51回目 作戦準備



 東方に不穏な動きあり。

 それを知ったクレインはヘルメス商会を叩き、蔵の金と引き換えに、敵を弱体化することには成功した。


 前回より拡大された砦の建築も終わり、防衛の準備は整っている。

 あとは敵がいつ攻めてくるかだけだ。


「何? 王都まで来てほしい?」

「はい。侯爵も一度王都に参りますので」

「そうか」


 さあ、いざ決戦を。

 そんな段階になって、北候からの使者がアースガルド家に到着した。

 伝達の内容は王都にて、南伯も交えての作戦会議をしたいというものだ。


「宮中政治が上手くいった、ということでいいのかな?」

「はい。次に東伯が兵を挙げれば、謀反人として討伐令を下す用意があります」

「それは頼もしいことだ」


 その前段階で、警告の意味も込めて、東方の領地のいくつかがラグナ侯爵家の飛び地として与えられると決まった。 

 これは王宮から下された決定事項だ。

 そしてこのあと何が起こるかは、クレインも知っている。


「では、東方の領主たちは後腐れなく処理・・をするのかな」

「ええ、そうなります」

「それなら来月の頭に合わせようか。その頃にはある程度落ち着いているだろうし」


 王都で第二回の粛清が起き、東方の領主が何名か暗殺される。

 本来の歴史通りに行くならば、ラグナ侯爵の謀略は成功するのだ。


 ――しかし今はイレギュラーな歴史を歩んでいる。


 果たして全てが上手くいくか心配になるクレインだが、失敗したとしてもやり直せばいいのだから、彼には余裕があった。


「畏まりました。ヨトゥン伯爵家にも使いは出しておりますので、会談のご用意をお願い申し上げます」

「承知した。話が終わりなら……使用人に案内をさせる。ゆっくり休んでくれ」


 北候からの使いを下らせると、クレインはすぐに寝室へ戻り旅の支度を始めた。





 そして彼は寝室のクローゼットから上等な衣服を抜き出し、領内の職人が仕上げたカフスボタンなどを選んでいく。


「えっと、タイはこっちの方がいいか? いや、でも袖の色と合わせるなら……」


 相手が上流階級とあって、普段よりも気合の入れた服装をする必要がある。

 普段はそれほど気を使っていない部分だけあって、彼はかなり悩んでいた。

 そうして、唸りながら準備をすること十数分。


「クレイン様もお忙しいですね」


 会合の服装をどうしようか色々と検討をしていれば、使用人を背後に連れたアストリがやって来た。

 付き人たちを部屋の入口に待たせて一人、彼女はクレインの傍に近寄る。


「これが終われば落ち着くと思うんだけど……そうだ、アスティも一緒に行くか?」

「いえ、私は留守を守っていようと思います」


 折角王都に行くのだから、一緒に演劇の観覧でもしようと思ったクレインだが。今は領内全体が決戦の準備で大忙しだ。

 決裁ができる人間は一人でも多い方がいいだろうと、アストリは留守居役を選んだようだった。


「そうか……じゃあ、お土産は買ってくるよ」

「ええ、期待しています」

「じゃあ俺の印を渡しておくから。もしも留守の間に何かあれば、クラウスとマリーを頼ってくれ」


 アストリは意外そうな顔でクレインを見て。


「マリーさんはお連れしないのですか?」


 そう聞いたが、クレインにはこの質問の意図が彼には分からなかった。

 今までも少数の護衛だけを連れて王都へ上っていたからだ。


「え? ああ、うん。連れては行かないけど」

「……そうですか」

「えっと。いつも旅の間は自分で支度をしているけど。どうしてマリーを?」


 今回に限って何故? 素直にそう思い、クレインは聞いてみる。

 もしかすれば、彼女を連れて行った方が有益になる場面がくると、アストリが考えているかもしれないからだ。


 そして聞かれたアストリの方は目線を上に送ってから、何でもないような口調で答える。


「マリーさんは、おめかけさんではないのですか?」

「えっ?」

「単身赴任の時は妻と離れて楽しめるので、連れて行くのが常と教わりましたが」


 ヨトゥン伯爵家では、様々な角度から貴族教育を施している。

 一般的な礼儀作法、教養から、少しばかり常識から外れた裏ルールや不文律まで全部だ。


 しかしクレインは、娘に何てことを教えているんだと、南伯の。

 いや、ヨトゥン伯爵家の教育方針に少し引く。


「俺に妾はいないよ」

「ふふ、隠さなくても大丈夫ですよ。私も、そこは理解していますから」


 愛人などはおらず、恋人や夫婦の関係にあるのはアストリだけだと素直に答える。

 だが彼女は、その言葉を冗談だと思っていた。


「いや、あの。本当に違……」

「彼女は私たちにも良くしてくださいますし。何でしたら、正式にクレイン様の夫人にしても構いませんよ?」


 理解があるのは助かるだろうが、理解があり過ぎても困る。

 そう考えて、クレインはフリーズした。


 これは高位貴族の常識だ。妻や夫が複数人などという話は当たり前である。

 法的な関係の無い事実上の妻が、二人や三人はいて当然という認識のアストリ。


 一方で田舎貴族の常識は全く違い、近辺の領主は一夫一妻がほとんどだ。

 後継ぎに困った場合に、二人目の妻を迎えるのがいいところ――という立場にあったクレイン。


 一流の名門貴族と、そこら辺にいる中小貴族の常識がぶつかっているのだ。

 倫理観以前に財力の問題があり、生まれた環境からして既に、常識が大きく食い違っていた。


「こういうところも、価値観の違いか」

「……?」


 真の上流階級であるアストリと、一応の上流階級だったクレイン。

 育ってきた環境の違いから発生した問題であった。


 確かにクレインも今や一流の域には来られたが、心根は田舎貴族のままだ。

 別に酒池肉林やハーレムなど求めていない。

 彼も、そういった部分からすれ違い、離婚に発展する場合があるとは聞いている。


 しかしデリケートな話題だ。ここをすぐにどうこうするのは無理だろう。


「まあ、将来のことは分からないけど。今のところは妾も愛人もいないよ」


 不思議そうな顔をするアストリから目を背けつつ。

 クレインは一旦、問題を先送りにすることを決めた。


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