第4話 ピンクの紙

図書館でぼんやり本を見ながら、私はジュディスの言った言葉を考えていた。


世の中は甘くない。


本の世界にどっぷり浸って暮らせたら幸せかもしれないけれど、授業は出なくてはいけないし、アダムス先生みたいな価値観の持ち主は大勢いるだろう。


服装ひとつで、他人の心証を変えられると言うなら安いものかもしれなかった。


家から服を取り寄せることにした。一応。着るかどうかは未定だ。




今、図書館で読んでいる本は、たぶん誰も読まないだろう歴史本だった。


『中世の農業の特長と進歩がもたらした生活文化への影響』


マイナー過ぎる。


正式名称は『メレンブル地方農村における調査記録第38巻』


ある一軒の農家の収支が細かく記録されている資料本だ。

冬を越すために必要な豚の塩漬けの数とか麦の量、夫は税金をうまくごまかし、妻はせっせと内職にいそしみ現金を稼ぐ。炉端でくつろぎ、寝入ってしまった我が子を眺め微笑む幸せな夫婦の表情が浮かぶようだ。

数字を追えば、その農家の村の様子もわかる。結婚式や葬式。思ってたより豊かな暮らしのありようが浮かんでくる。

今の世の領地経営にも役立つのではないだろうか。


資料を読み解くことは楽しい。変わり者だと言う評は甘んじよう。女性らしくないと言われることには慣れている。おまけにこの顔だ。


この本は図書館からの持ち出しが禁止されているので、私は何日か通いながら読み解いていた。ほぼ日課だ。


メリットとしては、アンドレア嬢やマデリーン嬢は図書館にやってこない。


退屈なところだと思い込んでいるのだろう。

ここには興味と夢がこんなにもあると言うのに。


私は、本に目を落として、ページの間に挟まれた一枚のピンク色の紙に気が付いた。


真新しい紙だ。この本はずいぶん前に発刊された本で、紙自体がいささか黄ばんでいた。


『文法の教師はヒステリックな独身女。えこひいき。人に身分は関係ない』


私はカリカリした感じの走り書きの筆跡に目を凝らした。

字を書きなれた人の筆跡だった。


思わず笑った。


これは誰だろう。


アダムス先生は、貴族の学校の先生としては、まっとうな感覚の持ち主なのだろう。だが極端だ。不満な生徒も多いだろう。


誰かがうっぷんを晴らすために書き込んだんだ。


私は細い鉛筆を取り出すと、その横に普段と違う筆跡で書き込んだ。


『全くその通り!』


まあ、マデリーン・フェアマス嬢の書き込みではないだろう。彼女は、今、親しくなった男と出歩いているらしい。


そして、そのままピンク色の紙を本に戻した。ちょっとだけ愉快な気持ちになれた。



学園生活は順調で、勉強そのものにはまったく問題なかった。


クラスにはずいぶん慣れた。つまり、二、三人のいかにも気弱そうな令嬢と知り合いになれた。

彼女たちが気弱そうに見えるのは、身分が低いからである。下手に出るしかなかったのだ。その代わり勉強はできた。教えたり教えられたりは楽しかった。私を含めて全員が制服を着ていた。


制服のおかげで、アンドレア嬢も私が全然ライバルにならないダメ令嬢だとわかってくれたらしい。フェアマス嬢は基本的に地味で陰気な女性には関心がないから、まったく安泰だった。彼女たちは、あっという間に華やかなドレスに着替えて、とても目立っていた。


ドレスの件は母が大量に送り付けてきた中から、紺や深緑の地味なものを時折混ぜて着るようにした。これでジュディス対策も完璧だ。



そして、ピンクの紙の会話は続いていた。


『ピンカートン教授は偽善者。授業時間を間違えるなんて最低!』


私はその時のピンカートン教授の言い訳を思い出して笑った。誰かが彼に間違えて伝えたと言うのである。完全に人のせいにする気だ。あやまりもしなかった。


「そのくせ、生徒のミスには不寛容」


『食堂の入り口でエクスター殿下の取り巻きがたむろっているのは邪魔! 例えご身分が高くても』


「殿下はとにかく、大勢の取り巻きが邪魔」


『殿下、取り巻きを追い払え』


なんだかエクスター殿下のことは嫌いらしい。ただ、食堂に入るたびに入り口に人が多すぎて不便なのはその通りだ。


「アンドレア嬢、迫力あり過ぎ。エクスター殿下のこと好きすぎ」


『あんな女を殿下が相手にするはずない。無理』


なかなか怖い。過激な人物だ。


『アンドレア嬢が、エクスター殿下と話をしたからって、どこかの制服着た生徒を脅したんだって? アンドレア嬢、怖いよ』


噂になってたなんて知らなかった。多分、それ、私のことです。


でも、正体をばらすわけにもいかないから、その件については何も書かなかった。


誰だかわからないまま、自由に書き込むのは楽しかった。


「この人、なんだか辛らつだよね。でも、気持ちはわかるわ」


あまり過激なセリフが目立つときは心配になってピンクの紙を引き抜いて持って帰った。司書に見つかると厄介だ。


紙がなくなっても、翌日には、私の辛辣で観察眼の鋭い友人は、新しい紙を本にひそませてくる。



今度は学園の花壇の話だった。


『アウレジアが咲いている。毎年、楽しみ!』


アウレジアは、青い不思議な花だ。王庭か学園にしか植えられていないと言う。


気に入りの窓から見下ろすと、確かに花盛りだった。


本当にきれいだった。

言われなければ気付かなかっただろう。


『アウレジアって、宮廷の庭師が開発した新種の花の名前なんだ。原生種はベルビュー近くの山の中で見つかったんだって』


へえ。友達っていいな。新しい知識が増える。


『咲き切る前に売ればいいのにな。金になりそうだ。専売制にして取扱業者を決めるんだ。あとドライフラワーにしても売れるかも。年間で大体……』


……うん。友達っていいな。いろんな考え方があることを教えてくれる。花って、売れば結構な額のお金になるんだね。



私はこの友達にジルと言う名前を付けた。ジルがそう呼んで欲しいと言うからだ。だから私は私のことをフロウと呼んでくれと頼んだ。

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