第245話 背骨
目がさめた。
見えているのは天井だ。アーチ型の簡素な石造り。
この形の天井を造ったおぼえがある。城壁のなかにある兵舎だ。
起きあがろうとして気づいた。からだが思うように動かない。
「だれか、起こしてくれるか」
おれのからだに手がそえられ、上半身が起こされた。そのとたんに目のまえが白くなる。しばらくすると視界はもどった。
上半身をうしろから支えているのは、副長のオンサバロだ。
部屋を見る。小さな部屋。やはり城壁にある兵舎だった。その寝台におれは寝ていた。
部屋には、サンジャオ弓兵副長、ペルメドス文官長、それにここには似合わない猿人の女がいた。ブラオ歩兵三番隊長の妻であり、城の
「状況を説明してもらえるか」
「はっ」
うしろで支えるオンサバロが返事をした。
「隊長は城壁から落ち、お堀に落ちました。すぐさま縄ばしごをおろし」
「それはわかる。戦いはどうなった」
「あの巨大な坂道のような建造物が崩れ、敵は引いていきました」
「朝か」
窓から光が入っている。夜が明けたか。
「いえ、昼をまわっております」
長らく気を失っていたのか。
「からだが、思うように動かない」
おれの問いには、フィオニ夫人が答えた。
「高いところから落ちたのです。しばらく動かすのは無理でしょう」
そうか、ご婦人がいるのがわかった。精霊で癒やしをかけたか。
「フィオニ夫人、そしてみなに感謝する」
おれは礼を述べたが、だれも
からだを見る。どこにも血止めの布などは巻かれていない。傷はないのに、足は動かなかった。
いや、足だけではない。はらの力もないのだ。だから自力で起きあがれない。
「オンサバロ、寝台のへりに腰かけさせてくれ」
この猿人の副長だけでなく、ペルメドス文官長も手を貸してくれた。寝台のふちに腰かける。足袋をつけた自分の足を見つめた。やはり動かない。
「
サンジャオに言った。壁に金具があり、そこに
「隊長!」
うしろを支えていたオンサバロが動き、すぐに寝かされた。すこし首を浮かして下を見る。おれの足袋をフィオニ夫人がとり、刺した傷に白い布を巻いていた。白い布に血がにじむ。
「これは無理だな」
おれはつぶやいた。動かないだけでなく、痛みがない。この
「壊れたのは、背骨か」
足の甲に布を巻いているフィオニ夫人は答えなかった。そして、みな知っているのだ。この怪我は助からないと。
「フィオニ夫人、おれはどのぐらい、もつと思うか」
おれの足に布を巻いている婦人が、おれをにらむように見あげた。
「きっと、治ります」
いや、無理だろう。だが治療をする側は、そう言うしかないか。
傭兵のころに、いくどかおなじ怪我をした者を見た。突撃する馬から落馬をした兵士は、足が動かないと泣きさけび、その日の夕刻には息を引きとった。
「フィオニ夫人、巻き終わっただろうか?」
「はい。今後、ご自身を傷つけるような行為は、おやめください」
「すまない。はっきりさせたかった」
婦人は、なにも答えなかった。
「オンサバロ、どうにか上半身を起こして固定できるか?」
副長が、寝台の頭側にある壁にまわる。それからおれを起こし、両わきに手を入れ引っぱった。壁に背中をもたれさせ、また、みなの顔が見えた。
オンサバロが寝台のすぐよこに立っているが、ぼろぼろと泣いている。
「泣くな、副長。いまは戦時だ」
「はっ」
長身の猿人は、服のそでで涙をぬぐった。
「サンジャオ、総指揮をたのむ」
「おめえが死んだらな」
「もうじき死ぬ」
「だから、死んでからだ」
そう言うとサンジャオは部屋をでていった。
首を動かし、オンサバロを見た。
「生き残った者の数を」
「はっ。九八二人です」
九八二。
「千を切ったか」
そのあとの言葉がでず、白い布が巻かれた自分の足を見つめた。
「ガザフは?」
「戦死しました」
入口を見る。扉はあいていた。回廊の防壁、その上に外の青空が見える。
「見える範囲に敵は?」
「おりません」
敵は夜襲のみにかけてきたか。
部屋のすみには木の棚がある。そこに六角杖が立てかけられていた。
「ひろってくれたのか」
おれが見ているさきをオンサバロも見た。
「守備兵のものが、朝方に」
あれを振ることは、もうないだろう。
「諜知隊、またはそのほか、外からの連絡は?」
これはペルメドス文官長に聞いた。
「ございません」
文官長は短く答えた。
「オンサバロ、どうする?」
若い猿人の顔を見つめた。その顔はもういちど涙であふれたが、それをそででぬぐい、にらむようにおれを見て口をひらいた。
「戦います」
オンサバロは現状をわかっているのだろうか。いや、わかっていても戦うしかないのか。いまから市民をつれて逃げても、グールは追いかけてくるだろう。
そしてそのまま、近くなったボレアの港も襲われるだろう。つまり街を捨てて逃げたほうが、被害は大きくなる。
だが、兵士の状態だ。
「いま、兵士たちは?」
「夜襲へのそなえをしております」
「だれでもいい。五名ほど連れてきてくれ」
オンサバロが駆けだしていく。しばらく待つと、甲胄をはずした守備兵とともに帰ってきた。
守備兵は、おれを見ると明るい表情を見せたが、その顔つきは変わっていた。
「無理だな」
「隊長、無理とは」
聞き返したのは、五人のよこに立つオンサバロだ。
「副長、その六角杖を持たせてみろ」
オンサバロが木の棚に立てかけてある六角杖をとり、犬人の守備兵にわたす。
両手で持っていたが、次第にからだがゆれ始める。そしてすとんと床に尻をついた。
「みな、限界を超えている。元気があるように見えるのは、戦いの興奮がそうさせているだけだ」
五名をさがらせる。
「日の入りまで、
「およそ三刻ほどは」
答えたのはペルメドス文官長だった。
三刻ほど休ませても足りない。昨日の朝から起きている。
「文官長」
「はい」
「城の屋上から、全容をながめていたはず」
「はい。なさけないことに、戦いもせず」
「そうではない」
文官長の言葉をさえぎった。
「敵の総数は見えただろうか」
初老の犬人が考えに沈んだ。
「暗く、敵はあらわれては消えてゆきます。グールは千匹いたのか二千いたのか・・・・・・」
だが、一万はいないということだ。
「アッシリア兵は?」
「そこが、さらに見えませんでした。あの巨大な坂のようなもの。あれは百に近い兵が押しておりましたが」
おれが最初に見た弓兵は、二百か三百はいたように見えた。アッシリア兵も千か二千、そのあたりで一万はいない。
それもそうで、一万もいれば、昨日の戦いで東西のふた手で攻撃してくるだろう。
おれはこれまでの人生で、戦場の全体を考えるような立場にいなかった。こんなときに軍師のラティオがいれば。そう思わずにいられないが、いないものはいない。
「やはり、むこうも、それほど有り余るほどの戦力はない。だが、こちらの兵も限界だ。どうしたものか」
ふいに目のまえが白くなり、倒れそうになった。オンサバロが肩を持って支える。
「よこになられたほうが」
「いや、おれはいい」
「安静にされないと」
フィオニ夫人からも声をかけられたが、おれは首をふった。
「十年以上も傭兵をつづけてきた。おれが始めたころいた仲間は、すでにだれもいない。いつかは自分も。そう思ってきたので、おどろきはない」
フィオニ夫人が、おれに近づいてきた。
「あまり、つづけざまに癒やしはかけません。からだに負担がかかるので」
「かけてくれ」
猿人の婦人は、おれのひたいに軽く手をそえ、なにかをささやき始めた。
古代語か。水の精霊があつまるのを感じる。うわさに聞いていたが、猿人なのに土の精霊ではなく、水の精霊をつかう。
おれに
水の精霊が、おれのなかに入った。
「ご家族に会われませんと」
古代語をとなえ終えたフィオニ夫人が言う。
「まだ今後の対策も決まっていない」
「なるべく早く、会われたほうが」
フィオニ夫人はそれだけ言った。
「兵士の食堂で、お待ちいただいております」
オンサバロが言った。すでに呼んでいたのか。あいかわらず用意のいい男だ。
「では、通してくれ」
おれがそう言うと、オンサバロは駆けだしていき、ペルメドス文官長もフィオニ夫人も、そっと退出し扉をしめた。
待つほどもなく、すぐに扉があく。
「ジー!」
走ってこようとしたサラビーゴの肩を、ユガリがつかんだ。三人がゆっくりと寝台のよこにくる。おれの家族。三人もいるおれの家族だった。
「父さんは、すこし怪我をしてな。しばらく帰れない。母さんの手伝いをたのむぞ」
「そんなあ。フーリアの森にいけないよ」
サラビーゴが怒った顔だ。
「それまでには治るだろう」
カビーゴを見た。だまっておれを見ている。兄のカビーゴは年齢よりも賢い。なにか悟ったか。
「じゃあ、ふたりは外で待ってて」
ユガリが子供ふたりの背中を押した。
「カビーゴ」
おれは息子の名を呼んだ。部屋をでようとしていた息子がふり返る。
「言ったとおりだ。父さんは逃げないぞ。おまえらを守る」
カビーゴは静かにうなずくだけだった。
子供ふたりが部屋からでて扉がしまると、ユガリはぎゅっと目をつむった。そして、水に溺れた者のように激しく息を吸っては吐いた。
そうか。意外に早く子供を退出させるのだなと思ったが、ユガリ自身が耐えられないのか。
「おれの状態は聞いたか?」
「オンサバロ副長から」
ユガリは顔をしかめ、着ている上着のすそを両手でにぎりしめた。
「そんな顔をするな、ユガリ」
おれは妻の服を引っぱり、頭のうしろに手をまわした。ふたりのひたいをくっつける。
命をとられる怪我だが、ひとつだけよかった。痛みを感じないので苦痛にゆがむ顔を見せなくて済む。それに、こうやって冷静に話すこともできた。
「やっぱり、あのとき逃げていれば」
ユガリが絞りだすように言う。強くつむった目からは、涙がにじみだしていた。
「いや、いまこのときさえも。逃げなくてよかったと心から思う」
にじみでるユガリの涙を、おれは見つめる。
「おれの人生は満たされた。満たしているのは、おまえがすべてだ」
ユガリが目をあける。猿人の娘は大きな目をしていた。その大きな目から、大きな涙があふれでる。
「笑ってくれ、ユガリ。おれの人生は、これ以上なく楽しかった」
泣きながら、おれの妻は笑った。
「おれたちの子をたのむ」
ユガリが力強くうなずく。それから唇を重ね、ユガリは退出した。
寝台の上に残ったおれは、自分のからだを見つめた。
それほど長くはもたない。だが、まだ死ぬわけにもいかない。サンジャオは言った、おれが死ねば、街が死ぬと。ならば決めた。われらの軍が帰ってくるまで、おれは指揮をとりつづける。
おれの家族は、おれ自身で守る。そう決めた。
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