11回目 有能な部下と秘密の会合



「えっと、東地区の決裁書がどこかに……」

「こちらにございます」


 大して豪華でもないが質素でもない、クレインの執務室。

 今、ここには二人の男女がいたが――言うまでもなく領主と微笑み騎士だ。


「あ、ありがとう。じゃあこれが終わったら、鉱山の陳情書を――」

「私の権限で処理が可能でしたので、そちらは対処済みです」


 クレインとブリュンヒルデは、二人がかりで決裁書類を回していた。そしてクレインの予想を遥かに超えて、ブリュンヒルデの実務能力は高かった。


「王都で会った時は騎士服を着ていたが、騎士団では事務方だったのか?」

「いえ、閣下。私の本職は殿下の護衛です」

「……そうか」


 彼女が凄腕の暗殺者であることを、クレインは知っている。七度も斬られたのだから、その実力が王子の護衛に足る腕前だというのも知っている。

 だがここにいる・・・・・クレインは、そんな裏事情を一切知らないことになっているのだ。


「まあいい、午前中の仕事はこれで最後にしようか」


 下手につつけば藪から蛇を出すだろう。だから何でもない顔で、ただの秘書官として扱っていた。


 王都から来た美しい女性騎士。しかも仕事ができる女傑ということで、メイドのマリーなどは彼女に憧れの目を向けているのだが、周囲の評価を聞いたクレインは微妙な心境だった。


「……世の中、知らない方がいいこともあるよな」

「何かございましたか?」

「いや、何でもない」


 ブリュンヒルデと共に仕事をしつつ、政務の合間に時折世間話を挟みつつ、彼女のことをそれとなく探ってみれば実家は伯爵家で、彼女個人も男爵の位として叙爵されていると聞いた。


 伯爵家の人間は子爵家の当主と同程度の偉さだが、向こうは中央出身な分だけ格上だ。クレインは身分に基づき敬語を使おうとしたが、しかし。


「領主が秘書官に敬語を使うのは不自然です、閣下」


 と、優しい瞳で真っ直ぐにクレインを見据えながら、ブリュンヒルデは訂正を求めてきた。拒否をする理由もないので素直に従いはしたが、何気ない日常からして既に緊張が高まっている。


 一日の大半で行動を共にしているので、今や気が休まる瞬間は眠りにつくまでと、朝目覚めてからすぐの時間しかない有様だ。

 しかし気疲れしている領主に向けて、秘書は淡々と午後の予定を告げていく。


「昼には会食がございます。正午に待ち合わせの予定ですので、そろそろ出立の御準備を」

「ああ、分かってる。……そうだ、ついでだからトレックにまた薬をもらおうか」


 ブリュンヒルデはクレインの屋敷に逗留しているため、トイレに行く途中や、朝食をとりに食堂へ向かう道すがらで遭遇することもある。

 その度に謎の緊張が走り、クレインはもう用法用量の限界を超えて胃薬を使用していた。


 残量が心許こころもとなくなったことすらストレスに感じるようになったが、今日の会合にはトレックも出席するのだ。

 少しばかりの安心感を得ながら、彼は仕事を片付けていった。





    ◇





「さて、一堂に会するのは初めてだな」


 領内のレストランに集まったのは、いずれも王都で幅を利かせる大手商会の責任者たちだ。

 4ヵ月前のクレインでは、面会すら叶わなかっただろう顔ぶれである。


「そうですなぁ。此度も儲け話を期待しておりますぞ」

「まあまあ、そう明け透けに言うものではございませんよ」


 今のアースガルド家には勢いがあるが、領地の規模はそれほど大きくない。経済的には裕福な男爵家と同程度で、大手商会もまともに進出していなかった。


 そんな領地に突如として、大規模な銀の鉱床が発見されたのだ。元が栄えていなかったのだから開発する土地は幾らでもあり、大商人たちが利権に食い込む余地も多分に残されている。


「おっと、これは失敬。登り相場に心が躍っているようですな」

「はははは。御大もまだまだ現役ということか」


 未発展のエリアに未曽有の好景気が訪れた結果、持ち込んだ商材が何でも飛ぶように売れている。利益の匂いに敏感な商人たちも、今が稼ぎ時だと考えていた。


「はぁ……こちらは田舎者だから、少しは手加減してほしいものだ」

「クレイン様は話術に長けるともっぱらの噂」

「ええ、謙遜が過ぎますよ」


 何の後ろ盾も無い若造が王家に取り入り、第一王子に接近して力を得た。そんな話は既に知られている。


 目の前の利益を捨ててでも将来の繁栄を獲りに行く姿勢は、商会長たちから見るとやり手・・・に見えていた。


 実際にはただの命乞いだったとしても、事実を肩って評価を下げることもないだろうと、クレインは噂話をそのままにしている。

 だから敢えて否定も肯定もせずに、彼は話を変えて本題を切り出した。


「それはいいとして、スルーズ商会が王家の銀山から最後の設備を持ってきてくれたんだ。これを使い、新規に銀山を増やそうと思う」

「規模はいかほどで?」

「前の二つと同じくらいだ」


 銀鉱山は既に稼働しており、今は銀の延べ板として他領に輸出されている。アースガルド領に銀食器や銀細工を作る技術力は無いため、主に南伯と呼ばれるヨトゥン伯爵家に売ることになっていた。


 しかし銀貨作りの技術指導が始まっていることから、そろそろ産出量を増やし、領内での貨幣鋳造にも手を伸ばそうという算段だ。


「輸出は順調だが、まだ金庫の中身は少ないのでね。配当は前回と同じにして、諸君から出資を募ろうと思う」

「そろそろかと思い、出資比率を調整しておきました。ご確認くだされ」

「……予測済みか」


 クレインから出資の話を持ちかけられる前に、商人同士での談合は終わっていた。この場に集まった商会が共同で出資することになっており、あとはクレインが書類にサインするだけだ。


 完璧にお膳立てされた計画書を流し読みしてから、彼はすぐに頷いた。


「よろしい、ではこれで進めよう」

「取り分の交渉はご不要ですか?」

「一見して適正価格のようだ。儲けさせてやるから存分に働いてくれ」


 クレインも子爵家の御曹司ではあるが、大商人との交渉などできるはずがない。

 そのため最初からある程度は諦めており、儲けさせる代わりに全力で働いてもらう方針だった。


「剛毅と言いますか、豪胆と言いますか……」

「目先の小金に釣られて利益を逃すような二流は、ここに居ないと信じるよ」


 もちろんノーガード戦法ではない。欲をかいた提案をしてくるようであれば、それを主導した商会への特権は取り上げるつもりで動いている。


 今やクレインは巨大な利権を動かす男であり、談合や賄賂わいろ、裏取引など当たり前の世界に来てしまったのだ。

 本人にもその自覚はあり、以前よりは慎重に動くようになっていた。


「そう言えば、いい絵が手に入りましてな。子爵の屋敷に似合うかと思います」

「では当商会からも、こちらの焼き物をお受け取りください。北方製の名品です」

「ああ、ありがたく受け取ろう」


 今日も今日とて商人たちからは友好の証として、クレインに個人的な贈り物がされているが、過度に高額な物でなければ全て受け取っている。


 この程度なら捕まることはなく、何も受け取らない清廉潔白な領主というのは、裏を返せば融通が利かない石頭という評価で嫌われるからだ。


 ブリュンヒルデからそんなレクチャーを受けたクレインは、清濁を併せ吞む術を多少なり学び始めていた。


「まあ、全ては生き残るためか」


 改めてそう決意したクレインは、陶器のコップに注がれたワインを一息に飲み干す。


 最近では領内に回る品物の質が高く、酒も食事も上等になったものだ。などと思いながら、彼は上機嫌で商談を進めた。




   ◇




 その晩のことである。そろそろ就寝という時間になって、クレインは下腹部に鈍い痛みを覚えた。


「腹の調子が、少しおかしいかな」

「大丈夫ですか? クレイン様」

「ああ、少しいい物を食べ過ぎたかもしれない。トレックから貰った胃薬を出してくれ」


 パタパタと廊下を駆けて行くマリーを見送りながら、クレインはボヤく。


「最近は過労気味だしな……。でも下手に死んで、最初からやり直しとか絶対に嫌だぞ」


 戻るにせよ何かを得てから戻りたいと願うクレインだが、ほどなくしてマリーが薬と水を持ち帰ってきた。

 それを飲み干した彼はさっさと眠りにつき――


 ――そのまま、永遠に眠った。




 王国暦500年8月22日


 この日、領主の病死・・によりアースガルド家の歴史は終りを告げる。

 彼の領地は後に、ヴァナルガンド伯爵家に吸収される形で滅びた。




― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 末尾に付いているクレイン死亡後の流れを、クレインは当然知りません。

 これは神の視点での情報となります。

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