第2話 エクスター殿下とアンドレア嬢

「殿下の前で椅子を許していただけるとは……申し訳ございません」


そもそも身分違いで、目の前で座ることもどうかと思うくらいだ。

どうしたらいいか、さっぱりわからないので、ひたすらあやまる。


「ここは学園ですから、そこまで礼儀作法にうるさくないですよ。ですからどうぞルイと呼んでください」


姉から聞いている。そんな言葉を真に受けたら、どんな地獄が始まることやら。


「まさか、そんな失礼なことはできませんわ、殿下」


ものすごくドキドキしてきた。ハゲタカ令嬢や、公子とお知り合いになりたい側近希望の令息たちが目を輝かせて遠巻きにこちらを見ている。


何しろ、エクスター公爵家は、ただの公爵家ではない。

彼の父上は王弟殿下である。つまり、王族。


万一、王家に何かあった場合、王座に返り咲くことだってあるのだ。


「姉上のマイラ嬢をよくお見かけしたものですから」


なんだ。姉のファンか。姉は評判の美人だったが、昨年卒業して、裕福なラッセル伯爵家の嫡子と結婚した。


「そうでしたか」


「妹のあなたもよく似てらっしゃる」


私はあいまいに微笑んだ。あんまり似ていないと思う。


「姉は社交的なのですけれど、私は引っ込み思案で、そうですね、姉の影みたいなものですわ」


自分で自分をブスと言うのもどうかと思うから言わないが、言いたいことはその一点に尽きる。姉に比べたら、どう見てもかわいくない。少なくとも男受けしない。それだけは自信を持って言える。


ルイ殿下の方は口ごもった。


「あなたもとてもおきれいだと思います……」


私は彼の顔を盗み見た。


私は彼のふたつの瞳に目を見張った。完ぺきな貴公子、いつも笑顔を絶やさないお優しい方と言われていたが、彼の目は全然違っていた。


きつい目だった。


一瞬だけ、見つめてしまった。なぜこんな目をしているのだろう。何もかも恵まれた人のはずなのに。


私は出来るだけ、穏やかそうに見える笑顔を貼り付けた。エクスター様、なんだか怖い。


地顔が派手なので、成功したかどうかはわからない。なにかハゲタカ的な猛禽類な顔になっているかもしれない。


「まあ、そんな風に言っていただけるなんて。ですけど、本が好きで閉じこもって読んでいる時が一番幸せなんですの」


私、引きこもりなんです! これだけは言っておかないと、大変なことになる。 

私は、この顔のせいで、さんざん誤解され続けてきたのだ。

顔だけ見るとすごく派手でごうまんそうに見えるのだ。


誰かが、エクスター殿下を呼び戻しに来た。

彼は見たところ残念そうに立ち上がった。何か言い残したことでもあるらしい。私は深くお辞儀をして彼を見送った。なんの用事だったのかしら。



そして何事もなかったかのように夕食を食べたかった……のだが、殿下が食堂から出た途端、ご令嬢たちご一行の来襲を受けたのだった。


「あなた、どういうおつもり?」


とがった声だ。彼女たちは目立つグループで、頭目は仲間内ではアンドレア嬢と呼ばれていた。入学してまだ1週間しかっていないのでよく知らないが、なんだか圧がすごいので、私がとにかく避けていた方々だった。


「あの……どういうつもりとは?」


「まあ、とぼけてずうずうしい。エクスター殿下にあんなに親し気にふるまって。恥知らずだわ」


きっと、エクスター殿下を狙っている令嬢たちのうちの一人に違いない。

いわゆるハゲタカ令嬢だ。姉はよく、良縁を求めて、見目麗しい高家の令息の周りをうろちょろする令嬢たちのことをそう呼んでいた。


多分、私を同じ獲物を狙う敵だと思ったのだろう。……それ、完全に間違っています。


「話の内容が失礼だったのでしょうか」


「口答えする気?」


「殿下とお話しすること自体が失礼よ。あなたのような平民が」


平民ではありませんが、制服を着ているので間違えたんですね。わかります。


とても豪華な衣装に身を包んだ別の令嬢が、扇で顔を半分隠しながら畳みかけてきた。この方がアンドレア嬢か。黒い巻き毛がつややかで、なかなか美人だ。


「私から殿下に話しかけるような失礼はしておりません。身分違いでございますから」


要は近づかなければいいのだろう。

私はそんなドロドロした世界が嫌いなのだ。苦手意識がある。


「今後、決して殿下のお目に触れないよう気を付けます」


エクスター殿下と仲良くなりたいだなんて絶対に考えていない。


殿下とこの手の人たちはセットだ。そしてこのご令嬢たちはとても怖い。集団いじめでも何でもやらかしそうだ。


彼女たちの目つきは真剣そのもの。それはそうだ。お家の事情が彼女たちの双肩にかかっている。


私の家だって本音は多分同じだろう。


だけど、私に頑張る元気はない。いくらなんでもエクスター殿下は荷が重すぎる。もう、この場面だけでアウトです。気力だけですでに負けている。


エクスター殿下は、貴公子然としたそれは美しい人だった。男性なんだけど。


所作も優雅で美しく、肩口で切りそろえられたまっすぐな金髪はキラキラと輝いている。恰好のいい鼻と顎の線は少々細くて、碧い目がきつい光を放つことさえなければ、まるで美しい王子様と言う言葉を体現しような人だった。


名だたる名門貴族の娘たちが雪崩を打って彼に傾倒するのもよく分かる。


私と来たら何時だって、姉と比べられてきて、連戦連敗だった。豪華絢爛な顔より、可憐で愛らしい顔の方が勝ちを取るのだ。乳母のメアリもそう言っていた。あと、侍女のアリスまで!


「もう二度と、あのような無礼な真似はなさらないように」


「……はい」


別に無礼でも何でもないと思う。あそこで殿下に返事をしなかったら、それこそ大不敬だ。釈然としなかったが、とりあえず彼女たちとは関わり合いになりたくない。




後でジュディスに、フィッツジェラルド侯爵令嬢ご一行だったと教えられた。アンドレア嬢の家名はそれだったのか。聞いたことはある。


「まあ、家格的にもぴったりな上に、アンドレア様はルイ殿下に本気で惚れ込んでいらっしゃるのよ」


「殿下に声をかけられたのはまずかったわね」


「あらあ! そんなことないと思うわ!」


ジュディスは興奮した様子で乗ってきた。


「チャンスじゃない。大チャンス! 向こうから話しかけてきたのよ! 美人顔でよかったじゃないの。エクスター殿下は剣の腕も成績もいいの。おまけに容貌があの通りのお方。しかも、大変女性には礼儀正しいので……」


「ジュディス、でも、あの怖そうなアンドレア様達が狙っているのよね。私、他人の持ち物には手を出さない主義なの」


「アンドレア様のものと決まったわけじゃないわ! ここが踏ん張りどころ……ちょっとはやる気を出しなさいよ! 伯爵夫人に手紙を出して、ヤル気が全く見られないって言いつけるわよ?」


ジュディスは不満そうだった。


従姉妹とはこの点ではかみ合わない。学年が違っていてよかった。



それからと言うもの、私は食堂でエクスター殿下を看視することにした。


静かな生活のためには必要な努力である。幸いなことにエクスター殿下は取り巻きに十重二十重に巻かれて、そう簡単にその輪から抜け出せそうになかった。例のフィッツジェラルド侯爵令嬢たちがその輪に混ざっている時もあった。


「よし」


私の方が身軽だ。私はフィッツジェラルド嬢のような重装備ではない。



夕食を済ませると寮に向かって軽い足取りで走って行った。


だって、本の続きがあるんだもの。時間がもったいなかった。

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