第百二話 展開変化



「クレイン様、ヨトゥン伯爵家からの書状が届いております」

「伯爵家から?」


 クレインにとって、持ち込まれる書類はどこかで見たことがあるものばかりだ。


 相も変わらず高速決裁を行っている彼の執務室に、外交部長のエメットが訪れたが――しかしこの案件は――過去の人生を振り返っても初めてのものだった。


「当主の封蝋ふうろうが押されておりましたので、外交部での開封は避けました」

「この時期に親書か」


 家臣が代筆したものではなく、ヨトゥン伯爵が自ら書いた手紙だ。エメットの権限で内容の確認までは許されるが、クレインには彼が開封しなかった理由がすぐに分かった。


 親愛なるアースガルド子爵へ。という宛名は字が震えており、禍々まがまがしい気配を放っているからだ。


「何となく、嫌な予感がするな」


 紙の上にのたうつ・・・・文字からは、本気の怨念が発されていた。

 果たし状という表題に変更されても、特段おかしくはない雰囲気だ。


「買い付け代金その他の処理は、完璧に済ませてあります」

「分かってるよ」


 力業の外交や敵陣での潜入工作など、無茶な案件ばかりを振られていたので、エメットが警戒する理由はいくらでもあるのだ。


 仕事に関連する不手際であれば引き受けるが、職務以外の重責を持ち込まないように。という圧力を受けたクレインは苦笑いをした。


 これ以上の負担は身が持たないとばかりに、エメットは笑顔で牽制しながら手紙を献上するが、本音を言えばクレインとて受け取りたくはない代物だ。


「まあ、見ないことには始まらないか」


 恐る恐る手紙を受け取ったクレインは、慎重に封を切る。

 そして、中身を確認する直前に、執務室の扉が再度ノックされた。


「失礼します。アイテール男爵より書状が届きました」

「マリウスも手紙か」


 戦後処理の最中に、ヨトゥン伯爵家から手紙が届くことが初めてならば、アイテール男爵からの連絡が届くことも初めてだ。


 何をどう変えた結果が、どこに結びついたのか。その因果関係はまだ分からないが、クレインは伯爵からの手紙を一旦置き、男爵からの手紙を先に開封した。


「よし、軽そうな方から済ませよう」


 心なしかドス黒い瘴気が見える手紙を脇に寄せて、クレインは颯爽とアイテール男爵からの手紙を読み進めた。しかし内容は突飛なものだ。


「来年の夏に王都で流行しそうな、最新の服装について?」


 手紙の後半部分に差し掛かっても、「近頃気に入っている料理をビクトールに振る舞った」などの、世間話が並ぶばかりだ。


「……何の意図があるんだ、これは」


 確かに親交は復活しているが、王城で火災が起きたという大事件の直後なのだ。この時期に、ここまで呑気な手紙が届くはずがない。

 しかしどこを見てもただのご機嫌伺いなので、クレインは首を捻った。


「俺に宛てた手紙がマリウスに届いたなら、文章に符牒ふちょうが入っていると考えた方がいいか」


 クレインが真っ先に思い付いた可能性は、手紙が暗号化されていることだ。

 符牒とは合言葉の一種であり、一族の人間や、側近にだけ通用する言い回しのことを指す。


「マリウスは内容を聞かされていないのか?」

「顔見知りから渡されましたが、クレイン様宛てと伺ったので未読のままです」

「それなら一度、暗号文の前提で解読してみてくれ」


 マリウスはアイテール男爵家から引き抜かれたが、前職では領地の代官補佐という役目を担っていた。


 機密を取り扱うこともあったので、彼は当然、アイテール男爵家に伝わる暗号を解読できる。

 隠語を正しい単語に直していくと、すぐに物騒な言葉が並び始めた。


「王都、要人、不穏分子、追っ手、粛清」

「伯爵家からの書状はお届けしたので、私はこれにて失礼します」


 横で聞いているエメットはすぐに事態を察して、丁寧に退出の礼を取る。

 しかしクレインは当然のように、撤退を阻止した。


「いずれ外交部にも関係すると思うから、残ってくれ」

「……承知しました」


 自分は一体、何の陰謀を聞かされているのだろう。

 できれば今すぐに帰りたい。


 そう言いたげな、いたたまれない笑顔の外交部長をよそに、マリウスは手紙の解読を終えた。


「ビクトール殿の指揮下で、アレス殿下の逃走経路を確保。アイテール男爵を始めとした協力者たちが、不穏分子と追手を処理している最中とのことです」

「殿下の安否は?」

「少なくとも、この手紙が書かれた時点。8日前まではご健在のようでした」


 クレインに直接送るのではなく、旧臣のマリウスを経由していること。

 伝達事項は特殊な暗号で書かれている上に、最低限なこと。


 この二つから、まだ安全圏には逃れていないことが分かる。だが敵の暗殺が空振りして、王都からの脱出に成功したことまでは確定した。


「しかし先生の作戦に、楽隠居の男爵まで引っ張り出されたのか」

「私の実家まで含めて、中央の貴族家も幾つか動いているようですね」

「分かった。順調ならいいんだ」


 それは既定路線であり、計画が予定通りに進められている報告とも取れた。

 ある意味では状況に変化が無かったとも言える。


「で、問題はこっちか」


 そのため目下の懸念は、ヨトゥン伯爵からの手紙に戻ってきた。


 妙な迫力のある手紙を開封すると、後半に行くにつれて筆圧が濃くなっている、呪いのような文章が姿を現す。


「不承不承ではあるが婚姻の用意を進める。私は納得したわけではないが、家として決めたことなので、仕方がなく、断腸の思いで娘を送り出す。おめでとう」


 一応は婚約者の家に挨拶を、という名目の手紙であり、途中途中で理性を取り戻したかのように――形式的な――祝いの言葉が述べられている。


 だが家族を人質に取られて、無理矢理書かされたかの如く、心の底から不本意さを感じる祝辞だ。

 最低限の体裁こそ保っているものの、隠しきれない恨み節がずらりと並んでいる。


「これだけなら、伝え聞いた言葉と変わらないんだけど……」


 むしろ余計な感情を排して、綺麗な言葉に変換して伝えてくる分、使者から聞いた方がマシなくらいの手紙だ。

 読み進めるにつれ恐怖を覚えたクレインだが、この手紙の用件は末尾付近に記されていた。


「想定よりも情勢が安定しているようなので、予定通りに娘を送り出す?」


 過去では戦後の復興で領内が荒れていたため、輿入れはかなり先延ばしにされていた。

 時期で言えば、アストリがやって来たのは4月の上旬。今から2カ月以上は先の話だ。


 しかし王国暦502年5月21日に結婚式を挙げる予定は変わらないため、用意の段取りを考慮すれば、早いうちからアースガルド領にいた方がいい。


 それが当代伯爵を除いた、ヨトゥン伯爵家の総意だった。


「家臣たち。いや、先代に押されて折れたか」


 過去のヨトゥン伯爵はでき得る限りの遅延を試みたが、アースガルド領が安定しているのなら嫁入りを引き延ばす口実が無い。


 そのため過去と比べて、かなり早い段階でやって来るという報せが届いていた。


「遅くとも再来週には、こちらに来るみたいだ」

「では、受け入れの用意を進めます」


 これなら外交部が絡む問題なので、エメットとしては仕事の範疇だ。用意が慌ただしくなるだけであり、通常業務とさほど変わらない。


 使用人たちと相談して、歓待の準備を整えるだけで済むことだった。


「クレイン様。僭越せんえつながらマリー様との関係には、くれぐれもご留意を」

「そうですね、それは外交部からもお願いします」


 ここでマリウスとエメットは、お家騒動を起こさないための配慮を求める。


 彼らからすれば、恋愛結婚をしたばかりのマリーと、政略結婚をするアストリが鉢合わせた場合に、何かしらのトラブルが起きると思っているからだ。


 しかしクレインの中では、家庭を円満に保つ覚悟など王国暦500年4月1日の時点で固まっている。

 それにどちらも恋愛結婚という認識なので、扱いに外交的な意味を超えた差を付けるつもりは無い。


 そもそもアストリからは、マリーを夫人に勧められたほどなので、彼女たちの相性についてもクレインは心配していなかった。


「分かってる、その辺りは上手くやるよ」


 屋敷の建て替えや結婚式の用意は当然、過去の知識を基に進める。しかしクレインは彼女たちの関係に起因して、人生をやり直す瞬間が来ないことを願っていた。


 例えば何度も同じ場面をやり直すと、相手にとっては楽しみなデートでも、彼にとっては単調な作業になりかねない。


 つまり共に人生を歩むなら、温度差を生じさせる事柄は排除して、初めて見る景色や経験を、同じ視線で共有したいという希望を持っていた。


 そのためこの点については、誰に言われるまでもなく人事を尽くすつもりでいる。


「家中のことを整えるためにも、マリウス。巡察先のノルベルトを呼び戻して、当面は屋敷に留まるように伝えてくれ」

「承知しました」


 ノルベルトは古くから仕えているので、村長や地主との縁が深い。そのため過去に事務処理で使い倒されていた執事は今、領内限定の外交官のような職務に当たっていた。


 保守的な領民は改革続きの現状に不安を抱えているため、ノルベルトは領内各地との折衝や、融和政策に欠かせない存在だ。


 屋敷の管理は使用人の増員で対処しているが、しかしアストリを予定よりも早く出迎えるなら、彼が不在では不安が残るところだった。


「いざとなれば、ハンスを臨時の執事にしてもいいんだけど」

「できそうではありますが、止めておきましょう」


 やれと言われれば、彼は恐らくやる。軍事責任者に始まり、大工の親方や盗賊団の頭目まで務めたのだから、何のかんのと言いつつ順応するだろう。


 しかし今、最も忙しい家臣はハンスだ。負担の軽減策は打たれたが、新規の仕事と相殺されているため、全体の業務量はさほど減っていない。


 クレインやトレックに大幅な余裕ができた分、相対的に彼の負担が重くなっていた。


「そうだな。それは最後の手段にする」

「……絶対にしないとは、仰らないのですね」

「まあね」


 優先順位は上げないが、必要とあらば使う。

 この宣言を受けたエメットは、ハンスの境遇に酷くシンパシーを感じていた。


 そんな冗談半分の会話を流しつつ、クレインは真面目な検討も行う。


「むしろマリウスに頼むかもしれないけど、できそうか?」

「組織は安定しておりますので、ご命令とあらば承ります」


 事実、クレインが王都に上る際はマリウスを執事代わりとしていたので、能力に不足は無い。


 ノルベルトの業務は領内の安定化を最優先にしているため、秋口まではマリウスをアストリ付きにする案も現実的だった。


 状況が変われば適切な配置は変わるので、クレインはここでも新しい試みができないか探っているところだ。


「彼女に手を出した人間は教育・・するけど、マリウスならその心配とも無縁だしな」

「無論です」


 彼は職務遂行以外に興味が無い鉄仮面で、恋愛は二の次三の次なのだ。

 妻の警護という面で見ても、ランドルフと並んで信頼できる人物となる。


 既存の人材を最適に配置するのはクレインの役目であり、今までも適材適所で難所を乗り切ってきた。

 しかしここで彼は、新規の人材にも目を向けていく。


「まあ、女性の執事を育てるのが最良だとは思うけど。差し当たり文官見習いの中に、信頼できそうな人材がいることを期待しようか」

「畏まりました。課程の修了間近なので、いつでもご案内できます」


 過去では1期生を現場配属してから幾らも経たずに、クレインは王都で命を落とした。

 そのため育成した新人については、完全な未評価というのが正直なところだ。


 新たな人材については関心があるため、彼はすぐに席を立った。


「それなら早速、見てみよう」

「クレイン様、執務がまだ途中では? アストリ様がお来しになるまでは猶予があるので、そう焦らずともよろしいかと」


 マリウスは机の上に並んだ書類の山を見るが、一日二日では終わりそうにない。

 いくら高速決裁が可能と言っても、一人で片付けるなら半日は要る量だった。


「今すぐ行きたいけど、一旦そうしようか」

「追加も考えれば三日仕事だと思いますが、分担いたしますか?」

「いや、俺がやっておくよ」


 クレインはひとまず執務に戻り、夕方まで仕事をしてから自害した。


 彼は書類の内容を把握した上で朝に舞い戻り、問題があった5つの案件だけを、書類の山から弾き飛ばす。


「準備完了だ。30分で片付けてやる」


 彼がやるべきは、書類の承認と非承認を振り分けることだ。

 既知の書類は早く片付くが、昨日・・見たばかりの書類を確認するだけなら、なおのこと早い。


 非承認の場合は棄却の理由や修正案を記載するものの、ここに並んでいるのは改良後の政策だけであり、不良個所は数えるほどだ。


 そんな調子なので、手紙を持ち込まれる頃には処理を終えて、早めの紅茶を楽しんでいた。


「クレイン様、執務がまだ途中では?」

「夕方の分まで全部片づけたよ。追加を待つのも何だし、早速向かおう」


 受け入れ準備が早く終われば、アストリが来る時期が早まるわけではない。それでも彼は久方ぶりに気が急いていた。


 何度か死ぬくらいは構わない程度に熱量が高まっているクレインは、次々現れる業務を瞬殺しながら再会の時を待つ。


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