閑話 意外と重要な運命点《バスタイム》
【アクアレイク城・大浴場脱衣所/サフィアローザ】
「ふぅ、ずいぶん遅くなってしまったわね」
私はついボヤキを漏らしながらドレスを脱いでいく。
仕事を片付けるのがこんなに遅くなってしまったのは久しぶりだ。
仕事と自分の時間のバランスを大切にするのが私のスタイル。
自分の時間と言ってもほとんどは自分の魅力を高めるための時間だけど、とても大切な時間だった。
ショーツ、ガーターベルト、ストッキングを脱いで、最後にブラを外す。
裸になると私は意識して背筋をそらすようにした。
なぜなら普通にまっすぐ立っているだけでも、私の大きなバストは自然と下を向いてしまうからだ。
下向きになるとどうしたって垂れているように見えてしまい、私の美意識ではそれはNGだった。
なので、胸を張る様にしてバストが前向きに見えるように姿勢を作るのである。
ただ勘違いしないでほしいのは、垂れてる=みっともない、と思っているわけじゃないことだ。
大事なのはバランスである。
私よりも大きなバストの持ち主である現第二位女王のパラレオーラ様は、筋肉が付きづらい体質でどうしたって重力に引かれるまま垂れたような感じになってしまう。
それだと私の美意識的にはあまり見栄えが良くないと感じるはずなのだ。
なのに私が自分のバストの大きさを意識して見栄えを気にし始めた頃にお風呂で見かけた時などは、数十秒記憶が飛ぶほど見惚れてしまったことがある。
そして、背中を伸ばしてバストを突き出すような姿勢の私を見てパラレオーラ様は微笑ましそうにお笑いになられたのだ。
私は、まだ若いわね、と言われたような気がして、とても恥ずかしく思ったのを今でも覚えていた。
それから何度かパラレオーラ様のような印象を出せないかと試してみたが、残念ながら私がすると背中が少し丸まって不格好になってしまうのである。
大事なのはバランス。それと自信だ。
私はパラレオーラ様を真似ようとしてみて、それを学ぶことができたのだった。
私はそうして学んだことを意識しながら姿見の前でしっかりと形を作る。背中をそらしすぎて不格好になっては本末転倒だ。
このくらいが一番良く見えるかしら? ちゃんと前を向いていて美しく見える姿勢だと自信を持って言うことができる。
それから左右に体を回してみて別の角度のバランスもチェックをし、納得をすると、大浴場に向かった。
私は大浴場に入ると、まっすぐ洗い場へ向かう。
すると、体を洗い終えて髪をまとめさせていたヘレンアティスを見つけた。
いちおう今の彼女はクリスの目的を受け入れた同士ではあるけど、はっきり言って私と彼女はあまり仲が良ろしくない。
残念なことだけど、私と彼女の間には決して埋めることのできない深い谷が存在しているのだ。
女王候補はあまり仲が良くない。
などと一まとめでよく噂されているが、仲が良くない、なんて単純な一言で、人間関係を表現しきれることなど一つも在りはしない。
女王候補だからって単純に他の女王候補全員を嫌っているなんてことはないのである。
私だって好きな人、嫌いな人、性格が合う人、合わない人、苦手な人、注目してる人、などなど。たった40人程度の女王候補だけでもそんな風に細かく分けることができる。
さらに、お互いを好きだと思っている場合もあれば、こちらは好きだけど相手は嫌い、なんて場合だってある。
感情の相関図のようなものを作ってみれば、たった40人程度でもきっと複雑なものができあがること間違いなしだろう。
さてそれでは、人によって変わるこの感情の違いはどこから現れるのだろうか?
直接顔を合わせて話をしてみて現れることもあれば、自分の胸の奥にあるポリシーや趣味嗜好などの違いによって現れることもあるだろう。
女王候補の誰もが自覚しているだろうが、自分たちの自意識は他の人たちよりも数段強い。そうでなければ国を背負う女王を目指すことなどできないのだから。
私たちは自分の心に在るものは絶対に曲げたりないし、曲げられることを認めたりしない。
そうなると当然ポリシーが違えばぶつかり合うことになり、ポリシーが白と黒ほど反対のものであれば絶対に相容れない、という関係にまで行ってしまうことになるのである。
私とヘレンアティスの間にはこの白と黒が存在してしまっている。
それは私たちだけではなくて女王候補たち全員、……いいえ、この国に生きるすべての女性の中にも存在しているものだ。
誰もが白と黒のどちらか一方をポリシーとしており、ともすれば戦争勃発の危険を潜在的に内包しているとも言えるほど、相反するポリシーであった。
それすなわち、巨乳派か美乳派か、という意識である。
私、サフィアローザは当然、美・巨乳派だ。
バストの大きな女性の方が女性として魅力的だと感じている。
女性の魅力をバストサイズだけで計ったりはしないが、そこそこのサイズの女性が大きすぎない方が綺麗で魅力的だ、というような間違った主張をしているのを聞くと、持たざる者の強がりね、と微笑ましく思ってしまうものである。
私は忘れていない。つい先日、このバストをだらしない脂肪などと
「あらサフィアローザ、お風呂で会うなんて珍しいわね?」
髪を結い上げたヘレンアティスが話しかけてきた。その時、一瞬だけ私のバストに目を向けたことを私は見逃さなかった。
魅力のあるものについ目が引かれしまう。人として当然の反応よね。
ヘレンアティスも素直に認めたら良いのに、と思うけど、認められないのが私たちだということもわかっている。
だから、そのことに関しては私は許してあげるわ。それが持つ者が与えるべき優しさというものだからね。
「今日は珍しく仕事に時間がかかってしまっただけよ。いつもは夕方くらいには終わらせて、それから入るから。ほら、仕事ばかりしていたらつまらない女になってしまうじゃない?」
誰かみたいに、なんてことはもちろん口にしない。
それでも、言葉の裏の裏まで読もうとする私たち女王候補が、そんなわかりやすい暗喩に気づかないはずはなかった。
ヘレンアティスの目が鋭く細まる。
ここで何もしなければおそらく一言くらい言い返してくるだろうけど、こんなところで立ち話をするような見っともない行為を私は続けるつもりはなかった。
「それじゃ、私は体を洗いに行くから。ごきげんよう」
私はヘレンアティスの反応を待たずにすれ違うと、胸の大きなメイドにお世話を頼んだ。
■□
□■
体を洗って髪を結い上げてもらってから
嫌味を言った手前意識はするが、かといって避けるというような弱気な姿勢を取るなんてことはしない。
とくに話しかけることはせず、私は彼女から数メートル離れた辺りからお湯に入った。
お湯に浸かると、一気に胸から重力がなくなる。
とても楽なのだけど、その状態を私は良いとは思わない。
魅力的な大きなバストを頂いたのだから、その代償を払うのは当然のことである。
私にとってそれは、商品を買う時にお金を払う、というくらい当たり前のことだった。
重さという負担、魅力を維持する難しさ、それら苦労を支払ってこそ得られる魅力というものが、持つべき者のプライドへと繋がっているのである。
私のプライドはむしろ負担を与えられることを望んでいた。
もっともっと。大きな負担を。
その負担に耐えている時、その苦労を受け止め切った時、私は大きな喜びを感じることができるのだ。
まぁでも、お風呂の時くらいは良いわよね。
そんな感じで重力からの解放を甘受していると、とうとうヘレンアティスの方が動き出した。
前を向いた体勢のまま、すすーっと横滑りして近づいてくる。もちろん気づかないはずがない。
私が体を洗っている間も、頭の中ではどう言い返してやるか考えていたことだろう。
いったいどんな嫌味が返されるのか。私は受け止めるべく、警戒心を最大限に高めた。
ヘレンアティスは一メートルほどの距離の辺りで止まると、水音に紛れるくらいの声で言った。
「サフィアローザ……クリスってどんな女性が好みなのかしら?」
ストレートパンチが来るのを警戒していたら、横から頬を張り飛ばされた気分だった。
え、なんなの、その質問?
流れ! 流れを大切にしましょう!
嫌味を言ったら、嫌味を言い返す。それが流れってものでしょう?
「ちょっと聞いてるの? 話しくらいしたって良いでしょう?」
「話すのは良いわよ。話題が問題なのよ」
「そばにでも来ない限り聞こえたりしないから大丈夫よ。それよりどうなの? あなたの意見を聞かせてくれる?」
「聞かせてくれる?、じゃないわよ。ヘレンアティス、あなた私に何を言ったのか忘れたの?」
「……? 何か言ったかしら?」
「ひとのバストをだらしない脂肪って言ったのよ!」
抑えたつもりだけど、少し声が大きくなってしまった。
今までそこまで気にしていたつもりはなかったけど、相当カチンときていたらしい。
こちらは価値観の相違を許容しないことはないが、向こうが否定するのならこちらも徹底抗戦するしかないのである。
「それは謝罪するわ。人の欠点をあげつらうのはみっともなかったわね。ごめんなさい」
「………」
この女は私にケンカを売っているのよね? そうなのよね?
「それでどうなの?」
「………」
……はぁ、もういいわ。どれだけ話しても結局は平行線なのだ。
彼女たち自称・美乳派は大きなバストをだらしないとか、はしたないとか、不格好とか言って貶めなければ、羨望に耐えられないのである。
バストは神からのギフトだ。大きくなる者もいれば、大きくならない者もいる。
与えられなかった者の怨嗟を与えられた者が受けるのは、与えられたがゆえの試練なのかもしれないわね。
不愉快ではあるけど、私はその試練に耐えて魅せるわ。
それで、えっと……
「……クリスの女性の好み?」
聞かれて考えてみて初めて、今の今までそんなことを一度だって考えたことがなかったことに、気がついたのだった。
そもそも私たち王族や貴族の女は男性がどんな女性を好きか、なんてことを気にしたりしない。
気に入った男性がいたら
よほど大きな身分差がなければ基本的に男性に拒否権はないし、男性にとって上の身分の女性からの指名は喜びなので、拒まれるなんて可能性があること自体、考えたことがなかった。
けど、これも考えて初めて気づいたが、クリスは特殊だ。
ディーアモーネはちょっとまだよくわからないけど、私、たぶんマリーアネット、そしてヘレンアティスは、将来の伴侶として意識をしている。
最低でも私たち三人が婚姻を望んだ時、それを選ぶのは誰だろうか?
普通に考えれば女王になった者、しかも上位になるほど優先順位が高くなる。
けど、クリスは変わり者で、言われるままに婚姻を結ばされるのが嫌なようだ。
私たちは禁呪で縛られてしまっているから、クリスが望まなければ婚姻に至ることはないだろう。
つまりクリスと婚姻を結ぶためには、クリスの好みに合う女性にならないといけないということだった。
「………」
妙な質問を聞いた時はクリスに熱を上げて頭がダメになったか、禁呪でおかしくされてしまったのかと思ったけど、どうもそんな単純な話ではなかったようだ。
頭脳派なんて言われているだけあって思考の視点が常人とは違っているのかもしれない。
今日ここで話をしなかったら、クリスが他の誰かを選ぶまで私は考えもしなかっただろう。
バストの件でかなり複雑ではあるが、新しい視点を与えてくれたことに関して私は今ヘレンアティスに感謝の念を抱いていた。
これまでは仕事ばかりしている面白みのない女性、という認識だったが、それだけではないのかもしれないと思った瞬間だった。
「待たせて申し訳ないけど、正直に言うわ。クリスの好みなんて考えたことがなかったから知らないわ」
「ああ、そう。まぁそうよね」
感謝の意を表して正直に答えると、ヘレンアティスは残念そうにするでもなく、あっさりと納得した。
彼女だって私と同じ王族の女なのだから、おそらく同じように先日まで考えたことがなかったのだろう。
彼女がクリスの好みをどう考察したのか聞きたいところだったが、与えられるばかりでは私のプライドが許さない。
私はきちんと対価を支払う女なのだから。
「思い当たる点があるから話すわ。クリスはね、バストの大きな女性が好みよ」
「っ……自分に都合の良い意見を言わないでくれる?」
「貴女にとってはとても残念な話だけど、これはこれまでの経験からくる純然たる事実よ。バストが当たるとクリスって慌てながらとても嬉しそうにするもの」
「ちょっと! やっぱり誑かしていたんじゃないっ」
「そんなつもりはなかったわよ。本当に。慌てるクリスを見るのが楽しかっただけだったのよ?」
「……認めないわ」
「それとヘレンアティス、貴女ってクリスにあまり好かれていないと思うわ」
「っ……どうしてよ?」
「今までずっとクリスにかなり面倒を押し付けていたでしょう? だからよ」
「それはっ……普通のことじゃない……」
「そうね、普通ね。けどクリスは普通じゃないわ。クリスの目的から察するに、彼の都合を考えずに振り回す女性はまず除外されるでしょうね」
「っっ……私はどうすれば良いのよ……」
「面倒を押し付けるのをやめれば良い、と言いたいところだけど、疑われそうな変化は禁止されてるのよねぇ。どうすれば良いのかしらねぇ……?」
残念ながらすぐには妙案が浮かびそうにはなかった。
話はそこで終わりにすることになり、私にとって奇妙なほど重要な時間となった、バスタイムが終了した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます