第四十一話 二者択一
「先代アースガルド子爵の友好関係はご存じでしょうか?」
ピーターからすれば何ということのない三段論法ではあるが、現時点のクレインからすれば話の流れが分からない。
意外そうな顔をしているところを見て、ピーターは前提の確認から入った。
「大体は把握しているけど、世代交代のバタバタでほとんど切れているな」
「さて……近頃クレイン様ご自身が、縁故を結び直したと聞き及んでおりますが」
先代から付き合いがある貴族とは、ノルベルトが連絡を取り合っているかもしれない。
しかしクレイン自身が、目立った外交をしたことなどなかった。
最近になって急激に仲良くなった家には思い当たらず、クレインが心当たりを探しても、どことも疎遠のままだ。
ヨトゥン伯爵家とならば関係を強化しつつあるが、現時点ではあくまで商売上だけの繋がりとなる。
これも使者を介しての話となり、実際に会ったことも無い。
そのため親密かと言えば、そうではなかった。
「ピーター。誰のことを言っているんだ?」
自分が直接交渉するのが最良という話だったのだから、今さら父親の友人付き合いを確認して何になるというのか。
クレインには全く話が見えていなかった。
しかし別に謎かけをしているわけではなく、特に隠すことでもない。
だからピーターは、ごく当然のように答える。
「アイテール男爵のことです。クレイン様も春先にお会いし、交流をお持ちになったのでは?」
「……ん?」
ラグナ侯爵家の本拠地で楽隠居をしている、陽気な男爵。
彼とクレインの父とは旧知の仲だと言う。
事前連絡なしで訪問しても笑顔で歓迎し、別荘の手配までしてくれたほど、気のいい男だ。
北で過ごした人生では、気楽に付き合えるご近所さんという位置づけで、共に隠居をしようという誘いがきたこともあった。
今回の人生でも北にいた頃は、何度か夕食を共にしている。馬が合うことを確認した上で、一定の友好関係は築けており、確かに旧交を温め直したとは言えるだろう。
「ええと、どうしてそこで男爵の名前が?」
しかし何故ここでアイテールが登場するのか。
中央貴族同士、メーティス男爵家と仲がいいのか。
彼を通せば交渉は可能なのか。
しかしそれなら仲介を頼むことになる。
であれば先ほどまでの話は何だったのか。
クレインは短時間のうちに様々な可能性を思い浮かべたが、ピーターが言いたいのはもっと根本的なことだ。
「次男の、ダリウス殿の話は聞いたこともございますが、彼はアイテール男爵領で代官に就いているそうですから」
「え」
その言葉を聞き、クレインの脳裏には男爵が語っていた言葉が蘇る。
初対面のアイテール男爵が、クレインを屋敷へ招き入れる直前に言った一言だ。
「領地に置いてきた代官と、その
マリウスの兄と聞けば、有能そうなのはクレインにも分かる。
そして拡大の最中で大混乱していたアースガルド家の暗部を、一身に引き受けたマリウスが補佐へ就いていると言うのだ。
しかし中央は保守的な性質が強く、新しい産業なども滅多に興らない。彼らがやる仕事と言えば農家の取りまとめや、屋敷と帳簿の管理くらいだろうか。
要するに。まるで知らない土地にやって来て、独力で全国を調査できる規模の裏方組織を作り上げた男が、ただの使用人のような仕事をやっているのだ。
しかも男爵本人は楽隠居で、屋敷への来客も少ない。
日常的な仕事はごく少ない状況だ。
アースガルド領の5分の1ほどの広さしかないアイテール男爵領なのだから、これなら本人不在でも問題なく統治を回していける。
「……ああ、そういうことね」
マリウスの能力からすれば、与えられている役割が軽いことはクレインにも想像がついた。
同時にそれが、他に仕官先を求めた理由なのかとも推測できる。
更に、アイテール本人の人柄に加えて、男爵家が他にも人材を抱えている点まで考慮すると――引き抜き自体はそう難しくもない。
むしろマリウスの兄だけで管理した方が、適切な仕事量になるだろう。
クレインは状況を察すると共に、一瞬でそこまでを理解した。
「メーティス男爵はアイテール男爵と、
「俺が
「ええ、まさに」
クレインにも、状況は何となく見えてきている。
後継ぎにならず、政略結婚もしない子息を、信頼の置ける家で鍛えてもらいたい。
将来的に実家を助けてくれればいいし、他家で身を立てるならそれでもいい。
大抵の貴族はそう考えるし、メーティス男爵もその思いで息子を送り出していた。
「アイテール男爵が雇用主な上に、マリウスの実家と仲がいいなら、話は早いな」
彼が口利きを了承すれば、高確率で回してもらえる見通しが立つだろう。それなら面識のあるクレインが直接頼み、当主同士で話をつけるのが最短経路だ。
「あれ、でも、ということは……?」
仕事は無限にあるのだから、アースガルド家に来てくれさえすれば責任者を任せて、いくらでも経験を積ませてやれる。
立身出世も思いのままなので、交渉カード自体は用意できるだろう。
それはいい。クレインが直接交渉に乗り出すのが、最も効率的な方法だと頷ける話でしかない。
しかしその刹那、彼の脳裏に嫌な閃きが走った。
「ですから三男の……マリウス殿を雇用したいのであれば、アイテール男爵と直接話をされてはいかがかと。そういうお話です」
「え? はは。うん、そうね」
人材採用に道筋ができた。
頼るべきものは父の旧友で、親戚のおじさんのような顔をした、気のいい男爵だ。
本気で頼めば、恐らく助けてくれるだろうとはクレインも思う。
だが、同時にもっと大きな、そして根本的な問題にもぶち当たることになる。
「アイテール男爵と関係を結ぶのも難度が高いことですし、先代アースガルド子爵の縁ほど貴重なものは……クレイン様?」
ピーターの個人的なコネとクレインの持つ手札だけで、武官再雇用問題の大半は何とかなるのだ。
それで武官の補充と、諜報組織設立のメドは立つ。
だが、問題は
「い、いや。ありがとう。それで試してみるよ」
「左様で」
クレインは動揺しているが、ここで冷静に話の流れを整理してみる。
マリウスがどうという話ではなく、全体の流れをだ。
アイテール男爵に、人材紹介を頼んだ。
アイテール男爵が、自領の代官補佐を融通した。
そんな話が出るとしたら、真っ先にその相談を持ち掛けそうな勢力はどこか。
クレインには一つしか思いつかず、一連の流れを考えても当然の帰結だった。
北から人材を引き抜き過ぎたせいで、人材の流出阻止が行われたのだから、ここまでくれば考える必要すら無い。
練兵場から離れたクレインは帰路につき、その道すがら。
クレインは隣にいるハンスのことも気にせず、空に向かって叫ぶ。
「マリウスの仕官先が、ラグナ侯爵家かよ!?」
「うおっ!?」
本来であればランドルフと同じく、田舎子爵には不相応な実力者だったのだ。
彼の才覚ならば、それなりに出世もできるだろう。
それはそれとして。
クレインがここでも先手を打ち、マリウス他、ラグナ侯爵家が勧誘しようとした人材を引き抜けば――印象は相当悪くなる。
「確かそろそろ西侯との小競り合いが激化してくる時期だ。そうだよ、元々この時期から新戦力を欲しがっていたんじゃないのか?」
領地で新しい才人を獲得しようとしたところ、遠隔地にいる聞いたことも無いような子爵が、有能そうな若手をゴッソリと引き抜いていた。
しかも侯爵家に人材を輩出し続けていた、ビクトール本人まで招聘していた。
現状を見ればこうだ。
そして今ここで、侯爵家のスカウトを更に妨害すればどうなるか。
最悪の場合は人材の敵対買収と判断されて、喧嘩を売られたという印象を抱かれてもおかしくはない。
西側陣営に所属して、妨害工作へ回っていると判断される可能性すら浮上する。
「ぐ、ぬぬ、どうする……!」
「え、あの。クレイン様?」
マリウスだけではない。侯爵家は北寄りの家にいる元武官たちにも、いくらか声を掛けるだろう。
しかしそこも、クレインが先手を打ち雇用するつもりだ。
戦力を拡大しなければ東伯戦を乗り切れず、その後に待っているであろう決戦も不安になる。
だから現状、募集をしないという手は無い。
だがこれが回り回って、同盟が組めない事態になれば、それこそ滅亡待った無しだ。
アースガルド家とヨトゥン家の連合軍だけで、後の全面戦争に勝てるわけがない。
「いや、だが、しかし……!」
マリウスやその他武将の獲得に踏み切るべきなのか。
ラグナ侯爵家との関係悪化を避けるべきなのか。
二者択一。どちらの道を選ぶか。
歯ぎしりをしながら唸るクレインの横では、ハンスがひたすらオロオロしていた。
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