第365話 勝つための努力

 北側に注意をむけていた。


 断崖絶壁があり、その下にグールの群れだ。


 だが西の方角からもグールがくる。


「西にそなえるぞ!」


 総隊長グラヌスの声が聞こえた。


「ブラオ、西の防御を厚くせよ!」

「はっ、承知した!」


 やり取りの声は聞こえるが、どこにいるかはわからなかった。


「この陣形は、めずらしいかたちに見える。陣内での動きが激しい」


 目まぐるしく動く味方を見ながら、この陣の発案者である軍師にむけて言った。


「ああ。遠征隊は数がすくねえ。そしてそれは最初からわかっていたこと。流動的に動くことで、なんとかおぎなおうって寸法さ」


 ラティオが答えたあとに、ぼくを見ていることに気づいた。


「どうかした?」

「いやなに、いよいよ人間族との戦いになる。いいのかと思ってな」


 ラティオらしくない質問だ。ぼくは戦場を見つめながら答えた。


「種族は関係ない。なにをやったかが問題となる。あいつらはグールをつかい、ぼくの家族を殺した。レヴェノア国でいえば、多くの兵士が殺された。ぼくらが攻めたわけじゃない。あいつらが攻めてきた」


 ぼくは書斎にある本棚を思いだした。


 天井までうまる本の山のなかに、死んだ兵士の名簿がある。


 名簿は巻をかさね、かなりの冊数になっていた。そのなかには、年月が流れても忘れられない名前もある。


 キルッフは将来を期待された若手だった。ザクトは、ぼくの父がわりだった。


 ジバさんは、すてきな家族が帰りを待っていた。


 あいつらがこなければ、どれほどの命が失われず済んだのか。


 グールに殺された仲間、それだけでもない。


 ヤニス、イブラオ、ドーリク、ボルアロフ、デアラーゴ。彼らは、ぼくを想い、国を想い、亡くなっていった。


「忘れられない名前、じゃないな。忘れるつもりもない名前だ」


 思わず声にだしていた。だがそうなのだ。ラティオに顔をむける。


「ぼくは、あいつらをゆるすつもりはない。それだけだ」


 ラティオはうなずき、戦場に視線をもどした。ぼくも戦場を見る。


 北での戦いが激しくなっていた。


 北のグールは二百というところだ。これを倒しても、まだ崖の下にはグールの群れが三百ほど見える。


 その残り三百の群れは、こちらのようすを見ているのか襲ってくる気配がなかった。


 自軍のほうに目をむけると、刃盾の兵と重装歩兵が踏んばっていた。円陣のもっとも外にある百の柱。ここにグールがあつまってくるが、返り討ちにしている。


 グールは刃盾にぶつかり傷つくか、うしろの重装歩兵に攻撃されるかして、いったんしりぞく。


 だが、それもつかの間だ。またグールは牙をむきだしにして襲ってくる。


 ぼくは背中の矢を取り弓をかまえた。近場は味方がいるのでねらえない。輪の外に視線を変えた。外から侵入しようとするグールを探す。


「最初の戦いみてえだな」


 となりのラティオが言った。ぼくは侵入しようとするグールを見つけた。弓を引き矢を放つ。大土竜タルパの頭に刺ささった。


「最初とは?」


 次の矢をつがえながら聞き返した。


「アトはそうやって、岩の上から矢をはなっていたっけな」


 そうか、ラボス村の近くで遭遇した戦いだ。


 また侵入してくるグールを見つける。矢を放った。牙猪エリュマントスの前足に刺さる。


 ふいに円陣の西側が崩れた。兵士たちの悲鳴も聞こえる。


 西からのグールが到着したか。だが陣形がくずれるほどのグールなのか。


 西に目をこらしてわかった。グールが兵士たちの顔や首に飛びついている。


人喰猿トロゴ・ピテーコスか!」


 あいつらは飛び跳ねる。見れば外側にならぶ刃盾を軽々と飛びこえていた。


 身軽な動きで兵士たちをも飛びこえる。何匹かがこちらにせまった。


 思いあたることはひとつ。みずからのつける白い羽織りを見た。ねらいはぼくか。


「近衛兵!」


 声がして動いたのはハドス副長。副長と数名の近衛兵が人喰猿トロゴ・ピテーコスにむかっていく。


 近衛隊のまわりにいた輜重兵、工兵たちが逃げまどう。


「後退して、陣を再編するか!」


 言ったのはラティオだ。ぼくは西側を見た。輪の外には、まだ多くの人喰猿トロゴ・ピテーコスがいる。五十か六十は確実にいた。


 このままでは乱戦だ。いや、そうか!


「ラティオ、四番隊だ!」

「四番だと!」

「カルバリス隊長は乱戦に強い!」


 ラティオの視線が泳いだような動きをした。だがそれもすこしの間だ。瞬時に考えをめぐらしたにちがいない。これまでの戦いをふり返っている。


「そうか、あいつか!」


 くわしく説明しなくとも、英才の軍師は瞬時に悟った顔をした。


「カルバリス!」


 軍師は持てる声の限りで大きくさけんだ。


「カルバリス!」

「ここに!」


 駆けてこようとする歩兵四番隊長がいた。


「輪の外にでて、猿を蹴散らせ!」


 軍師の声を聞いたカルバリスは、すばやく西へと駆けた。駆けながら自身の隊を呼んでいるようだ。駆ける隊長のあとを兵士たちが追っていく。


 またたく間に、カルバリスは輪の外にでた。手には二本のなたがある。


 一匹の人喰猿トロゴ・ピテーコスが、カルバリスへ飛びかかった。それを右手の鉈で頭からかち割る。同時に足もとにきた一匹を蹴飛ばした。


 歩兵四番隊が隊長につづいて外にでる。こちらも右へ左へ斬り始めた。


「伝令兵、四名!」


 ラティオがさけんだ。


「はっ!」


 ひかえていた黒い上着をつけた兵士がくる。


「東西南北にわかれ、号令を通達。旗がふられると同時に陣をたもちつつ西へ移動!」


 ラティオが四人も呼んだのは、四方向へと全体に通達させるためか。しかしなぜ西なのか。


 伝令兵が駆けていく。ラティオは目を皿のようにして味方の陣容を見まわしていた。


 伝令兵は駆けながら号令を口にしているようだ。それを聞いた隊長たちも、周囲に知らせていく。


 そのまま待った。ラティオは西を見つめている。


「いまだ、旗をふれ!」


 指揮台のうしろ、大きなレヴェノアの国旗を持った兵士が旗をふる。深紅の旗が右へ左へと風になびいた。いっせいに全体が動きだす。


 ぼくとラティオは指揮台からおりた。全体の動きにあわせ西へと移動する。


「止まるぞ、旗ふりやめ!」


 ラティオの声に、旗を持つ兵士がふるのをやめた。


「全体止まれ!」


 どこかにいるグラヌスの声が聞こえた。ほうぼうから、ほかの隊長たちの声も聞こえる。


 指揮台が置かれ、その上にのぼった。


 ラティオが西に動かした意味がわかった。


人喰猿トロゴ・ピテーコスとの戦いが終わっている。カルバリス隊の攻撃がきいたので、陣を動かし、とどめを刺したのか」


 ラティオがうなずく。やはりそうか。陣を動かせば、動かした方向に攻勢は強くなる。


「それだけじゃねえぜ。真正面からグールの突撃を受けるのを、すこしずらす意味もある」


 ラティオの説明で北を見た。たしかに、さきほどまで正面に見ていたグールの群れが、すこし右にずれるかたちとなる。


 すこしのずれ。だが効果はあった。いままで一直線にむかってきたグールが、とまどうように輪の外で止まっている。


 そのすきに輪のなかでは侵入したグールの掃討が済んでいた。


「投げ捨てるぞ!」


 カルバリス隊長の声が聞こえた。思わず西を見てみる。


 もと領主の息子と兵士たちは、人喰猿トロゴ・ピテーコスの死体を外に投げ捨てていた。


 まだ輪の外で生き残っていた人喰猿トロゴ・ピテーコスの数十匹が、うろたえたのか後退している。


「あの馬鹿息子、たいしたもんだな」


 軍師がカルバリスを褒めるのを始めて聞く気がするが、それより気になることがあった。


「ラティオ、旗を合図にしていた。あれもすでに各隊長へ?」

「もちろん、出発するまえには通達してあるぜ。あるていど、いろいろな戦いを想定しての動きぐらい、策を練るだろ」


 まさに用意周到。


 この軍師は天才とよく言われるが、天才とは、ひらめきを賞されることが多い。だがラティオのすごさとは、勝つための努力をおしまないことだ。

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