第九十二話 勝利の女神と逆転の秘策(後編)



 マリーが主張したのは、子どもでもすぐに分かる解決策だ。

 動きを止めたクレインの顔を下から覗き込んで、彼女は勝ち誇った顔をした。


「そうですよね?」

「……はい、ごもっともで」


 言っていることは正しいので、クレインには何も言えない。

 問題があるとすれば、近場に大量の食料を運び込める領地が無いことだ。


 ヨトゥン伯爵領とて一応は隣接領なので、それより近いとなれば候補は小貴族たちの領地――略奪を受けた地域か、又は敵方のヘイムダル男爵領という論外な二択しか残っていなかった。


「他を探すと言っても、協力してくれる家を探すのが難しいな……」


 飢饉の中で大量の食糧が運ばれたというのに、内部留保していれば反乱の種になる。

 東伯軍のことを抜きにしても、作戦に協力するのは危ない橋だ。


 保管作戦に付き合ってくれる領地はあるのか。

 もっと言えば、秘匿性を担保できるのかは大きな問題だった。


 中央側の小領地から協力を取り付けたとしても、大規模に輸送すればすぐに、ヘルメス商会から捕捉される。

 つまり目立ちたくないという大前提は、ここでも足を引っ張っていた。


「ぐぬぬ……あの爺さんが本当に邪魔だ。今になってもまだ阻害してくるか」

「放心したり悔しがったり、忙しいですね」


 そもそもクレインが全幅の信頼を置けそうな領主は近場にいない。

 最近になって擦り寄るような動きを見せた小領主もいたが、あくまで利益狙いだ。


「義理堅そうなところを選ぶとしてもアイテール男爵領は遠いし、メーティス男爵領はもっと遠いな」


 どこかの領地に預けるとしても、近場にしないと引き出しが間に合わない。

 しかし西側の零細領地に託した場合は、信頼度の他に勢力の小ささも問題になった。


「逆らったらどうなるか実践した直後なんだから、普通は素直に譲り渡して保身を図るよな。俺だって逆の立場になったらそうする」

「あのー……クレイン様?」


 圧倒的な武力を前にすれば、多少の信頼関係や策は意味を為さないと分かり切っていた。


 アースガルド領に攻め込み、近距離に陣取った東伯軍から恫喝されてしまえば、結果など見るまでもない。

 また無理な行軍をしてくるなら、保管している食糧を即座に引き渡すことも十分にあり得た。


「何だか物騒なことを言ってますけど、私が聞いていいやつですか?」

「大丈夫だから、もう少し傍にいてほしい」

「それならまあ、いますけど……」


 また、東伯軍は略奪で富を得られるため、アースガルド家の財産も交渉材料になる。

 それなりの価格が約束されるなら、食糧を積極的に投げ売りする線も濃厚だ。


 親交を持って間もない家からすると、没落したというか、滅びゆくアースガルド家に義理立てする必要も無い。

 そのためヨトゥン伯爵家を除くと、信頼できる近場の勢力には思い当たらなかった。


「絶対に手を出せないと言えば北侯の勢力圏で、そちらに保管を頼めば襲われる可能性は低いけど、保管を主軸にするならこれも時期が悪いな」


 次なる候補はやはりラグナ侯爵家の周辺だが、例えばハンスの副官を務めるオズマの実家、テミス男爵領が最寄りの北侯勢力だ。


 伝手で保管依頼はできるが、そちらに預けると山越えを何度も挟むため、引き出す際の輸送効率が極端に落ちる。

 道の整備を早めに終わらせるのも難しいので、少なくとも全量は預けられないのだ。


 加えて王国暦500年の段階では、小領地はどこも世紀末の様相を呈していた。

 荒れていた頃の小貴族領を荷駄が通過していくことも、立派な問題点だ。


「山賊化した流民とか、どこかの貴族から襲撃されるだろうし……」

「あのですね、例え話なのは分かりますけど……これから一体何を運ぶつもりなんです?」

「それは内緒だけど、ご禁制品ではないよ。ただ運ぶ難易度が高いだけなんだ」


 小貴族戦前の北部地域は、関所の乱立により流通が死んでいる。

 荷物の動きが少ないのだから、大規模に動けばすぐに悟られる環境だ。


 王国暦501年の収穫分だけでもという考えはあるが、その頃にはヴァナルガンド伯爵とヘルメス商会が同時に密偵を出している可能性も高い。


 やらないよりは確実にいいとしても、託せるのは少量になるだろう。

 北方面を利用した供給作戦だけでは、焼け石に水となるオチも見えていた。


「ええい、こんがらがってきた。どうやって落とし込もうか」

「相変わらず大変そうですねぇ……」


 近場で食料を大量に抱えた領地が誕生すれば、脅しや交渉で容易に兵糧が手に入ること。

 備えを知れば敵の警戒レベルが引き上がり、打つ手を簡単に無くせること。


 あちらを立てればこちらが立たずという状態だが、問題の根はこの二つに絞られている。


 どの作戦にも共通する問題点として、食糧が敵軍から見て確保可能な場所にあることと、それが敵に知られていることが挙げられた。


「つまり蓄えがあるという事実すら知られないまま、保管を完遂するのがベストだ」


 しかし作戦時には東伯軍が目前まで迫っているし、機動力では上を行っている。アースガルド家が容易に引き出せる環境があれば、それは東伯軍からしても同じということだ。


 だから目指すのは、領外での保管作戦と並行した隠蔽作戦の強化となる。

 これらが両立すれば困難は打ち破れるだろうと、結論は出た。


「材料はこんなところか。どうやってまとめようかな……」


 一見してどちらの勢力もすぐに引き出せないが、実は、アースガルド家だけはすぐに取り出せる方法とは何か。


 それが解決策と見てクレインは思考を重ねた。

 しかし一向に名案は出てこず、その様を見たマリーはやれやれと首を横に振る。


「悩んでばかりいても仕方ないですよ。行き詰っているみたいですし、気晴らしでもしたらどうです?」

「気晴らしと言っても今は真冬だよ。川遊びも山歩きもできないじゃないか」


 アースガルド領はまだまだ娯楽に乏しく、冬は酒を飲んで暮らすのが精々だ。

 いい歳した領主が雪合戦ではしゃぐ・・・・わけにもいかないので、マリーは代案を示す。


「それなら東に作っているお城の視察とか」

「あれは城じゃなくて砦――ん?」


 毎年のレジャー風景と、戦争に使う砦。

 一見して関連を持たない二つの要素が、クレインの中で不意に重なった。


 本来の用途ではないが、ピクニックかキャンプにでも使えそうな場所がある。


 アースガルド領周辺の地理や景色、各勢力のことを時系列順に思い浮かべると、クレインの思考は、寝起きに浮かんだ引っかかりに戻ってきた。


「そうだよ! 何か忘れていると思ったら、あれ・・があった!」

「うわっ!?」


 クレインは逆転の発想に至り、朧げに浮かんでいた問題解決までの糸口が見えた。

 点と点が一気に繋がり、秘策を思いついた彼はベッドから飛び降りる。


「そうだその手がある! ありがとうマリー、約束通り給料は上げよう。1年前から遡って昇給だ!」

「え? ええと、よく分かりませんが、やった!」


 感極まったクレインはマリーを抱きしめると、抱え上げてくるくると回る。

 落とし穴から抜け出せそうと見て、彼はとにかく上機嫌だった。


「よし、活路が見えてきた! ついでのご褒美に、ほっぺにキスしてやろうか」

「あら? 口じゃなくていいんです?」

「もちろん構わない!」


 マリーは「口でなくても構わない」という意味で捉えて、頬を差し出した。

 しかしクレインが言っているのは、「口でも一向に構わない」という意味だ。


「ん、んん!?」


 クレインはマリーの頬に右手を添えて、情熱的に口づけした。

 彼は数秒ほど堪能してから、不意討ちで目を白黒させていたマリーを解放して手を挙げる。


「やっぱり持つべきものは頼れるパートナーだな! それじゃあ朝食の前に行くところがあるから、出かけてくる!」


 いつだって予想外の角度から解決策を持ってくるマリーは、クレインからすれば勝利の女神だ。

 詰んだと思ったところから、一転して解決策が出てきたのだから燃えていた。


「……いや、からかったのは私ですけどね?」


 そして、その場に取り残された女神はしばらく放心したのち、少し不満気な顔をしてから頬を膨らませる。


「あのー、ファーストキスなんですけど。もう、ほんっとうにデリカシーの無い……」


 知らぬ間にマリーからの恋愛的評価が下降したクレインだが、彼は振り返らない。

 ややこしい盤面をひっくり返すべく、全速で武官宿舎に駆けて行った。



    ◇



「オラァ! 起きろグレアムッ!!」

「どわぁ!? な、なんだ、出入り・・・か!?」


 クレインは朝一番に武官の宿舎へ突撃すると、前日に深酒して高いびきをかいていたグレアムを叩き起こし、非番の彼を強引にハンスの家まで同行させた。


「ハンス! ちょっと相談があるんだ!」

「嫌な予感しかしませんが……まあ、上がってください」


 クレインは破竹の勢いで作戦案を伝えてから、二人に聞き取りを行う。

 すると彼らは互いに顔を見合わせて、微妙な顔をした。


「可能か不可能かで言えば、可能だったとは思います……けど」

「まあ、できなくはなかった……だろうけどよ」


 やる意味が全く分からず、作戦実行後にアースガルド領が滅びそうだ。そんな作戦だったとしても、やれるかやれないかであれば一応できる。


 全く乗り気でない二人の返事を聞いたクレインは、満足そうに頷いた。


「よし分かった。できることは分かった」


 可否だけを確認すると、次いでクレインは文官たちが集まる庁舎に向かった。

 慌てて追ってくるマリウス他数名の護衛を尻目に、彼はずかずかと外交部に乗り込んでいく。


「お邪魔するよ」

「ク、クレイン様。おはようございます」

「ああおはよう、早速だけど相談があるんだ。仮定の話ではあるけど、君の意見を聞かせてほしい」


 今度は業務開始前の紅茶を淹れていたエメットを捕まえて、即座に作戦の展望を語る。

 しかし一通りの話を聞き終わった時、彼の反応は、非常に乾いていた。


「――無理です」

「どうしても無理か?」

「あの、常識的には、どの角度から検討しても無理、ではないかと……」


 領主から相談を受けたハンサム顔の青年は、人生で一番と言えるほど困惑した表情を浮かべていた。


 しかし、無理でも無茶でもやるしかないのだ。

 生き残るためならば、なりふり構っていられないのが現状だった。


「この際、非常識でも構わないさ。君には死ぬほど頑張ってもらおう」

「えっ」


 今回の作戦で一番頑張るのはエメットかなと思いながら、クレインは毒薬を口に放り込み、目前の紅茶を遠慮なく飲み干す。


 ハンスとグレアム、そしてエメット。

 具体的に検討した結果、この三人を駆使すれば東伯軍は撃退可能となった。


「見てろよ東伯。お前たちが奪う食糧を、この世から消滅・・させてやる」


 相談した全員が困惑した出鱈目な作戦。

 必勝の策を発動するために、クレインは大きく時を遡った。


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