~44~ 憤激

 退院日。今日、羽琉は朝早くから目を覚ましていた。

 帰れると思うと自然と心も軽くなる。朝食も美味しく摂ることができた。

 そして退院時間までゆっくりしていた羽琉は、エクトルが来るのを待っていたのだが――。

 コンコンと病室のドアがノックされたと思ったら、羽琉が返事をする前にいきなりドアが開いた。

『おはよう、ハル。体調はどう?』

 入室してきたのはレオだ。相変わらず馴れ馴れしい口調と態度で羽琉に近づいてくる。

『……おはようございます。体調は良好です』

『ほんとに? 無理してない?』

 引き気味に答えた羽琉にレオは詰め寄るように訊ねたが、『無理もしてません』と羽琉はきっぱり答えた。

 実際、本当に無理はしていなかった。体調も以前のように戻ってるし、今日の朝食 も完食した。吐き気も頭痛もない今の羽琉が病院にいる必要はない。

 それどころか早く自宅に帰ってエクトルと話したいと思っている羽琉は、レオが何故そんなふうに訊ねてくるのか分からなかった。

『ちょっと小耳に挟んだんだけど、ハルの体調不良は精神的なものが関係してるって本当?』

『……え』

 一瞬にして羽琉が表情を硬くしたことで図星をついたと確信したレオは、羽琉との距離を詰める。

『俺さ、心理学も勉強してるんだ。ハルの心の問題も少しは解決に導いてあげられると思う。だから退院しても俺と会ってみない?』

 言葉の端々に癇の触るような口調を感じ、羽琉の表情に警戒色が滲んだ。

『僕は心理学を学ぶあなたの実験体か何かですか?』

『違うよ。純粋に助けてあげたいって言ってるんだ』

 勤務中のはずのレオは、にっと笑うと当然のように羽琉が座るベッドに腰を掛けた。

『ハルは綺麗だと思うけど、その傷付いてる心が癒えたらもっと綺麗になると思うんだ。俺がその手助けをしてあげるよ』

 どこか上から目線のレオに、羽琉は不信感と嫌悪感を募らせる。

 そして体ごと羽琉に近づいたレオが羽琉の頬に手を伸ばした時――。

『羽琉に触るな』

 隠し切れない怒気を含んだエクトルの低い声音が病室に響く。そして足早に近寄り、羽琉に伸ばされているレオの手をパンッと叩くと、エクトルは羽琉を守るようにしてレオとの間に体を割り込ませた。

「エクトルさん」

 羽琉の安心した表情に一瞬表情を和らげたエクトルだったが、その後、隣にいるレオに睨みつけるような眼差しを向ける。

『心理学を学んでいるだって? ほぼ初対面のような関係性しか築けていない状態で、羽琉のパーソナルスペースを侵害しておいてよく言う。羽琉の目線や仕草や言葉から、君は何も察することができないのか? 君に馴れ馴れしく近寄られた羽琉が不快感を抱いていることに気付かないのか? それが心の問題があると知った上で接する態度だと思っているのなら、心理学どころか人としての君の良識を疑う』

 どこから聞いていたのか分からないが、羽琉とレオとの会話はほとんど聞かれていたらしい。

 心火を燃やしているエクトルの鋭い眼光に、レオは蛇に睨まれた蛙のごとく身を竦ませた。

『今後一切プライベートで羽琉に近付くな。近付いたらただじゃ置かない』

 微動だにできずにいるレオを尻目に、羽琉に心配気な眼差しを向けたエクトルは「大丈夫ですか?」と訊ねる。

「はい」

 安心した微笑みを見せる羽琉にエクトルは安堵した表情を浮かべた。そしてそっと羽琉の手を取ると、ベッドの上に置いてあった羽琉の荷物を持ち、再度レオに冷えた一瞥を向けてから羽琉と共に病室を出た。

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