相合傘

椎那渉

1/1000の偶然

 当たってしまった。


 勢いで応募した、タウンペーパーに掲載されていた水族館のチケット。

「ほらぁ!やってみなきゃ分からないじゃないっスか!」

 雑誌の当選者発表と同時に発送されたチケットを握りしめて、件の美容師が務めている美容院に行ったのが昨日。当たらない方ばかりを想定して、もしも奇跡的に当たったらと迷わず誘う人の顔を思い浮かべてはいつの間にか記憶の中から抜け落ちていた。


『読者の中から抽選で2名!マリンドームのペアチケットをプレゼント』


 先月たまたま見たヘアサロンの席の上、でかでかと書かれていた懸賞ページといつもの美容師にそそのかされたのだと自分に言い聞かせながら応募メールを送った。地元の水族館だけれど、規模はそれなりに大きいから、いつも家族連れやカップルに人気だった。たまに小学生や保育園児が遠足で来たりするくらいだ。

 人気スポットだけあって、応募総数は986件とそれなりに多かったらしい。そんな奇跡みたいな当選確率で当たったのだから、さぞかしイイコトがあるのではないかと思ってしまう。

 それでも断られてしまったらと思うと、翌日以降の仕事に差し支えてしまいそうで。チケットの使用期限は今月中だから、実際あと3週間もない。


「……で、どうするんスか」

 俺が務めている部署は、不動産関係の土地を管理して地主と購入者の橋渡しをしたり、新しい建築物をデザインする業務を請け負う会社の総務課だ。今度は依頼主として現れた、俺をそそのかした美容師の言葉を聞き流し、あれこれ思い悩みながらパソコンのキーボードを打つ。美容院の支店を出す土地を探している、とのご相談。総務とは名ばかりで、接客から営業担当への連絡、雑務的な業務までありとあらゆる細かいことを担当している、いわば庶務課とも言える部署だった。

対応窓口のパイプ椅子が軋んでいる音がする。そんなに気になることなのか?

「……どうすっかな…」

 同じ職場にいる先輩。

 それが俺の誘いたい相手だった。


×   ×   ×   ×


 どうしよう。


 せわしないランチタイムの食堂内で、何度目かのため息をついた。

「観念しなさいよ、雨宮ほたる」

「うん、でも…ほら、忙しいかもしれないし、」

 同じ部署でしょ、と容赦ない突込みが入って、確かにそうだと頷いた。彼のスケジュールを把握するのも、私の仕事のひとつだ。

 社員が交代で取る昼食を、違う部署にいる親友の霧島瑠璃きりしまるりと一緒に食べている。確かに、同じ部署に所属しているとある後輩が気になるのは認めよう。でもそこまで。

 仕事ではよく喋りはするけど、普段から世間話を話す程ではないし、彼は案外モテるのだ。例えば私みたいな年上のおば…おねえさんに好かれても、困ってしまうのではないだろうか。

「ダメ元で誘ってみたらいいじゃない」

「断られたらダメージがおおきいもん」

 広げたお弁当は全部平らげたけど、持ち場に戻るのは気が重い。

 たまにデスク越しに目が合って、心臓が飛び跳ねるのをどうにかしたいくらいなのに。いきなりデートの誘いをするなんて、とんでもない。恥ずかしくて、会話するどころじゃなくなってしまう。ふたりきりで、そんな……。いくつも考えたデート案、その13通り全て無かったことにしていた。

「無理無理!!…そんな、近いとこ…」

「それじゃ、あそこなんてどうかしら?」

 瑠璃の指さした先。

街にひとつだけある、水族館のポスターだった。


×   ×   ×   ×   ×


 頭の中で何度も練習はした。

それでも、彼女は頷いてくれるのだろうか。

「チケット2枚取れたから、一緒に…どうかな」

 休憩室の鏡の前。誰もいないことを理由に、誘い文句をひねり出す。先日美容院に行ったとき、茶髪から黒く染め直した髪を整える。

 いきなり好きだ、なんて言えないだろう。それも彼女の顔を真正面で見ながら、なんてとてもじゃないができない。普段から仕事以外の会話をしたことなんてロクにありやしないのに、入社した時から細かいところで世話になってる先輩に、いつの間にか惚れていた。

「たまたま、チケットが手に入って…いや、なんか違うな」

「……」

「雨宮、先輩」

「うん」

 …?

 聞き覚えのある声。

顔を上げたら、バッグを肩に掛けた俺の想い人が正面の鏡に映っていた。

「っ・・・!」

「時雨君、」

「あのね」

「あの」


 振り返って声を掛けると同時。

5歳上の先輩から呼び止められる。まさかこんな、奇跡みたいな偶然が本当に起きるなんて。

「……雨宮…先輩から、どうぞ」

「えっ、えっと、その」

 あたふたとしている姿に思わず笑いを堪えたが、スーツのポケットから折り畳んだ何かを取り出すのが見えた。見間違えるはずのない、何度も目を通したパンフレット。

「水族館、なんて…一緒に…」

 彼女が言い終わる前に俺の身体は動いていた。

「…チケットなら、ある。…金曜日の夜、どうだ?」

 平日はナイトアクアリウムと言う展示をしていて、海に沈む夕日を見ながらイルカショーが見れる。そんなことを早口で説明しながら、ほんとうに現実なのかとズボンの上から太腿を抓った。

 痛い。間違いない。現実だ。

「素敵!うん…いいよ、時雨くん…!」

「待ち合わせ時間とか、待ち合わせ場所とか…後で連絡、するから」

 午後の始業のベルが、どこか遠くで鳴っているように耳の奥で響いた。

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