言ってるの?私、そんなことしてない!私がカエデをいじめるわけないでしょ?どうしてそんなことを言うの!?」

必死に弁解するようにナツメが言う。アオイは目の前の二人の顔を見比べた。

(ナツメ先生がいじめを……?)

カエデは聞く耳を持たないようにナツメへの攻撃を続ける。

「よくそんな風にとぼけられるわね!私の音楽の教科書ビリビリに破いたり、嫌がらせの手紙を職員室の机の中に大量に入れたり、私の家の前に生ゴミを置いたり!それに、教師皆に私の良くない噂を流したり、私を無視するように言ったり……」

「そ、そんなこと……!」とナツメが訂正しようと口を開く。

「私の家の場所を知ってるの、ここの学校じゃあんたしかいないじゃない!それに、この手紙の字、間違いなくあんたのじゃない!」

そう床にたたきつけられた手紙を拾い上げてナツメは絶句する。

「う、嘘……」

何が起こっているのか全く分からないでいるナツメにたたみかけるようにカエデが言う。

「親友だと思ってたのに……。本当は私のことからかって遊んでたんでしょう?友達の少ない私をからかうの、楽しかった?本当は私のこと友達だと思ってなかったのに優しい言葉を吐いて、私が心を許すのを見て笑いが止まらなかったんでしょう!?」

そう言われたナツメがかっとして言い返す。

「私、そんなことしてない!確かに少しカエデとは距離をおいてたけど、それはカエデに他の先生とも仲良くなって欲しくて……!本当だよ、こんな手紙も私、書いてない!カエデ、信じて!」

悲痛な顔でナツメが訴えかける。アオイはナツメ以上に何が起こっているのか分からず困惑していた。

どちらが言っていることが正しいのか、アオイには分からなかった。けれど、ナツメがカエデのことをいじめるなんて、とても思えなかった。

カエデは顔を両手で覆って泣き出すとおもむろにポケットに手を入れた。そして何かを取り出し、床にたたきつけた。それは、あのイルカのキーホルダーであった。しかし、それは前の綺麗なものとは違いズタズタになっていた。

それを見てナツメが目を見開く。

「私があげたキーホルダーもこんな風にして、よくそんなこと言えるわね!これがあんたの机の足下に落ちてたこと、私、知ってるんだから!」

ナツメが弱々しく首を振る。

「ち、違うの!それ、前どこかでなくしちゃって、ずっと探していたの!」

「探してた?あんたの机の足下にあったのに?もっとましな嘘つきなさいよ!」

そうヒステリックに言うカエデに何かを言おうとナツメが近づく。差し出したナツメの手を振り払い、カエデがナツメの横を走って通り過ぎた。

「カエデ!待って!」

ナツメが振り返りカエデを追って走り出した。

アオイもその後を追おうとして、走り出そうとしたその瞬間に、目の前がまた真っ白になった。

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