~70~ 共通の諺

 心配気に羽琉を見つめるイネスとマクシムに、『大丈夫』と言ったエクトルは目を細める。

『母さんと父さんに受け入れてもらえたことがすごく嬉しいんだよ。今日までずっと緊張していたから、その糸が切れてしまったようだ』

『あらあら。ハルさん、そんなに心配していたの? マクシムが不愛想過ぎるから、余計に怖かったのね』

『……私のせいか?』

 不服そうなマクシムに、頬を膨らませたイネスが『当然でしょ』と言い放つ。

『私はハルさんと一緒にお料理まで作った仲なのよ。あなたの不愛想に慣れている私たちは良いけれど、ハルさんにとっては凶器よ』

『……凶器』

 ショックを受けているマクシムを置いて、イネスはソファから腰を上げると、エクトルに抱きしめられている羽琉に『ハルさん』と声を掛けた。

『私たちはハルさんのことが大好きよ。エクトル共々、私たちとも仲良くしてね。今度は私たちの家に来て欲しいわ。たくさん料理を作って待ってるから』

 涙でぼやける視界の中に、優しい笑顔で羽琉の頬を撫でてくれるイネスの手の温かさを感じた。

 こんなに優しい人たちに囲まれている自分は何て幸せ者なんだろう。

 幸せ過ぎて涙が止まらない。

『エクトルさん』

『はい?』

『僕だけこんなに幸せで良いんでしょうか? こんなに優しくしてもらって、愛してもらって――死にそうなくらい幸せなんです』

『駄目ですよ、羽琉。死ぬのは勘弁して下さい』

 言葉の綾だということは分かっていても、あまり聞きたくない言葉だとエクトルは眉を顰める。

んですよ? 羽琉』

 羽琉はすんと鼻を啜りつつ『え?』と小さく声を上げる。

『“似た者は集まる”。羽琉がそう思ってくれるなら、周りにいる人たちも同じ気持ちなんです』

『……同じ? じゃあ、エクトルさんも一緒ですか?』

 死にそうなくらい幸せなのか問うと、『当然です』と即答された。

『優しくて温かくて心が清らかで純粋で一緒にいて安らげる。私はそんな羽琉に愛されているんですよ。これを幸せと言わずして何と言うのでしょう』

『エクトルさん……』

『だからこれからもずっと私のそばにいて下さいね。もう私は羽琉なしでは生きていけないのですから』

 羽琉は涙を流しながらも微笑むと『はい』と肯き返し、エクトルの背に腕を回した。

 そんな二人の姿にイネスもマクシムも心を和ませ、幸せムード漂う二人を慈しむように見つめる。

『あなたたちを見ていると、こっちまで幸せになるわね。ねぇ、マクシム』

 当てられている感は否めないが、全く嫌な気がしないマクシムも『そうだな』と肯定した。

 事情を知らなくても、互いを思いやる二人の姿は美しいものがある。

『二人の前途が幸多きものになることを祈っているよ』

 マクシムの言葉に同意するようにイネスも肯いた。

 羽琉はまだ溢れる涙を流しつつも、『ありがとうございます』と微笑む。

『羽琉と一緒にもっと幸せになるよ』

 そう力強く言い切ったエクトルは羽琉をグッと強く抱き締めた。

『さっき、諺を言っていたな』

 “似た者は集まる”というフランスの諺に反応を示したマクシムがエクトルに訊ねる。

『あぁ、うん。日本にも同じ意味の諺があるって、以前フランクに教えてもらったんだ』

 『そうか』と肯いたマクシムは、エクトルに抱き締められている羽琉に視線を向けた。

艱難かんなん、汝を玉にす」

 カタコトではあったが急に日本語を話したマクシムに、羽琉は目を丸くした。

『これは日本に移住している私の友人が教えてくれた日本の諺なんだ』

 どうやらマクシムはその諺の日本語だけ覚えたようだ。

 だがあまり聞き慣れない諺に羽琉は小首を傾げる。

『その諺は実はでね。だからフランスにも同じ意味の諺があるんだよ』

 気付いたエクトルは不思議そうにする羽琉をよそに微笑んだ。

『逆境は人を賢明にする』

『逆境……』

『困難に直面し、悩んだり苦しんだりしながら乗り越えることで人は立派になる。壁にぶつかることは成長するチャンスということだ。そして大きな困難ほど、乗り越えた時に君をより強くしてくれる。それは君の人生を輝かせる糧になるだろう』

 胸の奥まで響くマクシムの言葉に、羽琉はじっと凝視する。

『強くなりなさい。エクトルと共に』

『…………』

 胸に詰まり言葉が出なかった。代わりにぽろぽろと涙が溢れ、次から次へと頬を伝う。

 琴線に触れるマクシムの言葉に、ただただ涙を流しながら羽琉は『はい』と言い肯き返した。

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